胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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73.龍虎相搏

「やれやれ。一体何をどうすればこんなことができるんだい、猗窩座殿。俺に直撃してなかったら一緒にこんな状態になってたんだよ?雪那ちゃんが」

 

「……お前だけを狙ったのだから当然だ」

 

「うんうん、なるほど。距離も障害物も無意味となると、いよいよ猗窩座殿は黒死牟殿を超えたのかもしれないなぁ」

 

「力の強さなどどうでもいい。雪女はどうなっている、あの冷気はお前が出していたものじゃないのか!!」

 

「全く、以前の猗窩座殿からは考えられない言葉だなぁ……まあ本当の事を言うと、俺もあの場所から動けなかったから、正直猗窩座殿には助けられちゃったんだよね。いやぁ、助かったよほんとに」

 

「どういうことだ!」

 

ボロギレの様になった童磨に対して猗窩座は問い詰める。

一撃を喰らう瞬間、童磨は咄嗟の判断で霧氷・睡蓮菩薩を発動させ、僅かではあるが攻撃の軌道を逸らすと同時に自身の身体を強引に動かすことに成功した。

猗窩座の渾身のあの一撃は自身の強靭な身体ですらその反動で破壊してしまう様な恐ろしい威力を孕んでおり、まともに直撃すれば肉体の細胞の一切を焼き消されるほどのものだったからだ。

いくら鬼同士の争いは不毛なものであるとは言え、全身の細胞を完全に消滅させられてしまえば再生することは叶わない。

慢心することなく直撃を防いだ事は正解だった、一欠片でも細胞が残っていれば、今の童磨ならばほんの少しの時間で元に戻すことができるのだから。

 

「過大な評価は嬉しいけれど、いくら俺が氷の血鬼術を使うからって、こんな大空間ごと凍て付かせるほどの冷気なんて出せないって。俺ができるのは精々隣接する部屋を完全に凍らせることくらいさ。この身体だって冷気には強いけど、あんな所にいたら流石に気が狂うかと思ったよ」

 

「あの雪女に何をした!」

 

「それは後からのお楽しみさ♪きっと面白いことになるよ、俺が保証する!」

 

「ふざけるな!!」

 

再生しかかった童磨の頭部を猗窩座は再度破壊する。

だが、そんなことに動じる童磨ではない。

少しもその笑顔を崩すことなく、猗窩座に掴まれている首元を自身で破壊して素早く距離を取る。

更にそれに対して一瞬で距離を詰めて来た猗窩座に対して、氷像をいくつも身代わりにすることで動きを止めた。

その程度の氷像ならば腕を振り払うだけで破壊できるのが今の猗窩座なのだが、逃げることなく距離を空けて立ち止まった童磨を見て自らもまたその場に留まる。

 

「全てを吐け、童磨。どんな悪足掻きをしようとも、今の俺は逃しはしない」

 

「……確かに、猗窩座殿は見違えるくらいに強くなった。多分守る人ができたからとか猗窩座殿は臭い事を言うんだろうけど、それなら俺も負けてないと思うんだよね。俺だって猗窩座殿に負けないくらい必死だし……いや、違うな。俺は負けたくないって思ってるんだ、この気持ちだけは」

 

「何を言って……っ」

 

童磨の周囲を冷気の渦が巻く。

確かに雪那の周囲に漂うほどのないそれではあるが、なによりその規模が普通ではなかった。

明らかに人体を破壊するのに十分な威力のものが、様々な形を持って数十に渡って展開される。

それまでの童磨が渾身の威力で放っていた筈の威力の技が、これほどの量を持って出現した。

明らかに童磨もまた、以前とは比べものにならないほどに進化していた。

 

「猗窩座殿と違って俺は鬼になる前は普通に人間してたけどさ、頭の方は人よりそれなりに良かったと思うんだよ。だから血鬼術に特化したし、上弦の弐まで上がれたと思ってる」

 

「……何が言いたい」

 

「でもさ、血鬼術って武器でさえもこの脳を凌駕することはできなかったんだよ。俺はこれを簡単に使いこなすことができた、直ぐに限界も知れた。所詮こんなものかって、面白さを感じることができなかった」

 

凄まじい数の氷が展開される童磨の背後に、二体の巨大な仏像と、更にそれを上回る大きさの氷龍が形作られた。

空気を震わす凄まじい咆哮に猗窩座は小さく顔を歪める。

童磨はその龍の額に乗り、両手の扇を開いて猗窩座殿を見る。

その顔にもう笑みは無い。

ただ目の前の敵を見据え、猗窩座を全力で叩き潰すことに集中している。

 

「でも、今のこれなら俺の脳を全力で動かさないと制御できない。俺が必死にならないと支配することができない。戦いの中で他のことに思考を割く余裕はなく、ただ目の前のことに集中するしかなくなる」

 

「………」

 

「猗窩座殿、ここからが俺の正真正銘の本気だ。入れ替わりの血戦で負けたことは無かったけど、今日も俺は負ける気はないよ」

 

「……望む所だ。必ずお前を打ち倒し、貴様があの雪女にしたことについて洗いざらい吐いてもらう。何もかもが貴様の思い通りになると思うな」

 

「やってみるといいよ、できるものならさ」

 

