祝福の物語   作:高城 あきら

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自分を見失わないでくれ

 空気がよどみ、音の洪水が溢れる空間の中、彼女はダンスゲームにいそしんでいた。

 次々と画面上に何かしらのエフェクトが光るのだが、生憎知識のないマミには何が起こっているのか分からない。ただそれなりに動きに切れがあるのを見ると、上手な部類に入るのではあるのだろうと予測できる。

 

 巴マミはそんな佐倉杏子の後ろ姿を眺めていた。

 

「何か用?」

 

 ゲーム中にもかかわらず杏子から声をかけられ、マミは驚きを隠せなかったが、そもそも魔法少女なのだ。背後の気配を探知することなど朝飯前だろう。

 落ち着け。マミは胸に手を当てて深呼吸を一つした。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 杏子はかたくなだ。一度決めたことにはとことん突き進むし、精神的にも年不相応なほど強い。それは彼女が大きな絶望を知っているからだろう。そんな彼女を懐柔するのは至難の業だが、それでもやらなければいけない。ワルプルギスの夜から見滝原を守るには、彼女の協力は不可欠なのだから。

 そしてそれだけではない。固く閉ざされた杏子の心の扉を開けてあげること、恐らく神也もそれを狙ってマミに交渉へと赴かせたのだろう。ならばその期待に応えなければならない。

 

「貴女にお願いしたいことがあるの」

「そんなの、あたしに聞く義理があると思う?」

 

 杏子から帰ってきたのは拒絶の言葉だ。しかしそれは予想できた。マミもさすがに杏子が何の見返りもなしに協力するとは思えない。

 こちらから提示できるカードは限られている。上手く交渉できるかどうかは五分五分だが、部の悪い賭けではないはずだ。

 

「聞いてくれれば、貴女に見滝原市の一部の譲渡、グリーフシードの共有を約束するわ」

「聞き捨てならねえな。それはあんたの信条には反するんじゃないの? あたしはグリーフシードを産まない使い魔なんか狩らない」

「わかっているわ。使い魔は私が退治する。その分のグリーフシードをあなたに渡すという条件よ」

 

 曲が終わり、杏子の動きが止まった。終盤にいくつか失敗したらしく、パーフェクトではないようだ。そのことに杏子は小さく舌打ちすると、体をマミの方へと向けた。

 とてつもなく怪訝な顔をしている。あまりの好条件に、かえって警戒しているようだ。

 

「そこまでして頼みたいことって、一体なんだよ?」

「二週間後、見滝原市にワルプルギスの夜が来るわ」

 

 杏子の眉が顰められ、疑うようにマミへ懐疑的な目線が注がれる。

 

「なぜわかる──いや、あの野郎の予言か」

「そう、加野さんは未来を視たの。でも私と美樹さん、暁美さん。そして加野さん⋯⋯これだけの戦力を集めてもワルプルギスの夜に勝てるかは怪しいらしいわ。だからお願い、私たちに手を貸して、佐倉さん」

 

 杏子はじっと動かない。何かを見定めるように鋭い目線をマミへと送る。

 どれくらいの時間が経っただろうか、マミの頬を汗が伝ったとき、杏子はにっとわらった。

 

「食うかい?」

 

 差し出されたのはチョコレート菓子。よくお菓子売り場で見かけるものだ。

 マミはそれを受け取る。その顔には安堵と、そして歓喜の笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『成功しました!』

 

 可愛らしい絵文字付きで送られてきたマミからのメッセージに、神也は目を通す。マミが杏子との交渉を成功させた。まずまずの結果だった。美樹さやかが魔法少女となったのはかなり想定外だったものの、おおむねいい方向に進んでいる。

 条件も互いが納得できるぎりぎりのラインだったが、いい方に転がったようだ。

 

 だがこのタイミングでの佐倉杏子との邂逅は、彼にも想定外だった。本当はこちらから風見野にアプローチをかける予定だったのだが、予定が狂ってしまった。

 

 それもこれも、今彼の前方にいる生き物が原因なのだが。

 

「やはりお前だったか。風見野から魔女を駆逐したのは」

「人聞きが悪いね。魔女は人の呪いが集まるところを目指す。それなら、より人口の多い見滝原に魔女が集まるのは道理と言えるじゃないか。僕はただその道しるべとなっただけだ。多少穢れが多い魔法少女の誘導はしたけどね。魔女を直接移動したりなんかは、僕にはできないよ」

