武偵病院。学園島に存在する武偵の病院であり、救護科などの後方支援学科の生徒が駐在する施設。
怪我をした武偵は基本的にはここへ運ばれ、治療を受ける。ライフルの暴発による昏倒で運ばれた美夜も、勿論ここに入院していた。
今は目を醒まし、経過観察の為に入院が延びている状態だ。
「おはよう、美夜」
「おはようさん、エリー。なんやエラいことやらかしたらしいじゃん」
椅子に腰掛け、美夜を見舞うエレノア。やはり武偵の噂は足が早いらしい。とはいえ、彼女は自分が役に立ったとは思っていない。ハッキリと自分の戦果だとか、そこから生きて帰ってみせたとか、そういう風に胸を張ることは彼女には出来なかった。
美夜もそこを汲んだのか、素早い気の回しで本題を切り出した。
「──両親から電話あったよ。気付いたら家に居たらしくて、何もわからないって」
教会の教皇は、美夜の両親の記憶を一部改ざんしている。吸血鬼や教会の存在を覚えていないのは確かのようだ。
ベッドから身を起こして語る美夜の表情は、まだ優れない。
「でも、ご両親が無事で良かった」
「うん。あんなんでも、親だからな。ありがとな、エリー」
「私は何も出来てないよ」
何かを成し遂げたとすれば、そう言及するに相応しいのは詩乃だ。ただ、美夜は詩乃の仕事については知らない。ここで彼女の名を口に出すのは憚られたし、詩乃も望んでいないことだった。
話題を変えるしかない。エレノアは半ば強引に問い掛ける。
「バリスタは壊れたって聞いたけど、代わりはあるの?」
エレノアの問いに、美夜は苦々しく笑みを浮かべる。『それを訊くか』と言わんばかりで、彼女はこめかみのあたりを指で押さえた。
美夜のFNバリスタスナイパーライフル。暴発事故により、修復不能のダメージを負っているのはエレノアもレキの語り方で見当はついている。
「今、結構苦しいからなー。暫くは見学かもな」
「そうだったの?」
エレノアには少なからず意外だった。寮住まいなら家賃はない。学費にちょっと上乗せがあるくらいだろう。
美夜は決して裕福ではないのだろうが、佐々野家となれば別。彼女自身はともかく、実家自体は比較的裕福だ。──無論、それがあって尚、美夜が『苦しい』と言うのは、両親への不信もあるのだろう。
孤児院育ちのエレノアには、少々理解し難い感覚でもある。
しかし、それならば話も早い。エレノアは足元においていたケースを持ち上げて、美夜へ差し出した。
「なんや、このデカいケース」
きょとんとする美夜。意味深なジュラルミンケースは二人の間の空気にしては、些か異彩を放っている。
「ちょっとプレゼントだよ。つまらないものだけど」
「そんなワケあるかい。どれどれ……」
美夜がケースを受け取る。ずしりとした重さに、一瞬彼女の姿勢が揺らいだ。ケースを膝の上に置き、ロックを外して開ける。
中に収まっていたのは、一挺のライフルだった。
「レミントンM700?」
「うん。私は狙撃って詳しくないけど、クルマの運転とかと変わらないと思うの。練習を疎かにすると、徐々にその感覚が消えていって、取り戻すのにまた時間がかかる。だから、もし美夜がライフルのアテがないっていうなら、これを渡そうと思って」
エレノアなりに考えた結果だった。勿論、もっと良いライフルを用意する事も出来た。実際、相談した装備科や『Q』では自動狙撃銃のWA2000や、シャイタックM200などの長距離狙撃銃、秘匿しやすく、潜入などに向いたデザートテックSRSA1コバートライフルなど、あらゆる方向性から高性能ライフルを渡すべきだと薦められたし、彼女ならそれらを用意する事も出来た。
