それから3日後。
祝うべきか、悲しむべきか、その日は来た。
あまりにも巨大な妖力の発散、世界を塗り替える様な濃密な力の波動、妖ですら無い自分がそれほどの気付きを得たのだから、妖からすれば否が応でもその産声に気付くことになるのだろう。
そして、その時にようやく合点が入った。
西の妖共がどうやってそれを察知し攻め入ってくるのかということに。
これだけの変化があれば、気付かない筈が無いのだ。
合図はこちらから勝手に出すのだから、奴等はただそれを待つだけで良かったのだ。
そしてそれは恐らく、こちらのより正確な居場所を敵に伝えることもまた同意義。
「……そう苛立つな。貴様があの女の娘の誕生に立ち会えないことに対して並々ならぬ気を持つのは分かるが、貴様とあの女の妖力を同時に受けるのは流石に堪える」
「いえ、よくよく考えてみれば本当に怒りしか感じないと言いますか。なぜこの様な喜ばしい日にあんな屑共の相手をしなければならないのかと、本当ならば民一同で盛大な祭りを行うべき日にも関わらず」
「それならば私も喜んで踊り狂うのだがな、今から起きる騒ぎは同じく御免被りたい。……ようやくここの人間共の馬鹿騒ぎにも慣れて来た頃合いだったのだがな」
視線の先に映るのは思い浮かべた者達とはまた違った人間の群勢。
最初は犯罪者の巣窟であるという架空の噂が、人から人へと伝わるに連れて背鰭尾鰭が付き、今では国への反乱を企む者達の隠れ里などというものになっているらしい。
そしてそれが事実であるかどうかなど奴等には関係無く、善人であろうと悪人であろうと尽く滅し、事実を捨て、手柄だけを持ち帰ればあれ等は英雄として持て囃されるのだ。
ああ、なんと愚かなことか。
これならば日々を酒と騒ぎを楽しみに労働に励み、祭りとあらば疲れも眠気も投げ捨てて踊り狂う愚か者達の方が幾分も可愛らしい。
酒の勢いで絡んで来るのは面倒だが、こちらに危害を加えないだけ何倍もマシだ。
「……だが、今回ばかりは好都合か。あのような輩が相手ならば、多少雑に扱った所であの女も強くは言うまい」
もしこの全てを鬼に変えれば、下級の妖共を抑え込む時間稼ぎ程度には使えるだろう。
自我を奪い、妖共に正面衝突させる。
血を多く与え、暴走させてやってもいい。
どうせこの場で使い切るのだ、長く保たなくとも構わない。
思う存分使い捨ててやる。
「っ!?無惨!こちらを!!」
「なんだ、貴様がそこまで動揺するなど……待て、なんだあれは……!!」
……だが、なにもかもが上手く行くなどということはそうそうない。
ここまでが想像通りだったとしても、ここからもまた全てが想像通りになるとは限らない。
覚の必死の呼び掛けに振り向いた先で私が見た光景は、正にそれを体現しているようだった。
「ば、かな……」
そもそも、相手はこちらの居場所や雪女、そして半妖の性質や生まれについて熟知しているような切れ者なのだ。
故に、本当ならばこのような事態も想定しておかなければならなかったのかもしれない。
むしろその様な可能性を無意識的に思考の外に追いやっていたとか、そうだとすれば自身の愚かさに吐き気がするほどだ。
……だが、今でも考えたくはない。
そのような可能性など。
例えば、ぬらりひょん共が抑える筈であった上位の妖達も含めたその全てが欠ける事なくこの場に現れる、ことなど。
「馬鹿な……どうなっている!?主力級が勢揃いだと!?ぬらりひょん共はどうした!?疲弊しているならばまだしも、無傷などありえない!どういうことだ!奴等は一体どこで何をしている!?」
巨大な身体を持つ者、
人と変わらぬその身に悍しい程の力を持つ者、
一眼見ただけでそこらの有象無象とは別格と分かる様な者、
そんな規格外な存在達が格下を引き連れて雪道を掻き分ける。
その様な光景を見て私が取り乱すのは至極当然の話であった。
この覚の半妖とて限度がある。
数どころか質まであるとするならば、いくらこの女と言えどどうにもならない。
