緋弾のアリア-ボンドの娘-   作:鞍月しめじ

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006.What's your name?

 江東区へやってきたエレノア。漸く長年の謎が解けるのだ、気持ちが高揚していないといえば嘘になる。

 既に時間は深夜一時をとうに回り、二時へ迫る。

 

「この辺りかな」

 

 メモには住所も記されていた。エレノアが見つめる先に、整然と倉庫が並ぶ。

 車を降りて目的の倉庫を捜すその時だった。

 エレノアの背後で重たい何かが落ちたような音がする。接触の音は無機物のそれではない。さらに殺気を感じて、彼女はP99を引き抜き、振り返った。

 

「誰!?」

 

 人影があった。長く大きめな房になったポニーテール、あやめ色の髪。170cm以上はあろう長身の後ろ姿に、同じほどの長さの刀を地面に立てて。

 そのシルエットはもはや刀でなく、物干し竿のようだ。エレノアは最大限の警戒と共に、P99のスライドを引く。初弾が薬室に送られた。ここからは、容易く人を殺せる凶器に変わる。

 

「あなたは?」

 

 問いに返しは無い。聞き直すと、人影はゆっくりと振り返る。

 月明かりに照らされたその人物は、端整な顔立ちの女だった。ジーンズパンツにキャミソールと少々露出の高い服装から、大振りの刀など似合わない、良く締まった腕が見えている。

 笑みを浮かべ、月夜を背に佇む姿はあたかも挑発をしているかのようだ。エレノアは警告を投げ掛ける。

 

「私が武偵だと、分かって立ちはだかってるの?」

 

 P99の照準には女を捉えたままだ。それでも、相手は不敵な笑みを隠そうともしない。

 答えはなく、エレノアは引き金を引く。勿論警告射撃だ、足元を狙っている。

 

(警告にもひるまない……?)

 

 相変わらず、女は刀を携えたまま立っている。P99が発砲を終え、銃口から硝煙を上げていて、相手の足元にはそれによる弾痕が出来たにも関わらずだ。

 不意に女が刀を構えた。鞘ごと左腰に持っていくスタイルは、いわゆる居合い斬りだろう。しかし、居合いで抜刀をするサイズの刀身ではない。

 突如、月夜に何かが煌めいた。すぐにそれは剣閃であったとエレノアは知る。刀は地面を軽く抉るが、女が刀を抜いた素振りは視認出来ない。

 あまりにも早い抜刀。自分の身長とほぼ変わらない刀身の刀で、いとも容易くやって見せたのか。だとすればもはやただの人間の域ではなく、遠慮している余地ははない。P99を構え直し、人体の無力化を狙って関節へ銃口を向ける。

 

 二発の銃声と共に、同じ数だけ金属音が闇に響いた。女は相変わらず刀の柄に手を掛けたままだ。

 銃弾は弾かれたとでもいうのか。音速で飛ぶ銃弾を、刀の抜刀で二発とも弾いて見せたのか。エレノアに戸惑いが見え始める。

 圧倒的な実力差。いくら長大な刀相手とはいえ、その切っ先の届かない有利なはずの距離で、エレノアは勝つことが出来ない。勝機を見出だすことが出来なかった。

 ふと女の姿が消える。否、消えたと錯覚するような二歩一撃。エレノアの懐に飛び込んで、女は刀を引き抜いた。

 

(ヤバイッ!)

 

 エレノアも武偵校の制服に着替えはしている。ネクタイは防刃、服の生地も多少の刃には耐えるだろうが、この女の異常性の前にはわからない。

 拳銃を咄嗟に構え、だが懐への侵入を許したまま刀は月明かりを受けて輝いた。

 

「その刻印は……」

 

 白刃が完全に鞘から姿を表す直前、女がP99に刻まれた刻印を見てその手を止めた。

 すかさずエレノアは女を蹴り飛ばし、反動を使ってバックステップ。再び距離をとる。

 

「喋れるのね」

 

 再びピストルを構え直し、女へ軽い冗談めかして吐き捨てる。

 

「ごめんごめん! 26番を狙う不届きかと思ってさ!」

 

 女は放っていた雰囲気に反して、殺気を夜闇に解けさせると明るい語調で話し始めた。

 しかし、彼女は26番倉庫を知っているようだ。エレノアは警戒を緩めることなく、銃口は向けたまま問い掛ける。

 

「倉庫には何が?」

「ヒミツ。私が守っている理由も、今はヒミツかな。でもそうだなー、ようやく待ち人は来たって所」

 

 再び刀を地面に立てて、女はエレノアを見据える。

 

「意外や意外。まさか女の子だったなんて。私もそこまで聞いてなかったし」

「何を言ってるの?」

 

 何やら意味ありげに呟く女に対し、一歩踏み出しつつエレノアは問いを投げる。

 

「まあ、とにかく26番に行っておいで。君は資格を示した。いや、危うく斬り飛ばしちゃうトコロだった私が言うのもなんだけど……」

 

 軽く刀を持ち上げ、肩に担いだ女は居たたまれない様子で空を仰いだ。

 

