祝福の物語 作:高城 あきら
「どういうことだおい! 本体ってなんなんだよ!」
「そのままの意味さ。ソウルジェムこそ君たちの本体だ。僕たちも、人間の身体のまま魔女と戦えなんて残酷なことは言えない。その分、痛みも抑制できて致命傷でも回復できるその体は便利なはずだよ」
淡々と告げられる真実。しかし誰もそれを受け入れることはできない。
体はもう人間のそれではなく、魂のありかは肉体を離れ小さな石ころにされたといわれたところで、それを理解しようとも納得などできるわけがない。
「なんだよそれ⋯⋯そんなの、あたしらゾンビにされたようなもんじゃねえか!」
杏子が感情のままにキュゥべえを掴み上げる。誰もそれを止めようとはしない。ずっと友として彼と付き添ってきたマミも、何かを傷つけることに拒絶を示す優しいまどかも。
からん。マミがマスケット銃を落とす音が虚しく響く。
いやいやするようにマミは何度も首を横に振っている。呆然と目を見張り、ただ縋るように杏子に締め上げられているキュゥべえを見つめていた。
マミはふらふらと、それこそゾンビのような足取りでキュゥべえに近づいた。
「嘘よ⋯⋯ねえ、キュゥべえ。嘘よね?」
「嘘じゃないさ。そんなことをしたところで意味がないからね。君たちは魔法少女となる契約を結んだ。僕たちはその体から魂を抜き取り、それをソウルジェムとしてコンパクトに収めたのさ。君たちの身体はもはや外付けのハードウェアでしかない」
ただ単調に、何でもないことの如く。しかしこれ以上ないほど残酷に、その事実は告げられる。
マミはその場にへたり込んだ。かつてない衝撃に、ただ地面を見つめることしかできない。
杏子はまだキュゥべえを締め付けている。彼女もマミと同様に動揺はしていたものの、それを分かりやすく出しはしない。ただその事実に対する悲観を怒りに変え、その元凶にぶつけているだけだった。
まどかは、浅い呼吸を繰り返し時折痛みに呻くさやかの手を握ることしかできない。
魂を抜かれた身体だとしても、さやかの手からは確かな暖かさを感じる。まどかにはどうしてもそれが抜け殻には思えなかった。
「でも本当に危なかったね。いくら体を再生できるとはいえ、ソウルジェムが破壊されたら死んでしまう。さやかは運がよかったよ」
杏子の手を離れたキュゥべえがさやかの顔を見ながら、まるで顕微鏡を覗く研究者が分析するように呟いた。まどかは涙にぬれた顔でキュゥべえを見ることしかできない。
さやかと繋いだまどかの手は汗でじっとりと濡れていた。それが痛みに苦しみ続けるさやかのものなのか、それとも自らのものなのか彼女には判断できなかった。
不意にキュゥべえの身体が放り投げられた。
神也が立っていた。胸に大穴をあけられ、左半身を失ったとは思えないほど完全な肉体で、彼は虹色の両眼を細めている。
神也はゆっくりとしゃがみ、さやかの手を取った。
七色に輝く蔦が神也の腕から伸び、さやかの腕を伝って臍のソウルジェムへと到達すると、その青い宝石に走ったヒビを縫い付けるように覆った。
さやかの表情がいくばくか穏やかになる。まどかはほっと息を吐いた。
神也はぎゅっとさやかの手を握り締めている。やがてうっすらと彼女の目が開けられると、神也はその青い双眸を覗き込んだ。
「私のことが分かるか? 美樹」
「神也、さん⋯⋯?」
夢うつつ、と言った様子でうわごとのようにさやかは言葉を発したが、次の瞬間目を大きく見開いて飛び起き、辺りを見渡した。
尋常ではない雰囲気。いったい何があったのか理解が追い付かず、さやかの眉が顰められた。
「なに⋯⋯? なんなの?」
「まさか、あの状態から生きているなんて」
「私も驚いている。なんせ、死ぬのは初めてなんでね」
そう言って神也は左胸をさすった。そこにかつてあったものを確かめるように。しかしもうそこには脈動する心臓しかない。
目隠しをしているせいでほむらからは神也の表情を伺い知ることはできない。ただ皮肉気にゆがめられた唇からは、怒りや悲しみといった負の感情をまぜこぜにしたようなものが感じられた。
だがなぜだろうか、ほむらはその表情に大きな違和感を覚えた。しかしその正体が掴めない。
そこは真っ白な空間だった。
生活感はかけらもなく、腰を落ち着かせるための円を描くような台と、その中心にある背の高い丸机。天井には巨大な振子がぶら下がっており、ぎいぎいと揺れている。そしてホログラムで映された壁にはほむらの記憶の写真があり、特に目立つ場所にあるそれを、神也はまじまじと見つめていた。
ワルプルギスの夜。
噂でしか語り継がれていない災厄とも呼べる存在。
乗り越えなければならない呪い。