そして私など話にならない。
妖を相手にするのであれば、せいぜい下級の妖の相手しか出来ないのだから。
「……裏切られ、ましたか」
「裏切られた、だと……?」
「はい……私とした事がその可能性を完全に頭から外してしまっていました。本当ならば考えるべきだったのです、ぬらりひょんにとっても我々が邪魔な存在であったという可能性を」
「そんな、ことが」
無い、と断言できる筈もない。
この場所が西の妖共の侵攻の障害になるということは、それはつまり東の妖にとっても西側への足踏みの邪魔になるということだ。
そして、なによりその主である妖が自分達の頭よりも強いとなれば見方もより変わるだろう。
いくら同盟を結んでいるとは言え、自分よりも力のある者を心の底から信用などできるものか。
何かあれば力という圧倒的な優位で相手にあるのだ、心からの信用など出来るはずがない。
そして、そんな考え方こそ、私がすべきだったのだ。
他者の善の部分ばかりを見ようとするこの愚か者達の代わりに、異常者共の悍ましさをよく知っている筈の、この私が。
「……雪女の元に戻る」
「?いったい何故……」
「ここで私達に何が出来る?苦しかろうか辛かろうが、あの女の力を借りなければどうにもならん。それは貴様も分かっているだろう」
「ですが」
「そも、ぬらりひょんが裏切ったということは、西の妖を滅したところで今度は東の妖共が攻めて来るのは間違いない。最早逃げる以外の道は残されていない、例えここで民の全てを見捨ててもだ」
「………」
「黙っている時間は無い!早くしろ!さもなければ全てが無に帰す!最早こうなった時点で、民が生き残る術は無くなったのだ!救えるものだけでも救わなければ何の意味も無いのだと、こんなことは本来私ではなく貴様が言うべきことだろうが!!」
冷静さを失っていたのは他でも無い私の方だ。
そうでなければ私がこのようなことを言うものか。
他者を救うなどと、私にとってこの世で最も縁遠い言葉を口にすることなど絶対に有り得ない。
「っ!」
そんな有り得ない言葉をこの私に口に出させた事の重みをこの女も理解したのかは分からないが、奴は噛み締めた唇から血を流しつつも己の心の内を正し始めていた。
この女がただ雪女のために生きていた訳では無いことは知っている。
この里において最も維持に貢献しているのは間違いなくこの女だ。
この女は雪女の侍女という役割だけではなく、里の統治の半分以上を行なっていると言っても過言では無い。
雪女の足りない部分を補っているのではなく、奴の足りない部分を雪女が補っているのだ。
それほどの心血を注いで来たこの里は、奴にとっては故郷以上の存在なのかもしれない。
そこに住む民達を真に我が子と思っているのは、この女とて同じなのかもしれない。
だがそれでも、この女は雪女と違い感情よりも思考の強い人間だ。
自分が今すべきことが分かり、相反する感情と戦わせた上でも理性を取る女だ。
それは今この時でも変わらない。
拳と唇から血を流し、己の内で葛藤し、それでも最後には必ず選ぶのだ。
その選択がどれほど酷なものであろうとも、どれほどの後悔と悲しみを生もうとも、必ず今すべき正解を選ぶ。
「申し訳、ありません」
「……馬鹿な女だ、つくづく貴様は。せめて私か雪女の様に理性と感情のどちらかが突出していれば楽に生きられたものを」
「それでも、私は私が嫌いではありませんから。苦痛と悲しみを背負いながらも正しい道を選ぶことができる。……それに私よりも雪女様の方が悲しまれますから、それを考える方がよほど私にとっては辛いことです」
「……奴を説得するのは、骨が折れるだろうな」
せめてあの女が未だ眠りに落ちているのならば、無理矢理にでも担ぎ上げてどうにでもなる。
だが、それを望むことは恐らく難しい。
あの女は仮にも最強の妖だ。
これほどの妖の大群の接近に気付かない筈も無く、そしてそこから私達が導き出す結論も分かっている筈だ。
