祝福の物語 作:高城 あきら
夕日が差し込む病室で、さやかは想い人の横顔を眺めていた。彼は──上条恭介は、イヤホンで音楽を聴きながら目を瞑っている。そのうち、すっと涙が静かに流れ、彼の頬に一筋の線を残すのを、さやかは黙って見ていた。美しい光景だと、彼女は場違いながらも感じる。
ここが病室でなくて、どこか別の部屋とかだったらもっと別の感想が浮かんだのだろうか? 彼女は現実逃避するようにそんなことを考えていた。
しかし現実は非常だ。
仕方がなかったと言えばそれだけかもしれない。よくあることだ。そう、この国では毎日どれだけ起きていると思っている。そんなありふれた不幸にすぎないのだ。
交通事故なんて。
テレビで見たら、なんだまた事故か。なんて思っていただろうし、感情が突き動かされるとしても、気の毒に、くらいの関わりのなさだろう。
さやかにとっても、実際にはその程度の関係性しかないはずだったのに。
いざ目の前にしてみると何もできなくなる。ただ寄り添ってあげるしかない。立ち直れるかどうかは本人次第だし、治療し、動くかようになるかどうかもさやかにはわからない。
そのはずだった。
あの昼休みの後、予鈴とともに屋上を後にしようとした時だった。
「美樹さん、少し話があるわ」
さっきまで泣きじゃくっていたとは思えないほど冷え冷えとした声で、ほむらに呼び止められたのは。
鉄仮面で、何を考えているかわからない完璧超人。かと思いきやコスプレで通り魔のわけわからん電波さん。そしてキュゥべえを傷つけ、尊敬する先輩のマミと敵対関係にあるいけ好かない奴。
と思ったらさらにさらに反転して、ピンチのマミを助けてしまい、そして神也に対して急に叫びだす少し変わった友人。
さやかにとってほむらは、そんな複雑な関係の少女である。心の内で何を考えているのかさっぱりだ。
それでも純粋に嫌な奴じゃないんだろうな、きっと人には言えない事情というやつがあるのだろう。気遣いのできる女、さやかちゃんにはそれがわかるのだ。
首をかしげて続きを促すと、彼女は話し出した。
「上条恭介のことだけれど、もう腕は治らないわ。現代の医療ではどうしようもできない。でも安心しなさい、加野神也なら彼の腕を治すことができるわ。完璧に。だからあなたが何かをする必要はない。今、彼は力の使い過ぎで寝込んでいるけれど、しばらく待てばすべて丸く収まるわ」
とんでもない情報の濁流がほむらの口から発せられ、さやかを飲み込む。
混乱する頭で何とか情報を整理すると、恭介の腕が治らないと思ったら、神也が治してくれるらしい。
なぜそんなことが分かるのか、とは聞かなかった。神也の眼ならあり得ない話ではないのだろう。それをほむらに伝えたうえで、彼女に伝言を託したのだ。
さやかも、うすうす気づいてはいたが、やはり恭介の回復は絶望的だったのだろう。
それを治すことができるというのなら、喜ぶべきなのだろうが、少し納得がいかない。
「なんか突然ね。まぁ、あいつを治してくれるならありがたい話だけどさ、何で神也さんはそこまでしてくれるの?」
「あなたが気にする必要はないわ。ただ待っているだけでいいの」
「そこは『知らないわ』じゃないのね」
ぐ、とほむらが言葉に詰まり、さやかを睨みつけるような眼光を飛ばしたが、さやかは苦笑を返すだけだ。彼女は何となくだがほむらのことについてわかってきた。
こいつ、もしかしてコミュニケーションが苦手な奴じゃないのかと。
なるほど、そう考えれば合点がいく。さやかは一人でうなずいた。
初対面の時、妙に高圧的だったのはきっと、あまり人との接し方が分からない上に、言いたいことをズバズバいうタイプだからだろう。もしかしたらさやかたちを魔法少女という危険な道から遠ざけてくれていたのかもしれない。やり方は少々――いやかなり強引だったが。そもそもあそこまで邪険にしなくてもいいじゃないか。危うく敵と認定しそうになったではないか。しかしそう考えると、目の前でさやかを睨みつける少女のことが何となく可愛らしい存在に思えてきた。
一人でによによ笑っているさやかに、「何を笑っているの?」と撃ち殺さんばかりの殺気でほむらが尋ねるが、さやかは「べっつにー?」と誤魔化してほむらから背を向け、教室へと向かった。
