「2人を鬼と合わせる……?」
「ええ、これはお館様にも相談済みよ」
とある日、珍しく真剣な顔をしたカナエに呼び出されたしのぶは、何処か辛そうな表情と共にそんな提案を受けた。
「最終選別はまだ先の話だとしても、2人はまだ一度も実物の鬼を見たことがないでしょう。最終選別の日に初めて見るというのは避けたいし、むしろ決断するのが遅過ぎたとも私は思ってるわ」
「……まあ、そうね。本当なら継子になると決める前に引き合わせるべきだったと私も思う」
鬼殺隊に入ろうと志す者は基本的にその家系に生まれたか身内を鬼によって失った者になる。後者はその目で鬼を見たことがあることが殆ど前提のようなものだが、前者に関しては最終選別で初めて鬼を見るということも少なくない。
しかしそうなれば当然の様に事故が起きてしまうため、事前に親の任務に付いていくなどをして実物の鬼を目にしておくことが推奨されている。もちろんここでも事故が起きる可能性はあるが、そういった一家は柱かそれに近しい実力を持つ選手者を有していることが多いため、そのような危険はほとんど無いに等しいようなものだろう。
カナヲと雪那の2人はそう言った一家のもとに生まれたわけではなく、鬼に身内を殺されているわけでも無い。カナエもしのぶも鬼殺隊への入隊を強制する気は全く無かったし、もしかしたら事前に鬼の恐ろしさを見せておけば選択を変えていたかもしれない。まだ取り返しが付くとは言え、そう考えるとカナエが遅過ぎたと後悔するのも仕方がなかった。
「……それで、実際にはどうするの?姉さんは行けないし、私も蟲の呼吸はまだ未完成。2人の実力が十分だとしても、付き人が私だけじゃ万が一を考えると怖いわよ?」
「ええ、だからお館様に相談したのよ。そうしたら、丁度いい人を紹介していただいたわ」
「丁度いい人……?」
カナエはそう言って立ち上がると、庭側の襖をスパンっと開ける。
そこには1人の男の背中があり……そしてその見覚えのあり過ぎる左右で柄の違う羽織はしのぶの表情を歪に変える。
「某水柱さん……」
「冨岡義勇だ」
突然背後の襖が空いたことに驚いて茶を若干溢した水柱の姿がそこにはあった。
「それで、どうして今回はこんなお願いを引き受けてくださったのですか?お忙しい水柱さん?」
「お館様の指示だからだ」
「へぇ、そうですか」
「そうだ」
「へぇ」
秋の山道を歩く4人、先頭を歩く水柱さんはしのぶの質問に相変わらず足りない言葉で返答をする。
そんな2人の姿をカナヲはいつも通り無表情で、しかし雪那は何故か頬を膨らませて見ていた。
今回の任務は山中で連続して発生している婦女失踪の解決。本来は一般隊士が行う様な任務であるが、今回は特別に水柱が直々に参している。
一応ではあるが、お館様も何の考えもなく鬼殺隊最高戦力の柱をこんな任務に向かわせているわけではない。
雪那もカナヲもその実力は今の段階で十分過ぎるものであり、特にカナヲに関しては将来の柱候補として既に強く期待されている。そんな2人に対して実際にその目で柱の戦闘を見せておくことは非常に意味のあることであり、むしろ最近は行き詰まりつつある2人が何かしら彼から学ぶこともあるだろうことは間違いない。
もう一つ強引に理由を挙げるとすれば、近いうちに欠けた柱に収まるであろう同伴者の胡蝶しのぶが富岡義勇と同じく、他の柱と比べてその容姿も気質もかなり一般的なものに近いというのもある。恐らく今後も2人は目立つべきではない任務等で組まされる事が多くなるだろう。以前より面識があるとは言え、互いの戦闘スタイル等についてより深く把握しておくべきだと耀哉は考えたのだ。
(お館様の仰りたいこともわかるけれど……)
とは言え、本人達の意思と耀哉の意思は全くの別物である。
しのぶに関してはまず雪那と義勇を一緒にすることに強い抵抗があった。それはもちろん以前2人を引き合わせた際に知らぬうちに彼女がこの男に変えられてしまったことが起因しており、一緒にしておけばまた自分の愛弟子が影響されてしまうのではないかという恐れ、そして嫉妬。
