ある日。エレノアは単位が足りないことに気付き、緊急的に依頼を引き受けた。
内容は預かった品を、時間内に届けること。今までの仕事がキナ臭すぎた為に彼女も身構えたが、何の事はない。今流行りのオンライン宅配のようなもの。自家用車の使用も認められていたから、エレノアには都合が良かった。
依頼主から預かっていた注文の品を、無事に配達先へ届けたエレノア。依頼完了の報告を依頼主と教務科に行って、彼女は自販機で飲み物を買おうと車から一旦離れた。
「どうしようかな……」
目の前の自販機を眺めて、エレノアは少々悩む。依頼の報酬で自販機の飲料くらいなら余裕を持って買えるが、彼女には特別好きな飲み物があるわけでもない。逆に嫌いな物があるわけでもない。
その時々で買うものを決めているが、今日に限って少々悩み気味だ。
「お困りですか?」
ふと、鈴の鳴るような声がエレノアに訊ねた。
いつから居たのだろうか。気付けばさらりとした長い白髪が特徴的な少女が横にいた。気配など感じなかった。
物憂げに自販機を眺めてから、少女はエレノアへ微笑みかける。気まぐれな風が、少女の髪を靡かせる。綺麗な毛髪は夕暮れの陽を受けて輝く。
「……いえ。少しばかり悩んでいただけです」
「そうですか」
少女が立ち去る様子はない。しかし、飲み物を買う素振りもない。まるで
気味が悪い。エレノアはそう思った。飲み物は後にして、場を立ち去ろうと自販機に背を向けようとした時だった。
風が、少女のスカートを少々乱暴にはためかせた。見えたのは、ホルスターに収まったクロームメッキの拳銃。
エレノアは察した。そこにいるのは“シノ”だ、と。だが、格闘術に長ける鈴那さえ手も足も出なかった相手に掴みかかったところで、意味がないのは火を見るより明らかだ。
少女は幸いにもエレノアが察したことには気付いていないようだった。ならば、素直に撤退すべきだ。彼女の下した判断は至極単純だった。
「失礼」
エレノアは少女へ軽い声かけをして、車へ向かった。
「エレノア・ボンド……。捜しました」
少女は気付かれていた事を理解していたようだ。エレノアの背後で急激に殺気が膨れ上がる。
刹那の反応で、エレノアは拳銃をホルスターから引き抜いて振り返る。正面には、クロームメッキの自動拳銃を構えた少女がいた。
「君がシノね」
「伝言は伝わっていたようで、何よりです。ミズ・ボンド」
「気を付けなくても、私は既婚者じゃない」
会話の合間にも、エレノアは少女の武装から脅威査定を繰り返す。武器は、鈴那の話したクロームメッキのデザートイーグルではない。
M1911ガバメント系のカスタムモデルのようだった。マッチタイプの、ウェイトを兼用したコンペンセイター。マガジンバンパーと拡げられたマグウェルから本気の度合いが伝わってくる。もっとも、それがスポーツやマッチシューティングに使われているとは思えなかったが。
「それより、どうして私を捜してるの?」
照準器越しに、エレノアはシノを睨み付けて問う。
「私も、ジェームズ──ミスターボンドには助けられました。私の素性も訊かずに、重傷を負っていた私を助けてくれたんです」
そう語るシノから感じ取れるのは心酔。エレノアからすれば、知ったことではない話だ。そんなことで、面倒ごとを持ち込まれても困る。
「父と私は関係無いわ。あの人だってそう言っていた」
「けれど、背中は追っている。違いますか?」
エレノアが言葉を呑み込んだ。図星を突かれた。確かに父親とは別の道で生きると決めはしたが、何処かで彼女は父の背中を追おうとしている。
矛盾を突かれ、メンタルに余裕を失ったエレノアの動きに固さが生まれる。
「貴女を守るために、私は来たんです。教会ではなく、一人の人間として」
「人間? 半分吸血鬼なんでしょう?」
「貴女はそう仰るのですね」
「私はジェームズ・ボンドじゃないと言ったわよね」
エレノアの返答に、シノが嘆かわしげにため息をつく。
「はぁ……。流石に信用に値しませんか」
「人殺しに頼む事もないからね。仲間が目撃してる」
「鈴那様ですね。……確かに、武偵に見られてはいけないところでした」
自らの失態を嘆くように、シノは首を左右に振る。
ただあくまでも、狼狽するような様子は無い。銃口もエレノアへ向いたままだ。
シノの目的がわからない。助けられたから、恩返しをしたいだけ? それすらも今は信用に値しない。
「信用が欲しいなら、態度で示して」
エレノアが導いた答えが最も単純で、それでいて確実な答えだった。何かを企むなら、いつかはボロが出る。誤魔化せない部分が露呈する。
話を聞いたシノは構えていた拳銃をくるりと一回転させると、ホルスターへと滑り込ませた。
「分かりました。では、また今度お会いしましょう。ミス・ボンド」
銃を向けられたまま、シノは悠々と歩き去っていく。エレノアは後を追うことはせずに、シノの姿が見えなくなるまで銃を向け続けていた。
