胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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79.雪女と擬鬼-2

「鬼舞辻無惨……いえ、無惨くん。貴方にはこの里の薬師達の手伝いをして貰います。私は雪女(ゆきめ)様の付き人の篠(しの)と申します、どうぞよしなに」

 

「……おい、待て。貴様今私のことをなんと呼んだ?あまりにも不敬な呼び方をしなかったか」

 

「貴方を"無惨くん"と呼べと里中に指示を出したのは雪女(ゆきめ)様です。この里に居る限り貴方は皆から"無惨くん"と呼ばれます、諦めることを推奨します」

 

「ふざけるなぁぁ!!私はこれでも貴様よりも遥かに長く生きているのだぞ!!それを貴様、いやあの女ぁぁああ!!」

 

「あ、ちなみに私は半妖ですので、既に歳もニ百を超えています。雪女様からみても私から見ても貴方は童の様なものです」

 

「っ、ぐっ、ぬぐぐぐぅ……!!」

 

その里に足を踏み入れてからは、話は恐ろしい程に早く進んだ。

私の体質を話してもあの女と付き人は少しも顔色を変えず、そんなことに興味は無いとばかりに私に役割を与えた。

 

あの女は普段は一際大きな建物の頂に存在する氷で覆われた一室から里を見下ろしており、今もこうして下から睨み付けている私をニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて見ている。

一方であの女とは対照的な黒い髪を後ろで結ぶ篠と名乗る付き人の女は、この様な状況に慣れているのか機械的に淡々と事を進めていた。

 

「それでは無惨くん、貴方を薬師達の元に案内します。今の時間でしたらまだ作業をしているでしょう、あそこの者達は薬作りに命を懸ける頭がおかしい連中ですから」

 

「おい待て!私は今からそんな者達の中に放り込まれるのか!?私はそんな奴等と共に働かなければならないのか!?」

 

「雪女様のご指示ですので。大丈夫ですよ、あそこの連中はその気になれば下級の妖程度ならば即毒殺できるほどの技量は持っていますから、貴方が暴れても安全です」

 

「お前達はそうだろうなぁ!?私は日の下に出ただけで死ぬのだぞ!?その様な弱い存在にこのような仕打ち、恥ずかしくないのかこの異常者どもめ!!」

 

「その点もご安心下さい、貴方が死に掛けた場合には雪女様が直々に貴方に妖力を分け与え、頭部だけでも無理矢理に生かすと仰っておられます。あの方が居られる限り、貴方は死にません。何の問題もありませんね、とても喜ばしいことです」

 

「それは死なないのではなく、死ねないというのだ!!やはり異常者しか居ないのかここには!!」

 

とにかくこの付き人の女、雪女に対する信仰心が強かったのが特徴的だった。

1にも2にも主人である雪女を楽しませる事を考えており、私の反応を雪女が喜ぶ事を知るや否や私にこの様な大嘘を吐いてくるのだ。

実際には薬屋は至って普通の場所であり、そこで働く者達も労働に楽しさを見出していても時間と共に飲みに繰り出す様な酒好き達ばかり。

私の役割はその者達が居ない夜の間に薬作りをするというそれだけの話であり、雪女が指示をしていたのもそれだけだったのだ。

この女こそが1番の異常者である事を知ったのは、私が30回程ホラに乗せられた後だった様に思う。

 

「ここに居る妖は貴様とそこの半妖だけなのか?」

 

ある日、いつも通り強引に雪女の部屋に連れてこられた私は、あの女の影響で微妙に冷たくなった食事を喉に通しながらそんなことを聞いた。

ちなみに、私がどうして強引にこいつらと食事を取らされていたかと言えば、当然この女を楽しませる為だ。

だからこそ私から雪女に何かを言うことはあまり無かったのだが、なんとなく気になったのだ。

今のところ戦力と言えるものがこの主従しか居ないにも関わらず、この女はどうやって"ぬらりひょん"の百鬼夜行と同盟を結んだのか。

何か隠し玉があるのではないかと、気になったのだ。しかし。

 

「まあ、そうだな。ここには私と篠くらいしか妖は居ない。そうだったよな、篠」

 

「はい、ここには基本的に人間しか居りません。妖に育てられた者や、体の一部に妖の細胞を持った者、妖力とは異なる特殊な力を持つ者達なら居りますが」

 

「……その者達は戦力になるのか?」

 

「いいえ、それはあり得ません。精精下級の妖を討つのが限界と言ったところでしょう。彼等が束になったところで私にも敵いません」

 

「いや、それはそうだろう。篠は"ぬら"の所の右腕にも匹敵するだろ」

 

「そんな勿体なきお言葉……もっと褒めてくださいませ」

 

「ほう、抱き締めてやろうか?」

 

「ご遠慮させて頂きます」

 

「それは仕方ない、今回は無惨くんで妥協しようか」

 

「やめろぉ!貴様の腕の中で死を迎えるなど絶対に御免だ!!なっ、貴様押すな!私をあの女の下に追いやるなぁぁ!!」

 