そしてもしあの女がまだ動ける様なことがあるのならば……私にとっては好ましくない行動を取ってしまうかもしれない。
「篠、早くしろ!早くしなければ雪女がここに……!」
「ほう?"篠"か、この数日で相当に仲良くなったものだな。私は嬉しいぞ、二人とも」
「っ!?」
それは、初めて会った時と変わらない。
これほどの妖力を持っているにも関わらず、それほどに凄まじい存在感を持っているにも関わらず、いつの間にかその女は私達の背後に居た。
まるでそこにいるのが当然のように、これまでの全てをそこでずっと聞いていたかのように。
全てを見透かす様な氷の瞳は、あの時と変わらずただ私を貫いていた。
「久しぶりだな、無惨。お前の顔が見れて私は嬉しいぞ」
「……私は、いま貴様の顔を見たくはなかったのだがな」
「それはまた言ってくれる。相変わらず口が悪くてなによりだ」
雪女は浮遊しながら私達の間を通り抜け、こちらに迫り来る妖共を見る。
こうしているだけでと疲労の色が濃く、妖力も普段よりも格段に落ちているのが分かる。
本来ならば眠っていて当然の状態なのだから、当然の話だ。
今のこの女がどこまでやれるか分からない以上、本来ならばこの女をここで引き留めるべきなのだろう。
雪女を失ってこの里を守ることが出来たとしても、どうせその後の維持が不可能になるのだから。
「……はぁ、なるほど。そういうことか、ぬらりひょん」
「っ!……雪女様!あの、申し上げ難いのですが"ぬらりひょん"は」
「裏切ったのだろう?見れば分かる、あの内に既に奴の配下もチラホラと混じっているからな。恐らく予め西の頭と繋がっていたのだろう。……いや、そもそも西の頭を作ったのすらも奴の仕業かもしれないな」
「なっ!」
ふっと雪女が手を上げると、こちらに向かってきていた人間の一団の姿が雪の半円に包まれた。
私が時間稼ぎの為に鬼にして差し向ける筈であった者達は雪に包まれ、その中に幽閉される。
そして更にもう片方の手を上げれば、今度は妖の大群の目の前に巨大な雪壁が半円状に現れた。
それ等を崩すことができる者は勿論居るだろうが、出来ない者の方がずっと多いだろう。
そして猛吹雪は更に苛烈さを増していく。
この環境の中、下級の妖ならば直ぐに生き絶えることになるのは間違いない。人間もあの中に居なければ容易に全滅していた筈だ。
「……さて、これでもう少しゆっくり話ができるな。そこに座るといい、私と少し話をしようか。篠、無惨」
雪女は穏やかな笑みを浮かべて私達にそう言った。
「さて、先ずは礼を言わせて貰おうか。私の子は無事に生まれた、本当に嬉しく思う。それもお前達2人のおかげだ」
「……そこの半妖はともかく、私は特別何もしていないのだが」
「ふふ、そんなことはないだろう。毎晩怪しい者の出入りが無いか見張ってくれていたのだろう?自分の仕事を昼間のうちに終わらせてな」
「……チッ、それでも商人は取り逃がしたがな」
「それでも、だ。私が結果だけを見て判断する様な輩に見えるか?」
「結果が全てだ。結果が伴わなければその過程には何の意味もない」
「お前の言いそうなことだな。本当に私とは対極で、あまり嫌いではない」
雪女は背後に見える惨状などに見向きもせずに、言われた通りにその場に腰掛けた私達2人を見ていた。
破壊しても破壊しても再生する雪の壁に阻まれながらも、少しずつこちらに侵入してくる妖達。
しかし今度はそれ等を雪女を象った雪像達が迎え撃つ。
その一体一体が中級の妖に匹敵するにも関わらず、凄まじい数の雪像が雪原から無限に生まれ出るのだ。
そんな光景を見てしまえば、私も雪女に対して何の反論もできやしない。
「雪女様、一体これからどうするおつもりですか?ぬらりひょんが敵に回った以上、もうこの国に我々の居場所は……」
