朝はどんな時もやって来るものだ。
例え身体が痛んで、学校を休みたくても関係なし。
「ダルい……」
エレノアは痛む身体に、寝起きの低い血圧から来る倦怠感を引き摺りながらベッドからのそりと起き上がった。
見れば、遮光カーテンの下から朝日が漏れている。
東京武偵校の学園島──台場の人工島にある寮に彼女は住んでいる。本来はルームシェア前提であるが、彼女にはルームメイトがいない。
あまり友達が多いとも言えないし、彼女にとってすれば気も休まって都合が良い。代わりに私生活は多少乱れ気味だが、それでも女性として最低限身嗜みくらいは繕う。
とはいってもやることと言えばそれくらいで、先日救出したCVR学科の生徒で、友人の立花からはルームメイトへの立候補もあった。立花曰く、ちゃんと食べていなさそうと言うことらしい。
母親か何かか、とエレノアはただため息を吐くしかなかったが。
支度を終え、着替えも終えると彼女は武器のチェックを始める。
ワルサーP99自動拳銃が彼女の愛用だが、最近は少々ポリマーフレームに味気無さを感じている。
弾倉を引き抜いて数度スライドを引き、調子を見る。滑らかに操作は出来る。大きな事故の後だったが、銃器へのダメージは無かったようだ。
すっかり慣れた操作。スライドを戻し、上面のデコックボタンを押し込む。鋭い金属音と共に、撃鉄が前進する。
弾倉を戻し、机の上に転がったサプレッサーへふと視線を向けた。
「いらないか」
サプレッサーを押し込んでからケースを閉めて、彼女は呟く。反応する者は誰もいないが。
エレノアの持つP99は、通常の物に加えてスライド右面に特殊な刻印が彫られたサプレッサー装着可能モデルだが、一度も装着したことがない。
武偵は自身である程度武装の調達を行い、然るべき機関へ公認を取る。しかしエレノアは、このP99を自身で購入した訳ではなかった。
彼女は両親がいない。物心ついてから孤児院で暮らしていた。
ある日武偵への進学を院長に勧められ、孤児院を出るためと武偵附属中学を受験したところ、見事に合格したことが全ての始まり。
孤児院を後にする前に、初めて彼女には、既に作られていたという銀行口座の通帳とキャッシングカード、貸金庫の鍵が渡された。
曰く、定期的に何処かからの入金があるとして、預金額にはエレノアも目を丸くしたのを覚えている。誰が入金しているのか三年経過した今も分からないが、まだ入金は続いていた。
そして貸金庫に収められていたのが、ジュラルミンケースに収納されたP99だった。まるで誰かが意図したかのような都合の良さに、彼女も違和感を抱かざるを得なかった。だが、何も知らなかった彼女にはその作られたような都合に頼る他無かったのも事実。
それから、貸金庫にはもう一つ、拳銃以外に預けられていた物があった。
「結局、これは何なんだろ」
キーケースに収めた鍵を眺め、エレノアは毎朝そう呟くのが習慣になってしまっている。
貸金庫に預けられていた鍵。ヒントはなく、どこの鍵かも分からない。探偵科や詳しい人間を頼り、何かのシャッター用とおぼしきものだとまでは辿り着いたが、それだけだ。
それを使うシャッターは日本に気が遠くなるような数が存在していたし、都内の物と絞り込めなくては意味がない。
「あ、やばっ! バス乗り遅れる!」
時計は既に出発予定時刻を回っていた。鞄を引っ付かんで、エレノアはばたばたと部屋を後にした。
□
「間に合った!」
空気による操作音と共に、バスの乗降口が閉められた。
バス停留所は遠くないが、何しろ走った。エレノアの全身がまさに空気を求めていて、息も絶え絶え。座席が空いていなければ倒れていたかもしれない。
「ギリギリだなぁ、おまえー」
まさに上から、見下されるような憐れむような声がした。
「このバスに乗ってる時点で君もでしょ」
息を整えつつ、エレノアは自身を見下す存在へその視線を向ける。
綺麗な黒色の髪をショートボブで揃え、切れ長の瞳はにやにやとエレノアを見つめ返す。背中には立派な狙撃銃が剥き出しのまま背負われており、場所が場所なら即座に通報されるような出で立ちだ。
「なんだよー。言うやん、エリー」
「うるさい、
八重歯を見せながら笑う少女は数少ないエレノアの友人で、狙撃科一年の佐々野美夜。
幼い頃関西圏に居たらしく、たまにからかうときは“それらしい関西弁”が出たりする。
背中に背負う砂漠色のFNバリスタは、まさに彼女の象徴とも言える銃だ。入学時に大枚を叩いて買った、とは美夜自身の言葉。
両親は忙しく、滅多に家に居ない。おかげで自炊が大変らしい。しかし、狙撃科での成績は上々で、武器の扱いに慣れていない一年生にしては珍しく、戸惑いやすいツーステージトリガーを巧みに使いこなすと上級生が噂する。
