胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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81.雪女と鬼擬-4

「……そうか、間もなくか」

 

「はい。本来でしたら十月もの月日をかける必要もないのですが、最初に産んだ半妖の性質はその子孫にまで受け継がれますので。後の子女様方が苦労なさらないようにと、十月きっかりに産まれる予定になっております」

 

「相変わらず私には理解できない考え方だな。……それで?そんな状態の奴を他人に任せ、貴様がわざわざ直接こうして私を訪ねてきたのだ。他に何か話があるのだろう?」

 

「少しは賢くなりましたね、無惨くん」

 

「貴様だけいつかは絶対に私の手で殺してやるからな覚ィ……!」

 

いつも通り外界との境界線に立っていた私の元に、普段は絶対に雪女の元を離れることのない例の半妖が訪ねてきた。

あの女が子を作り初めてから数年が経ち、ようやく納得した子が出来てからまもなく十月が経つといった時だった。

奴は今でも自らの体温を上げるために火に炙られながらも苦痛の悲鳴と共にその日を待っていた。

 

「千里眼の少年が外界での不穏な動きを察知しました」

 

「っ!……敵はなんだ!」

 

「西部で活動する妖の連合軍、と言った所でしょうか。どうやら雪女様が力を落としている事が何処かから漏れたようです。中央部で鎮座する雪女様の存在は、東で活動する"ぬらりひょん"と西で活動する妖達の境界の様なものですからね。大戦争の前座、といった所でしょう」

 

「馬鹿な!あの女の状態が外部に漏れるなど有り得ない!いったい何処からそんな情報が……!」

 

「……数ヶ月ほど前から、ここと外界を行き来する専属の行商人からの連絡が途絶えています」

 

「っ、あの男かァァア!!」

 

「恐らくは」

 

半妖が伝えてきたのは、想定できる事態の中でも最悪に近いものだった。

西の妖怪達の大進行。

西の妖達には東の妖達にとっての"ぬらりひょん"の様な強大な頭が存在しない。多くの派閥が存在し、小競り合い、潰し合い、そんな混沌とした場所であったのだ。

故に、いくら争いの中で培った力があったとしても手を組むことはないと思われていたし、あれらが手を組むこと自体があり得ないものだと考えられていたのだ。

 

「なぜ、なぜ西の妖共がこんな時に……!」

 

「……恐らく、西の妖怪達の元にも頭が生まれたのでしょう。そしてその頭は非常に油断ならない相手です。雪女様を討伐するにあたって最も効果的な手段を用いているようです」

 

「あの女を潰すのに、効果的な手段だと?」

 

「はい。西の妖達の動きと同時に、周囲の人間達にも不可思議な動きが見られています。……どうやらこの里を犯罪者達の隠れ蓑だと言い触らしている者が居る様です。この里の正確な位置と共に、今直ぐ調査して捕縛すべきだと」

 

「そういうことか……!巫山戯た真似を!あの女が人間を殺せる筈などきあるものか!仮にその二勢力が一度に仕掛けて来たとしたら!」

 

「はい、間違いなく私達は甚大な被害を被ることになるでしょう。敵は雪女様のことを詳細に調査し策を立てています、決して侮れる相手ではありません」

 

あの商人が何処までこちらのことを知っているのかは分からないが、最悪の最悪を想定するとするならば、敵が仕掛けてくるのは間違いなく雪女の出産直後だ。

あの女が最も力を落とした時を狙い、襲撃してくる筈だ。

唯一敵にとっての想定外は、その襲撃をこちらが事前に予測していたことだろう。この里における千里眼の存在は極秘中の極秘、雪女と半妖、そして私と当人以外に知る者は居ない。

 

故に、あの女の出産までの数日間で何かしらの対策はできるだろう。

それこそ、悪知恵の働くこの半妖ならば既にそれを始めている筈だ。

 

「このことを雪女は知っているのか?」

 

「不穏な動きがある、ということだけは。しかし詳細な情報は負担にもなりますから、あくまで心の準備をしていただく程度に」

 

「まあ、あの女ならばそれすら見通しているだろうがな」

 

「はい、分かっております。ですから、この件に関しては私と貴方で対処すると伝えてあります。それを聞いた雪女様は安堵した表情をされておりました」

 

「……チッ、私がそれを聞いて逃げ出す可能性は考えなかったのか」

 

「貴方は自分の命を最も大切にします。雪女様が2人目の子を成さることはありませんから、今回さえ乗り切れば永久の安全が保障されます。故に、貴方が逃げ出すことは絶対にありません。雪女様は貴方のそういった所を信頼されているのです」

 

「……信頼、か」

 

そんな言葉を受けたのは、後にも先にもこの時だけだったように思う。

 

(悪くない……)

 

そんな風に感じたのは一時の気の迷いか、それともあの女に染められ始めた前兆だったのか。

やはりあの女に自分のことを見透かされているのは気に食わなかったが、やることは決まっていた。これからするべきことは、分かっていた。

 

