胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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77.開花

地上に這い上がった炭治郎達は柱達との巧みな連携を保ち、本気になった鬼舞辻無残を相手にほぼ互角に渡り合っていた。

管を完全に絶たれた後でも無残は自身の身体を自由に変形させ、様々な形で不意打ちを狙ってくる。

たった一撃でも当たれば致命的なその攻撃に対応するには、敵の不意打ちに対応する様にこちらもまた相手が予測できない方法で翻弄するしかない。

呼吸と呼吸を組み合わせ、変則的な動きと奇跡的な噛み合いを作り、徹底的に時間稼ぎを行う。

未だ珠世が生きていたのも大きかった。

速度は遅いが徐々に身体が再生しつつあり、炭治郎達に情報と勘、そして使役する猫を手足の様に使い補助を行う。

鬼舞辻無残は少しずつ、けれど確かに追い詰められており、それについては無残もまた自覚していた。

 

(引くならば今しかない、が……これを利用するか)

 

「っ!逃げるな!追え!絶対に逃すな!」

 

「……と、私が逃げる姿勢を見せればお前達は言うだろうな」

 

「しまっ……!」

 

黒血枳棘(こっけつききょう)

 

無残の身体から何の予兆もなく放たれる複数の棘の生えた黒色の鞭。

逃げようと走り出した無残の行動に一瞬だけ冷静さを失ったのが致命的であった。

それ等の鞭の対処に義勇と炭治郎と無一郎は追われ、一気に対応できる人数が減ってしまった。

蜜璃と小巴内、伊之助と行冥は確かに優秀な者達ではあるが、それでも本気の無残と正面から打ち合って勝てる程のバケモノではない。

互いに連携して奇襲を仕掛けられる程の仲であるのは蜜璃と小巴内のペアくらいであり、掠っただけでも致命傷な攻撃に対し、これは正に絶望的な状態であった。

 

「甘露寺!」

 

「う、うん!やってみよ!きっとなんとかなる!」

 

だが、それこそ忘れてはならない。

鬼殺隊の柱において、彼等2人ほど息の合った者達も居ないということを。

そして小巴内もまた、雪那の訓練において最高級の成績を叩き出して終えた者の中の1人だ。

特に甘露寺蜜璃との連携における彼は他の何よりも……神がかっている。

 

恋の呼吸 伍ノ型 揺らめく恋情・乱れ爪

蛇の呼吸 伍ノ型 蜿蜿長蛇

 

「っ、なんだこの奇妙な斬撃は……!」

 

恋の呼吸による広範囲に広がる高速の斬撃と、その斬撃の隙間を縫う様に異様な太刀筋でこちらへ斬り付けてくる蛇の呼吸。

一歩間違えれば小巴内ごと真っ二つにしてしまう恐ろしい行動であるにも関わらず、彼は背中を向けたままでも蜜璃が何の容赦もなく全力で放つ斬撃の嵐を利用していた。

蜜璃の攻撃は本気のものでなければ意味がない。

彼女が本気で攻撃できるのは、そこに小巴内への信頼があるからだ。

故に信頼というたったそれだけが生んだこの連携は、無残にとってこれまでの何よりも信じ難い代物であった。

 

「っ、ならば……!」

 

小巴内は殺せない、蜜璃もまた同様だ。

行冥を即座に殺すことも難しい、あれは数秒であれば時間を稼げる人間。

故に無残が次に狙いを付けたのは……伊之助だった。

 

「伊之助!」

 

「野郎!やってやろうじゃねぇか!テメェの首元食らいついてでもブッ殺してやる!」

 

近付いてくる無残に対し、そう威勢を叩きつける伊之助。

だが、そんなことが不可能なことは彼が一番よく分かっている。

無残の異常さを彼は対面した瞬間からその肌で痛いほどに強く感じ続けてきたのだから。

……それでも彼が今こうして背筋を伸ばして恐れることなく対面できているのは、なにより信用できる者達が彼の周りに多く出来たからだ。

 

雷の呼吸 漆ノ型 火雷神

獣の呼吸 捌ノ型 爆裂猛進

 

「バ、ッカな……!?」

 

無残でさえも反応できない程の尋常ではない速度の居合、そしてそれに続く様にして回避や防御を一切考えない獣の様な突進で片腕を喰いちぎって行った猪。

突如として戦場に参戦した善逸の火雷神に伊之助が合わせられたのは、それこそこれまでの命懸けの戦闘の賜物だ。

ここに来ての想定外の連続は、無残に対し少しずつ死の恐怖を与え始めていた。

 

(私が、負ける……?こんな者達に?化物でもないたかが人間に!?この私が!?有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない!あってはならない!そんなことは!!)

 

自身を囲むようにして立つ鬼狩達を前に、立ち尽くすことしかできない自分を拒む。

鬼舞辻無残にとっての本気とは果たしてどれほどのものなのか。

彼は上弦の鬼達のような特異な血鬼術は使わない。身体能力や再生能力は凄まじいが、単純な肉体能力ならば時には猗窩座の方が上回ることだってあるだろう。

彼を頭たらしめているのは絶対的な鬼に対する優先権であり、その細胞の強さであり、培ってきた逃走術と生存能力だけだ。

故に、彼はもう既に自分の能力という面では底を見せており、これ以上に隠しているものは無い。

細胞の影響で擦り傷が致命傷となり得る管による攻撃が間違いなく彼にとっての本命であり、それが封じられた時点で本来ならば逃げるのが通常なのだ。そして、本来ならば逃げられる。これまではそうだった、それで良かった。

 

(だから、今回もそれでよい。逃げれば良い、肉体を分け、飛散させ、逃げ延びればいい。それでいい、それでいいにも関わらず……!)

