凍りついた部屋の中。
何度も何度もその部屋の扉は開こうと震えるが、殆ど全面が氷に覆われたこの状態では少しの隙間も開けることは叶わない。
この部屋に漂う冷気は凄まじく、普通の人間ならば足を踏み入れた途端に肺の底まで凍りついて死に至るほどのものだ。
そんな状態の中でも生きていられる者はきっとこの2人くらいしか存在せず、他の柱どころか無惨でさえも正攻法で突入するのは困難だろう。
そして目の前の狂人は、誰にも邪魔されることのないこの状況を作り出す事ができ、酷く満足した表情をしていた。
「やあやあ、久しぶり……いや、前に会ったときには気を失っていたから、君からすれば本当に久しぶりになるのかな?俺のこと、覚えてるかな?」
「……覚えてるし、話も聞いてる。上弦の弐、童磨。私のことを探してるって」
「うんうん、話が早くて助かるよ!いやぁ、本当に探した!無惨様に悟られないように心を殺す事がどれだけ大変だったか!でもこうして鳴女ちゃんを上手いこと使って2人っきりになれたんだから、頑張った甲斐はあったよね」
氷の寝台の上に乗せられた雪那はなんとか上半身を起き上がらせて童磨を睨み付ける。
だが当の本人はそれすらも嬉しいのか顔を赤らめながら不気味な笑顔を返した。
明るく耀くその虹色の瞳は光に溢れているが、曇りの一筋もない程に澄んでおり、逆にそれが気味が悪い。
雪那はそんな童磨の瞳から顔を逸らすようにして会話を返した。
「……私を、どうするつもり?」
「う〜ん、問題はそこなんだよねぇ。ほら、本当は俺のお嫁さんにして独り占めしようと思ってたんだけどさ、君ってもう直ぐ死ぬんでしょ?子供も産めない身体らしいし、戦うこともできない。困っちゃうよね」
「食べるんじゃないの……?」
「それも考えたんだよ?でも無惨様に逆らってここまでしたのに、食べてはい!おしまい!ってのも違うと思うんだよ。せっかく2人になれたんだし、俺達はこの機会をもっと大切にするべきだ。そうは思わないかな?」
近付いてくる童磨から雪那は後退りをして抵抗する。
しかし元々は壁際の大きな寝台の上に寝かされていた彼女だ。
直ぐに背後の壁に到達してしまい、刀を抜こうと握った右手も捕らえられてしまう。
瞳を合わせない雪那を強引に覗き込み、無理矢理にも目と目を合わせようとする童磨。
彼なりに優しく扱おうとしているのだろうが、所々で強く雪那を扱ってしまうは人間の感情というものをまだ上手くコントロールできていないのか、それとも普段からの癖のようなものなのか。
頭を無理矢理童磨の方に向けられた雪那は苦痛に顔を歪める。
「どうせ君はもう直ぐ死ぬんだ。俺も無残様が気付いたら直ぐにでも殺しにくる。例え無惨様が負けたとしても、あの方が死ねばどうせ鬼は全員死ぬからねぇ。どちらにしても俺達の先は短いわけだよ」
「……一緒にしないで。例え行き着く先が同じでも、私は貴方と死ぬつもりはない」
「うんうん、でもそれは君の都合だろう?俺は死ぬなら君と一緒に死にたいと思ってるからさ」
「………」
「実はね、ここに来る前から決めてたんだ。一体どうすれば最高の死に方が出来るのかって。知ってる?天国や地獄なんて無いんだよ?あんなのはね、『正しい人間が虐げられて悪い人間が甘い汁を啜って面白おかしく生きてるこんな世界は許せない、間違ってる!悪い奴等には後でそれ以上の罰を受けるべきだ!』そんな風に思った弱い人間達が作り出した幻想でしかないんだよ。だからほら、宗教家の話す地獄の話ってすごく大袈裟でしょ?何千年も苦しむとか、前の地獄の何千倍も苦しいとか。馬鹿みたいだよね、少し考えたらその地獄自体が人の嫉妬から生み出されたものなんだって分からないんだよ。でも、そうでもしないと頭の可哀想な彼等は生きていけないから仕方ないよ。人はどれだけ辛くても苦しくても、結局みんな死んだら無になるだけだからね。君達が魂だなんて呼んでるものは勿論存在し無くて、後に残るのは土に還るだけの動かなくなった肉の塊だ。どれだけ綺麗に弔ったところで、どれだけ生前に愛されてたって、どれだけ悪行を犯したって、行き着く先は真っ白な無だ。