廃ビルでの一件から一夜が明けた。
吸血鬼を逮捕したエレノアたちは上級生から、無茶をしすぎだと大層叱られたが、同時に無事であった事を褒められもした。
美夜が観測し、エレノアが撹乱した集団についてはヴァンテージに備えられたカメラ映像の確認作業を情報科が行っている。
『詳しい情報が入るまでは待て』と、全員が通達を受けた。
ただ、相変わらず美夜は詩乃を目の敵にして動いている。
「ねえ、エレノア? ちょっと良いかな?」
昼休み、クラスメイトの間宮あかりがエレノアに声を掛けた。
「どうかした?」
「どうかした? って……。美夜が気になんないの?」
「気にはなるけど……」
今日は珍しく詩乃はエレノアについていない。自分の机で、デザートイーグルを組み立てていた。美夜はじぃっと詩乃の後ろ姿を睨みつける。
その姿を横目に見つつ、エレノアは静かにかぶりを振った。
「正直、自分もどうしていいか分からないのよ」
「櫻羽さんが転校してきてからずっとあの調子だけど、何かあったの?」
「説明しようが無いわ。私も戸惑ってる」
美夜が警戒するのも分かるが、何か目的があるなら動いていてもいい程度には日数も経過している。情報科にいる鈴那も詩乃を警戒し、出入りする場所や仕入れた物品などで追跡出来るものは追跡している。しかし、怪しい点は何一つ無い。武偵としての備えを行っているだけだ。
「危なっかしい気がするなぁ……」
あかりは不安げに漏らす。
「勿論、出来る限り見ていくつもり。ルームメイトだし、話し合う時間はあるから」
「そうしてあげて。あのままじゃ苦しいと思うから」
あかりの言葉を受けて、エレノアは頷いた。しかし、やるべきは歓迎会か? いや、それは美夜が強い警戒心を抱く以上、神経を逆撫でしかねない。
ただ、やはり時間に任せるのも無理だ。今日、寮に戻ったら少し話し合ってみよう。エレノアがそう決意を固めると同時に、予鈴が鳴った。
午後の授業が終わり、専門学科での授業でエレノアはヘリコプターの操縦について学ぶ。
休憩時間。エレノアのスマートフォンが着信を告げた。ポケットから端末を取り出し、画面を見ると見慣れない番号が表示されている。
無視しようかとも考えたが、彼女は敢えて応答する事に決めた。
「もしもし?」
『エレノアさん、ですね』
「……どちら様ですか?」
『狙撃科二年のレキです。今から一般教科棟、2年C組の教室に来てください。話があります』
レキからの電話はそれだけで切れてしまった。レキといえば、美夜の先輩で卓越した狙撃技術を持つ狙撃手だ。あまり人と会話をする印象をエレノアは持っていないが、先輩からの呼び出しとあっては無視出来ない。
事情を車輌科の先輩に説明すると、意外にもあっさりと許可が出た。エレノアは車に乗り込み、一般教科棟へ向かう。
何故急にレキが連絡をしてきたのかエレノアはさっぱり理解できていない。まず、彼女との接点がないのだ。レキが何を考えているのか、自分は何をされるのか。考える以前に浮かびすらしない。
車を一般教科棟の駐車場に停め、2年C組の教室へ向かうエレノア。六花への用事以外で滅多に来ることのない上級生の教室は、彼女には慣れない重圧を覚えさせた。ここは上下関係激しい武偵校なのだ、重圧は並みではないだろう。
「フゥ……」
2年C組の教室は扉が閉められていた。放課後は大抵開放されているものだが、C組だけが意味深に閉められている。
エレノアが教室の前でわざわざ深呼吸したのも、そんな異様さからだった。
「失礼します」
約束の場所は間違えていない。ノックと共に教室へ入ると、浅葱色をしたショートカットヘアの少女がエレノアへ顔を向けた。
表情の変化は小さい──いや、ほぼ無い。無表情のまま、待ち人は小さく頭を下げた。エレノアも慌てて頭を下げる。
「レキ先輩……ですよね?」
「はい」
「……私に何か用が?」
「……」
全く会話にならない。前に先輩であるアリアが言っていた『エレノア一行は態度が悪く、シメる算段を立てる生徒がいる』との情報が頭に浮かんだが、レキほどの人間がそこまで感情的になるのだろうか。
いや、ならない。少なくとも夕陽を背にエレノアを見つめるレキからは、そう確信できる何かを得られた。
「美夜さんのことで、お話があります。電話ではお伝えしづらかったので、こうして直接」
「美夜? 美夜が何かしたんですか?」
美夜とレキは同じ専門科目だ。一度練習を見てもらった、と美夜はエレノアに語っていた。