そうだ。もうすぐ希望は訪れる。さやかは胸のあたりに温かいものを感じた。
恭介が涙をぬぐい、にっこりと笑ってさやかに音楽プレイヤーを返すのを見て、
綺麗な顔をしている。さやかはそう思った。
たしかに神也も顔が整っている。それはもう、この世のものとは思えないほどに。でもそれはそれ、これはこれだ。さやかにとって神也は、どちらかというとテレビのタレントのような存在であり、かっこいいとは思うが恋愛対象ではない。一方で恭介は、彼女の惚れてしまっている人だ。何をしても目で追ってしまうだろう。今、彼から笑顔を向けられているこの状況さえ、役得だと思っている自分がいる。
我ながら現金な奴。さやかはそう思ったが、実際しょうがないだろう。
「ねえ、恭介」
さやかが高鳴る胸を必死に抑えながら、意を決して恭介に話しかける。向けられた笑顔はいつもと変わらないものだ。最近見せるようになった、思いつめた表情の上からベールのようにかぶせられた笑顔。本心を隠した仮面。
さやかはそれが嫌いだった。無理をしているなら無理と、つらいならつらいと、言葉に出してほしかった。それを支えることができるのは私だけだから。
その関係ももうすぐ終わってしまう。そう考えると、さやかの中に少し、寂しさが沸き立った。それでも前に進まなければならない。本当に恭介の幸せを願うなら。
「奇跡とか魔法とかって⋯⋯信じてる?」
「突然だね、⋯⋯僕はあまり信じていない、かな」
戸惑いがちに答える恭介に、さやかは笑いかけ、ゆっくりと彼の手を取った。
男子の中でも華奢な体系の恭介の手は、それでも骨ばっていて、やはり目の前の人は男の子なんだなあと、さやかは実感していた。恐らく耳まで真っ赤なのだろう、それは窓から差し込む夕日のせいだけではない。
慣れないことをしたせいですっかり照れてしまったさやかだが、それでも恭介に伝えなければならないことがあった。
「あたしはね、信じてるよ。奇跡も、魔法もあるんだって」
恭介は頭上に疑問視を浮かべていたが、さやかには問題ではなかった。全てはじきわかるだろう。その怪我が治りさえすれば、恭介もさやかの言葉の意味が分かるはずだ。
さやかは歌でも歌いたい気分だった。見滝原の街に沈んでゆく太陽を眺めながら、病院の人がいない廊下を渡っていると、彼女は前方にたたずむその存在を見つけた。
暗くなってゆく空間の中で、それは不気味なほど白く輝いている。
「なんか久しぶりね、キュゥべえ。マミさんがやばかったていうのに、一体どこに行っていたのさ?」
キュゥべえは無表情にさやかを見上げ、まるで猫のように後ろ足で頭を掻くとため息を吐くように声を出した。
「君は、君たちは加野神也のことをずいぶんと信頼しているようだね」
その言葉にさやかは首をかしげる。当たり前のことだ。命を張って自分を助けてくれた人に信頼の念を置かない理由など、あるはずがない。
当然だと肯定するために、さやかは頷く。するとキュゥべえは目を瞑って首を横に振った。
「加野神也のことは僕たちもよく解っていないんだ。ある意味神のような力を持っている。彼は普通の人間であるはずなのに、どうしてそんな力を持っていると思う?」
いよいよ訳が分からなくなり、さやかは唸った。そもそも神也自身にもよくわかっていないのではないだろうか。さやかも、自身がなぜ他人よりも少しばかり背が高いのかとか、まどかがどうしてあんなに優しい人間なのかとかは説明できないのだから。
「たまたま生まれつきってだけじゃないの? たしかに普通とは違うけど、いい人なのは間違いないと思う」
「そうか、君はあの力のことを疑問には思っていないんだね。それともう一つ。彼はね、本来魔法が使える人間じゃないはずなんだ」
「知ってるわよ。神也さんは恋人の魔法少女から魔法を授かったって──」
「彼はそんなことを言っていたのかい? 魔法の譲渡なんてできるはずがない。彼が魔法を使える理由はもっと違うよ」
さやかは一歩後ずさった。キュゥべえが何を言っているのか理解するのに数秒かかり、再起し始めた脳が抱いたものは疑問だ。
あの人が嘘をついていた? 何のために?
