祝福の物語 作:高城 あきら
神也は微笑を浮かべ、手には逃げていった使い魔を掴んでいた。
おおよそ言語には聞こえない悲鳴を上げながら使い魔は彼の手から逃れようとしていたが、神也は容赦なくその頭を握りつぶし、得体の知れない液体をまき散らす。
「このままでは誰かが犠牲になるかもしれないからな、危ないところだった」
そんなことをのたまいながら、神也は隙のない姿勢で杏子と対峙していた。虹の瞳は土煙にまみれた路地裏でも光り輝いており、その幻想的な光芒を見るものに与える。
杏子はその瞳が嫌いだった。以前魔女の結界の中で神也と出会ったとき、杏子の心をすべて見通してしまったのだ。そして同時に与えられた、彼女を憐れむのような目。確かに説明を聞く限り彼の眼は杏子の過去を見たのだろうが、それでも憐れに思われるのは無性に腹が立つし、何よりもその後の彼の言葉も気に食わなかった。
「あたしと初めて会ったとき、お前めちゃくちゃうざいこと言ってくれたよなあ? なんだっけ? 忘れちまったよ」
「
「だから使い魔を殺したってのか? あたしらの糧になるグリーフシードを産む前の鶏締めるなんて、随分勝手なことしてくれるじゃん」
「それこそ、私の理念に反するからね」
杏子は苛立って槍を地面に叩きつけた。冗談じゃない。誰かのために力を使うことなど愚の骨頂だ。
確かに以前は杏子もそれを夢見ていた。だがその行く末は自業自得の破滅の道。奇跡を願った代償に、杏子は願いの起源を失ったのだ。
故に彼女は知った。人のための願いなど己を苦しめる結果にしかならないのだと。
気に食わない。杏子は槍を握り締め、糞のような戯言を垂れ流す男を睨みつけた。
彼女には理解できなかった。神也はこの世のすべてを知っていると言っても過言ではないはずだ。それなのにそんな理想を追い求めるのは、どうかしているのではないか。彼ならば知っているはずなのに。世の中がそんなに甘くないことくらい。
杏子はその神也の背後に佇んでいる青い魔法少女に顔を向けた。杏子に見られたことに気づいて、その魔法少女は体を強張らせる。成程、確かに新人のようだ。敵対する存在に見られているにもかかわらず、重心は不安定ですぐに動き出せる体制ではない。強襲されたら一歩も動くことができずに串刺しにされるだろう。
「なあ、おいあんた!」
杏子はその新人に向かって声を張り上げた。びくりと肩を震わせるその魔法少女に杏子は鼻で笑ったが、気丈に杏子を睨みつけるその姿には感心するものがあった。
なんだ、闘志はあるじゃないか。少なくとも戦う覚悟くらいはしているのだろう。
完全に腑抜けというわけではないらしい。杏子はひそかに、にやりと笑った。
「あんたは一体何を願ったんだ?」
それは純粋な疑問だった。使い魔ごときに苦戦を強いられるほどの初心者ではあるが、しかし戦うことの意味は知っているその少女が、只人の生き方を捨ててまで願ったこととはいったい何なのか、杏子は知りたかった。
「あんたに教えるわけがない!」
「あっそ」
返されたのは拒絶の言葉だったが。
少し毒気が削がれた杏子は、力を抜いてあきれたように首を振った。別にどうしても教えてほしいものではなかったが、初見からかなり嫌われているようだし、マミに付き従っているところを見るとどうやらあちら側なのは間違いない。杏子は舌打ちを一つ、彼女等にもはっきりと聞こえるようにした。
悲しそうに伏せられるマミの目線には苛立ちしか感じないし、新人はそんな風に取り合う暇もない。キュゥべえから聞かされたイレギュラーの魔法少女と思われる黒髪の女は静観を決め込んでいて、何を考えているのか分からない上に、得体の知れない雰囲気だ。
神也もやれやれというように肩をすぼめた。
「ああ彼女は、──美樹さやかは大切な人の怪我を治すことを祈りとして、魔法少女になったんだ。まあ、その子の怪我を治すことくらい私にもできたんだが、どうも信用されていなくてね。行動は愚かしいが、その強い思いそのものは大いに賛同できる」
「な⋯⋯何で全部言った!」
「私も、割と君の勝手な行動には怒りを感じているのさ。多くを話さなかった私も悪いが、君はいささか行動が短絡的すぎる」
美樹さやか。そう呼ばれた新人が歯ぎしりする。
そして杏子もそうしたい気分だった。さやかが願ったことは徹頭徹尾他人のための願いだ。
──いや、合点がいくところは一つだけある。その怪我をした何者か。命を懸けた戦いに身投げしてまで叶えたかった祈りの向かう先というのはつまり、
「なるほど、男か」
