世界樹の島を離れた《一番星号》はボク達を乗せ、小島一つ見えぬ大海原を何日もかけて北上していた。
時折出会う小さな嵐を乗り越えながら、至って順調過ぎる航海だったが、船長のシドミドさんは浮かぬ表情だった。
「何か、まずい事でも……」
キラキラと太陽に照らされて輝く波の様子を眺める彼の傍らで、ボクは彼にふと尋ねた。
「船が思い通りに進み過ぎなんだ。まるで世界の理がこの船を中心に回っている。そんな錯覚を覚えるくらいにな……」
「それって、いけない事なんですか……」
「いけないな……。世の中ってのはたくさんの理が重なりあって回るもの。どれか一つが破たんしても直ぐに代わりの理が有象無象を繋ぎとめる。限りある命しか持たぬ誰かが、たった一つの理を持って世界の真ん中に立ってるってのは、そのバランスが崩れた時、それにすがる者全てにとんでもない災厄をもたらすもんだ。こういう時は気を付けなきゃいかん。厄介事がこの船に押し寄せるか、あるいは……」
ボクの顔を見て彼は続けた。
「アンタ達の未来にとんでもない難関が待ち受けているのかもしれん。気をつけるんだぜ、勇者さん」
「はあ……」
待ち受けているのは世界の危機。一体どんな事になるか、見当もつかないスケールの大きさに不安になりながらも、ボク達は進む。
小さな異変が起きたのはそれから数日後の事だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
マストの上の見張りが、激しく銅鑼を叩く。飛び起きるや否や、ボク達は慌てて甲板に走り出した。
舳先近くに集まる水夫たちの中にシドミドさんの姿を見つけ、ボク達は尋ねた。
「何かあったんですか」
「あれだよ……」
指差したその先の海面が大きく泡立ち、巨大な影が黒く浮かび上がる。島影一つ見えぬ大海原のど真ん中でまるで巨大な岩礁らしき物体が忽然とあらわれた。
「番人様のお出ましのようだな」
思わずボクは息をのんだ。
東の海の守護者《キングクラーゴン》。かつて、ボクはその魔物と対峙し、海に引きずり込まれ危うく死にかけた。
水夫たちの誰もが緊張の色を浮かべている。
「どうやら、久しぶりにデカイ一戦になりそうだ」
《破壊の鉄球》を手にしてドラッケンが舳先に立つ。ボクも《稲妻の剣》を引き抜いてその傍らに立った。
今度は負けるわけにはいかない。ボク達の旅には世界の命運がかかっているのだ。幾人かの水夫達が倉庫に走り、武器を持ち出している。
《キングクラーゴン》はついに海面から姿を現していた。《一番星号》と同じくらいの大きさの迫力ある巨体を目の当たりにして、甲板の上に緊張が張りつめる。
「待ちや、皆の者!」
不意に伸びのあるアルトが、ボク達の戦意を遮った。
虹色に輝く羽衣に身を包み、紅蓮の髪を棚引かせるチビッ娘魔王が海中を指さした。
「主ら、本当にバトルが好きじゃな、よう、周りを見てみよ!」
彼女の指し示した先には、シドミドさんの支配下にあるシーサーペント達がいつもと変わらぬ様子で泳いでいる。
「ユーノ、ドラ王、武器を収めよ。他の者達もじゃ。偉大なる精霊の御使いに対して、無礼を働いてはならんぞ!」
小さな身体で舳先に立った彼女は、穏やかな表情のまま番人に目を向ける。船のスピードが徐々に緩まり、海面で待ちうける番人との距離が縮んでいった。
「お、おい。回りを見てみろよ!」
水夫の一人が驚きの声を上げる。シーサーペント達がぐるぐると回る《一番星号》の周囲の海面が無数に泡立ち、時折触手をのぞかせていた。見たこともない数の巨大なイカの群れが船の周囲に現れた。これほどの数のものに一斉に襲いかかられれば、如何に大型帆船とはいえ、ひとたまりもない。誰もが顔を青ざめさせる中、ゾーニャが一人、舳先の先端に立って、巨岩のごとく立ちはだかる番人に呼びかけた。
「偉大なる精霊の御使いよ。我らは世界の危機を救うべく精霊の導きを欲する者。なにとぞ我らの願いを叶え、精霊の元へと導きたまえ……」