無残様がそれを拒むのもなんとなく分かる話だよね、誰だって一度は死ぬのがなんとなく怖くなる時はあるんだもの。それじゃあ俺は、その死に一体何を求めればいいのかな?死んだら何も残らない、死んだらこの意識も感情も記憶も全部全部消えて無くなってしまう。だったら死ぬことに価値を見出すことは不可能なのかな?死に方に拘るのは意味の無いことなのかな?そこまで考えて俺は思い至ったんだよ。死んでも残るものはある、死んでも自分の体だけはこの世界に残る、ってね!そうなんだよ、死んでもこの体だけはこの世に残るんだ。例えどんな形であろうと、自分の意識がそこで消えたとしても、この体だけは確かにこの世界に残り続ける!……話は変わるんだけど、氷というのは本当に素晴らしいものだよね。人の死体をこの氷に入れるだけで普通よりもずっとずっと綺麗な状態で長持ちするんだ。凄いと思わない?君を見て感情を得てから君のこと以外で感情が昂ったのは、あれこれあったけどやっぱりこのことに気付いた時が最高だったなぁ。それから俺は色々と綺麗な女の子を見つけては色んな作品を作り上げてみたんだけど、やっぱり最後の目標は自分自身を作品にすることだったわけだよ。無残様に逆らうのは君の扱いについて対立した時から確定事項だったからね。俺が死ぬことはその時から決まってたことだったし、そこは別にいいんだ。どうでも。ただ大変だったのは自分を一体どんな作品に作り終えようかと考えることだったよね。世界中の色々な芸術作品を調べたりして色んな知識を頭に入れて、最高の芸術作品にしてみせようと思ったんだよ。けど芸術作品ってのも本当に自由で、芸術を知れば知るほど分からなくなるっていう凄く深いものだったんだ。でもね、そんな時に出会ったお爺さんに言われたんだよ。『素人が玄人と同じ目線で芸術をするな、素人には素人にしか出来ない作品がある。自分の人生と想いの全てを込めろ、そんな荒々しい作品は今のお前にしかできない』ってね!俺はね、その時に感動という感情を知ったんだ。人が本当に感情を動かされた時の涙っていうのは本当に熱かったよ、あれも一つの発見だった。そして俺は考えたんだ、俺の全てを捧げる作品とは何かを。すると直ぐに答えは出た。俺は自分の命、つまり人生を捧げてこの作品を作る。もう一つ足りないのは想いの方だ。その作品に込める想い、俺の中で一番強い想い、この作品に込めるに相応しい想い。……そう、それは間違いなく君だったんだよ!君しかいなかった!この作品には君が必要だ!君に一緒に死んでもらいたい!君と一緒に永遠に遺りたい!考えてみて欲しい!君と俺が氷の中で一つになってこの世界に残り続けるんだ!真っ白な身体に真っ赤な瞳を持つ神秘的な君と!虹色の瞳を持ち神の子だと勘違いされるような俺がそこにいる!それだけで世界のあらゆる芸術を破壊する様な作品になるはずなんだ!正に俺達の死が世界に大きな傷跡を残すんだ!俺達の死は意味を持ち、死んだ後も永久にこの世界に残り続ける!無残様だって悔しがる筈だ!けどそこは大丈夫!君と俺の力を使えばきっと無残様にだって壊せないし、永久に溶けることのない氷が作り出せる筈なんだから!さあ!俺と一緒に命を絶とう!俺と一緒に命を捨ててくれ!君の死体を俺にくれ!君の死体を永久に俺の死体の側に置いておきたいんだ!大丈夫!俺は君のことを愛しているから!愛しているから側に居たいんだ!どうしてそんな顔をするんだい?俺の愛を信じて欲しい!俺の想いを受け取って欲しい!だってこれは!これは間違いなく!これこそが!真実の愛に相応しい終わり方なんだから!!」
「……………………気持ち悪い」
返せる言葉はそれが精一杯だった。
話せば話すほど興奮する童磨。
話しているうちにどんどんその興奮は上がっていく。
彼がようやく得ることのできた自分の感情を上手く制御できていないのが手にとるように分かった。
どんな理性的な人間であっても一度の恋に流されてしまうことはよくある。
