祝福の物語 作:高城 あきら
救うんだ、苦しみから
しくじった。
お菓子の魔女の結界の中、先に進んでいった魔法少女の放つ黄色いリボンに拘束された暁美ほむらの脳裏に浮かんだのは、その五文字だった。
こんなところで巴マミを失うわけにはいかない。彼女は優秀な戦力なのだから。巴マミは、通常ならここにいる魔女ごときに後れを取るはずはない。しかし今の彼女には“仲間”がいる。
そこまで考えて、ほむらは半ば諦めたように息を吐いた。この拘束を解くすべは彼女には存在しない。
ほむらの持つ能力のうち、最たるものは時間停止の力である。それは止まった時間の中で自由に動き回ることができるという、ある種反則じみた能力であったが、彼女はそれ以外、魔法少女としては最弱ともいえる基礎能力しかない。いま彼女にまとわりついているリボンを引きちぎる力も、切り裂く武器もないのだ。
しかし希望がないわけではない。
確率は低いが、巴マミがお菓子の魔女を討伐する可能性もないことはないのだ。
まあ、それでだめなら仕方がない。ほむらは本日X回目となるため息を吐いた。そのときに胸の奥にうずいた、ちくりとした感覚には気づかないふりをして。そうだ、二兎を追う者は一兎をも得ずと言うじゃないか。多くを求めては、本当に手に入れたいものまで両手から滑り落ちてしまう。だから彼女は捨ててきたのだ。捨てて、捨てて、捨てる──その先に未来があると信じて。
ほむらは深い思考の渦にとらわれていた。
だから背後から近づいてくる足音にも気が付かなかった。
「変わった現代アートだな」
唐突に声がした。それは低い男の声で、ほむらの背後から聞こえた。
ほむらの全身が粟立つ。熟考し過ぎていた。ほむらは背後にいるであろう存在に警戒度を上げ、脳を全力で回転させた。
害意や殺意は感じられないが、油断はできない。その気になれば彼女の、無限の質量を保存しておける盾から爆弾を落とすことで攻撃することは可能だが、相手がどのような存在であるかわからない以上、下手な手は打てない。
足音は徐々に近づいてくる。ほむらは大きく息を吸い、同時に盾から手製のスイッチ式爆弾を落とした。この位置では爆発に巻き込まれるが仕方がない、肉体が傷ついたなら修復すればいいだけのことなのだから。
襲い来る衝撃と熱を覚悟して、ほむらはぎゅっと目を閉じた。しかしその二つはいつまでたっても来なかった。
からん、と金属が落ちる音がした。
「物騒な子だね」
ほむらは驚愕に目を見開いた。ほむらの前まで回り込んできた声の主は、両断された金属の筒一方を──ほむらが落とした爆弾のスイッチのついた方を──片手で弄んでいた。
そこでほむらは初めて声の主を見た。
やはりというべきか、声の通り男だった。背の高い男だ。百八十センチは優に超えているだろう。男はカラスの羽を思わせる艶やかな黒髪を無造作に掻きながら、
「魔法少女というのはどうしてこうあるかな」
誰に聞くでもなく独り言のようにそうこぼした。実際に独り言だったらしく、まあ、普通はこんな野郎が魔女の結界内にいるのに警戒しないわけがないか。などとぶつぶつこぼしている。
男は金属の筒を放り投げるとほむらを見上げたが、ほむらは目を合わせることができなかった。
正確には合わせるべき目が見当たらなかった。
男がなぜか黒い布を目隠しのように巻き付けていたからだ。
しかし男はほむらの方を正確に見ていた。まるで見えているかのような態度である上に、全くしょうがない奴めとでも言いたげに肩をすくめられた。
ほむらは眼下の男を睨みつけた。すると男は降参だというように肩まで両手をあげ、三歩ほど後ずさる。そこには冗談めかした余裕こそあるものの、反撃に出ようとかそういう行動には見えなかった。
なんだこいつは。
想定外のことが起こりすぎて混乱したほむらの頭の中に浮かんだ数々の疑問は、その一言に集約された。
こんなことは今まで一度もなかった。
今までもイレギュラーはそれなりに起きていたものの、そのすべては予想しえたものだ。つまりはほかの魔法少女による干渉。キュゥべえにとって『極めつけのイレギュラー』であるほむらの牽制のために、ほかの魔法少女を作り出すことでイレギュラーを消そうとする行為だ。
キュゥべえが魔法少女や魔女以外に干渉することはない。それはもう確定された事実と言ってもよかった。
ということはあの白いくそったれの差し金ではないのだろうか?
