「完璧です、センスがありますね雪那は」
「あり、がと?」
「それでは次はこちらの患者さんの治療を行います。解説も交えますので、しっかりと見ていてくださいね」
「ん……」
厳しい鍛錬が終わり汗を流し、けれど雪那の1日はこれで終わりではない。
蝶屋敷のそもそもの役割は怪我をした鬼殺隊員の受け入れ先である。
そこでの仕事を覚えたいというのは他の誰でもなく雪那自身からの願いだった。
雪那は口数は少ないが仕事の覚えは早く、意外にも自ら積極的に学ぼうとする。そんな姿勢からアオイやカナエ、しのぶといった教える側もむしろ助手という役割で重宝し始めていた。
神崎アオイは今日もテキパキと自身の仕事をこなしていく。
無駄なく的確に雪那に指示を出しつつ、家事から手当てまで嵐の様な早さで片付ける。僅か数ヶ月前にこの屋敷で働くようになったばかりとは言え、今や彼女の蝶屋敷での働きはとても大きい。それは間違いなく彼女の努力の賜物でもあるのだが、その必死さには彼女がここに来るまでの経緯にも理由があるのだろう。
「はい、今日はこれでおしまいです。お疲れ様でした、よく学んでいますね。流石はしのぶ様のお弟子さんです」
「……ん」
「これからどうしますか?何かご予定でも?」
「勉強……」
「なるほどそうですか、でしたら私がしのぶ様のお部屋までお送りしましょう」
「あり、がと……」
「いえ、お気になさらず」
真面目なアオイに口数の少ない雪那。
二人の会話は酷く単調で、側からみればなんとも味気ない。
きっとそれはアオイと雪那が会話をするようになったのが、ここ最近であるからという要因もあった。それまではアオイも学ぶ側であり、雪那はしのぶにべったりだったのだから。
けれどアオイは意外にも努力家な彼女のことをしっかりと認めているし、雪那も余計な話を挟まないどストレートなアオイのことを好んでいる。決して相性の悪い2人ではなかった。
「…………」
横を歩く雪那をチラリと見るアオイ。
手にはマメができており、いくつか怪我の跡もある。その小さな身体で必死に努力を積み重ね、鬼殺隊になろうとしている彼女。
彼女が剣を振っているところを見る度にアオイの胸はチクリと痛む。
それは自分がその道を諦めたからか。それともこれから彼女に降りかかるであろう試練を想像してしまうからか。
こんなにも小さな少女があんなにも恐ろしいバケモノ達と面と向かって戦いに行こうとしているという事実を考えるだけで、心が乱れる。
止めたいと思う気持ちはある。
考え直せと言いたい気持ちはある。
ずっとここで一緒に働いていればいいと願う気持ちはある。
けれどこの少女の目指しているものが自分ではなく、しのぶやカナエであることもアオイは知っている。
戦場でも人を救い、戦場から戻ってきても人を救い、笑みを振り撒き、希望を振り撒き、女神と呼ばれる彼女達を目指して雪那が必死になって努力をしていることを、アオイは知っている。
「……雪那、これを差し上げます」
「ぅ……?」
「お菓子です、糖分は疲労によく効きます。疲れたまましのぶ様のお手伝いに行かせる訳には行きませんから、ここで少し休息を取ってから向かって下さい」
「わか、った……」
「では、私はこれから洗濯物の回収に行かなければなりませんので。お疲れ様でした」
素っ気ない会話、まだまだ馴染めている感が出せない不器用さ。もう少し言い方があったのではないかと小さな後悔は何度もするが、何度戒めても直らない。悩みながら早足で歩いていくそんなアオイの後姿を、雪那はまた首を傾げながら見送っていた。
コンコン
「しつれい、します……」
「雪那……?早かったわね、もう少しかかるかと思ってたけど」
「んぅ……」
「あ、もうこら……勉強するために来たんじゃないの?甘えるだけなら追い出すわよ」
「……ん」
「はぁ、そう落ち込まないの。勉強が終わったら一緒に寝てあげるから、それでいいでしょ」
「がんばる……」
「じゃあ今日はこの本から」
しのぶと雪那の勉学の時間。
しのぶはこの頃、以前より考えていた鬼を殺す毒についての研究を詰め始めていた。カナエがあの鬼に襲われてからゴタゴタとあったが、今でもあの時の悔しさを忘れてはいない。しかしどうにも上手くいかず困っていた時、隣で本を読んでいた雪那が偶然にもその手掛かりになりそうな文章を提示してきたのが事の始まりだった。
雪那は意外にも本を読むことができ、簡単な内容ならば理解できる程度の頭もあった。そしてなにより、しのぶが研究しているような難しい内容のことに対する苦手意識というものが殆ど無かった。
カナエでさえ一歩引いてしまうような難しい内容の本を渡しても、何度も何度も頭を傾げながら、しのぶに質問しながら読み進めていく。
そんな様子を見たからこそ、しのぶは雪那に勉学も教えようと思ったのだ。
「ということで、鬼は藤の花を嫌うことが分かってるけれど、その明確な根拠はよく分かっていない。藤の花のどの成分が鬼に作用しているかも分からないけど、少なくとも十二鬼月の下弦の鬼でも嫌うことはハッキリしているわ」
「においも……?」
「ええ、稀血の人間にお守りとして藤の花の香り袋を持たせる習慣があるの。それを持っているだけでも実際に効果があるのは確認されてる」