それでも彼等はこれまで理性を捨てることなく生きてきた、感情の制御は非常に上手いと言える。
だが童磨はそもそも理性的であった理由が異なるのだ。
最初から感情が無く、理性的に生きるしかなかった。
だから感情の制御などしたこともない。
そんな彼が一度でも感情を得てしまい、更にそれが恋と言えるほどの激情であればどうだろうか。
……もしかしたら以前の彼の方が幾分かマシだったのかもしれない。彼は完全に壊れている。
「私の死体の行き先はもう決まってる。隣に寄り添ってくれる人も予約でいっぱい。今更横入りしてこないで」
「う〜ん、だからそれは君の都合だろう?これじゃあ話が平行線だなぁ。
……よし、こうなったら仕方ない。俺と賭けをしようか」
「賭け……?」
童磨は雪那の動かない左手を持ち上げ、わざと目の前で絡めさせる様に動かしながらニヤニヤと彼女を見る。
もちろん雪那は不快な顔で何度も何度も刀を抜こうとしたが、止められた。
そんな彼女に童磨は更に嬉しそうな顔をする。
「そう、賭けだ。賭けの内容は簡単、君がもし俺に一太刀でも入れることができれば君の勝ちだ。ただし、疲労で立てなくなった時点で負けだ。その場合は当然、大人しく俺の言うことを聞いて貰うからね?もちろん、一緒に死ぬだけじゃ物足りなくて、もっともっと色々なことをさせて貰うことになるかもしれないけど」
「……私が、勝ったら?」
「俺を君にあげる♪」
「いらない」
「え〜、そんな即答しなくてもいいのに」
「ほんとにいらない」
「え〜」
いつまでも繋がれている左手が雪那は本当に不快で、なんとか離そうともがくが童磨は更に更に深くまで絡みついてくる。
だが、何も絡みつこうとしているのは手だけではなかった。
まるで雪那の心にまで手を伸ばすように、逃すことなく巻きつく様に、童磨は笑みを浮かべたまま彼女の核へと踏み込んだ。
「じゃあ、君の寿命を伸ばしてあげるってのはどうかな?」
「な、にをっ……!?」
「うんうん、いいね!そう言う顔が見たかったんだ!」
「どういうこと……!!」
途端に刀から手を離し、目の前の童磨に掴みかかる雪那。
しかし、それを見ると彼は更に笑みを深くして、弱々しくも間違いなく動いている彼女の左手を握る力を強くした。
「あっ……」
「やっぱり、動かそうと思えば動かせるんだ。きっと多少の無理をすれば歩くことだって出来るんだよね?……それどころか、君はまだ何かを隠している。さっきからしきりに刀を抜こうとしているのは、刀さえ抜ければ俺を殺せると思ってるからだ。違うかい?」
「……っ!」
「ああ、やっぱり君は最高だ……!君が俺と命を取り合わずに死ぬなんて事はあり得ない、ずっとそう思ってたんだ……!心が震える、目頭が熱くなる、喉が詰まって締まって、この胸を掻き毟りたくなる衝動は最高に苦しい!やっぱり君は美しい!!」
「うる、さいっ!!」
雪の呼吸 弐ノ型 筒雪
それまで一度も刃を見せることのなかった日輪刀が振り抜かれる。鋭い勢いをもって振り抜かれた刀身は確かにその首筋を捉えた。刃は深く食い込み、徐々に童磨の首を切り裂いていく。
……しかし。
(っ、左手が……!」
筒雪にだけ限った話ではない。
雪那の使う呼吸はどれも足りない筋力と体格を補うために全身の全てを無駄なく使うことを前提とした技だ。
疲労や怪我によって体の一部でも十分な動きが出来なければ、技は成功しない。特に筒雪は健康な状態でも余裕はほとんど無く、足だけでなく左手までの負担をカバーして行うことは間違いなく不可能な技だ。
「残念、もう少しだったのにね」
「かふっ……」
空中で完全に体勢を崩し、無防備になった雪那の腹部を童磨の畳まれた扇が捉える。
雪那の小さな身体は何の抵抗もすることなく刺々しく聳え立つ氷塊に突っ込んだ。
好きだと言った相手を容赦なく叩く。
血飛沫が飛び、自分の顔を汚したその一滴を少しも残さず掬い取る。
舐める。
身体を震わす。
顔を赤らめる。
行動も言動も、何もかもが滅茶苦茶なその男は、それでもハッキリとこう言うのだった。
「愛しているよ、"雪那"ちゃん♪」