祝福の物語   作:高城 あきら

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私も、誰かに頼っていいの?

「立てるかい?」

「あ⋯⋯ありがとうございます」

 

 マミが神也の手を取って立ち上がるのを見ながら、ほむらはただ立ち尽くしていた。

 今の瞬発力は人間のものではなく、まさに魔法少女のものだ。

 

 ──そんなはずはない。

 

 魔法少女とは、文字通り少女が成るものだ。人間は感情の起伏というものが成長するにつれて小さくなってゆく。それに加えて、男性よりも女性の方が感情のエネルギーが大きい。

 あの効率主義者であるキュゥべえが、おそらく成人の、それも男と契約するとは思えなかったし、実際ほむらもそのような存在を見たことがなかった。

 

 ほむらは首を振った。考えていても仕方がない、今やるべきことは他にある。

 

「まだ終わっていないわ!」

 

 ほむらが声を張り上げるのと、土煙の中から魔女が姿を現すのはほぼ同時だった。

 怒りに満ちた表情を浮かべた魔女が、口を開けて突進してくる。

 

 お菓子の魔女。彼女はほむらが記憶している中でも、かなり強力な魔女だ。

 動きがかなり素早いうえに、ダメージを与えてもすぐさま回復してしまう再生能力。そして魔法少女を丸呑みにしてしまう大きな口。

 速攻をかけるのがベストだ。ほむらが盾の砂時計をせき止めようとしたとき、彼女は信じられないものを見た。

 

 神也がほむらの前に背を向けて立っていた。

 

「私は君達の信頼を得られていない」

 

 神也が持っていたレイピアを突き出すと衝撃波が発生し、魔女は大きく上体をのけぞらせた。

 

「だからまずは、私の情報を与えようと思う。全力をもってあの魔女を倒して見せよう」

 

 神也がそう言って、指をパチンと鳴らした瞬間だった。

 マミとほむらの身体に、未知の感覚が走った。

 魔女の動きが、戦いを見ているまどかとさやかの震えが、神也の脱力した体が、感覚として二人に駆け巡ったのだ。

 

「これ、は⋯⋯?」

 

 マミが震えながら声をあげた。

 

「空間掌握、そして感覚共有。私の、と言うべきかは微妙だけど、まあとにかく固有魔法だ。空間の様子を感覚として認識できる能力と、それを一定範囲の人間に共有する能力だね」

 

 マミの心臓が大きくはねた。すさまじい感覚だった。

 使い魔の動きが、魔女の動きが手に取るようにわかる。どこから使い魔たちが襲ってくるのか、あの魔女がどうやって移動し、どこから攻撃を仕掛けてくるか、そしてどこにどう銃弾を放てば二人に当てることなく敵に攻撃を与えられるか。そのすべてが瞬時に理解できた。

 

「⋯⋯凄い」

 

 マミがつぶやくのとほぼ同時に神也は素早く魔女の身体に取りつくと、レイピアで滅多切りにして行く。その隙間を穿つようにしてマミの弾幕が炸裂した。

 

 そしてそれはほむらも同様だった。

 次々と襲い掛かってくる使い魔のすべてに銃弾を叩き込む。今なら目を瞑っていても当てられる自信があった。

 

 組みついてくる使い魔を上半身をのけ反らせてかわし、下から穴を穿つ。その勢いを殺さずに回転しながら引き金を引く。無秩序に見えるその攻撃は、一発も外すことなく使い魔たちに命中させていた。

 バックステップで一度体制を整えると、背中に柔らかい感触があった。振り返らずともわかる。それは巴マミの背中だ。今、ほむらはマミと背中合わせの状態で立っている。

 

 それは遥か遠い記憶の中にある、懐かしい感覚だった。

 感傷に浸ろうとする心を押さえつけるように、ほむらは地面を見つめた。

 

「どうして、あなたがそんなに泣きそうな顔をしているの?」

 

 背中越しに声をかけられた。それは久しく聞くことのなかった、優しい先輩の声。

 

「泣きそうな顔なんて、していないわ」

「あら、今の私たちにはそんな嘘、通用しないわよ? あなたがどんな顔をしているかくらい、手に取るように分かるもの」

「っ⋯⋯」

 

 ほむらは強く唇を噛み締めた。

 

「──何も、話すことなんてないわ」

「あらそう」

 

 ほむらの背後でマミが大きなため息を吐く様子も、ほむらはしっかりと感覚していた。 

 あきれたような顔だ。それは感覚しなくともわかる。

 