「まあ、無いだろうな。私の推察通り、ぬらりひょんが西の頭と通じているのならば、奴は実質的に天下を握ったことになる。そうなればあれが追い掛けなくとも、あれの為にと追い掛けてくる者が増える筈だ。」
「……なぜ、なぜ"ぬらりひょん"は今この時期になって雪女様を裏切って!」
「ふふ、そう言ってやるな。どうせ全ては奴の夢の為だ。思い返せば、これまでそういった節は数多くあったからな。殆ど間違いない」
「ぬらりひょんの、夢……?」
雪女の発したそんな言葉に私が首を傾げると、雪女は面白そうな顔をして背後を振り返った。
その視線の先は雪に包まれた森があり、雪女はその一点になにかを見つけたらしい。
恐らく、あそこに……
「奴と私はそれなりに長い仲なのだがな、そういえば常々語っていたよ。『早く妖の時代を終わらせたい』とな」
「妖の時代を、終わらせたい、だと……?」
「ああ、それが恐らく奴の夢だ。奴の根底にある、奴自身が望む世界の形だ」
「馬鹿な、奴は妖共の頭なのだろう?今の立場がありながら、どうしてその場を捨てる様なことを……」
私では絶対に考えられない話だ。
最強の最高の座に居るというのに、それを捨てることを望むなど。
私ならばそんなこと、絶対に有り得ないというのに。
だがそんな私の考えを見抜いたのか、雪女の目線が私の胸を貫く。
「思い出せ、無惨。そもそも"ぬらりひょん"とはどのような妖だ?人を襲い、人を喰らい、暴れまわって呪いまわって迷惑をかける存在か?」
「……人間の屋敷に忍び込み、寛ぎ帰る、それだけの妖」
「そうだ、それこそが"ぬらりひょん"という妖怪の本質だ。能力があったから頭になった、だが能力と生の方向性が一致するとは限らない。奴は人の影に隠れ、人と共に生き、人を見守り生きていく存在だ。元々人に害を成す妖を取り締まる為につくった集団が、今や妖の力を大きくする存在になってしまった。……さて、そうなれば奴はどうすると思う?」
「っ!まさか奴の狙いは自分の持つ集団の壊滅か!?」
「それだけならば生易しい、私を追い詰めなくとも奴の頭だけで実現することは容易いだろう。西の妖共と単純に正面衝突すれば話は終わるのだから。……先ほども言った筈だ、奴はこの妖の時代を終わらせることが目的だと」
「っ……そういう、ことですか」
その雪女の言葉に、篠が何かを悟った。
雪女の内心を覗き、完全な理解にまで至ったのだろう。
そしてその表情は、先ほどあの大群を見た時よりもずっと悪い。
それは正に絶望と言うような、怒りと悲痛に歪む、鬼の様な形相だ。
「あれは先兵だ。暫く経てば本格的に"ぬらりひょん"の軍も加わり、この程度の仕掛けでは抑えきれなくなるだろう」
「………」
「そうなれば私が直接向かわなければどうにもならない、全力を出しても私の力では相打ちにもなれない。……最終手段を使わなければ、幕を引くことはできない」
「最終手段、だと?」
「この地そのものを使った、究極の封印術だ。元々は力に飲み込まれ暴走した際の私自身を封じ込める為のものだったのだが、昔それをうっかり"ぬら"の奴に話してしまったことがあってな。恐らく奴の目的はそれだ」
「……雪女様の封印術を使い、この場に集った強大な妖を丸ごと封印したい。そういうことですね」
「まあ、そういうことだ。強大な妖が居なくなれば妖力は消える、妖力が消えれば妖は弱まる、そうして妖の時代は直ぐにでも終わる。奴の目的はそれだ。そしてその封印対象の中には勿論、自らと私の存在もまた含まれている」
「…………」
「ふふ、勝手な奴だ。あの男も」
……正直、その時私はどうするべきなのか分からなかった。
これまでこの騒ぎに協力していたのは、雪女を守ることによって自分の命を守る為だ。
だが、もし"ぬらりひょん"の思惑通りに事が運べば、この世から妖が完全に消滅する可能性があるのだ。
そうすればどうだ、妖では無い私だけが残り、私こそが頂点に登ることができるだろう。
それならば、私はぬらりひょんに協力するべきでは無いのだろうか?