既に各々の主人すら凌駕する程の凄まじい力を得た龍虎が打つかり合う。

2人に無惨からの声は届かない。

最早彼等は無惨からの呪縛を自ら解いているからだ。

殴って、蹴って、薙ぎ払って、凄まじい破壊の衝撃は城を通して鳴女にまで行っていた。

互いの意地と意地の殴り合い。

その全てを使い果たす瞬間まで、誰も彼等を止めることは出来ない。

 

 

 

 

遠く離れた所から聞こえて来る破壊音と衝突音、そんな騒がしい空間とは打って変わって、この天へ伸びる吹抜の空間は恐ろしいほどの静寂を保っていた。

崩れ溶け消えていく肉塊、そこから徐々に姿を表す宿敵の姿に、既に溶かされ吸収され頭半分しか残っていない裏切りの鬼:珠世は悔しさを隠すことなく睨み付けていた。

 

「……黒死牟は自ら死を選び、童磨と猗窩座は自ら私の支配から抜け出した。鳴女もあれでは長くは保たんだろう。……数百年かけて集めた十二鬼月が僅か数ヶ月でこの様だ、お前はこの惨状をどう思う?珠世」

 

「どうもこうも……面白おかしくて笑う以外にありませんよ。お前は今日ここで終わる、いよいよそれが現実味を帯びてきて腰でも抜けそうですか?ああ、もう抜けてましたか。腰抜けなのは昔からですし」

 

「チッ、その様な姿になっても口は達者だな」

 

鬼治しの薬を使用された後、体内の薬品を分解する為にこれまで活動を停止していた鬼舞辻無惨。

彼が動けないで居る間に戦況は大きく傾いた。

それは無論、彼にとって不利な方向に。

こうして繭の中に閉じ籠って居た間も彼は他の鬼達を通じて戦場全体を見渡していた為、それはもう嫌という程に頭に叩き込まれている。

どこで何が起き、どうなったのか、最序盤に全てを裏切った童磨の行動以外は分かっていた。

 

「今直ぐ握り潰してやってもいいが、私が復活したというのに周囲に一人として餌が居ない。暇つぶしに、しばしの間そうしておいてやる」

 

「っ」

 

だからこそ、それを知っていたが為に珠世は出てきた瞬間に無惨が怒り狂うと思っていた。

そのまま怒りのままに自分に牙を剥くと思っていた。

だが、珠世の想像とは違い、彼は思いの外冷静であった。

それも、気味が悪いと思うほどに。

 

「……お前のことですから今直ぐ隊士狩りに向かうと思ったのですが、気でも狂いましたか?」

 

「この惨状に気が滅入っているのは確かだ。童磨の裏切りまでは予想していたが、猗窩座や黒死牟、鳴女まで柱の一人も狩り取れず手放すことになるとは思っていなかったからな。……故に、産屋敷を殺した今、鬼殺隊の壊滅は最早どうでもいいとすら私は考えている」

 

「なっ」

 

そしてあまりに冷静なその男から発せられた言葉は、珠世にとって正に絶望そのものであって……

 

「貴様のことだ、既に禰豆子に鬼治しの薬は投与しているのだろう?その薬が生まれた以上、今後どれだけ鬼をつくった所で意味が無くなる。だが逆に言えば私が何もせず、その薬がお前たちの元に残り続けるのであれば、鬼殺隊の戦力は自然と衰え、100年もすれば組織そのものが瓦解するだろう。それが最も楽な方法ではないかと、脱力した今思い至った。青い彼岸花を探すのはそれからでも遅くあるまい、所詮は100年の歳月だ」

 

「なっ、なっ……!」

 

「気掛かりはあるが、既に雪女の子も出来ている。今代の雪女が死に、その子が鬼殺隊に属した所で私が鬼をつくらなければ関係無い。貴様等をここに残し、私は姿を消す。お前も人に戻るなり好きにしろ、珠世。私はもうお前にも関与しない」

 

「ふざけるな!今更そんなことが!そんなことが許されるとでも……!!」

 

「お前達がどう思おうと私には関係が無い、どうでもいい。……だが、そうなると鳴女を失う訳にはいかないな。アレだけは回収して、他は全て処分するか」

 

「っ、っ……!!」

 

最早、珠世が何を言おうともこの男は考えを変えるつもりはない。

それは何より珠世が一番よく分かっている。

そしてこの男が本気で逃げに徹した時、どうやったって捉える事は難しいということも。

 

(早く!早く誰か……!誰かこいつを止めて!今こいつに逃げられてしまえば、今この機会を逃してしまえば!本当にこいつを永久に消滅させることができなくなる!)

 

珠世は願う。

今この男を取り逃せば、本当にこの男の言う通りに自分の薬が原因で鬼殺隊は衰退し、討伐する機会は永久に失われてしまう。

誰でもいいから、この男を取り押さえていて欲しいと。

そして、珠世の頭に浮かぶのは、かつて出会った純真な少年の顔。

 

(炭治郎さん……!!)

 

そんな少年が珠世の心の声を聞き遂げたのか、単なる偶然なのかは分からない。

だが、少年がここにこのタイミングで姿を現すために必要な状況が全て整っていたのは、例え偶然であっても事実である。

 

「鬼舞辻無惨!!」

 

「……そうか。まだお前が居たな、竈門炭治郎。お前だけは、お前の血筋だけはここで絶やしておかなければならない」

 

鬼舞辻無惨がここに留まらなければならない最後の理由が現れたというのが良いことか悪いことかはさておき……


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