 隙あり、とでも言いたげに使い魔たちが襲い掛かってきたが、最初から感覚していた二人にとってそれは奇襲にならない。

 ほむらは引き金を引いた。マミは銃弾を放った。それは空中で交差し、それぞれ別の使い魔に突き刺さった。

 

 二人はまるで踊るように戦い続ける。ばらまかれる鉛の弾と魔法の弾は、しかし魔女と戦い続ける神也にも、結界の片隅で肩を寄せ合うまどかとさやかにも流れ弾をよこすことなく、正確無比に使い魔を消していった。

 背後から飛びついてきた使い魔にほむらが蹴りをいれて吹き飛ばすと、飛んでいった先にマミの銃撃が放たれ、使い魔を穴あきチーズにする。マミがリボンで使い魔を何匹か拘束すると、間髪入れずにほむらは機関銃で鉛弾を叩き込んだ。

 

 二人の動きが止まった時、周囲に使い魔は一匹として残っていなかった。

 それとほぼ同時に、大きな地響きとともに魔女の身体が崩れ落ちた。

 

「お疲れさん」

 

 神也は再度指を鳴らした。するとほむらとマミの中から空間を掌握していた感覚が消え去る。

 

 ほむらは拳を眺めた。消えてみると分かる。あの感覚は混乱をもたらしてもおかしくなかったはずなのに、ほむらもマミもすんなりと受け入れることができていた。

 二人が混乱しないように調整していたとすると、この魔法は相当使い慣れたものであると予想ができる。

 

 いったいなぜ? ほむらが抱いたその疑問の答えは、予想外のところから帰ってきた。

 

「詳細は省くが、この魔法はとある魔法少女から受け継いだものだ。使い勝手はよくわかっているから、君たちにもよく馴染んだだろう?」

 

 神也がほむらに目配せしながら、まるで質問に答えるかのように言った。いや、実際にほむらの疑問に答えているようだった。

 

 ほむらは今日何度目かわからない衝撃を受けていた。

 魔法少女の能力を受け継ぐ? そんなことは聞いたこともない。

 それに先刻からほむらの心の中をのぞいているような神也の言動も腑に落ちない。

 ほむらがそこまで思考したところに突然、暴風が叩きつけられた。

 魔女が鎌首をもたげ、歯をむき出しながら憤怒の形相で三人を睨みつける。

 

「な⋯⋯!」

「⋯⋯」

 

 目を見開くマミとは対照的に、ほむらはどこまでも冷静だった。

 相変わらず厄介な魔女だ。中途半端な攻撃ではどこまでも再生される生命力を持つ上に、素早く、攻撃力も高い。

 彼女を倒すには大火力の一撃が必要だ。

 

 しかし神也は吹きすさぶ風の中、何事もないようにたたずんでいた。

 

「そしてこれは」

 

 神也がレイピアを逆手にもち、すっと頭上に掲げる。

 

()()()()()()

 

 レイピアを足元に突き刺した。

 猛スピードでお菓子の魔女が突っ込んでくる。その目はまっすぐに神也を見ていた。自らの身体を切り刻み、攻撃しようにもちょこまかと動き回って鬱陶しい限りだったその人間が見せた隙を、彼女が見逃すことはなかった。

 

 ここまで近づけたのならもう逃げられない。このまま食い殺してやる!

 

 勝利を確信して口を大きく開けた魔女が見たものは、眩いばかりの光だった。

 

 

 

 

 

 レイピアを起点として真っ白な光が当たりを包み、“それ”は姿を現す。

 “それ”は透明な水晶に見える物質だったが、よく見るとそれも神也の瞳と同じ虹色に輝いており、まるで植物の蔦のようにするすると音もなく伸びていった。それがやがて魔女のところに到達すると、空中に身を躍らせてその蛇のような体にも蔦を這わせ始める。

 

 魔女は必死に身をくねらせ拘束から逃れようと藻掻いたが、水晶は撓むことも、ましてや割れることもなく魔女の身体を締め付けてゆく。そうして魔女の結界に虹の大樹が作り出された。

 

 さやかとまどか、そしてマミとほむらも全員がその光景にぽかんと口を開け、どこか薄暗い魔女の結界の中で根を張り、燦然たる耀きを放つ水晶の大樹に言葉を失っていた。

 