それでも、彼女が用意したのはウッドストックモデルのスタンダードなレミントンM700だった。強いて言うなら、狙撃用スコープとスコープ搭載用マウントレールが付属しているくらいだろう。それ以外は、何の変哲もないM700ライフルだ。
「美夜ならもっと凄いライフルを使っても結果を出せるだろうし、正直こんなのじゃ満足しないと思う。ただ、私が……その──毎月振り込まれるお金があって、それは私のじゃない。普段それなりに困ってないのは、孤児院の院長に『施設を出たらそれで暮らせ』と言われたからなの」
固まる美夜を、エレノアはちらりと不安げに見遣る。
「でも、友達へのプレゼントにそのお金は使いたくない。それに手を付けたら、それはもう私の気持ちじゃないから。──でも、そうなると意外と余裕なくて……。ごめんね」
要らないと言われればそれでも良かった。後で捨ててくれても、エレノアは一向に構わなかった。
しかし、美夜は目を輝かせてエレノアの手を取る。
「その気持ち、確かに受け取った。私さ、別にライフルなんて撃って当たれば何でもいいんだ。バリスタは、その時上手いことそそのかされたっていうか。でも、考え変わったわ。このライフル、世界一に仕上げてやる。結果原型残らんかも知らんけど──それは許してくれるか? エリー」
「勿論。それはもう、君のだから」
エレノアの返事を聞いて、美夜はライフルケースを大事そうに閉める。
数度愛しそうにケースを撫でたかと思うと、何かを思い出したようにエレノアへ向き直った。
「そういや、詩乃は? ──実は、先輩方からある程度聞いた。アイツ、教会に潜入したんだろ?」
「特に変わりはないよ。教会を抜けたくらい」
「抜けた……? どういうことや、ソレ」
話せば複雑にもなる。あまり事件の内容を美夜に話したくはなかったが、エレノアは少し悩んで、詩乃についてを語ることにした。
「詩乃が鈴那に接触した時、銀の十字架を落としたでしょ? 鈴那は勿論ソレを拾って、詩乃が私を探してると彼女に告げた。現場で教皇って呼ばれていた老人と話をしたけど、その十字架を他者に──信頼の置ける人間に渡すことで教会を抜けることになるって」
「それは、その教皇とやらが説明したんか?」
「うん。嘘は無いと思う。勿論、美夜は信用出来ないと思うけど」
むう、と美夜が唸る。確かに詩乃を簡単に信用するなど出来ない。しかしよく考えれば、エレノアをどうにかするならチャンスはあったのだ。それこそ、今回の事件でも彼女を嵌める事だって出来た。それをしなかった時点で、詩乃の気持ちがある程度本物なのだろうと推測は出来たのだ。
そろそろ折れる時が来たのかもしれない。いつまでも子供のように意固地になっても仕方ないのではないかと、美夜も考え始めてはいた。
「はぁ……。私がぶっ潰れてる間に、何回か見舞いにも来てたみたいだしな。これだけ敵視されたのにな。──実はさ、知らない内に花瓶に花が差してあったんだ。誰に聞いても、答えは無かった。スズも、六花先輩も『自分じゃない』ってな。じゃあ、もう限られてるだろ?」
詩乃の気持ちが純粋な物であると、美夜も認めざるを得なくなっていた。勿論、全てをいきなり信じるなど不可能だ。警戒を完全に解くつもりはないが、友人くらいにはなってもいいのかもしれない。美夜はそう考えるようになっていた。
「美夜に少しでも信じてもらえるなら、彼女も喜ぶと思う」
「……まぁ、これから付き合っていって、どう転ぶかやな。結構話したな。明日には寮に戻れるから、また頼むわ。今日は少しサボる」
「分かった。おやすみ、美夜」
ライフルケースを床に置き、ベッド下へ滑り込ませると、美夜は再び身を横たえる。
納得したように振る舞っているが、内心は詩乃への気持ちが綯い交ぜになっているかもしれない。エレノアは静かに椅子から立ち上がると、病室を後にした。