「そう。良いんだ、行って」

「じゃなきゃ、あのまま斬っちゃってるよ。仲間がいるなら呼んだ方が良いかもしれないから、そこはお任せで! じゃ、お姉さんは帰ろっかなー!」

 

 やっと長い仕事から解放された、などと女は呟きながらエレノアへ背を向けた。所属不明の謎の女だ。まだピストルは仕舞っていない。

 今なら撃てる。しかし、武偵の仕事は殺しではない。それに、銃を相手に背を向けるだけの余裕を見せる相手に、不意討ちすら通用するとは思えなかった。

 P99をデコッキングして撃鉄を戻し、ホルスターへ収める。それからエレノアは、再び目的地へ向かって足を進めた。

 

 最早邪魔は入らない。今度は簡単に目的地へ辿り着く事が出来た。

 26の数字がシャッターに記された、大きな倉庫。一体何が入っているのか、想像も出来ない。もしかしたら戦闘車両の一台でも収まっているかもしれない、とすら思えた。

 なにしろ、あれだけ腕の立つ剣士が守っていた倉庫だ。それくらいの想像は出来る。

 

 念のため車輌科で頼れる武藤に失礼を承知で連絡すると、彼はすぐに向かうと返答した。

 それから、すぐに倉庫は開けるなと助言もあった。

 

 助言を受けて倉庫前で武藤を待つエレノア。時間にして深夜三時。風も冷たく、全体的に薄着な武偵校女子制服では寒さを凌げない。

 上着を持ってこなかったのは失敗だったと後悔していると、見慣れた日産サファリがやってくる。ライトの明かりに目を細めるエレノア。

 降りてきたのは武藤だ。深夜ということもあって、彼一人しかいない。しかし、彼女の抱えていた秘密が一つ明らかになるとなっては、気にならない訳がなかったらしい。

 

「早速開けてみようぜ。ただ、気を付けろ」

「はい」

 

 シャッターの鍵穴に、幼少から持っていた鍵を合わせる。吸い込まれるように鍵穴に入り込んだシャッターキー。捻ると、今までの障害があっさり吹き飛ぶように、軽く鍵は回った。

 深夜には少々大きな音を上げ、シャッターはエレノアの手から離れる。天井に回り込んだシャッターの向こうの空間は、暗闇に包まれていた。

 

 エレノアが一歩、倉庫へ足を踏み入れる。

 すると、天井に取り付けられた電灯が奥から順番に、まるでずっと待っていたエレノアを迎えるように点灯し、内部が明らかになる。

 

「……マジかよ」

 

 倉庫の中身を見て、武藤は驚愕に声を漏らす。

 LEDの青白い明かりに照らされた内部にあったのは、車が一台とガンラックが一つ。

 

「アストンマーティンV8ヴァンテージか! しかも70年代の古い方じゃねぇかよ!?」

 

 チョコレートブラウンの車体は少々古めかしい。今時の曲線を帯びた機能美というよりは、メーカー特有のデザインセンスに戦闘力が上乗せされているような厳つさがある。

 少々小径のメッシュタイプホイールに、今時では使われることも少ない高扁平の分厚いタイヤ。

 ボディ全体も大柄で、灯火類も古めかしい。フロントは丸目二灯式で、顔立ちを作り出すグリル部分はボディ同色のパネルだ。そこに丸い追加ライトが二灯装着されている。

 

「すげえ……。ホンモノだぜ」

 

 四十年以上の時を経て変わらない、伝統のアストンマーティンバッジ。スカラベをモチーフにしたウイングバッジが、時代を感じさせる角形のテールランプ左右の間とフロントボンネットの前方に取り付けられている。

 武藤も様々な車を見てきたが、旧型のアストンマーティンなどほとんど見たことがない。それも、至るところで話題に上がるようなボンドカーと変わらない仕様のモデル。

 窓ガラスは防弾強化ガラス。流石に武装は着いていないが、FMラジオ部分に警察無線チューニングボタンがある。

 

「ボンドお前、ずっとこの車を預けられてたんだ。意味わかるか」

「いえ。だって私、両親はいなくて……」

「中に手紙があるぜ。それ、読んでみろ。俺は他に何か無いか見てくるからよ」

 

 鍵は掛かっていない。武藤がドアノブを引くと、容易くV8ヴァンテージは二人を迎え入れた。

 武藤が倉庫の奥へ消えていく。

 右ハンドルの車内は、紛れもなく英国仕様の証だ。何しろ70年代では、アストンマーティンは日本仕様など作っていないのだから。

 助手席には無造作にメモが置かれていて、置き手紙になっている。エレノアは運転席に腰掛け、中身に目を通した。

 

『親愛なる我が娘へ。君が武偵として、この車を見つけたことを嬉しく思う。いくら娘といえ、君に多くを語ることはできない。ただ一つ確かなのは、君は自分の本当の娘だ。とある組織の一員ではなく、自分という人間の本当の我が子だ。どうか、置き去りに孤児院へ入れたことを許して欲しい。君を危険には巻き込めなかった』

 

 エレノアの頭はただ混乱していく。しかし、手紙はまだ先に続いていた。

 

