胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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61.カナヲと雪那

「雪那!師範も……!」

 

「ごめんなさいね、カナヲ。起こしちゃって。……少し綺麗になったかしら?」

 

「そ、そんなこと……そ、それより雪那!どうしたの?疲れたの?」

 

「……あのね、カナヲ」

 

「しのぶ、それは私が話すから。カナエの所に行って?」

 

「……分かったわ」

 

雪那の部屋へと向かう途中で見かけた看護師にカナヲを呼ぶようにお願いすれば、彼女は寝衣姿のままにこの場にすっとんできた。

最初は2人の帰還を喜んでいた彼女だが、しのぶに身体を預けながら寝かされようとしている雪那の姿を見てその表情は一変する。

 

その反応を2人は予め分かっていたが、雪那は彼女には自分でから話すと主張した。ここに来た時からずっと一緒にいた2人だ。何をするにも2人で高め合ってきた。

そんな相手だからこそだろう、自分の大事は自分から話したい。それを察してしのぶはその場を後にするのだった。

 

「雪那……何が、あったの?」

 

「……カナヲには、昔話したと思う。雪女の寿命のこと」

 

「っ!でも、それはまだ先の話だって!」

 

「そもそもの、呼吸がまずかったみたい。私もそこまで酷いとは思わなくて、しのぶの方がよく分かってた」

 

「でも、そんな予兆なかった……」

 

「他の病気みたいに、前兆があるわけじゃないから。ある線を過ぎると、発症する。いつの間にかギリギリに居たの」

 

雪女のこの病は、それで一番恐ろしいところでもあった。

症状が出るまで分からない、前兆があるとしてもせいぜい疲れやすくなる程度。それでもその前兆が出る頃には殆ど手遅れの様なもので、畳み掛けるようにして次の症状が出始める。

 

別にこの症状を早めるのは呼吸だけではない。

極端に暑い場所や寒い場所、気温差の激しい場所での生活。火の側での活動、熱湯や冷水への長時間接触……究極的に言えば一般的な風呂の温度さえも悪影響だ。

蝶屋敷で雪那が入る時には若干温度を下げて貰っているが、それでさえも彼女は長く浸かっていられない。

 

雪女の細胞が弱っても強くなっても駄目というのは、思いの外大変である。

最も安定していられるあの山を降りてしまえば、どう頑張っても周囲には雪女の寿命を縮めるものしか存在しない。

 

だからしのぶは気付くことができたのだ。

これまでの雪那の生活を見続け、呼吸の可能性を考えた結果、雪那にはもう殆ど時間が残されていないということに、彼女だけは気付けた。

 

「時間は、あとどれくらいあるの?」

 

「1年、は無理。半年くらいが目安だと思う」

 

「そんな……」

 

「今は足が悪くなってるけど、そのうち手の方も悪くなる。段々下の方から動かなくなって、冷たくなっていくの。お母さんがそうだった」

 

「……本当に、もうどうにもならないの?雪那は、それでいいの?」

 

「どうにもならないから、納得するしかない。どうしようもないから、今できることを必死にするの。最初からこうなることは分かってたから、それが早まっただけ」

 

それが雪那の結論だった。

雪女として生まれた時から、雪女の宿命を知った時から、あの山を降りる決意をした時から、こうなることは分かっていた。

芙美から母の病の正体を聞かされて、治す方法が無いのだと言われて、死への恐怖と孤独に震える日々もあった。

 

けれど、どうしようもないのだ。

避けられるものではない。

もう諦めているし、諦めるための時間は十分にあった。

 

だからせめて幸せに生きようとここまで来て、辛いことも悲しいこともあったけれど、最終的に大好きな人の側に居ることを許された。

これ以上の何を望むというのだ。

側にいられるだけでいいと思っていたのに、大好きな人が自分を選び、自分を本当の意味で愛してくれたのだ。

これ以上を望めばバチが当たるだろう。

雪那はそう思う。

 

「怖く、ないの……?」

 

「怖いよ。けど、みんなが側に居るから。一人で死ぬより、怖くない」

 

「嫌じゃ、ないの……?」

 

「嫌だよ。けど、やりたいことはやったから。心残りはあるけど、残りの時間でそれを潰していきたい」

 

「……でも、私は嫌。雪那が居なくなるなんて、絶対に嫌。本当に、本当に方法はないの?どんな無茶な方法でも、諦めなければ……!」

 

「それを探すための旅行でもあったの。色んな人に話を聞いて、故郷にも行った。……けど、一番詳しそうな人にも、治せないって言われた。無理なんだよ、カナヲ」

 

「嫌……!絶対嫌!」

 

「カナヲ……」

 