「また車潰したんだろー。次は何乗るのさ」
「反省文終わって頭オーバーヒートなんだからやめてよ」
「言うて、前はオーバーヒートするまで
けたけた笑う美夜。もはやこうなっては何言っても通じやしない。のらりくらりかわされ、十倍を百倍にされるだけ。
ふて腐れたように窓の外へ視線を向けるエレノア。駆ける生徒の中に、茶髪のツインテールが見えた。クラスメイトの姿だ。
「あかり、またガンチラしてる」
「んー? 油断しとるんちゃうん?」
「焦ってるだけでしょ……って、顔近い」
やはり武偵校の制服はスカート丈が短いのでは。クラスメイトのスカートからホルスターが見え隠れする様を見てそう思ったエレノア。だがそれよりも、窓を覗き込む美夜の横顔がすぐ目の前にあったことに思考を奪われる。
「照れてるのー? ボンドなんてファミリーネームしとるくせに」
また構ってしまった。後悔よりも早く、美夜はまたからかい口調だ。
「だから、私はそういうボンドじゃないって」
「遠慮せんでもええって。言うてみ?」
「やかましいっ」
エレノアから一喝が飛んだ。
ちぇー、と美夜がふくれる。
気付けばバスは武偵校前を案内していて、乗っていた生徒たちは降りる用意をしていた。
鞄を持ち上げるエレノアに、狙撃銃を背負い直す美夜。バスを降りると、ピンク色の長いツインテールが目の前を遮る。
「アンタ達、あかりのクラスメイトでしょ? ダメよ、遅刻ギリギリ!」
立ちはだかったのは二人よりもずっと背の小さい少女だった。腰に両手を当て、眉をつり上げ二人を睨む。
「すいません」
「さーせーんっす」
特にアンタ、と立ち塞がる少女が美夜を勢いよく指差した。
「上級生への評判はいいけど、口悪いって噂あるわよ。血の気多い先輩方なんて、シメるなんて言ってるんだからね」
「気ィつけまーす」
「ま、忠告はしたわ。次は自分で何とかしなさいよね」
去っていく少女。上級生の強襲科二年、神崎・H・アリアの名前は世界に轟く。
武偵が目指せる中で最上位になるSランク、逮捕99人連続失敗無し。武偵の鑑で、憧れない人間は居ないだろう。
「あれによく
ぼんやりとアリアの後ろ姿を見送る美夜。エレノアもたまに思うことではあったが、クラスメイトのことはクラスメイト。特に深く考えることもない。
たまに車輌科の手を貸すために出向く事はあったが、現場では年相応な女子トーク等と言うわけにもいかないわけで。
「急がないと本当に遅刻するわよ、美夜」
「おぉっとアカンかったわ。走ろ、走ろー」
バスは既に走り去ってしまった。
立ち尽くす二人を遅刻寸前の生徒たちが訝しげに眺めていたのに気付くと、エレノアにはいよいよ居たたまれなくなってしまった。
結局二人が教室に着く直前、チャイムがあたかもゲームオーバーを告げるように、学園島へ鳴り響く。
□
結局、一般学科のホームルームに間に合わず、エレノアと美夜はこってり絞られた。
蔑むような笑いを受けながら席につき、授業の用意をする。
武偵校とはいえ、高校は高校だ。全生徒は一般教育学科に参加し、必ず一般的な授業を受けることになる。
武偵校故の異常性は、この時点ではまだ無い。せいぜい教室のあちこちに実銃や真剣が置かれているくらいなもので、比較的平和な部類である。
昼になると、エレノアと美夜は屋上で昼食を揃って摂ることになる。というのも、最近は美夜がエレノアの分の弁当を用意してくるのだ。
曰く、作りすぎただとか、練習台になれだとか美夜は言うが、エレノアが食べられなかった事はない。むしろ、彼女を料理上手と評しても良いくらいだった。
「今日はどうかなぁ?」
「美味しいよ? また味付け少し変えた?」
「わかる? 愛情込めて作ったからね」
昼休みの屋上はやはり騒がしい。上級生もいるし、物騒な言葉も聴こえてくる。
しかしそれが武偵校なのだ。彼女達がそこへ身を投じた時点で、同じ場所に立っているのである。
それを普通と受け入れるには、二人にはまだ若干早いだけ。
昼休み終了のチャイムが鳴ると、午後が始まる。
放課後からはそれぞれの学科で専門の講習を受けることになるため、エレノアと美夜は離ればなれになる。
空になった弁当箱を美夜へ返すと、彼女はほのかに嬉しそうな笑みを浮かべる。エレノアは気付いているが、つつくとからかわれそうなので触れない。
綺麗に弁当箱を包んで仕舞い、美夜はエレノアと共に教室へ。
この先からが、武偵の本分である。
あらら、急に短く……。
まあ本来の長さがこちらですゆえ、お許しを。
今回はクラスメイトの佐々野美夜が登場。
掴み所無さげなキャラクターですが、狙撃科。
昔だったら主人公が兼任してました。そこも含めて、いままでとは違うものになります。
次回もよろしくお願いいたしますー!