さやかの表情が明らかに変化する。杏子は対照的に彼女へと笑いかけ、槍先を向けた。
成程、それならわかりやすい。徹頭徹尾他人のための願いではなく、自分の欲望も多分に入っているらしい。
「だったら都合いいじゃん。魔法を手に入れたんだし、その男を好き勝手出来るチャンスだよ?」
「そんなことしていいわけないじゃない! あたしはあいつのために願ったんだ! 自分の都合を押し付けていいわけがない!」
「ああ、なるほど合点がいったよ。そんなうっざい考え方してるから、マミなんかに付いてってるんだな」
「あんた、マミさんのことまで──」
「君は、」
挑発的な言葉で煽る杏子に、さやかも食って掛かろうとした矢先、神也の声が彼女の言葉を断ち切る。
そして神也は悲しそうな目を杏子に向けていた。憐れみと悲しみをブレンドした、途轍もなく不快な視線。杏子が大嫌いな目だ。
「君は自らの願いを忘れていないはずだ。それなのに悲しいことを言うな。君の願いこそ、人を慈しむ綺麗な願いだというのに」
その言葉を聞いた瞬間、杏子の心臓が激しく跳ねた。
この男は全て視えていると言った。それには杏子の過去も当然含まれているのだろう。それを視たうえで、彼は悲しむような、憐れむような目を杏子に向けているのだ。
憤怒が沸き立った。
「
「私には理解できるよ。君の背負う悲しみも、怒りも、諦めも」
杏子は吼えた。神也の言葉に怒りが頂点に達した。全てを悟ったような口を利く嘗めた男に、上からものを言うだけでその本質を理解した気になる愚か者に、制裁を与えてやる。杏子はその決意とともに、神也へと飛び掛かった。
怒りに満ち溢れてはいたものの、杏子は冷静だった。考えなしに突っ込んだところで返り討ちに会うだけだ。それは杏子もよく理解している。未来すらも見通す彼の眼は驚異的ではあるが、しかし対策の打ちようがないわけではない。未来を視て行動するというのなら、それが無意味なほどに素早く、かつ広範囲な攻撃を仕掛ければいい。
杏子は槍を展開させ、渦を巻くように路地裏の狭い通路いっぱいに槍を突き出した。
超速で突き進む槍は周囲の壁を削りながら、神也を突き刺そうとその心臓を狙う。いくら魔法が使え、魔法少女と同じような身体能力を持っていたとしても、杏子の槍は受けられるものではない。避けるとしたら上方のみ。そしてその手段を取った時が杏子の勝利の確定する瞬間だ。
しかし神也が動くことはなかった。棒立ちのまま杏子の槍をじっと見つめている。
このままだと直撃する。杏子がそう確信した瞬間、槍が嘘のように止まった。
何かに当たった感触もない。しかし槍は何かに阻まれたように少しも押し出すことができなかった。虹色の結晶が槍に巻き付いており、びくともしない。それは初めて彼と邂逅したときに見た、虚構の結晶だ。
杏子は槍を手放し、一度距離を置こうとして、自らの身体が動かないことに気が付いた。いつの間にか彼女の身体にも虚構物質が這いまわり、がっちりと固定している。
「な⋯⋯」
身じろぎすらできない状況に杏子は焦るが、取れる手立てはない。そもそも触れることすらできない結晶に拘束されているのだ。杏子はただ近づいてくる男を見上げるしかなかった。
振り上げられる右腕。杏子はせめてもの抵抗をするためにそれを凝視する。視界の端で、動揺するさやかとマミが見えた。どうして敵である存在を心配するなど、甘ちゃんにもほどがある。
右腕が振り下ろされる。
「やめて!」
マミの絶叫が響いたが、神也がその腕を止めることはない。そしてその腕は振りぬかれた。
「なん⋯⋯」
杏子から出てきた言葉はただそれだけだった。神也が腕を振りぬいた時、杏子を縛る結晶は霧散し、彼女は自由となる。
神也はふ、と笑うと、ずっとポケットの中に入れていた左腕を出した。そこには虹の管が無数に伸びており、その先は地面に潜り込んでいる。
「君たちがドンパチやっている間、この裏路地じゅうに仕込んでおいた。これを展開している途中では私も動くことはできない上に、速度も遅い。だが一度展開してしまえば話は違う。それでもやるというなら続けようか?」
杏子は大きなため息を吐いた。そこまで準備されては自らに勝ち目はないことを察し、そしてこれ以上彼が追ってくることもないと分かった。
ならばとる手段は一つ。
「ここは引かせてもらうよ。これ以上やっても割に合わない」
「賢明な判断だ」
その余裕ぶった態度に杏子はち、と舌打ちをすると、彼の後ろにいる三人の少女へ目を向けた。正義を信じ切っている者たちの顔。杏子が最も嫌う愚か者どもの顔だ。