大きく変わってしまった状況に対する作戦会議。ほむらはそのために神也を部屋に呼んでいた。
「私は一体、どういう存在なんだろうな」
神也は誰に問うでもなくそう呟いた。ゆっくりとほむらの方を振り向く彼の表情は完全に消えており、本当に動く人形の様だ。
彼の問いはほむらに答えられるものではなかった。そもそも彼女自身が魔法少女という人間とはかけ離れた存在なのだから。
人間の形をしたナニカ。見た目だけは人間であるものの、その本質は今ほむらの右手につけられた石ころに過ぎない。
ほむらはその宝石を照明にかざした。
深い紫色の輝きだった。僅かにくすみが目立つが、まだ問題ではないだろう。
魔法少女というものは何だろうか。
それは未だにほむらの中でも答えが出ていない。人間ではない事は確かだが、それを定義する言葉は分からないのだ。
「そんなに悲しそうな顔をするなよ。少し気になっただけだ」
神也は肩をすぼめると、ほむらの対面に腰を落ち着かせる。膝を大きく開いて肘をつき、頬杖をして唇を吊り上げた。とても人間味にあふれた行動だ。しかしほむらにはまるで人間のふりをする得体の知れない存在に思えた。
ずっと彼を覆っていた壁が先ほどまでの一件で削られ、薄くなったそれから神也の本質が透けて見える。
人間ではないナニカが。
鳥肌が立つ。
自らが対面している存在が何か分からず、無意識に両手を握り締める。いったい彼は何だろうか。あまりにも人間から離れすぎている眼の力もそうだが、ほむらには神也の精神構造がかけらも理解できなかった。
「君がどういう存在なのか、僕も気になるところではあるね」
不意にかけられた言葉にほむらは腰を上げた。
その声の主は感情のこもらない真っ赤な目で二人を見ていた。招かれざる客。今回の騒動の元凶がそこにいた。
「私にわかるわけがないだろう⋯⋯」
あきれたように神也はため息を吐く。しかしほむらにはひどく平坦な声色に思えた。そして先刻からほむらが抱いていた違和感の正体を掴んだ気がした。
ほむらは正面で見つめあうその二つの存在を見比べた。
どちらにも感情と呼べるものが見当たらない。
だがほむらには神也に感情がないとは思えなかった。今まで見てきた彼の振る舞いは感情のない者のそれではなかったし、恋人の話をする時の彼は慈しみに満ちたものだったはずだ。
やはりあの魔女と離れてしまったことが原因なのだろうか。
ほむらは静かに目を伏せた。愛するものを失うその心はよくわかる。ほむらも愛する友人を失ってきたのだから。
何度も何度も。
まだほむらの精神が人間のそれであるのは、まどかという道しるべのおかげだった。彼女がいるからこそ、ほむらは心まで人間を捨てることはない。
「ようやく合点がいった」
神也は足を組み、人差し指でキュゥべえを指した。
「君はほとんど素質のない少女と契約したな?
「その通りだよ、加野神也。尤も生き返るとは思っていなかったけど。それでも君はもう魔法を使えないだろう?」
「ご明察だ」
そう言いながら神也はキュゥべえの身体を掴み上げた。通常なら全力で避けるだろう彼も、今回はおとなしく神也にされるがままだ。
神也はキュゥべえの首筋を掴んだままその体に顔を近づけた。
「言ったろう? 私はお前の企みを遂げさせる気はないと」
大きく振りかぶり、キュゥべえの小さな体を投げ飛ばす。壁にぶつかって妙な音を出すキュゥべえを助ける人間はこの場にはいない。
神也はゆらりと立ち上がった。
「確認はとれた。もういい、消えろ」
「やれやれ、結局君は僕と敵対するのか。せっかく過去と決別できるいい機会だというのに」
キュゥべえは首を数回左右に振ると、踵を返して消えていった。残ったのは静寂と気まずさ。ほむらは彼にかけるべき言葉を見失っていた。
神也はそのままもう一度座ると天井を見上げる。しばらくそうした後にほむらの方を向き、にっこりと笑った。だがそれすらもほむらには何の感情も込められていない、薄っぺらなものに感じる。
神也は肩をすくめた。
「そんなに怖がらないでくれ。私もどうしたらいいか分からないんだ」
「あなたにも分からないことなんてあるの?」
「案外たくさんね」
すべてが観測できる規格外の眼のことなどほむらには分からない。神也が嘘をついている可能性もゼロではないのだ。
それでもほむらは彼に頼ることにした。未来を信じることこそが可能性だと、希望だと彼は言った。ほむらにとっての希望はまどかが幸福に生涯を送ることだ。その未来を彼女は信じ続けている。それこそ何度運命を繰り返すことになろうとも、その可能性だけは絶対に捨てはしなかった。
