「さて、エレノア。まずはシノという女に覚えはないか?」
武偵校学生寮、女性棟。エレノアと美夜の自室は過去に類を見ない密度だった。
鈴那に六花も加わって、四人がテーブルを囲んでいる。
まず鈴那が問うのは、少女が語った名前についてだ。エレノアは暫し首をかしげて悩んでいたが、覚えがない。
「知らない」
「孤児院での知り合いは?」
「……もう覚えてないわ」
少なくとも、エレノア直系の知り合いではないのか。鈴那は追及を止めた。
「──そもそも、どういうヤツだったの? 私は現場を見てないし」
エレノアはコップに注いだ麦茶を一口含む。空気が重かった。笑いなど起きそうにない、胃が痛くなりそうな空気だ。現場に出る前のブリーフィングに近い。
鈴那は見たことをそのまま語る。見た目は少女であること、怪力であること。そして──
「ヤツは平然と人を殺した。武偵ではない」
──殺人者であること。
「現場に落ちていたものを拝借した。十字架じゃ」
「……銀の十字架か?」
美夜はテーブルに置かれた十字架を手に取る。シンプルな十字架でしかない。アクセサリー関係のようなデザイン性は皆無だが、ラテン語の刻印が彫られている。
「それは法化銀で皮膜処理した──言うなれば『悪魔払いの十字架』じゃな」
「悪魔払いって、冗談でしょ? S研でもなきゃ分からないわ、こんなの」
現実離れした話。六花は頭を抱えた。自分の知識にも限界があった。
S研──SSRと六花のCVRことC研は特殊捜査という面においては近いものがある。加えて六花は二年次。S研の知り合いには奇跡的にも一人だけ、当てがあった。
「──星伽さんに連絡してみる? もしかしたら、教えてくれるかも」
六花が挙げた名は武偵校でも屈指の実力者、星伽白雪。大和撫子の振る舞いから男子生徒の人気が高く、六花も彼女とよく話をしていた。
何も分からないよりは良い。エレノアたちは満場一致で六花の案に乗った。
スマートフォンをハンズフリーに。星伽白雪を呼ぶ音が部屋中に響き渡る。
『もしもし?』
対応はかなり早かった。ハッキリとした声音で応対している。
「星伽さん? ごめんね、急に。ちょっと訊きたいことがあって……」
『南野さん? どうかしたの……? 答えられることなら、任せて』
噂通りの優しい人物のようだった。対応に刺がない。
六花は十字架を取り上げて、眺めながら白雪に訊ねた。
「今日、後輩が法化銀皮膜処理っていうのを施された十字架を拾ったの。持ち主はもう一人の後輩──エレノア・ボンドを捜してる。法化銀の十字架と、その意味って分かる?」
問いから少しだけ間が空いた。白雪も迷ったのだろうか、少しして返答があった。
『その十字架、何か刻まれていませんか』
「ラテン語が刻まれてる」
『……今からする話は、そちらに居られる方たちの中だけでお願いします』
白雪は重々しく語り出す。
『それは、吸血鬼狩りの十字架です。そして恐らく、その持ち主も吸血鬼です』
「吸血鬼……?」
そんなバカな。エレノアが面食らってしまった。
『厳密には吸血鬼と人間のハーフです。純血の吸血鬼ほどの力は無いけれど、その大半が代わりに日射しに耐性を持つとか。力は無いと言っても、人間では相手にならない程度の力はあります』
少し待って欲しい。エレノアが項垂れつつ、その場の面子を手で制した。
吸血鬼? 人間では相手にならない? そんな化物がなぜ自分を捜しているのか。それがさっぱり分からない。
『特にその十字架は多分、吸血鬼狩りの“教会”の物の筈。南野さん、誰かに心当たりは無い?』
白雪に問われ、六花が周囲を見渡す。当然だが、全員に覚えがない。それぞれがそれぞれの反応で首を横に振るだけだ。