 

 直接の原因ではなくとも、彼らが杏子を見滝原に誘導したのは事実のようだ。

 

 神也は顔色を変えることなく、決して神也の手が届くことがないほど遠く離れた場所にたたずむそれと会話していた。

 

 あの時、路地裏に使い魔を仕込んだのは神也だった。

 佐倉杏子が見滝原に拠点を移した以上、下手にマミたちと鉢合わせするのを避けるよりも、いっそ彼の監視下で出会う方が好都合だったのだ。

 

 杏子とマミたちとの主張は真正面から対立するものであるから、彼女らがぶつかり合うことは未来を視ずともわかる。

 結果は神也の想定以上にいい方向へと進んだようだ。マミからのメッセージからは杏子との連合戦線を組めたことが分かる。

 

 あとは本人たち次第だ。

 だが神也には確証があった。マミは歩み寄ろうとするだろうし、杏子も拒絶はするだろうが、マミと決別したのは彼女としても不本意なのだ。心の奥底では、またよりを戻したいと思っているのだから、マミならば大丈夫だろう。

 

 問題は前方の白い生物だ。

 

 孵卵器(インキュベーター)。少女たちへ安物の奇跡を売り歩く使者。

 そしてその代償として、少女たちに過酷な運命を強制する存在。神也の恋人を、優羽花を奪った元凶。

 数年ぶりに彼の前へと姿を現したインキュベーターが何かをたくらんでいるのは事実だが、それが何かは分からない。だが、なぜ動きを見せ始めたのかはわかる。

 

 鹿目まどか。彼女の存在がキュゥべえたちの動きを活発にさせたのだ。彼女の持つ素質は前例がないほどに強大である。それこそ神也の前に姿を見せるというリスクを冒してまで、彼女を魔法少女にさせたいほどに。

 暁美ほむらの背負った運命はすさまじく過酷なものだ。回数を重ねる毎にその目的は遠く離れていくのだから。

 

「しかし困るよ、加野神也。君がまどかと共にいる限り、僕たちから手出しはできない。宇宙の未来を考えるなら、まどかを魔法少女にすべきではないのかい?」

「⋯⋯違うな。お前も知っているだろう? 彼女を魔法少女にすることは、相転化したときの魔女がどれほど強力なものになるのか。そしてもう一つ。俺は彼女の人生を捨てさせる気はない」

「君はなぜ、鹿目まどかという一個体に執着するんだい? 正直、僕たちと敵対するのはやめてほしいよ。もう五年も経っているじゃないか。皐月優羽華のことは忘れて、君も宇宙生物の一員としての自覚を持った方がいいんじゃないのかい?」

 

 神也の額に青筋が浮かんだ。殺気が吹き荒れ、空気が張り詰める。

 

 それでもキュゥべえは無表情だった。そもそも感情のない者たちであるから、その程度で恐怖を感じることはないのだろう。

 しかし怒りを抱いていることそのものは感じたようで、キュゥべえは神也から更に距離をとる。

 神也は深くベッドに腰かけた。感情的になったところで得るものは何もない。今はできる限り、キュゥべえから情報を抜き取ることが重要だった。

 感情をコントロールするのは神也の得意分野だった。元々平坦な心を持っている彼は、ちょっとやそっとでは揺らがない。

 

 ただ一つの点を除いて。

 

 しかしキュゥべえはその点を知っていた。

 

 彼のただ一つと言ってもいい弱点を。

 

「君は僕を恨んでいるようだけど、それは間違いじゃないのかい? 実際、優羽花の願いで君は助かっているんだ。恨まれるのは心外というものだよ」

「──心がない者がそれを言うのか?」

「心はあるよ。感情がないだけだ」

 

 ぎり、と神也はベッドのシーツを握り締めた。

 彼も理性では理解できていた。キュゥべえはわざと神也の地雷を踏みぬいている。彼の精神を揺さぶり、そしてより優位に立つために。

 

