祝福の物語   作:高城 あきら

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ありがとう、私を助けてくれて

 真っ白な空間。今まで見ていた毒々しい魔女の結界は消え去り、恐ろしいほどの白がほむらの視界を埋め尽くしていた。しかし不思議なことに眩しくはなく、視界は明瞭で、加えてまどかも、マミも、さやかもそこに居た。そして神也と魔女も。

 

 魔女は虚空を向いていた。神也はそれをただじっと見ている。

 

 静寂があった。一切の音はなく、時間の感覚も薄弱となり、まるで時が止まっているかのようだった。誰も動かない。動けない。次第に自分の存在すら曖昧になってゆく。意識がはっきりとしているのに、足元が地面から離れていくような錯覚があった。

 

「あ⋯⋯」

 

 果たしてそれは誰の声だっただろうか。白い空間の中でその声だけが、全員の耳に届いた。

 

 魔女の身体が、音もたてずにはらはらと崩れだした。空間が影響を受けるほどの情報を叩き込まれながら、しかし魔女は苦痛に顔をゆがめることなく、むしろ安らかな顔で塵になっていく。それと同時に、色が戻り始める空間。魔女が消えたときにはもう、辺りが橙色の世界に包まれた病院の前で、ほむらたちは立っていた。

 

 神也は魔女が落としたグリーフシードを拾い上げほいとマミに投げ渡し、そしてこめかみを指でたたくと、虚空からするすると音もなく黒いものが出現して神也の眼を覆う。

 それはほむらが彼を初めて見たときと同じ目隠しだった。神也は確認するようにその目隠しを撫でると、「ふー」と息を吐きながら首をこきこきと鳴らして心底疲れたように口をゆがめる。

 

「いやはや、ここまで眼を長時間使ったのは久しぶりだ。⋯⋯さて、暁美。私の実力は理解してもらえたと思う。そのうえで訊きたいが、どうだ? 私に協力する価値はあるかい?」

「ええ、期待以上だったわ」

「⋯⋯そいつはどうも、お褒めにあずかり光栄だな」

 

 ほむらが放った遠慮のない言葉に、神也は苦笑いで答える。改めてつかみどころのない男だというのが、ほむらの抱いた印象だった。総てを見通すことができる目を持っているにも拘わらず、ともすれば軽薄だととられかねないくらいに、彼は飄々としていた。

 

 目隠しをしていてもやはり目は見えているのだろう、顔はしっかりとほむらを見下ろしていた。そして神也もほむらの目線に気がついたのか、「ああこれ」と言いながらまたこめかみのあたりを指で叩くと、今度は目隠しがふっと消え失せ、代わりに虹色の瞳が姿を見せた。

 

「これはある魔法少女が私のために叶えてくれた願いの形だ。私に『ちゃんとした世界を見せてあげてほしい』んだと。私の眼を、人並み程度の出力に抑える魔法の目隠しさ」

 

 どうやら相当に消耗が激しいらしく、彼はそう言うと直ぐに目隠しをする。

 冷たい風が彼らの間を通り抜け、ほむらの長い髪を巻き上げる。彼女はそれを手櫛で梳かすと、いまだに心ここにあらずと言った様子で立ち尽くすまどかを見つめた。

 

 その一方で、マミは不安に支配されていた。死ぬような思いをしたことは何度もあったし、その度に恐怖を感じていた。しかし今日のことはわけが違う。あのとき神也が乱入してこなければ──。

 マミな身震いして。忘れようと努めたが、いつまでも脳裏に浮かぶのは大口を開けた魔女の鋭い歯だった。とりあえず貰ったグリーフシードでソウルジェムを浄化したとき、ふとまだ神也に礼を言っていないことに気が付いた。これは失礼なことしたと神也の方を向くがそこに神也はおらず、ほむらがじっと見つめる先、さやかとまどかのところに居た。

 

「いやー、助かりました! お兄さん強いですね、惚れ惚れしちゃいます!」

「加野神也だ。それよりも美樹、君には恭介君がいるのに、簡単にそんなことを言って大丈夫かい?」

「あ、あはは⋯⋯」

 

 ぐえ、と大げさにのけ反るさやかと笑顔で爆弾を投げつける神也、そして戸惑いがちに笑うまどか。なぜかもう順応している彼らの姿に、さすがのほむらも目を瞬かせた。

 