そこまで考えたところで男に動きがあった。ほむらの拘束されているリボンに指を触れたのだ。
ほむらが体を強張らせるのをよそに、男はただ、ああ、と小さな声を漏らした。
「なるほど、巴マミの魔法か。大方、彼女と縄張り争いの末に敗れ、待ちぼうけを食っているといったところかな」
「⋯⋯!」
この男は一体どこまで知っているのだろうか。
魔法少女のことだけでなく、巴マミのことまで知っているという事実は、ほむらをさらなる混乱に叩き込む。
その時だった。突然ほむらの身体を縛っていたリボンが細切れに吹き飛んだ。
ほむらは驚きながらもふわりと着地すると、男を見上げた。
口は笑みを浮かべているが、目元が隠されているせいで表情がいまいちつかめない。だがそこにはやはり、敵意や殺気といった類のものは一切感じられなかった。
ほむらが全力で警戒し、鋭い目線を投げつけているのをよそに、男は飄々と立っていた。
たっぷり十数秒はにらみ合っていただろうか、やがて男は口を開いた。
「君が警戒するのもわかるが、私は別に君の敵ではないよ。むしろ味方と言ってもいい」
男は言いながら人差し指を目線の高さまで持ち上げた。
「それよりも一つ、君に尋ねたいことがあるんだけど」
「──答える義理はないわ」
男はがっくりと項垂れ、額を押さえながら首を左右に振る。
いちいち動作が大げさな男だと、ほむらはそう思った。何というか、小ばかにしているとまでは言わないが、なんとなく下にみられている気がする。そうだ、まるで聞き分けのない子供に対し『こいつはいつまで経っても仕方がないな』と呆れる親のような態度だ。
それを理解した瞬間、ほむらは怒りを覚えた。と言っても表面上は冷静にいつもと変わらず、ただ激情は保ったまま心の奥にしまい込んだ。
「勘弁してくれ。たった今、君を助けてあげたばかりじゃないか」
「頼んでいないわ。だから質問には答えないわよ」
「そう言わないでおくれよ。なに、難しい質問じゃない。答えはイエスかノー、どちらか一言だけでいいんだ」
男はそう言うと一拍、間を置いた。
「君は暁美ほむらという魔法少女を知っているかな?」
「⋯⋯なんですって?」
その問いは、ほむらの全く予想しないものだった。
──この男は一体何と言った? 暁美ほむらを探しているとはいったいどういう意味だろうか。
男は小首をかしげたままほむらを見つめている。顔の大半が隠されてはいるものの、顔の輪郭や鼻筋が整っているためか妙に絵になる。
頭が混乱して思考がうまくまとまらない。この場合は何と答えるべきだろうか、怪しすぎると隠し通すべきなのか、それとも素直に答えるか。
そうこうしているうちに男はさらに爆弾を投下してきた。
「同じ質問を巴マミと佐倉杏子にもしてみたんだがね、二人ともそんな魔法少女は知らないそうだ。で、魔女の結界を探索していれば魔法少女に会えるだろうと思ってきてみるとだ、新顔の君を見つけた。それで一応訊いてみたというわけだ」
つまりこの男は、見滝原に居た魔法少女とすでにコンタクトをとっていたということだ。ほむらは軽い頭痛を覚えた。
巴マミはともかく、佐倉杏子と接触して無事でいられたのなら、少なくとも魔法少女に危害を加えるような人間ではないのだろうか。杏子の人を見る目はそれなりに信用できる。
ほむらは考え、そして一つの疑問を男にぶつけることにした。
「その暁美ほむらを見つけて、あなたはどうするつもりなの?」
「──救うんだ。苦しみから」
男は優しい笑みを浮かべたが、ほむらは対照的に驚愕に満ちた表情をしていた。
そんなほむらに気が付いているのかいないのか、男は続きを話し始めた。
「その子を救ってあげてほしいと、昔ある魔法少女に頼まれてね。だがその子に関する情報があまりにも少なすぎる。私が知っているのは暁美ほむらという名前と、見滝原に現れるということ、そしてその魔法少女が永劫ともいえる苦しみにとらわれ続けることになるってことかな」
どうして私を? どうしてそのことを知っているの? その魔法少女はいったい何者なの?
