「なんのために貴方を連れて来たか分かりますか水柱さん?私は今日出かける前にも恥を忍んでお願いしましたよね?頼みたくもないのに下げたくもない頭を嫌々下げて、それでもしっかりお願いしましたよね?どうかこの2人を危険から守って下さいと。どうかこの2人を怪我一つなく帰らせてあげてくださいと。確かにお願いしましたよね?それなのにこの体たらくはなんですか?なぜ鬼が仕掛けてくると分かっていて突っ立ってたんですか?なぜ仕掛けてきても何もせずに突っ立ってたんですか?案山子なんですか貴方は?案山子の方がまだ仕事をするんじゃないですか?あなたに釣られてしまった私も悪いですが、それにしたってあの無防備さは無いですよね?一体何を考えて生きているんですか?一体何を考えてたらあんな顔ができるんですか?馬鹿なんですか?死にたいんですか?私は今あなたを猛烈に殺したいですけどね!」
「すまん」
「んぐっ、ぐぐぐ……!我慢、我慢よ、しのぶ!カナヲと雪那の前だから……!これ以上は駄目……!」
山道で自分の上司に正座させて説教を行う一般隊士がいるらしい。
最近は弟子達の前で声を荒げるのを控えようと心がけていたしのぶだが、説教の節々でどうしても感情が昂り声を出しそうになる。何度も何度もそれを我慢して冷静な自分を心掛けるが、これがなかなか難しい。しかしその努力をしているというだけ説教されている側は気持ちが楽というもの。
義勇は流石に地雷を踏んだことを自覚しているのか、大人しくしのぶの話をして聞き流していた。
なお、雪那とカナヲはそんなことよりも、初めて見る鬼(既に事切れている)を興味深そうに見つめている。
毒によって酷い死体となっているが、やはり人間とは異なるその姿。今後何度も見ることになるであろうこの異形の怪物に、表には出さなくとも様々な感情を秘めて2人は観察していた。
「全く……ここから先はしっかり仕事をこなして下さいよ、水柱さん」
「………」
「あれぇ?また私のお願いが聞こえませんでしたかぁ?」
「わ、分かった」
「よろしい」
そもそも、どうしてしのぶがここまで怒っているのか。それは別に弟子達が危険に晒されたから、という理由だけでは無い。
つい先程の鬼、一見簡単に始末したかのように見えて、実は相当ギリギリであったとしのぶは考えていた。
最初に鬼の接近に気がついたのはカナヲ。
その優れた視力で暗闇の中こちらに近づいて来る何かをカナヲが偶然見つけ、それをいつも鍛錬を一緒にしている雪那が察したことで初めて何か不審な動きがあるということが周囲に共有された。
カナヲが気付くまで雪那は気付かなかったし、雪那が気付くまで義勇としのぶは分からなかったった。
もしカナヲがそれを見過ごしてしまっていたら……悪ければこの中の何人かは影の中に引き摺り込まれて、良くても怪我は免れなかっただろう。
義勇としのぶがこの段階になるまでその存在に気付くことができないほどに優れた鬼。カナヲの不意打ちとしのぶの咄嗟の判断で事なきを得たが、そもそもあのカナヲの一撃は普通の鬼になら間一髪にでも避けられない完璧なものだった。
(事前に聞いていた情報より強かった……)
ただの有象無象ではない。
この山に人間の出入りは今やほとんどなく、情報を得てから短期間でここまで急激に進化したというのも考え難い。
だとすれば……
「とにかく、一度戻りましょう。恐らくこの山には他にも何かある、別で調査が必要です」
「ああ、同感だ」
「雪那、カナヲ。今から山を降りるから準備して……雪那?」
しのぶと義勇がこれから先のことを決めて今も鬼の観察をしていると思っていた2人の方を向くと、そちらも何やら奇妙な雰囲気になっていた。
両手を広げながら何かを迎え入れる様に曇った空を見つめる雪那と、そんな雪那の反応を待つ様に隣に控えるカナヲ。これまで見たこともない神聖な雰囲気を醸し出す雪那の視線は付近を飛び交う風や粉雪に導かれるようにして、徐々に空から山頂付近へと移っていく。思わず見惚れてしまう様な異様な光景を呆然と見つめていた義勇としのぶだったが、一瞬目を見開いたあと雪那がすぐさま隣のカナヲになにかの合図を出したことによって状況は一変する。
「雪那!?どうしたの!?雪那!!」
突然、雪那がこれまで出したことも無いような異様な力でしのぶの手を引っ張り山を降りようとする。山から降りるという点ではそのつもりだったので問題ないのだが、間違いなく雪那の様子がおかしい。隣のカナヲの様子を見ると周囲をキョロキョロと見回しており、再び何かを警戒しているようにも見える。
「胡蝶、何が起きている」
「い、いえ、私も何が何だか……」
「そうではない、この空のことだ」
「空……?」
義勇にそう言われて初めて気がつく。
元々雪那がこうして歩いて来たのだから、どんな季節であっても少量の雪が降っているのは仕方がない。
だが、この降雪の量は普通ではない。
先程までは大したものではなかったが今では降り積もるほどのレベルで降り始めており、この僅かな間で既に周辺が白く染まりつつある。
「ゆ、雪那!これは……!」
「カナヲ」
「………」
しのぶの静止も聞かず雪那は走り続ける。
そうして掴んだしのぶの手をカナヲに任せると、積もった雪に人差し指を当てながら雪那は目を閉じた。
雪の呼吸 参ノ型 雪の声(ゆきのこえ)
(参ノ型……?)