さやかは唾液を飲み込んだ。乾いた食道に引っかかり、うまく嚥下できない。
「じ、じゃあどうやって神也さんは魔法を使っているの?」
「簡単なことだ。加野神也は奪ったんだよ、魔法の力を。僕も予想できなかったけど、確かにあの方法なら魔法が使えるかもね」
さやかは言葉を失った。今キュゥべえが放った言葉を飲み込むことができない。
魔法を奪った? あの人は魔法の力を受け継いだと言った。恋人である魔法少女から。
もしそれが嘘なら、神也に恭介の腕を治させてはいけない。何をされるか分かったものではない。
さやかは、どうすればいいのか分からなくなった。恐らく恭介の腕が治らないのは事実だろう。でもそれ治療できる存在は彼しかいない。
──いや、別の方法ならあるではないか。
「ねえ、キュゥべえ」
「なんだい?」
「あたしがお願いしたら、恭介の腕は治せる?」
「できるよ。君が願えば、魔法少女として戦う代わりに、その願いはかなう」
迷いはあった。命を懸けた戦いに、あのマミすら死にかけた戦いに身を置かなければならなくなるというのは、なんとも恐ろしいものだ。さやか自身の安全を考えるのなら、神也に任せる方がいいだろう。
それでも、得体の知れない存在に任せて、恭介に何かあって、そして後悔するくらいなら。
「いいよ、私の願い、叶えて!」
「いいだろう、君の願いはエントロピ-を凌駕した」
途端、さやかを襲う少しの苦しみ。
そして視界を埋め尽くす光。
「受け取るといい。それが君のソウルジェムだ」
さやかはその光に手を伸ばして、掴む。
その手に握られていたのは、青く煌めく宝石だった。
それはほむらにとって苦々しい思い出だった。
まどかとさやかは親友同士だ。それはもう周知の事実である。そして彼女は魔法少女の真実に耐えうる精神を持ち合わせていない。いや、精神的には強い部類ではあるのだろうが、さやかの抱える複雑な想いが悪い方向へと導くのだ。
想い。すなわち上条恭介への恋心である。
美樹さやかは年相応の少女らしく、可愛らしいその想いを胸に秘めている。だがそれは魔法少女の宿命とは相反するもの。故に彼女は絶望する。それこそがほむらがさやかに悩まされる原因のひとつである。
だから今回は先手を打っておいた。さやかが魔法少女になる前に上条恭介の怪我を治し、彼女の願いを先に潰す。そうすることでさやかは魔法少女にならずに済み、絶望することもなく、そして彼女を助けるためにまどかが契約する危険を減らす。その計画は滞りなく進行しているはずだった。
それなのに、
それなのにどうして。
ほむらは奥歯を砕けんばかりに噛み締めると、力任せに、マミのソウルジェムを浄化している最中であるさやかの肩を掴んだ。
ほむらのすさまじい剣幕にさやかはたじろいだが、ほむらにはそんなことを気にする余裕などない。今にも手を出しそうになるのをぐっと堪えながら、さやかを睨みつけた。
「どうして⋯⋯魔法少女なんかになったの? あなたが成る必要なんてなかった。上条恭介の治療は加野神也ができると、確かに伝えたはずなのに⋯⋯!」
さやかは目を伏せた。そのせいでほむらからは表情を伺うことはできない、
再び顔を上げたさやかを見て、ほむらは彼女が何を考えているのか分からなくなってしまった。なぜそんなに複雑な顔をしているのだろうか。まるで憎悪と後悔をまぜこぜにしたような顔を。
「ねえ、ほむらは神也さんのこと、信用できる?」
「それなりにはしているわ。どういうこと?」
「あたしね、キュゥべえから聞いたんだ。神也さんが魔法を使える理由」
嫌な予感が体中をムカデのように駆け回った。
インキュベーターの入れ知恵。
素質のあるものを魔法少女にしようとたくらむ、超効率主義者。それがさやかに何かを吹き込んだということは、つまり彼女を言葉巧みに誘導し、契約させようとしたということだ。そしてその目論見は見事に成功した。
「神也さんが⋯⋯魔法少女を殺して、その魔法を奪ったって」
一歩先を越されたという事実に、ほむらは歯噛みした。
キュゥべえは嘘を吐かない。彼らはそれに意味を見出していないからだ。そしてさやかが伝えられたことも嘘とは言えない。その途中のプロセスが省略されているとはいえ、神也が魔法少女を殺し、魔法を奪ったというのは事実であるのだから。
ぎりぎりとほむらの奥歯が音を立てる。思わずうつむくと、荒い息を吐きながらほむらを見つめるマミと目が合った。きっと今の話は聞かれたのだろう。
