祝福の物語 作:高城 あきら
お願いがあるの
「ごめんね⋯⋯私はもう、駄目みたい」
少女の声がした。息も絶え絶えに放ったその言葉自体は半ばあきらめに近く、絶望に満ちたものだったが、それでもにっこりと微笑む。それはいま、少女の頭を膝の上に乗せ、悲痛な表情を浮かべている彼にまで絶望を伝播させないためだった。
「そうか」
少年の声がした。ともすれば冷徹ともとれるほど短い言葉だが、声は震えていた。ただ無力感に打ちひしがれながら、膝の上の少女を撫でる。
夕日が二人を照らす。夜の帳はもうすぐそこだ。
なぜ守ってやれなかった。少年は悲痛な面持ちで拳を握り締めた。わかっていたはずだ、
そんな少年の様子を見て、少女は思わず笑ってしまった。私はこれで終わる。それなのに私よりもよっぽどあなたの方が絶望しているじゃない。普通は逆でしょう? だがそんな彼女の態度が気に食わなかったのか少年は睨みつけるようにして少女を見降ろす。
「どうして⋯⋯お前は⋯⋯!」
「二人して絶望なんてする必要なんてないの。だって、魔法少女は夢と希望を叶えるんだから」
それは少女がどこかで聞いた言葉だった。あの神様のようにすべてを救うことはできなくても、目の前の少年だけは救ってあげたかった。ゆっくりと手を伸ばし、少年の頬に触れる。涙が手を伝った。暖かい。少女はそう思った。
星空が見えた。人々を照らす大いなる光が徐々に勢力を失い、代わりに闇が世界を支配し始める。
少女は腕を下ろし、かわりに緑色に輝く宝石を掲げた。それは魂の輝きだった。それなのに今は黒ずみ、澱んだ光を発している。瞬間、苦痛が少女の身体をほとばしった。思わず苦悶に声をあげ、体をのけぞらせる。
少年が慌てて少女の身体を押さえる。泣きそうな顔だった。まるで不安に駆られ、縋るものを探して回る子供のように見えた。
だから少女は無理矢理笑った。彼の縋るものとなるために。しかし上手く笑えていないのが彼女自身にもよくわかる。
苦しみに支配されてはならない。彼女にはどうしても伝えなければならないことがあった。
「お願い、が⋯⋯あるの」
宝石を握り締めた。強く強く。
「これから先、たぶん五年、くらい、後に⋯⋯見滝原って街、に暁美ほむらっていう、魔法少女が、現れるはずなの。その子を⋯⋯救ってあげてほしい」
少年は怪訝な顔をした。それもそうだ。あまりにも突拍子もない話なのだから。
「なぜ?」
その言葉にはたくさんの意味が含まれていた。なぜ俺がそんなことをしなければならない? なぜお前にそんなことが分かる? お前の能力は未来予知の類ではなかったはずなのに。
少女は思わず苦笑した。言葉足らずにもほどがある。こんな調子で本当に暁美ほむらを救えるのだろうか?
あの永劫ともいえる繰り返しの中で絶望に潰されそうになる少女のことを。
そういえばあの子もコミュニケーション能力に難があったな。そんなことを考えながらそれでも彼の疑問には答えなければならない。
「私にはね、わかるの。少しの、限られた時間の未来、だけ。そしてその子は、長い、本当に永い苦しみとらわれる。だからね、その未来を救ってあげてほしいの。
「俺は⋯⋯お前を救いたいのに! それだけでいいのに⋯⋯関係のない魔法少女を救えというのか⁉」
「ああ、あとそれ」
少女はじっとりと少年を睨みながら指をさす。
「その子、年下の、女の子なん、だから⋯⋯俺とかいう一人称とお前って二人称、どうにかした方が、いいよ。ただでさえ、身体が大きいのに、威圧的に見えちゃう」
「何を言って──」
「いーい?」
少年は乱暴に目元をぬぐった。そして少女のまっすぐな瞳を見下ろす。
命の芽吹きを思わせる新緑の瞳は日の光が落ちつつある薄暗がりの中でも光り輝いており、少年をまっすぐに見抜いた。
こうなってしまった少女はもう
美しい輝きを放つその緑の瞳。何物にも代えがたい光。
少年はそっと少女の手を取った「約束する。その暁美ほむらという魔法少女のことは、俺が救って見せる」
「よろしい」
少女はにっこりと笑った。嬉しそうな、泣きそうな笑顔だった。