しのぶが知らないその型。
発動した瞬間、変化は違和感となって徐々に3人を包んでいく。
まず、段々と走っている自分達4人の足音が小さくなっていく。しかし周囲の野生動物の動き、川の流れ、木々のざわめき、それ等はむしろどんどんと明確になっていくのが分かるのだ。
そして、他の3人すら普段よりも感覚が鋭敏になっている今、張本人たる雪那の感覚は既に人の領域を超えていた。
雪と自分の意識を同調させ、降雪している空間の情報が虫の位置一つでさえもその脳に流れ込んでくる。あまりの情報量に脳がパンクしそうになるが、今ここでフラつけばしのぶに心配させることになるだろうとなんとか彼女は持ち堪える。
「みつけ、た……!」
遥か後方、山頂付近に存在する小さなボロ屋の辺りに3つの人影を見つけた。当然その雰囲気から特徴まで全く普通の人間ではなく、真ん中の1人は特に異様な雰囲気を発している。
「来た……!」
その人物の横に居た1人が猛スピードでこちらに駆け下りて来るのを感じる。こちらの居場所が正確にバレているわけではなさそうだが、その速度が尋常ではない。恐らくこの降雪の密度を見て追って来ているのだろう、向かってきている方角自体はドンピシャだ。
「んっ……こほっ、こほっ」
「雪那、どうかしたの……?」
「大丈、夫……」
一旦索敵の規模を狭め、降雪を自分達の走るルートから逸らしていくことに雪那は集中する。
しかし雪那が何をしているかはともかく、無理をしていることはバレてしまっていたようで、フラついてしまう前に雪那は義勇に抱き抱えられてしまった。
それを見てしのぶがまた頰を膨らませるが、今はそれどころではない。
「上弦の鬼か?」
「たぶん……3人、いる」
「3人!?上弦の鬼が!?」
「あと、1人、変なかんじした」
「……鬼舞辻か」
「なっ……」
鬼舞辻無惨、全ての元凶たるあれが表に出て来ることは滅多にない。
それこそこの数十年もの間、全く表に出てこなかった奴がもし雪那の言う通りこの周辺に居るとするならば、それは仮にも柱という立場の人間として、鬼によって身内を奪われた人間にとって恵まれた機だと言うほかない。
とは言え、今の戦力で接触を図るのはあまりにも無謀。
いくら柱が1人居るとは言え、奴の他に上弦の鬼が2人も居る状態で楽観的な想像ができるほど愚かな者はここには居ない。
カナヲとしのぶと義勇は全速力で山を降りるが、雪那の力によって背後から聞こえて来る敵の足音は、時間が経つ毎にどんどん早くなってくる。
「少しまずいですね。どうしますか、冨岡さん」
「走れ、どうにもならなければ俺が残る。なによりそいつ等を逃すことを優先しろ」
「それは当然です、私が求めているのは4人で逃げ切る算段です。当たり前のことを言わないでください」
「………」
この状況でも辛辣なしのぶのことはさておき、もし今上弦の鬼と当たればまず間違いなく義勇を犠牲にするしかない。
しのぶの毒が上弦の鬼に通じる可能性は限りなく低く、カナヲがいくら優秀であろうともまだ常中を勉強中の彼女が柱と上弦の鬼の戦闘に割り込むことは不可能に近い。雪那は全員で逃げ切る為に今様々な画策をしているが、そのせいで多量の体力を使用しており、今の体力で戦闘を行うのは絶望的だろう。
しかも今追って来ている者の他に同程度の鬼と鬼舞辻と思われる者が背後に控えているというのだ。戦闘を行うという選択肢は絶対にない。
「……冨岡さん。戦闘以外で使えそうな技は持っていませんか?」
「逃げるための術ということか?」
「ええ、例えば私はもう少しだけ逃げる速度を上げられます。これだけ障害物のある場所ですし、いくつか藤の毒を使った罠も仕掛けられます。ただその場合、こちらの逃げている方角が確実にバレますが」
「弟子の方は」
「カナヲは視力はいいですが、この状況で有効な術は持っていません。逃げ切るための体力と速度は十分にあります」
「こっちは……」
「雪那は今必死に頑張っているでしょう。恐らく敵の位置の探索をしながら気候に干渉しています。元々体力がそんなにある子でもありませんので心配ですが、冨岡さんが死んでも私が背負っていくので問題ありません」
「そうか……」
気候に干渉しているとか何を言っているんだこいつは?というのが冨岡の心の声であるが、いくらなんでもそれをわざわざ口に出すほど今は余裕はないということはわかっている。
「それで、冨岡さんは何かないんですか?」
「ない」
「えぇ……あなた仮にも柱でしょう」
「俺は柱じゃない」
「現実逃避をしている暇はないんですよ。なんでもいいので助けてください」
いくら義勇が自身が柱であることをまだ認められていないからとは言え、ここまで言われては彼とて思うところはある。
雪那の努力もあって正確なこちらの位置は隠せている。しかし引き離すこともできず、完全に逃げ切るにはあと一押が足りない。ならばその一押を考えればいい。
昔修行の最中にした鬼ごっこを義勇は思い出す。
あの時、かつての友人が自分の目から逃れる為によく使っていた手法があった筈だ。
「……胡蝶、逃げる方角を変えろ」
「は?何を言って……」
水の呼吸 伍ノ型 干天の慈雨(かんてんのじう)
「……は?」
義勇は何故か近くの木に向けて"干天の慈雨"を打ち込んだ。