いや、今回に限ってはそれも違う。捨ててきたものを、かつて膨大な繰り返しの中で捨ててきたかけがえのないものを拾い上げる。それももはやほむらにとっての希望だ。
ほむらは逡巡する。目の前に座る男が豹変した理由を。彼がそうなってしまった理由は何なのかを。
突然、気づきが訪れた。それは雷鳴のようにほむらの脳に響き、目の前にいる得体の知れない存在に輪郭を作り上げた。
そうだ。きっとそうに違いない。
ほむらは魔法少女に変身し、神也が行動を起こす前に時を止めた。
モノクロになる世界。その中で唯一色を持ったほむらは神也に近づくとその目隠しを下にずらし、隠されていた虹色を露にさせた。
彼と目が合う。止まった時の中で動く瞳と。
ほむらはそれに驚きはしなかった。心のどこかでなんとなく予想していたことだ。
そしてもう一つ予想通りのことがあった。
気づきは確信に変わった。ほむらは時間を動かした。それでも神也は動かずにじっとほむらを見つめている。彼が再び目隠しをしようと動かしたその腕を、ほむらは押さえた。
神也は批難に満ちた顔でほむらを睨んだが、ほむらがそれに怯むことはない。
見覚えのある表情だった。いつもほむらが鏡ごしに見る顔だった。
不安や恐怖、そして絶望を必死に隠そうとする顔。まるで迷子になってしまった子供のような。ほむらがいつも目を逸らしてきたそれを、彼女は神也を通して見ていた。
こういう顔をする人間に何を言えばいいのか、ほむらは経験として知っている。
「
「──まさかとは思うが、私は女子中学生に諭されているのか?」
「ええ、不満かしら」
迷子の子供にかけるにはいささか突き放すような言葉。しかしそれでも構わないとほむらは思っていた。そもそも目の前にいるのは成人を超えたいい大人であり、子供ですらないのだが。
神也は未だに彼の腕を掴んで離さないほむらの手をそっと離すと、
「いいや、不満はないさ。正直なところ私一人でどうにかなると思っていた。驕っていたんだ。情けないことにね。ああ、そうだ。私も誰かに頼らなければいけないんだったな」
神也は目を閉じた。
徐々にその顔から表情が抜け落ちてゆく。今までの顔が霞のように掻き消え、色のない凪が彼の顔を支配した。
そして表情と呼べるものが一切なくなったその顔で神也は再びほむらを見上げた。
ほむらは息を飲み、一歩後ずさる。
「あなたは感情がないの? それとも感情が無い振りをしているの?」
「どうだろう、君はどう思う?」
顔がなくなったのかと思うほど何もかもが抜け落ちた顔で、その唇だけが三日月を作る。ひどくいびつなその表情にほむらは何も言えない。
突然彼がふ、と笑った。
「
恐ろしいほど平坦な声でそれだけを言うと神也は目隠しをした。
顔の半分が隠され、その表情を読み取ることができなくなる。ほむらが何かを言う前に神也は立ち上がった。百八十を超える長身でほむらのことを見下ろす彼の顔は陰になっていて、彼女からは見えない。
彼は少し笑って踵を返した。
「大丈夫、私は大丈夫だ」
まるで自分に言い聞かせるような声色だった。そしてそういうことをのたまう人間は大抵大丈夫であるはずがない。人心に疎いほむらもそれくらいは理解できる。
だが動くことはできなかった。
まるで縫い付けられたように足が動かない。
神也が玄関の扉を開け、出ていく音をほむらはただ聞くことしかできなかった。
いきなり体が呪縛から解放された。いつの間にか呼吸を止めていたようで、大量の空気がほむらの肺に入り込んでくる。思わず咳き込んだ。
心臓が早鐘を打っていた。手がじっとりと汗ばみ、遅れて全身から脂汗が噴き出した。
ほむらはその時になって初めて神也が殺気を纏っていたことに気付いた。
ワルプルギスの夜が訪れるまでもう時間がない。それなのにここにきてほむらには神也のことが分からなくなった。
どう考えても彼が平常であるとは考えられない。それでもほむらには何をしていいのか分からなかった。
ソウルジェムの真実に潰れそうになるマミとさやか。杏子は諦めの境地に至っているが、その精神性ゆえにマミとさやか、その二人と心中した過去すらある。そして神也の飼っていた魔女のこともある。
下手を打てば、はずみでまどかが契約しかねないことばかりだ。
やはりすべてを救うことなど不可能なのかもしれない。
ほむらは天井を見上げた。おおきな振子が左右に振れている。
じょじょに冷たいものが彼女の頭を支配した。
──やはり私はまどかだけを救う。
しょうがない。
しょうがないことだ。
ほむらはそう断じた。
ほむらの心にじくじくとした痛みが疼く。それを無理矢理押さえつけ、ほむらは前を向く。
ひどく悲しみに歪んだ顔に気づかないふりをして、彼女は決意した。