 美樹さやかには、他人との距離を詰めるのが得意だという特技がある。それはほむらもよく知っていた。まだ彼女が弱く、一人では何もできなかったころ、彼女と初めて友達になってくれたのがまどかとさやかだった。

 彼女は実直、悪く言えば向こう見ずなところがあり、ほむらにとってはまどかが契約するきっかけとなる、邪魔者の印象が強い。そのため今までは切り捨てる対象である存在だった。

 

 そんなさやかが楽しそうに笑う姿は、ほむらの心にわずかな痛みを与える。彼女らが見せる、輝かしいほどの光景を直視できず、ほむらは目を伏せた。

 

「マミさん、ほむらちゃーん!」

 

 まどかの呼ぶ声が聞こえる。見ると彼女はほむらたちに手を振っていた。

 傍には何故か苦々しい顔をした神也と、してやったりといった表情で彼を見上げるさやかの姿があった。いやな予感がする。まどかの呼びかけを無下にするのは本当に──本当に心苦しいが、触らぬ神に祟りなし。本能が警鐘を鳴らす時はそれに従った方がいいと結論付け、踵を返そうとすると、

 

「行きましょうか、暁美さん」

 

 マミに手を引かれた。彼女は眉尻を下げて、仕方がないといった風に笑っている。彼女も彼女でなにか思うところがあるだろうが、それでもほむらの手を引いていた。それはまどかがほむらの名前を呼んだからだったのか、マミの優しさだったのか彼女にはわからない。だが、その手を振り払う気にはどうしてもなれなかった。ほむらはマミに半ば引きずられるようにして、まどかたちの方へ向かった。

 

 その口角が上がっていることには気付かずに。

 

「みんなで晩御飯に行こう! もちろん一番お金持ってる人の驕りで!」

 

 さやかの高らかな宣言に、神也は天を仰いだ。

 

「⋯⋯お手柔らかに頼むよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お金をおろしてきました。変に遠慮はする必要ないが、まあ、常識の範囲内で頼むよ」

「はいはい! ドリンクバーはつけてもいいですか?」

「許可する」

「ぃよっしゃあ! 神也さん太っ腹!」

 

 ⋯⋯なんだこれは。

 

十数分後、彼らはファミリーレストランの一角、少し他の席から離れた隅の席にいた。そしてほむらはその光景に表情を繕うことを忘れ、ぽかんと口を開けるしかない。

 

 いくらなんでも順応が早すぎる。今日初対面だったはずの神也とさやかは、なぜか昔からの知り合いのように打ち解けていた。早速と、料理を選ぶさやかにはいっそ清々しいほど遠慮というものがなく、まどかに窘められている。それをやれやれといったように見ているマミと、ほむらは目が合った。

 

 マミは躊躇するように何度か口を開閉し、一口、ドリンクバーの茶葉から抽出した紅茶を含むと、意を決したようにほむらを見あげた。

 

「暁美さん。あなたが悪人でないことはさっきの戦いでわかったわ。私を助けてくれたもの。それは本当に感謝しているわ。でも、だからこそ解せないの。あなたはどうしてキュゥべえを襲ったりなんかしたの?」

 

 ほむらは言葉を詰まらせた。何と答えるべきか、たとえ本当のことを教えたとしてもマミは信じないだろう。むしろまた疑いをかけられ、関係が修復不可能になるまで壊れるかもしれない。それだけは何としても避けなけらばならなかった。彼女と対立することにデメリットはあっても、メリットなど一つもないのだから。

 

 ここは適当にかわしたほうがいいだろう。

 

「あなたには──」

「ああ、あれは私のせいなんだ」

 

 関係のないことよ。と続けようとしたほむらの言葉は、神也に遮られた。ほむらはきっ、と鋭い目線を彼に向かって飛ばすが、当の本人はどこ吹く風だ。

 

「私はね、能力の実験も兼ねて魔女を洗脳してみようと思っていたんだが、失敗してしまったんだ。それで暴走した力の影響を受けて暁美があんなことになってしまった。いや本当に、あの時はすまなかった。ああいや、何も言わなくていいよ。君は覚えていないんだから。そういえばキュゥべえを見ていないな。彼にも謝っておきたいんだが」

