『炭治郎、考えるのをやめちゃだめ。相手のことをしっかりと見て、考えるの』
『い、いや、これでも見てるつもりなんだけど……何を見ればいいのかが分からなくて』
『炭治郎は表の部分しか見ていないから駄目』
『うっ、駄目って言われた……』
どうしても札遊びの上達しない炭治郎は、ある日雪那に呼ばれて説教を受けたことがある。
その時雪那はお椀の中に賽子を入れて、彼に尋ねた。一体今、賽子はどの目を上にして中に入っているのかと。
『えっ……5、かな』
『適当に言ったら駄目、それじゃあ意味がない。正解は2、ほら』
『うわ!ほんとに2だ!凄い!なんで!?』
お椀の中に入った賽子の目すらも百発百中で言い当てる雪那を見て驚くのは当然の話だ。
だが、彼女はそんなことはどうということではないと言った様子で炭治郎に言葉をかける。
『炭治郎、相手を見るっていうのは、目だけを使うものじゃないの。例えば私は、賽子がお椀の側面と床に当たる音、入れた時の勢いと角度と面の向き、それらから判断して数字を当ててる。炭治郎も普段から似たようなことをしてるはず、思い出して』
『………あ、臭い!』
『ん、炭治郎には優秀な鼻がある。だから炭治郎は、人よりも得ることの出来る情報が多い。これは凄い強み』
『視覚だけじゃなく、他の情報を使って相手の動きを予想する……なるほど。雪那さんは、本当にこれの中身が見えている訳じゃないのか』
『ううん、見えてる』
『ええ!?見えてるの!?」
大袈裟に驚く炭治郎の額に、雪那はコンと軽くお椀を被せる。
ズレ落ちそうになるそれを炭治郎が慌てて受け止めると、今度は雪那の指が炭治郎の左胸に突き刺さった。そこには炭治郎の心臓がある。
彼女は真剣な顔つきで炭治郎を見つめていた。
『見えるけど、こんなのは周囲の情報から勝手に予想してる妄想の世界。けど、その妄想の世界が見えるだけで、色々な選択肢が増える』
『色々な選択肢……』
『普段から情報を掴みながら戦ってる人なら、意識するだけで直ぐに見えるようになる。例えば日頃からそれを無意識にやってる無一郎、盲目で常に普通の人の倍以上の情報を扱って生きてる悲鳴嶼さんならきっと直ぐ』
そう言えばと思い返せば、この札遊びの訓練を真っ先に合格したのはあの2人だ。
次に宇髄、そして伊黒。
炭治郎は伊黒のことはよく知らないが、宇髄については吉原での戦いの際に彼が単純な力だけではなく、頭を回して周囲を見て、忍としての経験で戦う人間であるということを知った。
あのただ素早く将棋をしているだけに見える訓練も、その本質は想像の世界を作りながらも見るだけではなく、戦闘に活かす余裕を作り上げることなのだろう。
微かにでもその世界が見えなければ、あの訓練に参加する資格は無いということ。
『俺も、見えるようになるのかな……?』
『炭治郎だって、その術はもうずっと前から身に付けてた。その鼻を使った戦い方は、どこで習ったの?』
『……あ、そうか。山を降りる修行、鱗滝さんの修行はここに繋がってたのか』
『あとは意識一つ。炭治郎、目に見えるものだけに囚われないで。貴方の全ての感覚と経験と知識を使って読み取るの。貴方の人生に無駄な部分なんて一つもない、全てが貴方の力になる』
彼女の言葉によって、炭治郎は一つ思い出したことがあった。
自身の父親が死ぬ前に語って見せた、"透き通る世界"についての話を。
「走れ!炭治郎!」
水の呼吸 拾壱ノ型 凪
「はい!義勇さん!」
ヒノカミ神楽 火車
「っ、なんだ……!」
猗窩座が構えを取ると同時に、義勇の背後に隠れるように炭治郎としのぶは隠れた。
そのまま放たれた猗窩座の乱式を義勇が打ち落とすと、直後に背後から姿を現した炭治郎が義勇越しに上空から回転斬りを叩き込む。
炭治郎の火車に一瞬反応が遅れた猗窩座は彼をなぎ払う様にして振り上げた右腕を真っ二つにされる。
想像以上の炭治郎の一撃に驚愕を隠せない猗窩座だが、しかし彼も歴戦の武人だ。考えるよりも先に反射的に左手の拳を打ち、空中の無防備な炭治郎に狙いを定める。
「……なるほど、どうやらあの子の想像通りの様ですね」
「なっ」
ヒノカミ神楽 幻日虹
水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き
蟲の呼吸 蝶ノ舞 戯れ
まるで幻の様にその場で姿を掻き消した炭治郎に、猗窩座の突きは大きく空振りした。