「心当たりは無いって」
『そうですか……。だとするなら、教会は無用な敵対行動はしないはずだよ。彼らの任務はあくまでも、吸血鬼を狩ること。人間狩りではないって話だから』
白雪いわく、敵対はしていない。ならばなぜ、エレノアを捜すのか。エレノアを釣り上げるなら、鈴那を使う手はいくらでもあった。
先刻の現場ではあっさり彼女を組み敷いていたし、人質にしても、殺して無理矢理エレノアを引きずり出す方法もあったはずだ。
それをしなかったということは、白雪の言う通り敵対する気はないのかもしれない。エレノアを探す理由は、やはり分からないままなのだが。
『でも、“教会”が捜してるということなら気を付けて。吸血鬼の類いも周囲を彷徨いている筈だから』
「……なんだってそんな」
急激に現実離れしていく内容に、エレノアは頭を抱える。
吸血鬼のハーフに捜索されているらしい、という話だけでも満腹なのに、純血の吸血鬼まで周りを徘徊している可能性があるなんて、自身の父親の正体以上にショッキングかもしれない。
しかし、所詮はまだ姿の見えないモノだ。エレノアたちのやることはあまり変わらない。危ないものには頭を突っ込むな──危険な世界で生き抜くための基本だ。
結局話はそれ以上膨らまず、解散。ただし、全員周囲に気を付けるよう決めた。
話も終わり、美夜と二人でエレノアもやっと休息というところで、エレノアのスマートフォンに一通のメールが届いた。
『明日、見せたいものがあるので、放課後に装備科まで来るように』
装備科の人間が送ってきたメッセージのようだった。今はやることもない。呼んでいるなら、出向いた方が暇も潰れるだろう。
メッセージを眺めていると、美夜が横から画面を覗き込んできた。
「なんや、楽しそうやん。ついていっていい?」
「美夜……。人のスマホを見ないでよ」
「あ、わりぃわりぃ。気になっちゃって」
咎めはしたが、別に隠すことでもない。美夜が暇なら、一緒に連れていってもいいだろう。
「まぁ、多分大丈夫じゃない? 明日の放課後、装備科で待ち合わせね」
「おっけー。──っと、夕飯にするか! ちぃと手伝ってー」
時計を見て、夕食の支度を始めた美夜。エレノアはその後について、キッチンに足を踏み入れた。
次の日、放課後。
装備科棟は地下にあるため、車で乗り入れることは出来ない。手近の駐車場に停め、美夜と合流する。
「ごめん、待たせたね」
「いや、ウチも今来たばっか。何を見せてくれんだろうなぁ」
他愛の無い世間話を交えつつ、エレノアと美夜は装備科棟へと足を踏み入れる。
試作武器の並ぶ通路を抜け、目的地を探す。スマートフォンには『大型倉庫』と目的地の指示が来ていた。
大型倉庫──つまり、小さな武器を見せるわけでもないらしい。迷路のような装備科棟を練り歩き、ようやく二人は巨大な鉄扉の前に辿り着いた。
プレートには『2番大型倉庫』──他にもあるのだろうが、人の気配はここからしている。ノブを捻り、重たい扉を押し開けると、そこには地下とは思えない広大な空間が広がっていた。
大型火器、装甲車輌なども生徒達が調整しているようだ。
「あー! やっと来たのだ!」
エレノアたちの存在を確認して、一人の少女が声を上げる。
「平賀先輩? あれ、でもメッセージは平賀先輩っぽくなかったような……」
エレノアたちに声を掛けたのは平賀文。高度な銃器カスタマイズを得意とするが、ずさんで割高。
文は「何を当たり前な」と言いたげに言葉を返す。
「そりゃあ、メッセージを送ったのはあややじゃないからなのだ。今担当と代わるから、ちょっと待っててほしいのだ」
とてとてと可愛らしく走り去っていく文。美夜と顔を見合わせつつ待つと、すぐに別な女子生徒が現れた。