『君にこの車を。だがもし、君が楽園の戦士を求めるのなら、自分の足下を一度見てみることだ。自分とは、この先も会うことはない。それが君の幸せだと考えた。君は君として、一人の人間、武偵として生きるんだ。ミサキが加減を間違えて、君に怪我をさせていないことを祈る。親愛なるエレノアへ、ジェームズより愛を込めて』

 

 読了。嘘だと思った。何処かで誰かが、ドッキリの看板でも担いでいるのではないかとすら思った。

 しかし常識的に考えて、生まれてから抱えていたものに、そんなドッキリなどあるわけがない。

 だから思う。よく語られるあの名前の人物と単なる同姓同名とは考えが至らない。彼の男の象徴たるワルサーのピストルを預けられ、そして今度はアストンマーティンまで。更には腕の立つ女剣士に何年も倉庫を守らせていた。

 単なる父親ならば、ここまで手の込んだことはしない。重大な秘密があったからこそ手間を掛けたのだ。

 

「……でも、今更どうしろって」

 

 ステアリングに顔を埋める。十六年だ。十六年越しに秘密を明かされたって、今更立ち居振舞いなど変えられようもない。

 いや、『父』はそれを望んでいないのだろう。たとえ正体が知られていようと、彼は一人の人間として互いに振る舞うよう願い、記していたようだった。

 だから、これらはそんな父親からの最後のプレゼントなのだろうと。エレノアはそう考えることにした。

 

 車を降りて、ガンラックへ。ワルサーではなく、意外にもベレッタ製のピストルが一挺だけ収められている。

 薄いシャンパンゴールドのような独特な表面仕上げ、上面を切り抜かれた特徴的なスライドから覗くバレルはつや消しブラックのデュアルトーンとなっている。

 

「これは……」

 

 ワルサー以外にも、ベレッタはいくつも触ってきたエレノアだが、このベレッタは他の92シリーズより重かった。

 スライドの右サイドには92Xの刻印がある。

 ベレッタ92X、それがこの銃のモデル名であるようだ。

 

「プレゼントなら、もっと簡単な場所に隠しておいてよ」

 

 この先会うことのない父親へぼやくエレノア。92Xに弾が入っていないことを確かめると、P99から弾を抜き、装備を92Xに入れ換えてV8ヴァンテージのグローブボックスへP99を押し込んで閉める。

 ホルスターは汎用タイプで、少し調整するだけで簡単に収める事が出来た。重量が変わりすぎて少々違和感はあるが、いずれ馴れる。

 

「ボンド、読んだか」

 

 倉庫の奥から戻ってきた武藤へ、頷いて答える。

 

「そうか。まあ、お前が何だって変わらないさ。お前は武偵で、仲間で、ダチだからな。お前もそうだろ?」

「ええ。十六年も経ってから言われたって、今更あんな風にはなれませんから」

「だな。よし、エンジン掛けてみようぜ」

 

 武藤は興味津々にV8ヴァンテージを眺める。目を輝かせて、その心臓部に火が入るのを待っているようだ。

 幸い鍵は車内に置かれていた。ボンネットを開け、武藤はバッテリーへ配線を戻す。車内ではエレノアがキーシリンダーへ鍵を挿し込み、武藤の合図を待った。

 

「いいぞ!」

 

 武藤の声に反応して、エレノアがキーを捻る。現代の車とは燃料噴射方式が違うせいで、簡単にエンジンは掛かってくれなかった。

 セルモーターの回る音を何度も聴きながら、アクセルペダルを慎重に踏んでいく。咳き込むような音が数度、倉庫に響いた。

 さらにもう一度、鍵を捻りながらアクセルペダルを踏み込む。

 エンジンの振動が車体を揺らす。けたたましいV8エンジンの咆哮が倉庫内で轟いた。

 

「これだよこれ! 古いV8サウンドの低い唸りッ! たまんねぇ!」

 

 武藤はすっかり興奮してしまっているようで、何かにつけV8ヴァンテージを褒め称えている。

 

「ヴァンテージか……」

 

 間違いなく、自身の愛車。488ピスタには敵わないスペックだが、ウッド調のパネルを配したキャビンも何もかも自分のものだ。

 エンジンを吹かすと、古めかしいスミス製のクロノメトリックメーターが少し遅れて針を跳ね上げる。旧い構造である機械モーター式特有の、腕時計のような動きと、内部で鳴っているギアの音。秒針が時を刻むような音は残念ながらエンジンを回せば負けてしまうが、落ち着かせれば再び聴こえてくる。

 

「そろそろ朝早いヤツは起きてるな。積車出せるか、当たってみる。コイツは持ち出していいのか、ボンド?」

 

 助手席から運転席のエレノアへ訊ねる武藤。エレノアは躊躇うことなく頷いた。

 父親からのプレゼントだ。彼女に遠慮はないが、想定外のプレゼントに高揚感は隠しきれない。

 武藤が片っ端から車輌科生徒に電話する横で、彼女は愛おしそうにV8ヴァンテージのステアリングを撫でた。




本当は、あと一話引っ張りたかったです。
タグ追加は次の話から行います。

次回もどうか、よろしくお願いいたします。

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