武偵校は車輌科に運ばれたV8ヴァンテージは、そのままエレノアたちの手で整備されることになる。
しかし、完全に放置されていた訳ではなかったようで状態はむしろ良好。今すぐにでも全開走行しても問題無いような状態であった。
ただ、時代に合った車ではない。エレノア自身、自分の車が旧式になるとは思っておらず、電子制御の無いハイパワー後輪駆動の扱いの難しさに困惑していた。
「全然タイヤが食わない……」
現代のハイスペックなタイヤからすれば、いくら上級モデルのタイヤでも70年代の旧式では路面への食い付きが全く違う。
ステアリングは重く、タイヤは路面の上をずるずると滑っていく。
コース上でスピンした車を停め、シートに深く寄りかかり嘆息するエレノア。こうなったのも、一回目ではない。
「もうっ!」
トライアンドエラー。どんな物であれ、それに慣れ、調整するにはそれしかない。だが彼女は少々根を詰めすぎていたらしい。
ガレージに戻ると、クラスメイトが心配そうに声を掛けてきた。
「ボンドさん、大丈夫? 少し休んだ方がいいよ」
「そうする。少し、他の科とかも見てこようかな」
潮風に髪を揺らしつつ、エレノアもクールダウンしていく。
武偵校専門履修科はそれぞれが島全体を使い、遠く離れた場所にある場合が多い。
V8ヴァンテージに慣れるためにも、乗っている時間は増やしておくべきだと彼女は考え、別の科への見学を考える。
「それだったら、強襲科は? 今なんか、面白いことになってそうだけど」
「面白いこと?」
「蘭豹先生の知り合いが遊びに来てるんだって」
どうも要領を得ない語り口。エレノアも折れんばかりに首をかしげる。
蘭豹といえば、荒くれ者揃いの武偵校でも一、二を争う狂暴さの教師である。その知り合いとなれば、まともな人間ではないだろう。
しかし一度刺激された知的好奇心は止まらない。エレノアは生徒に礼を言うと車へ乗り込み、強襲科棟へと向かった。
基本的に放課後で、エレノアも今は車に慣れるための走り込みをするくらいしかやることはない。近々ヘリコプターの操縦訓練は予定されているが、それまではある意味、車さえあれば自習とすら言えた。
少し車を走らせると強襲科が割り当てられた体育館に行き着く。外観はどこの学校にもある体育館に近く、しかし一度足を踏み入れれば荒くれ者の巣窟とすら言える空間だ。
強襲科の卒業率は97.1%と言われ、百人のうち三人は生きて卒業出来ないとされる過酷な学科だ。しかし、前線を駆け抜ける彼らは武偵の花形。強く在れば、それだけ将来の選択肢も増えるのには違いない。
エレノアが車を停めて体育館へ近寄ると、人だかりに行く手を阻まれた。
内部で何か起きているようだが、それを確かめようとしても人垣で見えない。
「エレノア、こっちこっち!」
「うわっ……! って、ライカ?」
人垣の中からエレノアの手を引っ張ったのは、エレノアの普通学科のクラスメイトである火野ライカ。
少々粗野な印象があるものの長身の美人で、体術に優れ、男子生徒相手の組手でさえ一歩も引かない。それが火野ライカという少女だった。
「ウワサ聞き付けてきたんだろ?」
「まあね。何が起きてるの?」
エレノアが問うと、ライカは窓を指差して覗くよう促した。それで全てが判ると。
促されるまま、エレノアは体育館の窓の向こうに広がる景色に目を向けた。
□
「冗談だろ……」
強襲科の男子生徒は脇腹を押さえつつ、痛みに顔を歪め呟く。
「蘭豹の知り合いだっていうから警戒はしたけど……」
別な女子生徒は身体を起こせず、片肘をついて上半身を支えながら皆の中心に立つ人物を睨んだ。
体育館は地獄絵図だった。
精鋭揃いの強襲科生徒が床に転がり、その中心に立っていたのはエレノアと対峙したあの女だった。
長刀を携え、余裕の振る舞いすら見せる。
「どうしたんやお前ら! もう終わりかいな!」
響く怒号。2メートル近い長身の女は強襲科顧問、蘭豹。全てが規格外の、まさしく武偵校の化物だ。
「全く、居合わせたのは運の尽きかのぅ」
女へ赤い閃光が駆け抜けた。鈴那だ。彼女はカランビットナイフを抜き出し、女へ向かう。
だが女はあくまでも余裕。刀を構え、右手を柄へ添える。
剣閃が走るより早く、鈴那はジャンプしていた。女の牽制をかわし、更に懐へ。ここまで近づけた生徒は他にいない。強襲科生徒から歓声が上がる。
「やるねー! じゃあ、ちょっと本気ッ……!」
刃が三度の煌めきを見せた。瞬間的な三連抜刀。鈴那もこれはカランビットで受け流し、距離を取る。
「ならば、次はわしの番じゃな……!」
低く、低く。床を滑るほど低く駆け出す鈴那。女が抜刀するより早く懐へ飛び込み、カランビットナイフを下から力の限り振り上げた。
女はそれを上体を反らしてかわし、鈴那の腹部へ強く柄頭を打ち込んだ。
容易く吹き飛ばされる鈴那。地面を数度転がり、しかし素早く体勢を立て直す。
「蘭豹先生の知り合いだから相手をしろというからやってみれば、とんだインチキ人間じゃな……」
鈴那も腹部を押さえ、遂に膝をついた。
強襲科が落ちた、と体育館の外で野次馬をしていた生徒の一人が呟く。
いや、落ちてなどいない。生徒の訓練は終わりだ。ここまで自身の教え子を叩きのめす様を見せられて、蘭豹が昂らない訳がなかった。
「次はウチが行ってもええよな?」
「そこまで予定無かったけど?」
「予定は予定……ここに来た以上、ウチがルールやッ!」
蘭豹は背中に背負った斬馬刀を振り抜き、体育館が揺れるほどに強い一歩を踏み出す。
間合いは刹那に縮まった。上段から斬りかかる蘭豹を、女は居合いの型で待ち構える。
「そらッ!」
衝撃すら走るような斬馬刀の一撃。女はそれを振り抜いた刀で弾き、素早く距離を取る。
「らんらんと戦いに来たんじゃないんだってばー。捜してる人がいたの!」
「じゃかぁしい! こない戦い見せられたら、ウチの血ィ騒ぐんは理解しとったやろ……!」
「そもそも『相手してやれ』っていったのそっちじゃん!」
何気ないやり取りの合間に打ち合われる刀剣。刃は火花を散らし、床を削った切っ先は容易く体育館の床を抉る。
「……あ!」
「……ん?」
ふと、打ち合う女とエレノアの目線が結ばれる。
間違いなく反応があった。女は刀の打ち合いから間合いを取り、観戦していたエレノアへ歩み寄る。
『探したよー。名前もなにも聞いてなかったしさ』
「いや、探したもなにも……」
後ろから襲い掛かる蘭豹を往なし、体育館の壁向こうから女は訊いた。
『私は杠ミサキ。貴方の名前は?』
重たい斬馬刀の一撃を、ミサキは目視すら不可能な抜刀で弾き飛ばしてエレノアへ向き直る。
エレノアはイレギュラーな状況に戸惑いつつ、ミサキへ名乗った。
「私はボンド。エレノア・ボンド」
ミサキに名乗ってから蘭豹が落ち着くまで、日が暮れる程度には時間がかかったがそれは別な話である。