ほむらの脳裏に次々と湧いてくる疑問を、
「と言うより」
その男は。
「君は暁美ほむらを知っているね」
その一言で破壊した。
ほむらは何も答えなかった。と言うよりも答えられなかったと言った方が正しいかもしれない。
混乱の最中、ほむらは表情を取り繕うので精いっぱいだった。目隠しをしているが、男は何らかの方法でほむらの様子を見ていたのかもしれない。そしてわずかな態度の変化から、彼女が暁美ほむらについて何か情報を持っていると予想したのだろう。幸いなことに、彼女が暁美ほむら本人であるということには気づいていないようだが。
私はもう、だれにも頼らない──
それはいつか胸に刻んだ決意だった。ほむらがほむらであるための道しるべだった。
そうだ、私は一人でもやれる。
ほむらは男を見上げ、きっぱりと告げた。
「いいえ、私はそんな魔法少女なんか知らないわ」
嘘をついた。
そもそも信用に値する要素が何一つとしてないのだ。そんな存在に与える情報など無い。
イレギュラーが起こることは今までも何度かあったが、その時間軸はすべて悪い方向へと変遷していった。今回もそうに違いないとほむらは結論付け、ならば関わらない方が懸命だと判断したまでだ。
期待などしてはいけない。ほむらは理解していた。大きな希望が反転したとき、そこにあるのは最悪の絶望なのだということを。
男はぽかんと口を開けていた。何とも間の抜けた表情だとほむらは思った。ここは魔女の結界内、常人がまともにこの景色を見たのなら気狂いになることは間違いないし、使い魔や魔女に襲われでもしたら命の保証など無い危険なところだ。
それなのになんだこの警戒心のなさは。ほむらは半ば呆れていた。
男は盛大なため息をついた。そうしたいのはこちらだとほむらは言ってやりたかったが、その言葉はこらえた。それですら男に情報を与えてしまいそうだったからだ。
「そうか、人を見る目には自信があったんだけどな」
男は残念そうに言うと、後頭部を掻きながらほむらから背を向け、そのまま歩き始めた。その方向は魔女が鎮座する結界の最奥だ。
「あなた、何をするつもり?」
男は振り返った。一瞬だけ笑みをたたえていたが、それはすぐに消えた。その顔に浮かんだのは驚愕だ。
それはほむらも同様だった。
いつの間に目隠しを取ったのだろうか、ほむらは男の目を見てしまった。
瞳の色は一見すると白だが、それは違った。未だ驚きで小刻みに震える男の瞳は、光を反射して色を変化させているのだ。
美しい男だ。
手足はすらりと長く、しかし程よく筋肉をつけており、痩せてはいるが弱々しい印象は与えない。七色の虹彩は黒く長い睫毛に守られており、輪郭にも一切の歪みがない、まるで精巧に作られた人形のようだった。
月から訪れた使者であると言われた方が、魔法少女の味方だと嘯かれるよりもまだ信じられる気がした。
男は
男はほむらから離れると、にやりと笑った。
「意外と面食い?」
この男は自分の優れた容姿を理解し、そのうえで完全に調子に乗っている。それを察した瞬間、ほむらは盛大に舌打ちをした。勘違いも甚だしい。動きを止めてしまったのは、男の見た目がどうこうではなく、単純に急に動きを見せられて驚いただけだ。何故か言い訳をするように、ほむらはそう結論付けた。
周りの人間はすぐにそうやって恋愛と結びつけたがる。男は見た目からしてほむらよりも年上だろうが、男という生物は年をとってもこうなのか。彼女は完全にあきれ返っていた。
「だが嘘をつくのはいただけないな、暁美ほむらは君じゃないか」
ほむらの時間が完全に静止した。
男は構わずに話を続ける。
