ピラミディオンでの一件から、エレノアの愛車であるヴァンテージの強化改修が急務になっていた。
重たい車体に300馬力のV8エンジンは当時としては問題なく、むしろ強力な部類だっただろう。しかし現代では通じない。2トン近い車重を引っ張るエンジンとしては、今や力不足だった。
車に突っ込ませた為にひしゃげたフロントセクションを腕組みしながら眺め、エレノアは改造計画を練る。先輩方はかの007の愛車に手を加えられると、協力は惜しまない姿勢だった。ならばやれることをやろう。
「まずボディ補強。それからエンジンパワー、タイヤにブレーキ。サスペンションも」
正直に言えば、改造範囲は全てだ。重たい車体だが、補強しているために重いわけではない。ボディサイズ、材質、構成に何よりエンジン含め全てが重量増に繋がっている。
補強を進めれば、車重は更に増える。ならば軽量化も平行するのが一般的な理論だ。ヴァンテージのボディパネルはアルミだが、何よりサイズがある。同じアルミを利用し、1.2トン程度に納めたホンダNSXとは訳が違う。
車内で使わないものを取り除いたり、材質を変えるだけで50キロは軽量化出来るだろう。しかし、エレノアは車輌科だ。他に人を乗せる可能性がある以上、一番の重量物であるリアシートを取り外せない。
「運転席はセミバケット入れるとしても、それで減らせるのはせいぜい1キロかそこらだし……」
運転席はスポーツ用シートを入れるなり、好きに出来る。だが所詮、シート一脚だ。効果も小さい。補強してしまえばプラスマイナスはゼロだろう。
だとすれば、ダッシュボードの材質を丸々変えてしまうのが一番効果がある。ウッド調のインテリアパネル、高級感のあるコノリーレザーを剥がす。しかし、エレノアはそれを思い止まった。
(それじゃあ、もう007じゃない)
スマートかつワイルドなジェントルマン。その007の看板であるヴァンテージ。見える部分を変えれば、確かに多大な戦力アップになるだろうが、それではこの車である意味がない。
ならば考えを変えるしかない。1.8トン──約2トンの車体を確実に止め、曲げ、加速させる脚回りと心臓を用意する。
エレノアはひしゃげたボンネットを開ける。ぎしりと金属が削れる音がして、ボンネットが丸ごと外れた。
収まっているのは綺麗な自然吸気式V8DOHCエンジン。ヴァンテージの初登場時、DOHCエンジンというものは贅沢な仕様だったという。
まずはこのエンジンのパワーとレスポンス、トルクを上げる。数値上では巨大な車体を引っ張るに相応しいものになるはずだ。
パーツが出ないか先輩方へ訊ねに行こうと振り返ったエレノアだが、ガレージの入り口には一人の少女が立ち塞がっていた。
「ずーっと呼んでんのに、なに無視してんだー?」
美夜が頬を膨らませ、じっとりとエレノアを睨み付ける。
「え、呼んでた?」
「ライン、見てみろ」
言われて、エレノアはスマートフォンを取り出す。通知欄を引き出して、彼女は目を丸くした。
「通知39件!? ……って、全部美夜だし」
中身は怒りのスタンプが連打押しされていた。遡って用件を確かめたが『暇だから見に行く』といったはっきりしないものだ。
「ずーっと車とにらめっこしてるけど、勝負着いたんか?」
「生憎とまだ延長戦の最中」
美夜の横を通り抜け、ガレージの外で暇そうな先輩を探す。少しして通り掛かったのは、武藤だった。彼ならルートやコネクションも多いかもしれない。
声をかけると決めるのに、さほど時間は掛からなかった。
「武藤先輩!」
「ボンド? どした、パーツ足りねぇのか?」
あながち間違っていない。エレノアは驚きつつも、武藤へヴァンテージのパワーアップに関する用件を伝える。
「なるほどな。エンジンを手っ取り早くパワーアップしたいなら、やっぱ過給器だろ。スーパーチャージャー辺りが一番良いだろうが、ボンネットを多少加工しなきゃならねぇかもな。なにせギチギチだからな、ヴァンテージは」
エレノアと考えは変わらない。ターボチャージャーではパワーは出ても、街乗りに向かなくなる。パワーの出方が極端になって、扱いは難しくなる。