と、まあ年中この様なことをしている奴等だ。

そこに私という新たな玩具が加わったことで調子付いており、それはつまりこいつ等が言ったことは何の嘘も混じっていない事実だということだ。

この里に隠し玉など一つもなかったのだ。

本当にこの里における戦力はこの半妖と雪女しかおらず、他に妖すら居ない。

そしてそれはつまり……こうして巫山戯ているこの女は、本当にたった1人で百鬼の妖を叩き潰せるほどの力を持っているということだ。

そうでなければ、あの"ぬらりひょん"が組織としての同盟を結ぶ筈がない。その手下の者達が納得する筈がない。

 

「まあ、そう心配するな。お前が心配している様なことは起きない」

 

「っ」

 

「この地帯は私の領域に作り替えてある。例え"ぬら"の奴が総出で襲って来ようとも返り討ちに出来る作りだ、有り得ない想定だがな」

 

「……そうか」

 

そして、私が抱いていたそんな不安すらも、この女は見抜いていた。あれだけ巫山戯ていながらも、奴はこちらの心底を見抜いていたのだ。

だからこそ、もう一つだけ私には気掛かりがあった。

 

「……私は、貴様が思っているほどまともな人間では無いぞ」

 

「ん?」

 

それは、私が世間一般の価値観から言えば恐らく罪人と呼べる者であるということだ。

私に薬を与えた医者を殺し、手下にする為にそこらの人間を強引に鬼へと変貌させ、時には隠れ家の為に民家を襲い手下の餌にした。

弱者が生き残る為には仕方のない事だ。

あの医者とて最初に説明していなかったのが悪い。

私は何も悪くない、反省などする筈が無い。

 

……だが、それを懇切丁寧に説明した所で納得する者など居ないということは陰陽師共との関わりによって嫌という程に知っている。

私の考え方をいくら訴えたところで理解することなど無く、ただ異常者だと切り捨て、危険な者であると滅しようとしてくるのだ。

 

この雪女の価値観は、その圧倒的な妖力にも関わらず限りなく人間に近しいものであった。

故に、もしこの女が私の考え方を知れば、私のしてきた行いを知れば、あの異常者共と同じ様に私を追放してくる恐れがあった。

私にとっては何よりもそれだけが不安だったのだ。

それこそ、この地の戦力よりも強く。

 

「……お前は本当に餓鬼だな、無惨ちゃん」

 

「ちゃん!?貴様更に劣化しているではないか!?」

 

「いや、それはそうだろう。そんな親に叱られるのを怖がる子供の様に……言ってやってくれ、篠」

 

「無惨ちゃ〜ん、お乳の時間でちゅよ〜」

 

「貴ッ様ァ!乳が出るほど無い分際でグボォッ!?」

 

「1発で許してあげます」

 

「今のは無惨ちゃんが悪い」

 

「だがらど言っで頭を吹ぎ飛ばず奴があるがァァ!!」

 

「本当に再生力だけは一丁前だな、お前は」

 

再生できる程度の一発であったのが半妖曰く情けだということだが、異常者の思考はやはり私には理解できなかった。

だが、雪女の言いたいことはこの後の奴の言葉で理解ができた。

 

「はぁ、お前が生まれた時から狂っている先天性の頭無惨だということなど、最初に見た時から知っている」

 

「おい、頭無惨とはなんだ。どういう意味だ」

 

「大体お前、篠が何の妖怪の子なのか知っているか?」

 

「……なんなのだ」

 

「覚(さとり)だ、人の心を見透かす妖」

 

「は……?」

 

「お前が何を考えていようとも、何を企んでいようとも、篠がいる限りは何の意味も無い。そしてそれを知った上でお前に脅威は無いと私が直接判断した、お前の心配は杞憂だということだ」

 

「っ」

 

私が真の意味でこの女には敵わないと理解したのは、恐らくこの時だったと思う。

この女の恐ろしいところは、単純な力だけではない。他者を見極める力と、受け入れる容量の異常なまでの大きさもまた異常だったのだ。

……ただ気に食わないのは、核心を突かれて動揺と驚愕を隠せない私を見てニヤニヤと楽しそうにしている奴の悪趣味だが。

 

「くくっ、本当に可愛いなお前は」

 

「チィッ!大体覚がなぜそれほどの力を持っているのだ!どう考えてもおかしいだろう!」

 

「それは恐らく私が妖力の強い雪女様の側に長くお仕えしているからかと」

 

「なに?つまり私も貴様の元で働いていれば……」

 

「いや冗談に決まっているだろう、篠は私に仕える前からこの強さだ」

 

「地元では嘘吐き篠ちゃんと呼ばれていました」

 

「貴様ァァ!また騙したのかぁあ!」

 

「よくやった、篠」

 

「お楽しみ頂けたようで何よりです」

 

「貴様等ァァ!!」

 

何度も何度も殺してやろうとは思ったが、それはどうにも叶う筈のない願いであり、私がそれまで培っていた自尊心と自己防衛は命の無事の代わりに尽く粉々にされていくのであった。


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