「どくは……?」
「……藤の花の毒が鬼にとって致命的なことは判明してるわ。けれどそもそも藤の毒は1つの花に対して少量しか取れない上に、藤の花が咲くのは1年でも1月だけ。鬼を寄せ付けないという性質上、粗末に扱うこともできない。なにより加工も難しいし、扱いも難しいしで全く実用的じゃないのよ」
「……ぅ?」
「あー……例えば刀身に藤の花の毒を塗るとするでしょ?けど大抵の鬼は服を着ていて、刀身に塗る程度だと簡単に落とされてしまう。例え毒を相手の体内に入れた所で、心臓から離れた場所に当ててしまえば全身を巡る前に身体ごと切り落とされてしまう。そもそも再生力の強い上位の鬼に対してはより濃度の高いものを当てないといけないし、効くかどうかも分からない。
危険度、必要技術、戦闘中の思考占有、それらを加味して考えると、間違いなく首を切り落としたほうが早いという結論になるの」
「けど、おにはこわい」
「……?ああ、鬼の方は毒使いを相手にしてたほうが怖く感じるってこと?それはたしかにメリットだけれど、そもそも藤の毒の匂いを漂わせてる人間に鬼は近づいて来ないでしょう。そういう意味ではこの毒を使って鬼を殺せる人間は、常に鬼を追う立場であり、追いつけるだけの早さを持っていないといけない。実用化しても使える人間はなかなかいないでしょうね、使う人間が増えて鬼側に対策されても困るし」
「………わかった」
「ん、よろしい。まあそういう訳だから、藤の毒は、首を切ることも出来ないのに鬼を殺そうとしてる私みたいなのにしか需要は無いの。そもそもそんな隊員は私くらいしかいないから、雪那にはもっと別の使い方を模索して欲しいわね」
「……むぅ」
「……え?なに、何してるの雪那」
一通りの説明を終えてしのぶが本をパタリと閉じると、雪那は突然不満そうな声を漏らしてその膝から降りる。
そして試し斬り様の巻藁を近くの物置から引っ張り出すと、自身の刀を構えてそれに向き合った。
そんな雪那の謎行動にしのぶは首を傾げるが、雪那は構わず巻藁に刀を振り下ろす。
ザクッ……
刀は巻藁を両断することは叶わなかった。
2/3程の位置で停止してしまい、雪那の腕力では殆ど動かすことが出来なくなってしまう。
そんな巻藁と刀を指差して、雪那はしのぶに声をかける。
「ん……きれない」
「……鬼の首を切れないのは自分も同じだって言いたいの?」
「ん」
「雪那……」
それだけ伝えると満足したかの様に巻藁から自分の刀を引き離そうと奮闘し始める雪那。
彼女がしのぶに伝えたいことが、一体どういう意図を持ってのことなのかは分からないが、そこには間違いなくしのぶを慕う心があった。
そんな自虐はしないで欲しい
自分だけなんて思わないで欲しい
自分も手伝わせて欲しい
言葉にはしないがそんな気持ちが何となく伝わってきて、今も奮闘している雪那の後ろ姿にしのぶは胸が熱くなるのを感じた。
この子のためにも早く完成させなければならない。
もう一度自分の心に炎が灯る。
そもそも承諾したとは言え、こちらの都合で鬼狩にさせている。
まだまだ成長期はこれからと言えど、きっと雪那が自分より大きくなることはないだろう。苦労することは間違いない。
けどその時、もしこの毒が完成していれば。
自分の研究が自分のためだけではなく、自分を慕う雪那のためにもなるのなら……そう考えると断然心持ちが変わってくる。
「雪那、ありがとう。私ももう少し頑張ってみ……」
雪の呼吸 弐ノ型 筒雪 (つつゆき)
音の無い踏み込みでスレ違い様に対象を円になでる様に斬り付け、静かに、けれど確実に物体を両断する恐ろしく繊細な一撃。
全く刃が巻藁から外れないことに怒った雪那が、スペアの刀で流れるような、そして慣れたような動きで巻藁を真っ二つにした。
先程は2/3しか切れなかった巻藁が今ではまるで豆腐の様に簡単に斬られてしまっている。
確かに鬼の首を斬る力は無いといった。
だが鬼の首を斬る技が無いとは言っていない。
「ゆ〜き〜な〜……?」
「っ!!」びくっ!!
刀が巻藁から外れ満足そうにする雪那の背後から迫る般若の面。
恐る恐ると振り向いた先にあったのは意外にも満面の笑みで……
「今日は一人で寝なさい♪」
「……!?」
その日、雪那の部屋から深夜になるまですすり泣く声が聞こえ、結局しのぶが折れて一緒に眠ることになったのは言うまでもない。
雪の呼吸 弐ノ型 筒雪
主に奇襲で使うことを想定した首狩の技。
極力自身の気配と音を消しながら走り抜け、特殊な足踏みと身体の捻りを駆使して敵の首を狙う。対象の無防備な首に刀の刃を1周回る様に押し当て、力ではなく刀の切れ味を存分に使って斬り落とす。
力がなくとも良い刀を持っているだけで鬼の首を切ることができるが、奇襲でしか使うことが出来ず、高い速度と隠密性、柔軟性が求められ、かつ繰り返し使っていると刀の切れ味が落ちるため、必要な条件の多さに対して得られるものが鬼の首1つだと考えるとコストパフォーマンスは極めて悪い。十分な力は無いが、どうしてもその手で鬼を斬りたいという人にオススメされる。なお、教えてくれる人はいない模様。