「やぁ、ボンド。待ってたよ」
「あなたが私を?」
「その通り。目的地はもうちょっと奥だから、話ながら行こう。お連れさんもどうぞ」
美夜にも手招きすると、生徒は歩き出す。エレノアたちは後に続いた。
「君の噂を聞いてヴァンテージを改造したけど、実は装備科内で『Q』を作ろうって話が上がってね。主に生徒全般へのガジェットを提供する部門──」
生徒は置かれていた装備を避けてから、続ける。
「──っていうのは表向き。私のことも、そのままQでいい。私たちは、君の活躍をもっと見たい。そして協議の結果『エレノア・ボンドにも唯一無二が必要だ』という事になったんだ」
Qと呼べ、と語った生徒は途中で再び文と合流し、壁際の何もない空間の前で足を止めた。
「何が見える?」
「壁が見えます」
ふむ。エレノアの回答に、Qは腕を組んで声を漏らす。
「今目の前にあるのが、我々『Q』の最初のプロジェクトで、かつ最大のプロジェクトだよ。一年にここまでするなんて、本来は有り得ない」
「悪い冗談では?」
「映画のQと同じさ。嘘はつかないと決めてる。さあ、見てくれ──」
Qが手元のスマートキーらしき端末を操作すると、音もなく目の前に車が現れた。ダークグリーンの車体に、複雑なメッシュ形状の大径ホイール。
大きな車体だが、流麗で厳ついボディスタイルだ。バッジはスカラベ──アストンマーティンの証だ。
丸目のLEDヘッドライトは巨大なフロントグリルの内側に配置され、アストンマーティンらしくないバッドフェイスを演出している。
「──アストンマーティン、ヴィクター。公道仕様車としてはただこの一台のみで、エンジンは過吸器無しで840馬力。マニュアル6速ミッションで、最高時速は320km/hオーバー」
ヴィクターと呼ばれた車は、スマートキーの操作で獰猛な唸り声を上げる。
「マシンのボディには超小型カメラを全面に配置し、反対側を投影することで視覚的には透明に見える」
Qは再びスマートキーを操作する。車が消え、エンジン音のみが響き渡っている。
再び操作を加えると、車は現れた。少々ラグがあるが、車を隠せるのは大変な強みだろう。だが、Qは車を渡すにはまだ早いとエレノアへ釘を刺した。
「ヴィクターはまだ開発途中でね。ここから武器の搭載内容や位置を考えるんだ。テクニックも必要だ。この車は君のだが、まだ掛かる」
それまでヴァンテージで腕を磨くように。Qはそう語ると、エレノアたちを出口へ送る。
倉庫を出る直前、Qはエレノアを呼び止めた。
「これを」
エレノアに渡されたのは、ノキアの携帯電話だった。スマートフォンの時代には些か時代遅れのモデルだ。
「……専用回線ですか?」
エレノアの問いに、Qは頷いた。
「それから、その端末はかなりシビれる。意味分かる?」
「なんとなく」
スイッチを操作すると、端末下部から金属が現れた。電極のようだが、放電はしていない。
「今良く分かりました。ありがとうございます」
「それじゃ、気を付けて」
Qの見送りに、エレノアと美夜は頭を下げつつ装備科を後にする。
美夜は終始黙っていたが、驚きのあまり声がでなかったようだ。『目の前で繰り広げられたやり取りはまるで映画のようで、それが実在しているのが信じられない』──彼女は装備科から出るとそう語って、エレノアの車に静かに乗り込んだ。
エレノアは装備科入口を振り返る。
アストンマーティンヴィクター。あのスペシャルマシンのステアリングを、いつか握る日が来るのか。父の背中を追わなくても、やはり何処かで追わずにいられない。
エレノアは複雑な心境を覚えながら、美夜に続いて愛車のヴァンテージに乗り込んだ。