 魔女は辛うじて幹から顔を出すことだけは許されていたが、それ以外はすべて水晶に飲み込まれていた。

 じたばたと懸命に顔をくねらせ、時には自慢の鋭い歯を立てて大樹を割ろうと試みている。だが、まるで割れる気配がなかった。それどころか魔女には噛みついた感触すらも感じられなかった。

 

「虚構物質」

 

 静寂に支配された結界の中に、神也の声はよく響く。

 

「虚無が形作った存在。虚無であるがゆえにあらゆる事象に干渉し、一方であらゆる事象からの干渉も受けない。普通は虚無など見えはしないが、私の目にはそれが見える。これはその虚無を『こちら側』に引きずり出したものだ」

 

 神也はコツコツと魔女を閉じ込めた大樹の結晶に近づくと、そっと手を這わせて目を閉じた。ほむらはその後ろ姿にどこか悲哀のようなものを感じた。

 

()()()()()()()()()()()()()()。物質を形成する原子から、今なお膨張を続ける宇宙の果てまで。今日何処で誰が命を落とし、今日何処で誰が命をもらい受けたか。そして今、君たちが考えていることも、背負った過去も──ありとあらゆるすべてを、私は見通すことができる」

 

 途方もない話だ。にわかには信じられなかった。しかしほむらには確信があった。おそらく神也が目隠しを取ってほむらを見たとき、彼女の背負う全てを彼は見たのだろう。必ず救って見せると誓った約束も、その約束を果たすためにほむらが切り捨ててきた友情も、過去も、未来も──

 

 そして今抱いている、彼女自身すら名状することができない感情も、あるいは彼に見えているのかもしれない。

 

「未来は⋯⋯あなたの眼に未来は見えるの?」

「見えないわけではないが、簡単に確定もされない。最初はモザイクのかかった映像で、そこから次第に解像度が上がっていき、そして色が付き始める。ここに来る前に私が『色づき始めた』って言ったのは、巴マミが魔女に殺されるという未来がかなり確定に近くなっていたからだね」

 

 ほむらの隣でマミの身体が強張る。避けられた未来とはいえ、彼女は実際に死にかけたのだ。神也たちが間に合わなければ、今頃マミは魔女のおやつにされていただろう。

 

 マミが二の腕を握り締めるのを横目に、ほむらは神也の後ろ姿を見た。

 彼は未だにもがき続ける魔女を見上げながら、ただそこに立っていた。彼は哀れな魔女の過去を見ていた。魔女になり果てる前の少女の人生を。その少女がどのようにして生まれ、どのようにして人生を歩み、どのような願いをかなえて、どのようにして散っていったか。そのすべてを。

 

「未来とは可能性だ。たとえ暗闇の中で迷ったとしても、その可能性を捨ててはならない。未来を信じる、ただそれだけなんだ。それこそが希望なんだ」

 

 神也は動かないまま、呟くようにその言葉を発した。それは独り言のようにも聞こえたし、実際にそうなのかもしれない。だがほむらには、ここにいる全員に向けた言葉に聞こえた。

 

 誰も未来を信じようとはしなかった。ほむらの記憶を覗き込んだならそれは分かっているはずなのに、それでもあの男は未来を、可能性を信じるというのだろうか。

 

 この時間軸では今までにないことが起きている。その事実がほむらに与えたのは希望と、未来への可能性。ほむらは胸の高鳴りを感じた。心臓が激しく跳ねまわり、痛いくらいに脈打つ。初めての感覚にほむらは戸惑うが、不思議と不快ではなかった。むしろ暖かかった。これが希望なのだと遅れて理解して、無意識に笑みがこぼれた。

 

 ああ、なんて心地いいんだろう。

 ほむらは胸の前でこぶしを作った。

 

「私も!」

 

 気づけばほむらは叫んでいた。

 

「私も、誰かに頼っていいの?」

 

 隣のマミはぎょっとしてほむらに目を向け、さやかは目を丸くし、まどかはびっくりしたように口を開けている。

 

 短い言葉だったにも関わらず慣れないことをしたせいで、ほむらの喉はすでにイガイガしていたものの、そんなことは構わなかった。ただ頬を上気させ、肩で息をすることで精いっぱいだった。

 こんな私でも、取り返しがつかないほど数々のものを捨ててきた私でも、まだ誰かに頼る資格はあるのだろうか。

 

「当然だね。それが人間なんだから。君たちには私が全能者のように見えるかもしれないが、それは全く違う。私も一人では何もできない、ただ人よりも少し目がいいだけの人間に過ぎないのさ。暁美ほむら、君は君の起源(オリジン)を思い出せ。君が捨ててきたものを、今度は拾い上げるんだ」