「そういえば、魔女と戦っている最中にどこかに行っちゃって。……神也さんも分かりませんか?」

「ああ、私が到着した時にはいなかったはずだ。どこに行ったかまでは、すまない。そちらに意識を向けていなかったせいで見てはいないな」

 

 ほむらはまどかと神也の会話を聞きながら、ほとんど放心していた。

この男は何を言っているのだろうか? 洗脳? 私がそれに巻き込まれた? でまかせもいいところだ。よくもまあそんなにすらすらと嘘がつけるものだと、半ば感心しながらほむらは抗議しようとしたものの、口が開かないことに気が付いた。唇に違和感は全くないが、この男が何かしたに違いない。よく見ると、細い虹色の糸が神也の腕から伸びている。なるほど、虚構物質でほむらの口を塞いでいるようだ。いよいよ我慢ならず、ほむらが食って掛かろうとしたその時、虹色の蔦がほむらの目の前で踊り、文字を形作った。

 

《話を合わせてくれ》

 

 虚構物質で作った文字だ。他人には見えていないようで、誰もその存在を指摘しない。それはいいのだが口が開かないのは気持ちが悪いため、ほむらはさらに眼光を強めた。それで察しがついたのか、神也は口笛を吹いて、ほむらの口をふさいでいた虚構物質を解除した。

 

 彼はコーヒーを口に含んで口内を潤すと、話をつづけ始める。

 

「そんなことができるのか、とでも言いたげだな。暁美」

 

 全くそのようなことを言いたいと思ってはいなかったが、ほむらは「ええ」とだけ言っておいた。慣れない演技をしたせいで声はわずかに上ずっていたが、それは毒々しい色のカクテルを持ってきたさやかに皆の意識が集中していたため、気に留められることはなかった。ほむらは誰にも気が付かれないように、ほっと息を吐いた。

 

 しかしさやかの持ってきた、この世のものとは思えない色の液体は何なのだろうか。何を混ぜたらそうなるのだろうか。そもそもそれは人が口を付けていいものなのだろうか。

 

 だがそんな得体の知れないものを、さやかはなぜか得意げな顔でぐいと飲んだ。

 マミが息を飲み、まどかは小さく悲鳴を上げ、ほむらも大きく目を開いた。神也だけはおー、と感心したように声をあげて拍手までしていた。そのうち、さやかはコップの中身を空にして勢いよく机にたたきつけた。

 

「どうよ!」

 

 どうもこうもない。

 

「あなたは馬鹿なの?」

 

 ほむらは正直な感想を言った。おそらくここにいる、さやか以外の人間全てのが抱いた感想に違いない。人の心を読む能力が壊滅的なほむらでも、それだけは分かった。

 というか何のためにそのようなことをしたのか分からない。度胸試しのつもりだろうか。もしそうならこんなにしょうもないことではなく、彼女にとっての一番の度胸試しがある。簡単なことだ、上条恭介に告白すればいいのだから。

 

 しかしそうなったら今のお調子者はなりを潜め、花も恥じらう可憐な、恋する乙女のさやかちゃんが降臨されるのだ。なんだそれは。とっとと突撃して爆発すればいい。

 

「ぐへぇ、厳しいなあ転校生ちゃんは」

「⋯⋯美樹さん、食べ物で遊ぶのはやめなさいね?」

 

 腹の底が冷えるようなマミの声がした。さやかは肩をびくりと跳ねさせ、マミに対して平身低頭で謝り倒していた。そしてマミさんが怖いようとか言いながらまどかに抱き着く。まどかは困った顔をしながらさやかの頭を撫でていた。

 

 あまりにも自然なスキンシップ。ほむらはそれがうらやましかった。私だってまどかに撫でられたい。そんなことを思っていると、不意に体を引かれた。同時に後頭部に加わる柔らかい感触。ほむらにとって腹立たしいほど豊満なそれは、柔らかくほむらを包み込む。巴マミが、ほむらをぎゅっと抱きしめていた。ほむらは困惑してマミの顔を見上げると、優しげに細められた彼女の瞳があった。

 

「なんだか寂しそうな顔だったから」

「そんな顔──」

「していたわ」

 

 そう言うと、マミはさらに強い力でほむらを抱きしめた。いよいよ訳が分からず、ほむらは無理やり引きはがすためにマミの腕を掴もうとして、止まった。

 彼女の身体が小刻みに震えていたからだ。

 