太陽は高層マンションの群れに隠れてしまい、二人から見えなくなる。しかし夜というにはまだ空に橙色の光が残っていた。
少年も笑った。今にも泣きだしそうな自分を誤魔化すために。
彼はそっと少女の頭を撫でた。少し癖のあるその髪の毛はふわふわと心地よいものだ。少女はくすぐったそうに笑った。そこには絶望など無かった。ただ穏やかな時間と、ひんやりとした風が二人を包んだ。
夜が近い。
少女の握る宝石が、少しずつ黒に支配されてゆく。
ふと、少年の頭にあることが浮かんだ。これは妙案だと、彼は少女に伝えることにした。
「いま、俺の頭に浮かんだ案だが」
「全く、一人称のこと忘れないでね。──で、何? どんな案なの?」
「ああ、それは───────」
少年の案を聞いた少女はぽかんと口を開けると、包み隠さず感想を述べた。
「ちょっとキモい」
それは少年自身も思っていたことだ。言葉にされることで少々ダメージを負ったが、悪くはないと思っている。それは少女も同様だったようで、
「でも悪くないかも」
にやりと笑った。
そして宝石を見た。もうほとんど真っ黒に染まっている。時間だ。少女はゆっくりと目を閉じ、少年の身体に体重を預ける。
少年の身体から熱を感じた。それは命の熱であり、生命の脈動だった。
少女の瞳から雫が零れ落ちた。
「ねぇ」
空気が震える。
「どうした?」
優しい声が聴こえる
「ありがとう」
太陽が沈んだ。
意識の外側からアラームが聞こえた。普段なら忌々しい音だが、今日に限ってはまるで心地の良い音楽のように感じられた。悪夢から醒ましてくれるのなら何でもいい。それこそ窓を破って侵入してくる強盗殺人犯でも構わない。いや、さすがにそれはないか。せめて外を走る暴走族くらいの関わりのなさがいい。それくらいなら悪態をついて起きればいい話なのだから。尤も、朝っぱらから暴走する馬鹿どもなど、この治安の良い見滝原の街にはいないのだが。
男は目を開けると、携帯のアラームを消した。
夢の内容は、はっきりとおぼえている。それは忌々しい過去のことだからだ。夢でなくても忘れたことは一度としてなかった。
「五年か」
男は確認するようにそう呟いた。
それは彼女が救済を願った魔法少女が現れる年だ。彼女は確かに“現れる”と言った。ならば今はまだ未契約であり、近いうちに魔法少女となるのだろう。
途方もない話だ、と男は思う。この見滝原だけでもいったい何人の少女がいるのだろうか。
いや、正確には違う。
外では桜が舞い、青い空からは暖かな陽光が街を照らしている。
今までは収穫なし。暁美ほむらの『あ』の字すら見つからなかった。だがこれからだ。だって言うだろう? 春は出会いの季節だと。そう、私とその暁美ほむらとやらが出会うのも春のはずだ。あの真っ白な陰獣も新学期で浮かれた学生どもを狙うに違いない。
違いない違いないと、誰に言い訳をするでもなく歌いながら朝の準備をしていると、男はふと思い至った。
──久しぶりにあの夢を見たというのは、早くしろという彼女からの催促ではないのか?
男の背を嫌な汗が伝った。
よし心機一転、新学期も始まったことだしこれから頑張ろう。男はぐっとこぶしを握り締め、窓の外を見つめた。
しかしどうしようか。この歳で一人の少女を探すとなると、なかなか大変なものがある。男にも生活があるのだ。彼女との約束は最上の優先事項ではあるが、そのために人生を棒に振るわけにはいかない。それらしい年齢の少女に、片端から声をかけて未成年淫行なぞと疑われてみろ、最悪の汚物として扱われること請け合いだし、そもそもそんな状態で暁美ほむらに出会おうものなら、救う以前に信用を得ること自体が無理だ。
となると手っ取り早い方法は一つ。
「魔女の結界を探すしかないな」
朝の支度を終えた男は玄関のドアを開け、外に出た。とりあえず先のことよりも目の前のことに集中すべきだ。
今日の講義は何があったかな。そんな他愛もないふつうの大学生のようなことを考えながら、男は空を見上げた。
鳩が一羽、彼の頭上を越え、遠くの空へ飛んで行った。