「しかし、なかなか変わった魔法を持っているな。時間停止に時間遡行か。でも、まだ中学生の子が、こんな業を背負わなければならないとはね。成程、これで彼女の頼みにも合点がいく」
「いったい何を──」
「
言っているの? そう問いかけようとしたほむらの言葉を男は強制的に叩き切ると、また彼女から背を向け、結界の奥へ進み始める。
「待ちなさい!」
男が今度は歩みを止めることはなく、肩口からほむらを見やった。
ほむらはその背を走って追いかけ、隣に並ぶ。
「私の質問に答えていないわ。あなたは一体何をするつもりなの?」
男はちらりとほむらを見下ろすと、また正面を向き、そして睨むようにして目を細めた。
「私がここに来た理由は、暁美ほむらを──君を見つけることだったんだが、少々事情が変わった」
と、いうよりも君は分かっているんじゃないのか? 男は歩みを止めることなくほむらにそう言うと、彼女にとって信じられない言葉をつづけた。
「このままだと巴マミが魔女に殺される。だからその前に、私が加勢に行く」
巴マミにとってそれは、奇跡にも近い出来事だった。彼女に魔法少女の仲間ができるというのだ。
ずっと孤独だった。ともに戦った魔法少女と袂を分かってからも、彼女はずっと一人で戦い続けていた。まるで先の見えない暗闇を進んでいるような感覚だった。
要するに心細かったのだ。誰か、分かち合える友達が欲しかったのだ。
だから美樹さやかと鹿目まどか、二人の少女と出会えたことは、本当は飛び上がってしまいたいくらいうれしかった。先輩としてそんなことはできなかったけれど。
そして約束した。
まどかが魔法少女になると言ってくれたのだ。
体が浮く感覚がした。体が軽かった。初めて感じる気持ちだった。
──もう何も怖くなかった。どんな魔女が襲い掛かってきても、きっと乗り越えられるはずだった。
だから、
大口を開けた魔女が、目の前に迫ってきていても動くことができなかった。
さやかが何かを叫んでいるが、マミの脳が理解することはない。
まどかの悲鳴が聞こえるが、そちらに目を向けることができない。
「え?」
マミの口から出るのは間の抜けたその言葉だけだった。
その時だった。
マミの視界から魔女の口が消えた。
蛇のように長い魔女の横腹に何かが突撃し、吹き飛ばしたのだ。
遅れてマミに襲い掛かるのはすさまじい衝撃だった。
あまりの突風に目を開けていられず、ぎゅっと目を閉じたマミに飛び込んできたのは、低く落ち着いた男の声。
「ヒーローみたいな登場だったな」
目を開けたマミは、へたりこみながらその男を見る。
男の右手にはレイピアが握られていた。しかもただのレイピアではなく、金の装飾が施された白銀の持ち手に、エメラルドグリーンに輝く刃を持つそれからは、魔法少女のものである魔力が感じられた。
マミはその男を一度見たことがあった。しかしその時は目隠しをしており、いま彼女を微笑みながら見下ろす男は以前とは違った印象を受けた。
だからとっさに、
「あなたは⋯⋯」
としか言うことができなかった。
よく見ると、男の後ろから駆けてくる小さい影があった。それは黒い魔法少女。マミの友達を傷つけた忌まわしい存在だ。
男はそちらに目を向けると、微かに笑みを深くしてまたマミを見た。
虹色に輝く不思議な瞳に、マミは思わず見入っていた。
ほむらが彼らに追いつく。
「おいおい、私のことを忘れたのかい? 自分で言うのもなんだが、かなり印象には残りやすい方だと思っていたんだがね。まあいい、改めて自己紹介しよう、巴マミ。──そして暁美ほむら、君は初めましてだったね。私の名は
男は場違いなほど爽やかに、にっこりと笑った。