そしてそれに合わせる様にして放たれた義勇の高速の突きは猗窩座のもう片方の拳を破壊し、更にその後方から義勇を足場に躍り出たしのぶが両腕を破壊された無防備な猗窩座に毒付きの連撃を叩き付ける。
彼等は煉獄と雪那から猗窩座の能力の一つである術式展開に関する予想を聞かされていた。
上弦の参: 猗窩座は恐らく殺気のような何かを感じ取り、相手から攻撃される場所を事前に察知して対処しているのだろうということ。
猗窩座の能力はあくまでそれだけであり、それに対する対処や予測は完全に猗窩座自身の武人としての経験であると。
当然、猗窩座への対策はいくつも考えてきている。
今の連携もその一つだ。
全ての柱に共有されてある対処法。
結局、猗窩座は無意識のうちにその力に頼ってしまっているのだ。それが前提として戦っており、だからこそ雪那にそれを乱された時には大いに混乱した。
だが、何度も言うがその能力自体は大したものでは無い。
例えば同じ方向から3人分の殺気を当てられれば、誰がどの部分を攻撃してくるのかが分かっても、どのタイミングでどう攻撃してくるのかまでは直前になるまで分からないのだ。
特にしのぶに至っては、最初から敵の全身の太い血管のある部分を狙っており、連撃が前提に戦闘を行う。
毒を使うため、軽い一撃ではあるが一太刀でも当てれば殺せると彼女は思い込んでいる。
故に、彼女から飛ばされる殺気は常人とは異なり、彼女が一人居るだけで猗窩座は大いに乱されるのだ。
猗窩座からすればとても厄介な相手だ。
常に自分の体には炭治郎や義勇が本気で斬り掛かる時と同じ殺気が大量に突き刺さり、意識を割かれるのだから。
上弦の弐に対して雪那が有効に働くように、上弦の参に対してはしのぶが効果的だ。
殺気を隠すのではなく、むしろ剥き出しにすることで混乱を狙う。それが雪那が提案した猗窩座の対処法の一つだった。
ヒノカミ神楽 日暈の龍 頭舞い
水の呼吸 肆ノ型 打ち潮
蟲の呼吸 蜻蛉ノ舞 複眼六角
「チィッ、鬱陶しい!!」
ヒノカミ神楽 陽華突
水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き
蟲の呼吸 蜂牙ノ舞 真靡き
「ガァァッ!?」
3人同時の広範囲の複数斬りと毒によって敵の機動力と判断力を奪い、直後に最速の突きによって眼球と再生しかけていた右腕を破壊する。
3人は延々とこれを繰り返す。
確実な隙が生まれるまで、決して首には触らない。
これもまた雪那の策だ。
猗窩座の再生力は鬼の中でも凄まじく早い。
しのぶの毒ですら2種類を連続で打ち込んでいるにも関わらず既にそのどちらも回復しかけており、全身の傷もあっという間に塞がってしまう。
だが、そうは言っても戦闘中という0.1秒の世界では限度がある。
真っ二つにされた拳がくっ付き、形上では治ったように見えても、実際には完全に元通りになった訳では無い。
猗窩座の攻撃は必ず本来のものより弱くなっている。
つまり、このように3人で延々と敵の機動力と感覚を奪いつつ攻撃し続けることで、確実に少しずつではあるが戦闘力を削ることはできるのだ。
一度握った主導権は絶対に手放してはならない、攻撃の手を絶対に休ませてはならない。
忍耐力ならば確実にこちらの方が上だ、ここまで耐えて耐えて耐え続けて生きてきたのだから。必ず相手の方が先に冷静さを失う。
「調子に乗るなよ鬼狩りがァァア!!」
破壊殺 終式 青銀乱残光
「胡蝶、離れろ!炭治郎、攻めるぞ!」
「はい!義勇さん!!」
「2人ともお願いします!」
そして必ず、追い詰められた猗窩座は大技を使うことでこの状況を打破しようとしてくる。
使ってくる技は広範囲に攻撃する技の可能性が高い。3人のうち、1人でも落とすことができれば形勢が逆転するからだ。
想像するならば、空式と呼ばれる衝撃波を打ち出す技を更に威力を高め全方向に叩き付ける技か、地面を叩きつけるなどして確実に相手を吹き飛ばす技。
これを予想したのは実際にぶつかり合った煉獄だ。
確かにどちらも想像するだけで冷汗が落ちるが、逆にここまで読んでいればどうにでもなる。対処法はいくらでも考えられる。
しのぶの3種類目の毒は遅効性のものだ。
効果が現れるのが遅く、代わりに効果は大きい。そして身体を激しく動かすことで、全身に毒が回る速度は速くなる。
あとはこの攻撃を避け切ることができれば、大きな隙が生まれる筈だ。
そこに勝ちが見えるのだ。
この攻撃さえ乗り切れば、それで。
(水の呼吸 拾壱ノ型 凪……!)