なぜなのだろうと、ほむらは考える。
なぜいつも、願う方向と逆の方に事が進むのだろうか。
「あたしはそれを聞いてさ、神也さんを本当に信用していいのか分かんなくなっちゃった。──そんなに怒んないでよ。危険なのは十分にわかってるからさ。危なかったらほむらもマミさんも助けてくれるでしょ?」
そうじゃない。ほむらはそう叫びたかった。
あなたが魔法少女になることで、まどかが契約するリスクが跳ね上がる。
その言葉をたたきつけたかった。
いっそ魔法少女の秘密をすべて話してしまってしまおうか。
そんな風に多少自棄になったほむらの思考を遮って、
「本人がいないところでまぁ、いろいろとひどい言われようだね」
彼の声はその場にいる全員に届けられた。
神也は目隠しを取った状態で、虹色の瞳をその場にいる全員に向けると、皮肉気に口をゆがめた。
壁によりかかるようにして体重を預け、端正な顔には冷や汗が浮かび、血色はひどく悪い。ともすればマミよりも具合が悪いように見える彼は、肩で息をしながらもしっかりと眼を、そこにいる少女たち全員に向けていた。
そして神也が視線をまどかの肩に乗るキュゥべえに向けると、さやかがそれをかばうように前に出る。
神也は大きなため息を吐いて、目隠しを着けた。
「私が寝ている間に、随分と信用を失ったもんだな」
「そりゃあね、キュゥべえから衝撃の事実を聞かされたから。ねえ、神也さんはたぶん今、
彼のあごから冷や汗が一筋垂れる。それは雫となって固い地面に落ちると、床に一つの模様を作った。
「キュゥべえの言ったことが真実かどうか、と訊きたいのなら、真実だと答えるしか無いだろう」
「やっぱり⋯⋯!」
「まあ、待て待て。君は容疑者の弁解も聞かずに刑を言い渡すつもりか? 疑わしきは罰せずというのがこの国の基本だ。まずは私の弁解を聞いてほしい。そのうえで君たちは、私を信用するかどうか決めてくれ。だが、今日は、ちょっと、無理だ⋯⋯」
神也はそれだけ言うと、ずるりと体が傾き、地面に手をついてしまう。
そんな神也の様子を心配するようにさやかが息を飲む。やはりまだ完全には疑い切れていないのだろう。
見るからに辛そうだ。ほむらは彼に近づこうとしたが、その足をマミのリボンでからめとられ、動きを止められた。
ほむらがマミを見下ろすと、マミもまた迷いを捨てきれないでいる顔をしていた。
膠着状態にある彼女らの横をキュゥべえは悠々と通り過ぎて行き、体中から脂汗を浮かべる神也の目の前に座った。
「君は、まだ僕を殺すつもりかい? 以前までのように」
「君は本当に、タイミングが悪い。勘弁してくれ。このタイミングで私にその質問をするのは、彼女らの信頼を失うことになる。それともそれを狙っているのか?」
「どうだろうね」
神也が奥歯を噛む、ぎり、という音が夜の工場内に響いた。
それで満足したのか、キュゥべえは工場のダクトから何処かへ行ってしまう。
残ったのは心地の悪い静寂だった。誰も何も言えなかった。キュゥべえの言葉は、事実を知らない少女たちに深い疑惑の念を与えているようで、しかしまだ信用したいという心もあるのか、みな複雑な表情をしていた。
「──いまキュゥべえが言ったことは、すべて真実だ」
ほむらは睨むようにして、そんなことをのたまう彼を見た。奴が言ったことを認めてしまえば、関係を再構築することが困難になってしまう。
神也は膝に手をついてゆっくりと立ち上がった。心なしか少しやつれて見える。
ふらふらと上半身が揺れており、いつ崩れ落ちても不思議ではない。
「全く、本当に勘弁してくれ。反動から立ち直れたと思ったら、君らと連絡がつかないし。ああ、本当に苦労したよ。町中を視たからね。半端じゃない情報が私の脳に叩き込まれたさ。おかげでこのありさまだ」
は、は、は。彼は乾いた笑い声をあげ、そして口を引き結ぶと、いまだにまどかを守るように立ちふさがるさやかを見た。
「私はキュゥべえの言ったことが真実だと言った。だがそれは全てではない。私が君たちにすべてを話さなかったのは──君たちを傷つけないためだ。また、集合をかける。その時にすべてを話させてくれ」
足を引きずるようにして工場の出口へ向かう神也を、少女たちはただ見ているしかできなかった。
「どうすればいいのよ⋯⋯」
ほむらを含む全員の心情を代弁したさやかの言葉は、虚しく消えていった。