 

 神也は水晶の大樹に手を置いたまま、ほむらに笑いかけた。ほむらは涙の滲んだ瞳を湛えながらうなずく。

 

「よかった。これで約束が果たせるな⋯⋯さて」 

 

 神也はもう一度魔女を見上げた。ずっと見せていた抵抗の意思も今はないようで、ぐったりとしなだれており、半開きの口からはだらりと青い舌を垂らしている。

 

「今から私の奥の手を使うんだが、いかんせん制御が効きづらくてね。たぶん君達にも何らかの影響があると思うんだけど、安心してくれ。悪いようにはならないはずだ」

 

 水晶が輝きを増し始めた。

 

「感覚共有魔法の応用だ。今から私の眼の機能を全開放させて、この魔女に私が視ているすべての光景を流し込む。膨大な情報量は生物・無生物問わず、すべての存在を崩壊させる。基本的に触れたものにしか情報を流さないようにするつもりだけど、大体洩れちゃうんだよな、これが」

 

 光が増し始めた。

 ほむらは目を見開いていたが、やがて視界のすべてが白に飲まれてゆく。その直前、

 

「せめて、安らかに──」

 

 そんな声を聴いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は夢を見ていた。自らが化け物となり、人々を食らっていくという、狂気じみた悪夢を。

悲鳴を上げた。私はお菓子を食べたかっただけなのに、チーズが欲しかっただけなのに。口にこびりついたのは甘いジャムではなくて、真っ赤な血だった。バリバリと食べたのはクッキーじゃなくて誰かの骨だった。ふわふわのケーキは人の肉だった。こんなものは食べたくない。それなのに、いくら探しても一番の大好物は、チーズは見つけることはできない。やがて少女は声をあげて泣き始めた。辛い。苦しい。こんなことしたくない。それなのに少女は食べ続けた。バリバリ、じゅるじゅる、もりもり。美味しい、美味しいと言いながら、少女の心は泣き続けていた。

 

 唐突に光が訪れた。それは真っ白で暖かく、少女の身体をそっと包んでゆく。あまりの心地よさに身をゆだねた。

 

 少女は見た。

 

 それは赤ん坊だった。お父さんとお母さんに抱かれ、赤ん坊はせいいっぱいに泣いていた。私はここだと、そう訴えかけるように赤ん坊はその燃えんばかりの命を費やして、泣き続けていた。

 

 それは小さい子供だった。お父さん、あれやって。お母さん、あれが欲しい。駄目よ、いいじゃないか。あなたはそうやっていつも甘やかすんだから──。子供は無邪気に笑っていた。家族みんなが幸せな光景に、笑い続けていた、。

 

 それは白い部屋だった。少女はそこが好きではなかった。あれはダメ、これもダメ。何もできない、つまんない。お母さんは日に日に痩せていく。やがて何も、かつて少女の前で美味しいと言って笑っていたものさえ、何も食べられなくなった。

 お父さんもどんどん元気がなくなってゆく。

 

 だからお願いした。いつか家族みんなで食べた、とても美味しいチーズケーキ。また家族みんなで笑いたかったから。

 でも、その代わり戦わなくちゃいけない。大丈夫、きっとみんな元気になるから。あのチーズケーキを、みんなで食べたら──

 

 ──そんなものは食べられない。

 

 お父さんもお母さんも、どんどん元気がなくなっていって──

 

 黒いものが少女を包み込んだ。また夢の続きが始まる。

 

 嫌だ、助けて、誰か!

 

 少女は必死に黒いものから逃げた。怖かった。あんなに怖い夢は、もう見たくなかった。

 走った。夢中になって走り続けた。そして少女は見た。自分に向かって差し出される、白い手のひらを。

 それをつかんだ時、黒いものは消え失せ、かわりにぬくもりを感じた。懐かしい柔らかさだった。何処かで嗅いだことのある匂いだった。その手が誰のものか見たとき、少女は恐怖とは別の涙を流しながらその手をさらに強く握り続けた。

 

 ごめんね、怖かったね。

 

 ──お母さん!

 

 もう怖くない、お母さんが一緒に居てあげるもの。

 

 ──はい、なのです

 

 だからおやすみなさい、なぎさ。

 

 少女は目を閉じた。きっともう悪夢を見ることはない。

 白い世界はゆっくりと形を失い、やがてどこかへ消えていった。

 

 

 

 


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