(今なら見える、雪那さんのおかげで……"透き通る世界"が……!)
義勇の頬に水模様の痣が浮かび上がる。
炭治郎の額の痣の色が濃くなる。
今日までの鍛錬は決して2人を裏切ることはない。
2人にはしっかりと猗窩座の初動が見えていた。
「がっ……まだだ!」
痣を発現した義勇の凪は身体がまだ万全なこともあり、何発かは撃ち落とすことが出来ずに身体を掠めたものの、その殆どを打ち落とすことができた。
攻撃が病んだと同時に動きを止めた猗窩座に走り寄る。
そして完全に透き通る世界に入り込んだ炭治郎は、猗窩座の終式を殆ど無傷で潜り抜けた。
これには炭治郎自身も驚愕していた。
雪那は何度も何度も炭治郎に"強くなれる"と言い続けてきたが、ここまで変わるものなのかと。
義勇でさえもそうだ、彼もまた近いうちにこの段階へと達する。あの攻撃を掠めるだけで済ませたのがその証拠だ。
「ッ、まだだ、まだだァァア!!」
「「!?」」
ただ、一つだけ誤算があるとするならば、それは猗窩座の執念だったのかもしれない。
彼は毒に侵され、大技を放った直後の限界の状態でありながらも、自身の元へ突っ込んでくる義勇に相対した。
自信を全てを込めたように拳を強く握り締め、義勇に向けて振り下ろす。
思いもよらぬ彼の行動、義勇にはそれを真正面から受け切る力や技は無い。避け切ることは難しい。雫波紋突き・曲でも体の半分は覚悟しなければならないだろう。反対方向から迫っている炭治郎だって追い付くはずがない。
水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き・曲
義勇は覚悟を決めて攻撃の相殺を狙った。
ここさえ凌げば炭治郎が確実に決めてくれる。
これさえ止めれば猗窩座には手が無くなる。
義勇は勝利のために正面から迎え撃つ。
……だが、ここに居るのは義勇と炭治郎だけではない。
猗窩座の拳目掛けて、再びあの女の殺気が当てられた。
「雪那、技を借ります」
雪の呼吸 伍ノ型 雪華・蝶
「その技は……!」
彼がその技を忘れるわけがない。
ほんの数ヶ月前、自身を何度も何度も吹き飛ばし、傷付けることも傷付けられることも許さず、力だけが勝敗を分かつものではないと示した女が居た。
全てはその女のせいだ。
その女さえいなければこんな風にならずに済んだ。
あの日から何をするにもあの女の幻影が付き纏い、自身の行動に何かを訴える様にしてこちらを見つめる。
そしてあの女に引かれる様にして、顔の見えない大男と少女までが自分を邪魔するようになった。
人間を喰らう為に拳を振り上げれば男に肩を叩かれる。
蹴り付けようとすれば少女に腰に縋られる。
それでもと力を入れれば女が目の前に立ち塞がった。
(なぜだ、なぜお前はここに来ても俺の前に立ち塞がる……!)
雪那とは違い、しのぶの雪華・蝶は雪の結晶ではなく真っ白な蝶を纏うようにして放たれる。
猗窩座の拳は義勇としのぶの突きによって完全に勢いを殺され、そのままあの時と同じようにして後方へと吹き飛ばされた。
猗窩座にはもう抵抗する気力すら無かった。
チラと後方に目を向けてみれば炭治郎が宙で体の天地を入れ替えながらこちらに向けて刀を振っているのが見えた。
恐らくこちらが反射的に裏拳等で反撃する可能性を考えての行動だろう。
……だが、猗窩座はもう拳に力を入れることもない。
ただただ無気力にそれを受け入れる。
ヒノカミ神楽 斜陽転身
猗窩座の首が断たれ、頭部と身体が切り離される。
転がる頭、壁に激突し項垂れる身体。
どちらもボロボロと灰となり始め、そんな彼を3人は複雑な表情で見つめていた。
途中からなんとなく感じていたからだ。
彼はもしかしたら、本来の実力を出せていないのではないのかと。