私が本当に、自分のことだけを考えるのならば。
「……心配しなくともいい、無惨。私は奴のこの企みに乗るつもりだ」
「!」
「雪女様!それは……!!」
「これはもう決めた事だ。私は簡単な思いで言葉を口にはしない、それは篠が一番よく分かっているだろう?」
「……ですが!!」
呆然とする私と、食らい付く篠。
そしてそんな2人を苦笑して見ているのがこの女だ。
それから雪女は懐からいくつかのものを取り出し、それぞれを私と篠の元に差し出した。
一つは奴が普段から身につけている氷の髪留め、そしてもう一つは以前に奴が篠に指示を出しながら書かせていた一冊の本。
髪留めを私に、そしてその本を篠に、奴の近くにあっても凍りつくことのないその二つを、私達は放心しながら受け取った。
「篠、お前には里の民と我が子のことを任せる。妖力が無くなればお前も次第に弱くなっていくだろうが、半妖であるが故に人として生きていく事は可能だろう。我が子も限りなく人に近い存在だ、雪女のことを私よりも知っているお前ならば任せられる」
「雪女様!」
「お前にしか任せられない。私の子は、お前の子でもあるのだからな」
「……それは、卑怯です。雪女様」
雪女の子を作る際に、どうしても男の遺伝子を受け入れない雪女の為に取った手段。
それが篠の遺伝子を使うことだった。
女であり、妖の血も混じっており、それを受け入れることで子を産めるように調整した。
これから先も雪女は同じ女としか子を産めなくなってしまうが、それでもこれが最も安全であり、篠もまた自らが力になれることを嬉しく思い了承したのだ。
まさかその事実を、こんな風に使われることになるとは露知らず。
「無惨、お前は好きに生きればいい。どうせこれから先、妖は居なくなる。お前を脅かす者は消え、往来を何にも怯えることなく歩くことが出来る様になる筈だ。全てお前の望む世界になる」
「……この髪飾りは、なんだ」
「私が消えればその首飾りも形を失う。だが、この髪飾りは私が居なくなった後も消え失せる事は絶対に無い」
「………なぜ、私なのだ。それこそこれは貴様の娘にでも渡すべきものだろう」
「前にも言った筈だ、私はお前を気に入っていると。お前には出来れば私の事を忘れて欲しくない、これから先、数千年が経った後でもな」
「私がこれを、捨てる事は考えなかったのか」
「ああ、それもそうか。そうなると……こっちの方がいいのかもしれないな」
「っ!?」
突然、私の左手の小指に小さな痛みが走った。
床から生えた小さな氷柱が私の小指に傷を付け、再生することなく今もまだ少しの血が流れ落ちている。
そして、それを見て私は奴が何をしたかったのかを察した。
「これならば、お前は生涯私の事を忘れる事ができないだろう?」
なぜそれほど嬉しそうな顔をするのか。
どうしてそれほど私を気にかけるのか。
私にはその理由が全く分からなかった。
私に対して、どうしてそんなにも執着をするのかも。
「……おまえは」
「ん?」
「お前は、私を真っ当な化け物にするのではなかったのか」
「!」
それが、その時に私が答えることが出来た精一杯の言葉だった。
答えは一つ、何をすべきかも分かっているのに、どうしてか乱れている思考と心の中で唯一絞り出せたその言葉。
その言葉に驚いていたのは、奴だけではなく私もそうだった。
そんな言葉、普段ならば絶対に言葉にすることなどしないし、しようともしないのに。
「ぷっ、くふっ、くふふふっ……!あははははっ!なんだ無惨!どうした!ほんとに、ほんとに可愛いなぁ!お前は!」
「なっ……!くっ!失言だ!忘れろ!今のは全て無かったことにしろ!笑うな貴様ぁあ!!」
「ふ、ふふっ、いやすまん。失言だろうとなんだろうと、まさかお前からそんな言葉が聞けるとは思わなくてな。いやぁ、可愛がってみるものだな。どんなに生意気な子供でも」
「貴様、この期に及んでまだ私を子供のように……!!」