朗々と謳うように彼女は述べた。番人に向かって両手を差しのべるその姿は、まるで物語の中に出てくる気高い巫女のように見える。
不意に、海面から一本の触手が伸び、彼女の手に触れた。続いてそれはドラッケンを、そして最後にボクの手を探る様に触れる。その瞬間《道具袋》から光が生まれ、水平線の彼方に向かって真っ直ぐに伸びた。その輝きを確かめるかのように触手が海中へと戻っていく。
光を生み出していたのは、オーブだった。
取り出された五つのオーブは、ボク達の手の中でさらに輝きを増し、光の道を生み出す。船の周囲を泳いでいた無数の《大王イカ》達が生み出された光のラインを挟むように二列に並んだ。巨大イカ達が、海中で身体を輝かせることで、海の中に光の道が現れた。
《キングクラーゴン》が光の道に従って泳ぎ始める。《一番星号》が直ぐその後に続いた。
まるでボク達を歓迎するかのような海の守護者たちの導きの元、ボク達はついに小さな祠が祭られた小島の姿を目にしたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小島に辿りついたボク達は、小舟で上陸した。
《キングクラーゴン》はまるでボク達を見守るかのように少し離れた場所で、海面から身を顕している。
ふと以前に出会った時の事を思い出す。
あの時、海に引き込まれていなかったなら、ドラッケンやゾーニャ達と仲間にはなっていなかっただろう。ボク達の出会いは、もしかしたら何者かに仕組まれていたのかもしれない。ふと、そんな考えに囚われた。
「どうかしたのかや、主よ?」
左腕に抱えたゾーニャが、ボクの顔を覗き込む。
「いや、なんでもないよ。ちょっとだけね……」
過去を振り返るのをやめ、ボクは仲間達とともに先に進む。巨岩が無造作に積み重ねられただけの原始的な建築物の正面に小さな入り口を見つけた。
中から漏れだす聖なる気配にコシドーが慌てて飛び離れた。パタパタと宙を飛び、近くの木の枝にとまる。
「オイラ、ここで待ってるよ!」
三人で顔を見合わせ、小さく頷くと、ボク達は入口から中へと入っていった。
魔法の明かりに照らされた階段は、下へ下へと延びて行く。
まるで地の底にでも辿りつくのでは、と思わせる階段を降り切った先には、静謐な空気に満ちた神殿があった。
ボク達の到着に合わせるかのように幾つもの炎が宙に浮かびあがり、神殿内を明るく照らし出す。広々とした室内には、幾つかの台座があった。
「おい、ユーノ、見てみろ、あれ!」
ドラッケンが指さした台座の上に、黄色い輝きがある。
「《イエローオーブ》かや?」
入口近くにあるもっとも手前の台座に置かれたオーブの元にボク達は歩み寄る。台座の上のそれにゾーニャが手を伸ばしたが、オーブに触れる事は出来ず、幻影のようにすり抜けた。
不意に神殿の奥にある祭壇に強い輝きが生まれた。輝きの中に、見覚えのある女性のシルエットが浮かぶ。
『よくぞ、参られた。運命の子らよ!』
厳かな声が、神殿内に響き渡る。
「精霊ルビス様……でいらっしゃいますか?」
ゾーニャを下ろし、眩しさに目を細めながらのボクの問いに、声は答えた。
『運命の子らよ。手にしたオーブを祭壇にささげるがよい。今こそ、二つの世界を結ぶ『聖なる翼』の復活の時!』
厳かに声は告げる。まるで、ボクの問いかけなど聞いてはいないようだった。
顔を見合わせたボク達は、声に従いオーブを一つ一つ台座に捧げて行く。
最後のオーブを台座に納めた瞬間、台座がそれぞれのオーブの色に輝き始めた。唖然とするボク達を尻目にオーブ達は共鳴し、さらに眩しく輝いた。強い輝きに目を閉じたボク達が再び目を開く。オーブに目をやったボク達は、あっと驚きの声を上げた。
しっかりと台座に嵌めこまれたオーブの上に、ふわりともう一つのオーブが浮かんでいる。
元のものと寸分違わぬ色つやと大きさのそれらの出現に、ボク達は顔を見合わせた。声は告げる。