まさか美夜が何かしでかしたのだろうか。いや、ならば何故自分に話が来るのか。頭の中で疑問符がぐるぐると回る。
「違います。先程、事故で武偵病院に運ばれました」
「……え?」
頭を回る疑問符など吹き飛んだ。事故とはどういうことなのか。エレノアの身体は思わず前のめりになる。
「狙撃訓練中、美夜さんの小銃が暴発しました。シャーシフレームから吹き飛び、ボルトキャリアが美夜さんを直撃しています」
「……美夜のバリスタが? それで、美夜は?」
「命に別状はありません。目や耳といった五感を司る器官にも、異状は無いそうです」
本人は無事。そう聞けて、エレノアは胸を撫で下ろす。
「練習中の事故なので、教務科が美夜さんの御両親に連絡をしたそうなのですが、全く連絡がつかないそうです。エレノアさんはルームメイトと伺ったので、何か聞いていませんか?」
レキに問われ、エレノアは暫し悩む。美夜の両親はかなりの放任主義のようだった。仕事で家を空け、旅行でも家を空けている。だが、娘の一大事にまで連絡を無視するだろうか。
「問題は両親に連絡がつかないどころじゃなかったわ。その両親の消息が、不明になっていることよ」
不意に、緋色の光がエレノアを横切った。そこに居たのは神崎・H・アリア。伝説の武偵で、エレノアたちの先輩。クラスメイトである間宮あかりの
「消息不明?」
あまりに不穏な単語が聴こえて、エレノアはアリアへの挨拶すら忘れて問う。
「ええ。確かに放任しすぎだったのは否めないわ。けど、教務科の連絡にすら返答がなく、調べても足取りが一切掴めないの」
腕を組みつつ、アリアは淡々と語る。
「ただ、直前に“教会”の動きがあった。それは調べがついてるわ」
「“教会”……!」
教会といえば、詩乃のいる組織に他ならない。その組織が、美夜の両親失踪に関わっている可能性がある。エレノアには、アリアがそう話しているように思えた。いや、そうとしか思えなかった。
「詩乃に話を訊かないと……」
「彼女が答えると思う? あたしの経験から言わせてもらえば、笑顔で人を撃ち殺すタイプよ。彼女は」
「……でも、嘘は吐かないと彼女は言っていました」
勿論、そんな確証はない。あくまでも本人がそう公言しているだけで、証明はないのだ。
アリアの目も厳しい。詩乃に話を訊くという提案を押し切るには難しいように見えた。
「教会が美夜さんの御両親を巻き込んだというお話、確かのようです」
また教室に生徒がやって来た。その姿を見て、アリアが咄嗟にホルスターに手をかける。
やって来たのは詩乃本人だった。10インチバレルになったデザートイーグルを片手に、三人の元へゆっくりと歩みを進める。
「美夜様の容態を確認して参りました。お声をかけようかとも思いましたが、状況が状況ですので見に行っただけですが」
「それで? アンタはソレで何をする気なの?」
アリアが詩乃のデザートイーグルを顎でしゃくる。
詩乃は静かな動作で弾倉を抜き取り、薬室にも弾がない事を示してから返した。
「先日逮捕した吸血鬼の存在から、教会が動いている事が分かったので。無論、私にもハンティングへの参加要請が来ています──」
ですが、と詩乃は続ける。
「──私はもう武偵です。殺しは出来ません。教会に問題があるのなら、武偵として美夜様の御両親の消息を探りに行こうと思います」
「ハンティングとやらに参加するんじゃないの?」
「誓って致しません。エレノア様、私と共に来ていただけませんか? 幸い、集合地点はさほど遠くはないのです」
半吸血鬼からの誘い。しかも口振りからして、詩乃はエレノアと二人きりを想定しているようだった。
アリアの表情は芳しくない。だが、武偵たるもの自立しなければならない。アリアから強くエレノアを止めることも出来はしなかった。
「分かった。いつ行くの?」
「──週末、深夜0時。武装は整えてきてください。何があっても生き残れるように」
重苦しい空気。エレノアは思わず固唾を呑んだが、頷いて了承する。
アリアとレキからの話ももう無いようで、会釈して教室を出る。詩乃は廊下で別れたが、エレノアには行く場所があった。
Qの開発室。装備を整えるのなら、そこに行くしかない。今のエレノアには、時代遅れのノキア製携帯電話とベレッタ92Xしかない。
もし想定する敵──吸血鬼相手では、あまりにも貧弱過ぎる。少しでも何かあれば、という思いで彼女は日の沈み始めた学園島を車で走り抜けた。