 神也のただ一つと言ってもいい地雷。それはかつて神也を人間にしてくれた、ただ一人の恋人のことだ。

 そして神也はキュゥべえに対し、恨みにも似た感情を持っていた。だが殺したいとまでは思わない。彼らが宇宙のために動いているのは事実である上、人類も少なからず彼らの恩恵を受けている。神也もそれは理解していた。キュゥべえを殺せるというのも、牽制に使っているだけで、本当にそうしたいと思っているだけではない。

 

 そう、無いはずだった。

 

「そもそも皐月優羽花を殺したのは君じゃないか」

 

 その言葉を口にされるまでは。

 

 神也がその言葉を頭で処理する先に、体が動いていた。

 レイピアを召喚し、目隠しを外してキュゥべえに投げつける。それはキュゥべえの真横に突き刺さり、ざわざわと虚構物質を展開させ、キュゥべえの体を固定した。

 神也は虹の瞳を細めてキュゥべえの目の前に立ち、ゆっくりと手を伸ばしてその白い体を掴む。すると途端にキュゥべえは力を失い、ぬいぐるみのようにだらりと垂れ下がった。

 

「⋯⋯接続を切ったか」

「わけがわからないよ。なぜ人間は真実を羅列しただけでそこまでの怒りを抱けるんだい?」

 

 窓際からもたらされたその声に、神也は睨みつけるようにして振り返った。

 逆光でその顔はよく見えないが、どちらにせよ表情と呼べるものはないのだろう。

 神也は虚構物質を、動かなくなったキュゥべえに叩き付けて細切れにする。原子レベルで分解されたその体は霧散し、消滅していった。

 そして彼が目隠しをすると、刺さったレイピアと展開された水晶が消える。

 

 神也は大きく息を吐いた。水が凪ぐイメージを連想する。そのうち、平坦な心が彼を支配した。

 

「消えろ」

「やれやれ、もう少し冷静な話し合いを期待していたんだけどね」

「──お前の企みを、決して遂げさせはしない。覚えておくといい。人の心は、その力は、神にさえも隠されるほどのものだということを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さやかの耳にヴァイオリンの音が流れ込んでくる。

 最初は恭介と話を合わせるために聴き始めたクラシックも、いつの間にか彼女にも美醜が分かるほどになっていた。

 では今聴こえてくる音はどうなのだろうか?

 

 愚問である。

 

 この世で一番きれいな音だ。

 もちろんこの評にはさやか自身の贔屓が多量に組み込まれていたが、それを抜きにしても、相当に実力のあるものが奏でる音に間違いはなかった。さやかは目を瞑ってその美しい音に身を委ねる。そして、やはり自らが抱いた願いは間違いではなかったと、この音を聞くために私は魔法少女になったのだとさやかは再確認した。

 

「あたしは集中したいんだ。話があるならさっさとしてよ」

 

 さやかはしびれを切らして、ガードレールに寄り掛かる杏子へ、振り向かないまま声をかけた。 

 さやかの背後からぱき、と菓子をかみ砕く音が聞こえた。

 杏子が近づいてくるのを、さやかは肌で感じる。そして彼女は唐突にさやかと肩を組んだ。さやかは咄嗟に払いのけようとするが、がっちりと押さえられて身動きが取れない。

 

 杏子はにやけ顔を浮かべている。その妙に殺気立った表情に、さやかは思わず身震いした。

 

「さっさと話しかければいいじゃん。『貴女を救ったのは私です』って。そしたらこの男も、お前に惚れるんじゃないの?」

「⋯⋯そんなことできるわけないでしょ」

「正義の行いに反するからか? そんなの関係ないじゃん。坊やを救ったのは、あんた自身があいつとそういう関係になりたいと願ったからだろ?」

「あんたなんかに何が分かるの?」

「ああ、分かるね。他人のための願いなんざ、碌な結果になりゃしないんだよ。その分、あんたは賢い。ちゃんと自分の欲望のために願いを叶えてるんだからな」

 

 さやかの全身に力が入る。ワルプルギスの夜討伐のために杏子と戦線を組むことになったと、マミから連絡はあった。杏子がかなり強力な魔法少女なのだということは、先日の路地裏での攻防で十分に理解できていたし、それ故に協力関係を結んだこともわかってはいた。

 

 しかし。

 この、自らの欲望のためだけに魔法を使う杏子という存在のことを、さやかはとても受け入れることができない。魔法を使うということは他者を助けるということだ。平和を守り、弱者を助け、その希望を守り抜くということだ。