『道は開かれた! 運命の子らよ、新たなオーブを手に《光の世界》へ! 対となる台座を探しあて、オーブをそこに……』
「ちょっと、待てよ! 一体どういうことか説明ぐらいしたらどうだ、ルビス!」
ドラッケンが祭壇の輝きに向かって怒鳴った。だが、返答はない。
「おい、聞こえてんのか。勝手に世界の危機とやらをこっちに押しつけやがって……。精霊だがなんだか知らんが、オレ達はお前のパシリになった覚えはないぞ!」
「やめんか、ドラ王。無駄じゃ……」
「なんだと!」
八つ当たり気味のドラッケンにゾーニャは溜息をつく。
「あれは伝書鳩のようなものじゃ。あそこに精霊の存在は感じられん。鳩に向かって文句を言ったところで間抜けなだけじゃぞ」
「お前達はそれでいいのかよ?」
「よいも悪いもないじゃろう。世界……などというバカでかい存在の前には、いかに我らの力を以てしてもそれは無きに等しい。そして、世界の一部でしかない我らの運命は、精霊によって予め定められておる」
「何バカなこと言ってやがる! オレの運命はオレの意思によって決定された行動のみに支配されるんだ! 精霊なんてあったこともないものに勝手に決められてたまるかよ!」
「主、相変わらず強情じゃのう……」
「や、やめろよ、二人とも、こんなところで喧嘩なんて……」
睨み合う二人の間にボクは割り込んだ。
「主よ、この阿呆に一言、言ってくりゃれ!」
「ユーノ、お前はどう思ってんだ。お前だって困ってるんだろ。ダチと殺し合うようなマネまでして、世界の危機なんて訳の分からんもの押しつけられて……。いい加減、納得のいく説明が欲しいと思わねえのかよ!」
「それは……」
二人に詰め寄られボクは押し黙る。ドラッケンの言うとおりだった。
がむしゃらに前に進むと言えば聞こえがいいが、実のところ、運命と理不尽に押し流されっぱなしの毎日ともいえた。いい加減そんな自分の運命に立ち向かい、自分の意思で流れを変えることこそが、勇者というものだろう。
――けれど、今は、そんな時ではない。
ボクの勘はそう告げていた。何かを正しく判断する為のパズルの欠片は余りにも少なすぎた。タイミングを間違えての空回りは、滑稽でしかない。
「ボクだって真実って奴があるのなら、一刻も早く知りたいさ。でも、それは誰かに与えられたり教えられたりして、はいそうですかって納得できる類いのものじゃないと思う。ボク自身が目で見て、耳で聞いて、肌で感じとって、納得できたものだけがボクの求める物だと思うんだ。今はとにかく示された道の中で、世界に転がっている真実の断片を拾って歩くしかないよ」
「誘導されてるのかもしれないぜ。精霊様とやらに都合よくな……」
ドラッケンの言葉に息をのむ。お人好しのボクには考えもつかぬことだが、王様という立場にある彼らにとって、そのような疑念は当たり前の事なのだろう。しばしの沈黙の後、ぼくはぽつりと言った。
「そのために、キミ達がいるんだろ。頼りないボクに違う視点からの忠告をしてくれて、一緒に考えてくれるキミ達が……」
その言葉に二人が目を丸くする。やがて、苦笑いした。
「お前、普段は抜けてるのに、時々、とんでもない事をさらりと言うよな……」
「全くじゃ、主、どうやら人誑しの素質があるのう」
「ええっ!なんだよ、それ?」
すっかり戦意を無くした二人は、ボクの傍らから離れていく。ドラッケンが宙に浮いていたオーブの一つを手に取りボクに放り投げた。奇しくもそれはあの時と同じ《レッドオーブ》だった。
「仕方ねえ、つき合ってやるよ。《光の世界》とやらで、今度こそ精霊のやつをとっちめてやる」
ゾーニャがボクの袖を引く。その手には《グリーンオーブ》があった。
「主、かよわい妾をしっかりと守るのじゃぞ。正義の勇者なのじゃろう?」
魔王を守る正義の勇者。矛盾だらけのボクの現実を見て、御先祖様達は、一体なんというのだろうか?