エレノアとシノが邂逅し、それから数日後。
一般教科を受けるためにエレノアは教室にいた。勿論美夜も一緒で、予鈴にはまだまだ時間がある。他のクラスメートも世間話に花を咲かせているが、その一部はいつもより一つ多い机と椅子にその話題を向けていた。
エレノアたちも例外には漏れなかった。
「転校生か?」
美夜が頬杖をついて増えた机に目を向ける。
「そうらしいぜ。ウワサだと、結構美人だってよ」
クラスメートの火野ライカが会話に加わる。金色の髪をなびかせて、彼女は得意気に語った。
「だから男子たち、あんなに騒いでるのね」
エレノアも周囲を見渡していたが、特にそわそわした様子を見せるのは男子生徒だった。恐らく、手続きで既に登校していた転校生を、誰かが発見して噂を立てたのだろう。
また命知らずが転校してくる。少なくとも、エレノアのクラスはその話題で持ちきりだった。
そして予鈴が鳴る。
男子生徒たちは浮き足立つようにしつつも、自分の席へと戻ったようだ。エレノアも席につき、正面の黒板をぼんやりと眺める。
担任教師が入ってきて、いつも通りのホームルームが始まる。その途中だった。『転校生の紹介をする』と語って、教師は廊下で待っているらしい転校生へ語り掛けた。
ドアが開き、入ってきた生徒を見てエレノアは手持ち無沙汰に回していたシャープペンシルを危うく落としそうになった。
細やかな長い白髪、淋しげな瞳。儚げな雰囲気を纏った転校生は黒板に細やかな筆跡で名前を記して、姿勢正しく礼をする。
「櫻羽詩乃と申します。どうぞ皆様、宜しくお願い致します」
頭を上げた転校生──詩乃はその視線を、目を丸くするエレノアへ向けた。
直ぐ様に頭を抱えるエレノア。確かに『態度で示せ』とシノに話はしたが、まさか武偵校にまで来るとは思っていなかった。
男子生徒からの質問責めに笑顔で答えるシノ改め、詩乃を眺めてエレノアはひどい頭痛すら覚えた。
鈴那が知ったら大変な事になる。今日は朝から情報科に籠っているようだが、時間の問題だろう。
『信用が欲しければ態度で示せ』とは言ったが、違う。そうじゃない。エレノアの心の叫びは、当然誰にも届く事はない。
その後はすぐに授業で詩乃からの接触は無かったが、昼休みになると彼女はさも当たり前のようにエレノアの傍らにいた。
“シノ”という名前から、当然美夜も警戒している。
「お前がシノか……」
屋上へ向かう前に、既に戦闘の前触れが訪れていた。
殺気をはらませる美夜を見ても、詩乃は全く意に介さない。
「貴女が私を殺したいほど警戒しているのも、存じ上げています。ですが、私はエレノア様方の友人になれたら──と思って此処に居るのです」
「ふざけるなよ、人殺しが。エリーをなんで狙う?」
「恩人の娘だからです」
けろりとして語る詩乃。美夜は余計に喧嘩腰になっていく。エレノアはまず美夜を制し、それから詩乃に訊ねた。
「その名前は? 偽名?」
「いいえ、本名です。エレノア様方に、私は嘘を吐きません」
「恩人なのは父でしょう? どうして私に入れ込むの?」
「……何故でしょう。ですが、ジェームズ様に言われたのです。『娘がいる』と。養子の他に、実子が居られると」
どこか要領を得ない詩乃の返答。信用が無いなら、無いなりにゼロから築こうとしているのは本当のようだが、エレノアの周囲があまりにも彼女を警戒している。
「……君がどうしたいのか私には分からない。だから好きにして。もし本当に敵意がないのなら──その時に決める」
「おい、正気か!? エリー!? コイツ、人殺しとるんやぞ!?」
「私がデザートイーグルで撃った相手は、吸血鬼ですよ。美夜様」
「……なんやと?」
場が静まり返る。
詩乃が語るに、デザートイーグルは“教会”から持ち出した武器で銃も弾丸も法化銀皮膜処理を施されたカスタムメイドの対吸血鬼武器。
鈴那が巻き込まれた暴力団の抗争に、数体の半吸血鬼が紛れていたという。詩乃と同じ『デイウォーカー』で、太陽の影響は受けない。だが、“教会”は危険と判断し、詩乃へ抹殺の指示を下した。彼女はそれに従った。
詩乃の言い分はそれだけだ。信用されないなら、エレノアの言う通り、好きにするようだ。彼女は出会うエレノアの友人一人一人に説明するのも辞さない様子で、ただただエレノアに付き従う。
「調子狂うわ……」
屋上に上がってから、美夜は苛立たしげにそう呟いた。鈴那の報告以上に、それらしくない少女櫻羽詩乃。
彼女が何を考えているのか、さっぱり分からないまま昼休みは過ぎていく。
ミステリアスに現れた少女は、優しげな笑みを浮かべてエレノアたちを見つめていた。何を言うでもなく、ただ、じぃっと見つめていた。
詩乃のモデル、実はとある薄い本からインスピレーションを受けています。
次話で武偵になった彼女を少し掘り下げる予定です。