 たとえ杏子が魔法少女として強力な力を持っていたとしても、それだけは譲れない。

 この少女は今、さやかの希望を嘲笑したのだ。

 ただ、それだけだった。だが、それだけで十分だった。

 

「なんなら、あの坊やをあんたのものにするいい方法を教えてやるよ。いいか、まず手足を潰す。そしてあとはあんたが献身的に支えてやればいい。そしたらほら、坊やはあんたなしでは生きられなくなるよ?」

「もういい!」

 

 さやかの中で何かが爆発した。

 激情の本流が彼女の身体を走り、その熱が心を沸騰させ、そして爆ぜた。

 怒りという名の熱湯は、さやかの感情を容易くそれひとつにしてしまう。さやかはいま、激怒していた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 杏子は満足げに笑っていた。まるで魔法少女とはかくあるべきとでも言いたげだった。

 争い、憎み、戦うことこそがその本質であると、そういった表情でさやかに笑いかけているのだ。

 

 許せない。

 さやかの頭はその言葉で埋め尽くされていた。神也が美しいと称賛した願いを、恭介の笑顔を取り戻すことができた願いを穢されたのだ。

 指輪から青い輝きを取り出す。

 たとえ連合を組んでいたとしても、それだけは絶対に許せない。

 

「絶対に⋯⋯許せない! 誰かが許しても、それがたとえマミさんでも、あたしは絶対にお前を許さない!」

 

 杏子はさやかの叩きつけた怒りに少しも怯むことなく、むしろ好戦的に歯をむいて笑った。

 獣の牙を思わせる鋭い八重歯が、きらりと光った。

 

「ここじゃ目立つ。場所を変えようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最悪だ。

 ほむらは走りながらそう思った。

 

『大変なの! さやかちゃんとあの赤い子が、歩道橋のところで戦おうとしてる!』

 

 まどかからその報せを受けたのはつい先ほどのことで、その内容自体は「ああ、またか」とあきれるだけでよかったのだが、問題はまどかがその情報を誰から仕入れたのかということだ。

 それを問うと、素直なまどかからすぐに返信が来た。

 

『キュゥべえから教えてもらったの』

 

 またキュゥべえが動きを見せ始めた。その事実がほむらを一層焦らせる。前回は美樹さやかのことでしてやられたが、今回はそういうわけにもいかない。

 

 まどかの契約がかかっている。

 

 工場の時は間一髪だったものの、その時は裏で神也が、気づかれないようにさやかを誘導したらしく、ぎりぎりで間に合うことができた。そうでなければ今頃まどかは魔法少女になっていたことだろう。

 

 今回も間に合わせなければならない。

 もし杏子とさやかの争いを止めるためにまどかが魔法少女になろうものなら⋯⋯。

 

 ほむらは身震いした。

 この時間軸を捨てて、次もまた神也が現れるとは限らないのだ。故に今までになく上手くいっているこの時間軸を捨てることはあってはならない。

 人の何倍もある体力は尽きることなく、ものの数分で歩道橋にたどり着いた。

 

「やめてよ二人とも! こんなのおかしいよ!」

「は、うざい奴らってのはどうしてこう群れるのが好きかねえ」

 

 歩道橋の上でにらみ合う杏子とさやか。そしてそんな二人の間でおろおろするまどか。

 何もできないと分かっていながらも手出ししようとするまどかの優しさに、ほむらはある種の苛立ちを覚えた。

 

 優しいのは数あるまどかの美徳の内で最たるものだ。それこそ身を亡ぼすこともいとわないくらいに、彼女は優しい少女だった。

 それでも行き過ぎた優しさが大きな絶望を産むことを、まどかは知らない。

 ほむらはその優しさにいったいどれほど救われただろうか。そしてどれほど失敗させられてきただろうか。

 

──どれほど絶望させられてきたのだろうか。

 

 だが絶望に身を落とすわけにはいかない。だってまだ、まどかを救っていないのだから。

 時を止める。

 世界が色を失い、そして動きも失った。

 今この世界で息づくのは、ほむらただ一人だ。

 杏子の背後に立つ。まどかを罵倒したのは重罪だが、いま手を出すのは得策ではない。感情で動いた果てには、取り返しのつかない失敗が待っているのだから。

 美樹さやかのように。

 時を動かす。色が世界にもたらされ、突然現れたほむらにまどかとさやかはぎょっとした。

 