「大丈夫だよ、無惨」
「!」
冷たい髪留めを強引に見えない力で押しつけられる。
有無を言わさない様に、お前が持っている物だとでも言うように、その冷たさを私に感じさせるように。
「私はずっと、お前を見ている。その髪飾りをお前が持っている限り、私は常にその中からお前を見ている」
「……見ているだけで、何ができる」
「さあな、それは私にも分からない。だが、私は祈っているよ。お前がいつか私の愛に向き合ってくれることを」
「っ、馬鹿馬鹿しい。本当に、お前はいつもそうだ。1から10まで、お前の言う事はその尽くが全て、本当に……馬鹿らしい」
もし、もし仮に……百年、いや十年でもいい。
あとほんの少しの間だけでもあの時に時間があったのならば、私は少しは変わる事が出来たのだろうか。
あの馬鹿な雪女と打ち解け、
雪女の娘から親と子の愛とやらを学び、
あの半妖から対等という関係を得て……
そうして、本当にこの私が真っ当な化け物とやらに、なることができたのだろうか。
「っ!」
「……やれやれ、どうにも時間切れらしい。まああれも短気な部類だ、これまで待っていただけでも御の字か」
「あれが……妖の頭……!」
空間を黒で蝕む様な規格外の妖力の嵐。
そこに存在するだけで空を割る様な悍しい力の集合体。
それが動き出したことに気付き、それでもなお雪女は笑っていた。
篠ですら指先が震えるのを、この私が腰を抜かして全く動けなくなってしまうのを、動揺一つ表すこともなく目を細めて。
「篠、私は私の全てをお前に与え、託したつもりだ。それをどう使い何をするかはお前の自由だが……後追いだけは絶対に許さん。全てを終えた後、私を退屈させない様な話をいくつも持ってこなければ、私はお前に会ってやらないからな」
「……っ、わかりました。雪女様がその際に『どうして自分がそこに居られるなかったのか』と悔やむ様な話をたくさん持って参ります。ですから……ほんの少しの間だけの別れです。私は半妖ですから、妖の力が弱まれば、きっと直ぐにでも会えましょう」
「ああ、楽しみにしている。……まあ、無惨はそうはいくまいか。お前に次に会えるのは果てさていつのことになるのやら。お前に会うよりも私の子孫達が滅びる方が早いかもしれん」
「……お前と会うことなど、もう有り得ん。例え天地が裂けようとも、私は生き続け、この世に留まり続け、貴様と再度相見えることなど絶対に無い」
「そうか……ならばお前に私から伝える事は2つだな。まずは出来るならば私の娘達のことを気にかけてやって欲しいということか。篠も直ぐに居なくなる、お前が見ていてくれるのならばそれ以上に私が安心できることもあるまい」
「……気が向けばな」
「ふふ、それでいい。あとはまあ……死にたくなればいつでもこちらに来い。他の何人がお前のことを憎もうとも、許さなかろうとも、理解出来なくとも、私だけは貴様を受け入れてやる。死体も私と同じようにここに埋めてもいいぞ?ここがお前の帰る場所だ、と私直々に言っておいてやるからな」
「っ、余計なお世話だ!!」
「やれやれ、可愛げのあるやつめ。あと少し時間があれば私の好きな様にお前を調教できたのだがな」
「貴ッ様ァァ!……っ!?」
それが奴と私との軽口だった。
次の瞬間、私と篠を包む様にして雪風が包み込み、予め民達とあの女の娘を避難させていた場所へと飛ばされていたのだ。
あの後、あの場所で一体何が起きたのかを知る者はもうこの世には居ない。
ただ確かなのは、あの日を境に妖力はこの世界から消滅し、妖共は力を失い始め、奴が愛した人間達が闇を恐れる事がなくなったということか。
『……あまり待たせてくれるなよ、無惨』
最後に奴が私にそう言ったかどうかは、確かでは無い。
ただ今ならば分かる気がする。
あの女ならばこんな私にさえも、そのような言葉を与えても不思議では無いということを。