「"篠"、貴様の企んでいることを全て話せ。今回ばかりは遊びは無しだ。気に食わないが、私と貴様で奴等を叩き潰す」

 

「……ふふ、頼もしいばかりです」

 

侵略するためでも、逃げるためでもなく、守るための戦い。

こんな戦いは、きっとこれっきりだ。

他者を守る為に戦うことなど、今後絶対に有り得ない。

なぜなら、私はこの戦いに勝ち、もう2度と戦うことは無いのだから。絶対にこの戦いに勝利し、命のやり取りには永久に関わらない。

これが最後の戦いだと思えば、少しは気分もましになった。

 

 

 

 

「現在、総動員で豪雪の中に避難所を作成中です。当日は戦える者以外はそこへ、最悪を想定し付近の村の長に受け入れを要請しています」

 

「村の長?信用できるのだろうな、そいつは」

 

「彼が裏切るのであれば最早この里の者達すら信用できない、という程に雪女様に狂信的な方です。仕事の合間に雪女様の架空の物語を作っている様な老人ですから」

 

「つまり変態か、ならばいい。常人よりも狂った異常者の方がよっぽど信用性は高い。"ぬらりひょん"の方はどうだ」

 

雪女がかつて作った付近の地図を広げ、妖について書かれた紙類を広げ、私と覚は頭を捻る。

あと3日で雪女は出産する。

だが敵の襲撃に3日の余裕があるというわけではない、敵が雪女の詳細な出産時期を知らなければ今この瞬間にも仕掛けてくる可能性があるのだ。

一瞬でも無駄には出来ない、常に最善の手を打ち続ける必要がある。

 

「そちらにも既に要請済みです。元々雪女様の出産日に立ち会いたいという話がありましたので、話は簡単に纏まりました。間に合います」

 

「そうか……それで、良くない報告はなんだ?」

 

「敵の群勢が想定よりも多く、この短期間で"ぬらりひょん"が揃えることが出来る数では抑えきれません。僅かながらこちらに流れ込んでくるかと」

 

「どれほど僅かだ」

 

「数百から千といった所でしょうか、下級が中心になるとは思いますが」

 

「貴様ならばどれほど抱えられる」

 

「五百程度でしょうか」

 

「相変わらず意味が分からん……だが、まあいい。私の力で人間を片っ端から同類に変える、それ等を使えば時間稼ぎ程度はできるだろう」

 

「……雪女様は嫌がるでしょうね」

 

「こんな時に動けない役立たずが悪い、私に任せた愚か者が悪い。やり方を否定するのは成功という結果を得たからだ、失敗した者には方法を否定する権利も余裕も与えられない」

 

「……そうですね、今回ばかりは私も貴方の意見を肯定します。ですがそれ等の人間も何かしらの特殊な武装をしている可能性があります。罪人の巣窟を捕縛ではなく殲滅する、とまで話は上がっていますから。陰陽師崩れの浪人も参加しているという話もあります」

 

「普通の妖相手ならばまだしも、陰陽師の術式など私には効かん。炎や刀剣、槍弓すらも敵ではない。日光さえなければ何の問題もない」

 

「そう考えると、確かに人間相手でしたら貴方は怖い者無しなのですね」

 

「妖さえ居なければもう少し楽に生きられたのだがな」

 

こちらの主戦力と言うか、全戦力は殆どこの女と私だけだ。

出産直後に雪女がどこまでやれるのかは知らないが、そちらに期待しない前提で物事を考えなければならない。

だがしかし、そうなると戦える者は実質的には私達しかいない。

民の中にも少しは力を持っている者は居るが、それでも下級の妖と相討ちになる程度なのだ。

圧倒的な数を相手にするとなれば、最早戦力として数えることすらできない。

 

「言葉では好き勝手言えますが、やはり現実的に考えるとこの戦力では不安が残りますね」

 

「どう考えた所で雪女の力を借りなければ抑え切れん、私の所に妖が二体以上現れれば全て破綻する。今すぐ拠点を移し逃亡を始めた方がよっぽど現実的だろう」

 

「……それは無理でしょう、此度の敵の目的は雪女様の消滅です。それを成し遂げるまで敵は絶対に引きません。我々が逃げることも想定して動いている筈です」

 

「ここで叩き潰す以外に道は無い、か。一応聞くが、ここで西の妖共を抑えず、逃げるのに成功したとして、どうなる?」

 

「妖による戦乱の時代の幕開け、と言う所でしょうか。人は当然、妖すらも闇地を単独で歩けない厄呪に満ちた世界の始まりです。私達も裏切り者として東の妖共からも追われ、破滅するのも時間の問題です」

 

つまり、逃げ道はやはり無いということだ。

これからも他の妖からの干渉を受けずに生きていくには、ここで命を張るしかない。

無惨にはその再確認が必要だった。

自分の命を賭けるという自身にとって最も有り得ない行動に臨むために、これ以外には道は無いということを刻み込むために。

生き残るために。


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