 

自身の左手の小指に付いたほんの小さな傷が、どうしてか凄まじい痛みを訴えるのだ。

逃げようとする度に、目を背けようとする度に、その存在を強く主張する。

千年、千年だ、それだけ生きていれば薄れていく記憶というものもある。どれほど自分にとって大切なものであっても自然と薄れていくことは自然の摂理だ。どれだけ変化を嫌っても、移り変わりは止まらない。

にも関わらず。

 

(貴様は数百年経った今でも、変わらず私を見ているというのか……!!)

 

消えていた筈の記憶が頭に流れ込んでくる。

これまでの自分の人生と、それまでの自分の行いが目の前を通り過ぎていく。

どれもちっぽけで、どれも大したことのない下らない光景だ。

それでも1枚、ほんの1枚だけ、鬼舞辻無惨が目を離すことのできない瞬間がある。

たった一言だ、ある女から言われたたった一言の言葉だ。それが今も無惨の中に残り続けている。もう顔すら思い出せない今になっても、その言葉だけが確かに声と共に頭にあった。

そしてこの時、無惨は久方振りにその声の主の顔を思い出したのだ。

その言葉を語る女の表情がこの数百年で勝手に補完していた自分の勝手な想像よりも何倍も優しく、何倍も好意に満ちていて、身体と心がその言葉をどれだけ拒否しても、魂だけが動かない。

魂だけは、背けていた想いを隠せない。

 

 

 

 

 

『そうだ、私達は化け物として生きていくしかない。だが、どんな化け物になるのかくらいは選んでもいいと思わないか?無惨』

 

 

 

 

 

「……何が化け物だ。他の何より人間に憧れていた貴様が誰よりも化け物を自称するとは、本当に片腹痛い。お前は私として生まれるべきだったのだ、そうすれば私はお前になれた」

 

「なにを、言って……?」

 

「私はお前とは違う。手に入れたこの力を手放すことなど絶対にない、その点においては私はお前の思想を完全に拒絶する。

……だが、お前が最初から私の問いに答えていたことについては……礼を、言おう。私はもう少しお前とお前の言葉に向き合うべきだったのだ」

 

「っ!?全員退っ」

 

「化け物として生きていくしかない、その上で選ぶしかない。本当の意味でそれを受け入れられていなかったのはお前ではなく……この、私だった!」

 

瞬間、無惨を中心に凄まじい衝撃波が放たれる。

それは先ほど炭治郎達が食らいかけたものとは規模が違う。

無残の身体そのものを原型が無くなるほどズタズタにする様なもので、けれどかつての天敵相手に使用した肉体の飛散とは全く異なるものであった。

一度の脈動の後、轟音と共に周辺の瓦礫ごと隊士達が吹き飛ばされていく。

いくつもあった建物群は倒壊し、仮の目を通じてここを見ていた者達はそのあまりの衝撃に間接的な接触であったにも関わらず失神した。

何人かの隊士は各々の手段でなんとかその場に留まったものの、瓦礫の破片や衝撃波による甚大なダメージを負っている。

それほどの規模の破壊は鬼殺の隊士達にあまりに甚大な被害を与えていた。

 

「そん、な……」

 

そして、まるで自身の中の何かを解き放った様なその無惨の行動に最も衝撃を受けたのは、咄嗟に炭治郎に庇われた珠世であった。

最初は逃げる為の爆発かと思った。

自身の薬の効果で封じていた筈のそれを使われたのでは無いかと、恐怖さえした。

だが、逃げるよりも攻撃という面の強いその爆発は明らかにあの時目の前で見たそれとは違っていて、同時に自分さえ知らない鬼舞辻無残の姿を覗き見てしまったような衝動に襲われたのだ。

底を着いたと思っていたのに、勝利を殆ど確信していたのに。

それでもこの瞬間、あの男は確かに開花した。

内に秘めていた枷を外し、あの男の本来の何かが生まれ出たのだ。

千年の間、変化を嫌い、何者にも染まることなく変わることのなかった男が、全く別物の何かに変わったのだ。

それを受け入れたのだ。

よりにもよって、この瞬間に。

 

『ソウダ……アァ、ソノ通リダ。

私ハ、私ハ化ケ物ダッタ。

私ガ認メテイナカッタダケダ。

私ガソレニ、固執シテイタダケダ。

ソレヲ認メルノニ、遂ゾ千年モカカッテシマッタ……ヤハリオ前ハ強カッタ、雪女ェ』

 

かつての美男の姿はそこにはない。

人間の面影すらほとんど無かった。

醜く折れ曲がった角、瞳がすっかりと抜け落ちた闇の漂う黒い眼、ボロボロになりながらも腐食液を垂れ流している翼の様なナニカ。尾や牙や全身に埋まる数多の目や口はギチギチと忙しなく動き回る。

蛇、牛、狼、鬼、例えるならば簡単だ。

だが、その醜く大きな体躯を見れば誰しもが声を揃えてまずこう言うはずだ。

あれは"化け物"なのだと。

あれはあってはならないものなのだと。

あれは滅ぼさなければならないものだと。

 

鬼舞辻無残は間違いなく、今この瞬間に、どころか千年かけてようやく……妖の領域に足を踏み入れた。

それまでずっと固執していた人間の姿を捨て、自身がとうの昔に人間から別物に変化していたという事実をようやく受け入れ、その生き物はようやく不完全を脱したのだ。

 

『オ前ハ、私ガコウナルコトヲ望ンデイタノカ……雪女』

 

醜い化け物の醜悪な左手の指先に浮かび上がる冷気を放つ小さな髪留め。

それは無残のその言葉を肯定する様に静かに光を放っていた。

 




雪女さん、無惨様にも強化フラグを与えてしまう

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