スーパーチャージャーならば控えめだが、トルクを上げつつパワーアップも望める。排気ガスでタービンを回さないスーパーチャージャーは、代わりに駆動にエンジンベルトを介するせいで高速域ではパワーロスが出るものの、全体的に扱いやすくなる。
最大パワーだけを求めない今回のプランにはピッタリといえた。
「それから、エンジンのキャブレターもインジェクター化した方が良いかもな。となると、同じV8から新しいエンジン引っ張った方が早いかもだ」
武藤が腕組みしつつ語る。
ヴァンテージはキャブレター式と呼ばれる燃料噴射装置で、端的に言えば制御コンピューターが無い。楽しめるエンジンだが、今の時代ではエンジンの掛かりが悪くなったり頻繁なセッティングが必要と、良いことは少ない。
インジェクター化し、コンピューター制御化しなければ過給器を着けても最適な燃料噴射が得られないだろう。それではエンジンがフルパワーを発揮できない。
しかし、そこまでのプランとなると、もはや純正エンジンでは古すぎる。ボディ加工を覚悟で、新型のV8エンジンに載せ換えた方が早いというのが武藤の意見だった。
現代のV8エンジンならば、ハイスペックバージョンでスーパーチャージャーを初めから搭載している物も少なくない。そうなれば、エンジンパワーは300馬力から600馬力、高ければ800馬力以上まで跳ね上がる。
ただ、逆転した発想をすればエンジン自体を小さいものに載せ換えて軽量化も出来る。良いエンジンならば、V型6気筒ターボで600馬力くらいまでは狙えるだろう。
単純計算二倍でしかも軽くなる。しかし、エレノアはそれには賛同しなかった。あの車はV8ヴァンテージだ。V8エンジンで走ることに意味がある、名前に嘘を吐かせてはいけないと思った。
「何か探してみます。武藤先輩、よかったら手を貸してくれませんか?」
「任せろ。載せ換えなら、ボディの補修は少し待った方が良いな。アテが出来たら連絡する」
そう言うと、武藤は何処かへ電話を掛けながら何処かへ去っていった。
「えーれーのーあー……」
直後聴こえたのは、恨めしそうな美夜の声だ。
「お前ー! さっきから呪文みたいな会話しやがってコラァ!」
がばっと抱きつく美夜。刹那、エレノアの身体をくすぐりだした。
必死に身をよじり逃れようとするが、じゃれ合いでは美夜が上だった。
「狙撃科暇やから見に来い言おう思ったのに、シカトしやがってコノ!」
「あはは! 美夜、やめ……ひゃんっ!?」
「なんやえぇ声出すやないかー!」
「ちょっと……本気で撃つよ!?」
思わずエレノアの手がホルスターに伸びる。美夜はそれを見て、阻止しようとエレノアの手首を掴んだ。
二人はそのままバランスを崩し、あたかも美夜が押し倒したかのようにその場に倒れ込んだ。
「……美夜」
「エリー……。いや、ワルい。ちょっと私もやり過ぎたわ」
離れる美夜。手を差し出すと、エレノアを引っ張り起こす。
申し訳なさそうに俯く美夜を見て、エレノアも怒鳴るに怒鳴れなかった。彼女の家庭環境が最近余計に複雑なのは知っている。恐らく寂しいのだと、推測は簡単に出来た。
「車弄るにも少しアテを探さなきゃいけないし、今日は早引けする?」
「ええの? 今から車屋回るなり、出来ひん?」
「だから、付き合ってもらう。美夜、今日ご家族は?」
「仕事。どーせ、三日四日詰め込みやろ」
「うん、わかった。じゃあ前のお礼に、美夜の家に行っていい?」
エレノアが言うと、美夜の表情が微かに明るくなった気がした。
「泊まりか?」
「出来るの?」
「任しとき! いこ、エリー!」
手を引っ張る美夜をなんとか制し、エレノアは車輌科からハイブリッド小型車のアクアを借りて学園島を後にする。
静かな助手席では、美夜が今晩の献立を考えているようだった。
独りの辛さは、エレノアも分かる。武偵になってからは特に、彼女はずっと一人だった。ルームシェアが無くて楽ではあるが、迎えがないのは心身に響く。
だから、エレノアは美夜に付くことにした。自動車工場にいくつか立ち寄って、それから美夜の自宅へと車は走っていった。
色々候補はありますが、なんのV8使おうかな……