しかし、これもまたあながち杞憂と言うわけでもない。
なぜなら義勇の興味は雪那にしかないからである。
別に彼が小さな女の子に興味津々とかそういう訳ではなく、それは以前彼が雪那という少女の才能をその目で見てしまったが故だ。僅か1時間の間に自身の教えた水の呼吸を自分にあったものへと変化させるという天賦の才。
確かに今は雪の呼吸を使っているが、彼女には水の呼吸に関する適性も十分にあった。彼女ならば水柱に相応しい存在になれるのではないか。彼女ならば相応しくない自分の代わりに水柱として奪い立ってくれるのではないだろうか。彼は本気でそう思っている。
義勇は雪那を水柱として仕立て上げる気満々であり、彼が今回この任務を引き受けたのも、あれ以来しのぶによって一度も引き合わせて貰えなかった彼女と面識を持つためであったのだ。
ちなみに雪那は言わずもがな、しのぶと近い立場にいる異性として義勇を滅茶苦茶警戒しているし、凄まじく嫉妬している。
歪な三角関係を構成する嫉妬と私欲に塗れた3人、そしてそれを見守るカナヲ。あまりにもカナヲが可哀想な状況である。
「っ」
「……!」
「ん、どうしたの?雪那、カナヲ」
「…………ほう」
最初に反応したのは目の優れたカナヲだった。
そしてそれに一早く気付き彼女に合わせる様に警戒を始める雪那。
義勇も2人の変化に気付き何かを察したようだが、彼は敢えて動かない。しのぶも2人の様子がおかしい事には気付いたが、隣の水柱が何の警戒もせずにいつものンボーっとした顔で突っ立っているので、単純に2人が緊張しているだけだと思い察することができなかった。きっと誰だって隣にいる柱がこんな顔をして突っ立っていたら、まさか今から鬼が襲い掛かってくるなどとは思いもしないだろう。
そして……
雪の呼吸 肆ノ型 細雪(ささめゆき)
花の呼吸 陸ノ型 渦桃(うずもも)
「っ!!」
突如として足元から現れた6本の腕のうち4本を弾く様にして的確に雪那が引き裂く。それぞれ両断することは叶わなくとも深く切り込んだことで掌だけが後部へと垂れ下がり無力化に成功する。残りの2本はこれっぽっちも殺気を出していない義勇が雪那の手際をじっくりと観察しながら片手間に切り捨てた。
そして唯一敵の居場所を視認していたカナヲは3人の合間を縫う様に走り飛び、空中で大きく身を捻りながら叢の影からこちらを伺うように生えていた敵の頭部に刀を振り下ろす。
「ひぎゃぁあぁあ!!!」
奇襲はともかく、まさかこちらの居場所までバレていたとは思わなかったその鬼は、間一髪その攻撃になんとか反応して首を丸ごと切られることだけは防ぐことができた。
とは言え、文字通り首の皮一枚。
そのまま影の中に潜り込み、影と共にこの場から逃げ出そうとする。
「大事な妹達に手を出されて、生きて帰す訳がないじゃない」
しかし高速で移動するその影に、その何倍もの速度で先端以外が異様に細い歪な刀が突き刺さった。
「ぎゃぁぁあぁあ!?!?」
影の中で鬼は悶え苦しむ。
刺された箇所から全身に広がっていく異物感、不快感、これが何なのかはバカでも分かる。
「ァ、がっ……これ、は……ギッ!?」
「藤の花の毒を直接心臓に打ち込んだだけよ。まだ試作の段階なので斬る動作では与えられないけど、その分刺して注入することに関してはなかなか優秀なんだから」
「ィギッ、ギィッ、……ィッ………」
「あ、もう聞こえてなかったか。もう2、3発打ち込もうと思ってたのに、必要量を見誤っちゃったみたい。うっかりうっかり」
鬼より恐ろしい鬼がいる。
激情に駆られて当たり散らすのではなく、満面の笑みでエグいことをするタイプ。その笑顔がどことなく姉にそっくりでもあるからこそ、恐ろしさが増すのだろう。自分の愛弟子が危険な目にあったのだ、心の底でなくとも完全にブチ切れである。
そして、興味本位で2人を危険に晒した某水柱さんはこの後自分がどんなことをされてしまうのか冷や汗をだくだくに流しながら考えていた。