「だとしたら、群れることのできないあなたはどうなのかしら」

 

 唐突に声をかけられ、杏子が驚いて振り向く。ほむらはその瞬間もう一度時を止め、今度は杏子の横へと移動し、時を再開させる。

 杏子の目にはまるでほむらが瞬間移動しているように見えるが、魔法少女の能力としてそれが正しいのか分からず、舌打ちをした。

 

「何のつもりよ、ほむら」

 

 さやかはほむらの唐突な行動に厳しい眼を向けるが、ほむらは平然と髪を梳いた。

 

「言ったはずよ。ワルプルギスの夜討伐のため、佐倉杏子と手を組むと」

「納得できない! そんな奴と手を組むなんて!」

「あたしもごめんだね。巴マミとあんた、あとあの糞野郎はともかく、足手まといのお世話なんかやってられねえっての」

 

 さやかはその言葉に歯ぎしりするが、ほむらは黙ってまどかの方へと向かった。

 これ以上彼女を巻き込むわけにはいかない。その肩に乗るキュゥべえをの睨みつけると、まどかが小さく悲鳴を上げる。ほむらの心に罪悪感が湧いた。まどかを怖がらせるつもりはなかったのに。だがそれでも、多少まどかを怖がらせることになっても、彼女を魔法少女に近づけるわけにはいかなかった。

 

 まどかに背を向けて、彼女を守るようにほむらは立つ。

 

「ほむらちゃん⋯⋯」

「まどか。あなたはこれ以上、魔法少女のことに関わるべきではないわ」

 

 まどかの悲しげな声に、ほむらは振り向くことなくきっぱりとその言葉を告げた。

 振り返ることはできなかった。まどかは恐らく相当に悲しい顔をしているのだろう。それを見ることはできない。決意が揺らいでしまう。

 

 杏子が鼻で笑った。

 

「何? あんたも結局仲良しごっこかよ。しかも魔法少女ですらないやつって、正気か?」

「ええ、少なくとも自分の願いに蓋をして、本心を見失うよりもずっと」

 

 杏子の顔から表情が抜け落ちた。

 そして何を言われたのか理解した瞬間、その顔が般若のように歪んだ。

 

「⋯⋯なんでてめぇがそのことを知ってやがる?」

「さあ、どうしてかしら」

「あの⋯⋯糞野郎!」

 

 どうやら杏子は盛大な勘違いをしているようだが、ほむらにとってそれは好都合だった。

 この様子なら、ほむらの能力が発覚することはないだろう。

 

 時を操る能力は切り札であるゆえに、まだマミたちにも見せていない。彼女たちには高速移動という体で誤魔化してある。

 そして杏子には、一度自らの本心を顧みてほしいというのがほむらのひそかに抱いた願いだった。そしてそのカギになるのは恐らくマミと神也だ。

 

 ──捨ててきたものを、今度は拾い上げる。

 

 ほむらが新しく抱いたのは、その願い。

 拾い上げるものの中には、当然杏子のことも含まれている。ほむらは黙って杏子を見ていた。

 

 その時、突然歩道橋の上に光が溢れた。何処かで見たことのあるような虹の蔓がゆっくりと伸び、人ひとり分の大きさに集まる。

 植物の根が集まったようなそれが、音もたてずに霧散した。そしてその場所にいたのは目隠しをした神也と、彼に襟の後ろ側を掴まれているマミだった。

 

「あの、私たちどうやってここに⋯⋯」

「虚構物質っていうのはなんにでも干渉できるって言ったろ? それで空間を跳んだの。便利だろう?」

「⋯⋯」

 

 困惑したように苦笑するマミと、さわやかに笑う神也。

 そして彼は杏子へ顔を向けた。

 

「糞野郎とは、随分なことを言ってくれるね、佐倉」

「人の秘密をべらべらしゃべりやがって⋯⋯てめえは一回ぶっ殺してやる!」

 

 杏子は魔法少女に変身すると、槍の切っ先を神也へ向けた。

 神也もにっこりと笑って指を鳴らそうとしたとき、その体が大きく吹き飛ばされた。

 