《ブルーオーブ》、《パープルオーブ》、《シルバーオーブ》を回収し、最後に《イエローオーブ》を取り上げた。
不意に声が響いた。
『運命の子らよ。汝らとの邂逅の時を、私は一刻も早く望みます。その旅路に幸運の導きがある事を……』
言葉と共に神殿内の炎が一斉に消え、暗闇の中に元のオーブが嵌めこまれた六色の台座がぼんやりと浮かぶ。
一度だけ振り返ってその光景を目に焼き付けたボクは、頼もしい仲間達と共に、元きた階段を上り始めた。新たに手にした六つのオーブと共に……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
既に日は暮れつつあった。真っ赤な夕焼けが映える空の色が、辺りの空気を同色に染め上げる。
「おお、やっと戻ってきたか、待ってたぜ!」
シドミドさんと水夫たちがボク達を出迎える。神殿内で過ごした時間はほんの僅かに思えたのだが、昼前から夕方に時間を飛び越したようだった。
「シドミド、よく上陸できたな……」
《キングクラーゴン》と大王イカの群れにすっかりビビって船に残っていた者達も、今や皆、上陸している。番人達は彼らを咎めるつもりはないようだ。
「そりゃ、若、あんな珍しいものを目にしたら、誰だって好奇心には叶いませんぜ……」
シドミドさんがボク達の頭上を指さした。何気なく振り返ったボク達は、そこにあったものの姿を見てアッと声を上げた。
「あれは伝説の不死鳥ラーミア……。そうか、オーブによって復活する『聖なる翼』とは不死鳥ラーミアの事じゃったか……」
ゾーニャがぽつりと呟いた。
神々しい輝きを放つ巨鳥が、祠の上に停まっている。まるでボク達に挨拶するかのように甲高い鳴き声を上げ、翼を広げた。大気が大きく震え、ボク達は思わず後ずさる。
翼を大きく羽ばたかせたラーミアは一旦宙に舞い上がり、再びボク達の立つ地面に舞い降りた。地に伏したその姿はまるでボク達に「この背に乗れ」とでも言いたげであった。
「行かれなさるんで、皆さん?」
シドミドさんの問いにボクは一つ首肯した。真っ黒に日に焼けたいかつい海の男がにかりと笑った。
「じゃあ、俺達の役目はどうやらここまでのようだ。最後まで付き合えねえのは心残りだが、世界の危機とやらは、アンタ達にお任せするしかないらしい。代わりと言っちゃなんだが、アンタ達の事は俺が責任を持って、それぞれの故郷に報告しといてやるよ」
彼らと別れの握手を交わしたボク達は、ラーミアの背に乗る。
再び甲高く鳴いたラーミアがボク達を背に、大きく羽ばたき始めた。
ドラッケン、ゾーニャ、コシドー、そしてボクを背にのせ、ラーミアは大地を離れていく。
精霊の小島は瞬く間に点になり、広い海の彼方に、なつかしい広大な大地の姿が浮かび上がる。
《ロンダルキア》、《アレフガルド》、《ローレシア》。そして旅で訪れた幾つもの街。今、ボクは懐かしい思い出が幾つも詰まるその場所を離れようとしていた。
「主、帰りたいんかや?」
ボクの傍らに身を置くゾーニャが問う。ボクは小さく首を横に振った。
「大丈夫、ちょっと遠くに行くだけの事さ。今までと同じだよ。世界の危機を救ってボク達は又、この場所に帰ってくる。だからそれまで、ほんの少しだけのお別れさ……」
はるか彼方の《ローレシア》の大地を目にしながらボクは呟いた。ゾーニャの小さな手がボクの手にそっと重ねられる。彼女は彼女の愛する故郷《ロンダルキア》の大地に目をやっているのだろう。ボク達の前にデンと座り込んでいるドラッケンの顔は遥か《アレフガルド》の方角に向いている。
――行ってきます。そして、必ず……。
ボク達を乗せたラーミアは、力強く羽ばたき、天へと昇っていく。風がうなり、大気が震える音を耳にしながら、やがてボク達の視界に光と影と様々な色が複雑に入り混じる光景が飛び込んできた。
光の世界――。
精霊ルビス様がそう呼んだ新たな世界へ、今、ボク達は羽ばたこうとしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その夜――。
世界中の至る所で、一直線に天に昇っていく眩しい輝きが目撃されたという。
大海を航る船の上で――。
建築中の新たなロンダルキア城の中庭で――。
水と緑豊かなテパの地で――。
地響きを立てて竜達が疾駆するアレフガルドの広大な大地の上で――。
草原に野宿するキャラバンのキャンプの中で――。
そして、のどかな静けさに包まれたとある靴屋の店先で――。
天を仰ぎ、その輝きを目にした者は皆、少しだけ頼りない少年とその仲間達の面影を思い浮かべながら、小さな希望を胸にしたという。
2014/06/15 初稿