カナヲがここまで食い下がるところを、雪那はこれまで見たことが無かった。久しぶりにあった彼女は以前よりも感情を表に出すようになっていたけれど、きっと理由はそれだけではないのだろう。

 

たった4年の付き合いだ。

けれど、その4年間毎日のように側にいた。

互いに言葉を発さずに交流する事から始まり、互いの弱点を指摘し合い、他の人には言っていない様な相談もし合った。

雪那がしのぶを好いていることなど、カナヲはとうの昔から知っていたのだ。

雪那がその日のしのぶとの出来事を(無表情で)楽しそうに話す姿を見て、カナヲは恋というものに憧れを持った。こんなにも楽しそうに人は生きれるものなのかと、希望を持った。

 

カナヲにとって雪那は姉でもあり妹でもある。

今更離れられるものか。

ましてや命を落とすなど、どうやったって受け入れられる筈がない。

それも、こんなに突然に。

 

「雪那……お願いだから、どこにもいかないで……」

 

「……ごめんね、カナヲ。ごめんね」

 

カナヲは必死にベッドに横たわる雪那に縋り付くが、彼女にだってどうしようもない事だ。

けれど、もう一緒に稽古もできない。

一緒に戦うこともできない。

それどころか、夜の散歩や町への遠出だってできやしない。

そんなこれまで当然のように出来ていた1つ1つの小さなことが、もう2度と出来ないことに悲しみだけが積もっていき、胸が苦しくなるのだ。

 

「……ごめん、雪那。一番辛いのは、雪那なのに」

 

「ううん、そんなことない。私はしのぶのおかげで気持ちの整理できてたから、いきなり言われたカナヲの方が辛い」

 

「そんなことない。……だって、ようやく気持ちが通じ合ったんでしょ?やっと師範に、気持ちを伝えられたんでしょ?」

 

「……知ってたの?」

 

「さっきの2人を見てれば分かる。これからだよ?これから幸せになれるんだよ?それなのに、雪那が辛くない筈がない」

 

「………」

 

「雪那、話して?他の人の前や、好きな人の前で強がるのはいいと思う。けど、私の前で素直にならないで、いつ弱気になれるの?……言葉に出さなくったって、私は雪那のこと分かるんだよ?」

 

「カナヲ……」

 

そうだ、雪那がカナヲのことをわかるように、カナヲにだって雪那のことが分かるのだ。

雪那が帰ってきてから漂わせている悲しみの気持ちにだって、気付いていた。

彼女がしのぶに甘えることはできても、自分の本当の弱さを見せることはそうそう無いということにも。

 

「……死にたく、ない」

 

「うん……」

 

「死にたくなんか、ない。もっともっと、みんなの側にいたい」

 

「うん」

 

「もっとしのぶの側に居たい、もっと色んな人と話したい、もっとカナヲと鍛錬したい……!」

 

「うん、うん」

 

「死にたくない、死にたくないよ……!だって私まだ、お母さんにだってなれてない!」

 

「それでいいんだよ、雪那。死ぬのが怖いのは、当たり前だから」

 

「う、うぅ……カナヲは、酷い。せっかく我慢してたのに、せっかく誤魔化してたのに……」

 

いくら決意しても、いくら諦めても、いくら望みが叶ったとしても、胸の中に確かに積もっていくものはあるのだ。

大好きな人と心を通わせられた、それだけで満足できる筈があるか?楽しいのはここからだというのに、どうしてここで本心から満足できるというのだ。

それに自分だって、出来ることなら自分の子供というものを持ってみたい。

 

「でも、でもどうしようもないから。どうしようもないことを嫌だって言っても、みんな困るだけだから。私が満足してれば、それで周りの人も楽になれるから……!」

 

「一番苦しい人が我慢するのは間違ってる!……諦めないで、雪那。雪那が諦めたとしても、雪那の周りの人は最後まで絶対に諦めないから。師範だって、絶対に諦めないはず」

 

「……カナヲ、かっこよくなった」

 

「それも雪那のおかげ……私も、絶対に諦めないから。諦める私や師範なんて、似合わないでしょ?」

 

「……ん、そうかも」

 

カナヲもここ数ヶ月でずっと成長した。

それは身体だけではなく、心もそうだ。

今なら雪那の言葉の一つ一つがしっかりと本心から理解することができる。

 

「辛くなったら、私に言って。私に隠せるなんて、思っちゃだめ」

 

「……でも、弱音ばっかり言ったら本当に弱くなっちゃう」

 

「だったら2人で強くなればいい。私達はいつも2人で強くなったでしょ?それはいつまでも変わらない。……私も、側にいるから」

 

しのぶでは開けない扉がある。

カナヲでなければ聞けない声がある。

ただ1人の人間だけで相手の全てを知ることなどできはしないのだ。

 


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