 先手必勝。

 神也の能力は回避力に長けている。それならば下手に長引かせるよりも早急に蹴りを付けたほうがいい。

 杏子はそう判断して、神也が準備するよりも先に槍を振りぬいていた。

 神也も咄嗟にレイピアの持ち手でガードしていたが、威力は殺しきれず歩道橋の上を転がり、手すりに激突する。

 

 杏子はその隙を見逃さなかった。素早く蛇腹状に槍を展開させると、崩れ落ちた神也の身体を縛り上げて宙づりにし、固い歩道橋に叩きつけた。

 くぐもった音が神也の口から洩れる。

 杏子は歯ぎしりした。ここまでやっても泣き言を言わない。ただ笑ったまま、虚構物質も展開させずに拘束されるがままになっている。

 

「そうだ」

 

 唐突に挙げられた声に杏子の動きが一瞬止まる。そしてその瞬間、蛇腹状に展開されていた槍がはじけた。

 

 マミが魔法少女に変身していた。いや、マミ以外にもさやかとほむらも変身している。

 

 神也の拘束を解いたのはマミだ。彼女はその天才的な射撃能力で、神也に当てることなく杏子の槍だけを狙い打ったのだ。

 

 唐突に神也の身体が消えた。

 杏子がその姿を探そうと見渡すと、彼はいつの間にかほむらの傍にいた。そしてその体が光に包まれる。それはさやかの魔法だった。癒しの願いをかなえた彼女は、特出した癒しの力を手に入れていたのだ。

 みるみるうちに神也の身体が修復され、けがも痣も何一つなくなる。

 

「私は一人では何もできない。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あっけにとられる杏子に、神也は歩み寄る。彼は変わらず笑顔を向けていた。

 

「だから頼む。君も自分を見失わないでくれ。人はだれ一人として、孤独では生きていけないんだ」

 

 杏子は自分が何を言われているのか理解できない。

 

 人が? 孤独では生きていけない? 

 

 杏子にもそんなことは分かり切っている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな話をするために杏子と戦って、痛めつけられたのだろうか。もしそうなら、目の前の男は救いようのない馬鹿だ。あのさやかとかいう正義に満ち溢れた魔法少女と同じくらい、愚かしい行為だ。

 

 杏子はあきれてため息を吐いた。あきれすぎて抱いていた怒りも何処かへ飛んで行ってしまった。

 

 袋からチョコレート菓子を取り出して咥える。

 チョコレートが口内の温度に溶かされ、甘さが杏子を満たした。いつの間にか飛んで行っていた冷静さが返ってくる。

 

 なぜ冷静さを失っていたのか? 決まっている。あの美樹さやかとかいう魔法少女が気に食わなかったのだ。

 昔の自分を思い出してしまうから。

 

 杏子は空を仰いだ。月は細くなっており、光が届かないせいで星がよく見えた。

 ぱき、とチョコレートが溶けて露出したクッキーをかみ砕く。

 

「⋯⋯そういえば共同戦線を組んだ仲だったな。全く、こんな馬鹿どもとは思っていなかったが、条件は悪くねえ。ああ、勘違いすんなよ? 別にあたしはあんたらと仲良しこよしする気はねえぞ。特にてめえとその新入りは、めちゃくちゃ気に食わねえからな。ワルプルギスまでの仲だ」

「それで構わない。君が自らの起源(オリジン)を思い出すのは、まだ先のことだからね」

 

 相変わらず何を言っているのかよく分からない。杏子はそんなことを思いながら棒状のスナック菓子を神也に向けた。

 過去を視たことを許すわけではないが、とりあえず場を落ち着かせるにはそれが一番だった。

 

「ほら、食えよ」

 

 かなり雑に渡されたそれに、神也は苦笑いを浮かべて手を伸ばす。

 その手が突然止まった。

 

 誰も、動くことができなかった。

 

「──あ?」

 

 突然神也の左胸に空いた大穴から、杏子は向こう側の景色を見た。そこから流れ出た鮮血が、まるで何かを伝うように虚空でとどまり、ぽたぽたとこぼれている。

 神也の口からごぼりと大量の血が零れ落ちて、血だまりを作る。

 

 レイピアが神也の手から離れ、血溜まりの上で湿った音を立てた。

 

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