「ありがとう、私を助けてくれて」

 

 泣きそうな声だった。それはいつか遠い時の彼方で見た、マミの本心だった。外見は平静を保ち、強い魔法少女であるという、頼れる先輩であるというベールを纏っているものの、巴マミが芯に抱えているものは一人のか弱い、寂しんぼうの少女なのだ。

 

 ほむらはそっと震えるマミの腕に触れた。暖かいと、そう思った。

 

「取り込み中悪いが、そろそろ本題に入ってもいいかな? あまり遅い時間になると、条例に違反することになる」

 

 神也がおずおずといった様子で手を挙げた。ほむらはそれでようやく我に返ると、マミの抱擁から抜け出して神也の方を向いた。誰もが空気の変化を感じていた。彼らの纏っていた柔らかな雰囲気が消え去り、残ったのは魔法少女という非現実的で、かつ避けられない現実の存在だった。

 さやかも空気を察してしっかりと座り、まどかはどこかおどおどした何時もの様子をなるべく消して、神也を見つめていた。

 

 神也は四人の少女を見渡し、よろしい。とうなずいた。

 

「まずは改めて自己紹介と行こうか。私は君たちのことを『視た』が、君たちは私のことをあまり知らないからな。私は加野神也(かのしんや)。見滝原市内の大学に通う、今年で二十一歳の、大学三年生だ。

 そして私の能力についてだが、私の眼の力は君たちもよく見ていたと思う。これは生まれつきだ。特に幼いころは力の制御が効かず、かなりきつかったよ。そんなとき、私のためにこの目隠しをキュゥべえに願った魔法少女がいた。それが私の使った、空間掌握と感覚共有の魔法を持つ魔法少女だね」

 

 そこまで一気に話すと、神也はカップを傾けてコーヒーを啜る。

 

「あの、その魔法少女って⋯⋯?」

 

 まどかが遠慮がちに尋ねた。そう、それはほむらが抱いた彼に関しての不可解なことのうち、最も大きなものだ。ほむらの過去すら知っていた、その魔法少女は一体何者なのかということが。

 

 神也はにっこりと笑った。口だけしか見えないが、その表情にはどこか皮肉めいたものがあった。神也はもう一口コーヒーを飲むと、空になったカップをテーブルにそっと置いて、自らの胸のあたりを撫でる。

 そしてゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「恋人だよ。⋯⋯ただ、その魔法少女はもういない」

 

 まどかの動きが止まった。そして聞いてはならないことだったのだろうかと、え、とか、あの、とか要領の得ない言葉を発し続ける。

 神也はカップを手にして、そして空であったことを思い出すとテーブルにそっと置き、また笑った。今度は自然な、暖かい笑顔だった。

 

「もう乗り越えたさ。君が気に病む必要はないよ。だがね、特に美樹と鹿目に言っておきたいんだが、」

 

 すっと周辺の気温が下がった気がした。

 

「魔法少女になるというのは、そういうことだ」

 

 誰も、言葉を発することはなかった。どれくらいの時間が過ぎただろうか、まどかのコップに入っていた氷がからん、と甲高い音を立てた。

 

 しばらくの後、ウエイターが追加の料理を持ってきたとき、彼らの時間はようやく動き出した。

 

「だから、安易に魔法少女になろうとするな。この世には奇跡などに頼らなくてもいいことなんて、いくらでもあるんだから」

 

 まどかとさやかはただ黙って彼の言葉を聞いていた。吐き気がするほど残酷な現実だった。

 

「それともう一つ、こっちは巴と暁美に聞いてほしいことだが」

 

 そう言うと神也は、届けられたマルゲリータのピースを口に運び、両手をテーブルに置いて体重を前に預けると、声のトーンをいくつか下げてその言葉を放つ。

 

 次に彼が何を言うか、ほむらは何となく予見していた。

 

 それはいつの時間軸においても越えなければならない壁だった。そしてそれは、ほむらが加野神也という強力なカードを得たことで、ようやく突破口が見えてくるほどに頑強で、ようやく頂上が見えるほどに万丈な壁だ。

 

「これはほぼ確定した未来だ。およそ三週間後、この見滝原にワルプルギスの夜が来る」

 

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