杏子は不機嫌を隠そうともせずふん、と鼻を鳴らすと建物の壁を伝ってその場を離れた。
マミとのぶつかり合いで心の奥に感じた、何か分からない物には気づかないふりをして。
「さて」
杏子がみなの視界から消えたときに、神也はため息のようにその言葉を発した。
そしてくい、と左手首を返すと、砕け、裂かれた路地裏の景色が光り輝き、ビデオの早戻しのように修復されてゆく。
それを見届けると、神也は目隠しをしてマミたちの方へと振り返った。
心なしか上機嫌で笑っている。
「ようやっと計画通りに事が運んだ。佐倉と出会うのはもう少し後がよかったが、しょうがない」
やれやれという風に左右に首を振る神也。眼を使って多少疲れはあるようだが、大したことは無いようだ。
「巴、君は佐倉とぶつかり合えた。普段ならば君は争いを避けただろうが、
そして彼はマミへ向けて指をさす。マミは少し思考した。杏子とのぶつかり合いの中で知れたこと、そして神也の、杏子の行動の中に本心がないという言葉。
あの時、最後に槍を振りぬくときにマミの中にあった感覚。恐らく神也が感覚共有の力で、マミだけに送り込んだ空間掌握。それははっきりとマミに感じられた。杏子の身体の強張りを。迷いを持った彼女の動きを。
ああ、そうだ。おそらく彼女は、
「あの子は、自分の心に嘘をついてる」
「
気味が悪いほど調子づき、拍手まで送る神也にマミたちは若干距離を置くが、彼はそれを気にする様子もなく、くつくつと笑い続けている。
だが納得できないものもいた。ほむらの横をすり抜け、マミの前に立ち、神也と対峙するさやかだ。
神也は笑いを止め、眼下のさやかを見下ろす。だがその口は未だに吊り上がっており、それがさやかの神経を逆なでする。この男は魔法少女の犠牲の上で力を使っているのに、どうしてそんなに愉快そうなのか。
言いようのない怒りがさやかの中に蟠る。
「どうしてよ」
さやかの声が震える。そこに何の感情が宿っているのか、彼女自身もよく分からない。
彼女が発したのはどうして、の一言だけだった。それでもその中にたくさんの意味が込められている。
どうして魔法少女を殺したあなたが私たちを助けたのか。そんな人のはずなのに、どうしてそんなに正義の味方のような行動をとれるのか。
分からない。さやかは思わずうつむいた。
「後悔しているのか? 自らの行いを」
不意にかけられた問いは、さやかですら答えの出し切れていないものだった。いや、恭介を助けたことには一片の後悔もない。問題はその動機だ。私は恭介を助けたかったのだろうか。それとも恭介と付き合ったりしたいのだろうか。
そして、行動を起こしたきっかけは。得体の知れない存在とはいえ、しかし間違っていることをしているわけでもない神也を疑っての行動なのだ。
それは果たして自分の信念を貫いたと言えるのだろうか?
「君の願いは美しいものだ。他人のために願い、そして正義を為そうとしている。ああそうだ。それが君の
彼が何を言っているのか理解できず、さやかは何も言えなかったが、それでもわかることはあった。彼は忘れるなと言った。さやかの願いの根源を。
当然だ。それを忘れるはずはない。さやかは力強くうなずいた。
そして神也はまた笑った。いかにも見たかった行動だと言わんばかりだ。
「よし、そこそこ関係は修復できたかな? 君が私を疑っていた理由も視たからよくわかったし、今なら大丈夫だろう」
そして神也が胸を引き裂き、中のグリーフシードを見せるのを、ほむらは遠いところから見ていた。
──あれは相当刺激が強いが大丈夫だろうか?
ほむらがそれを心配するのと同時に裏路地で悲鳴が上がり、二人はおぞましいものを見たかのように助けを求めて、ほむらへと駆け寄ってくる。マミなど恥も外聞もなく涙目になっているではないか。ここ数日の行いで一気に先輩力を失いつつある彼女ではあるが、大丈夫なのだろうか。
そんなほむらの胸の内など知らず、衝撃的すぎる真実を見せられたマミとさやかはわめき続ける。よほど二人にとっては拒絶反応がすごいようだ。
ほむらはあきれたように空を見上げた。
「でも、なんでキュゥべえはあたしが誤解するようなことを言ったんですかね? 『加野神也は、魔法の力を奪ったんだ』なんて。そりゃ魔女も魔法を使いますけど、ぱっと思いつくのは魔法少女じゃないですか」
「彼は君たちと私を決別させたかったんじゃないかな? 彼に以前言ったことがあるんだ。私の能力があればキュゥべえを殺すことができると。そして私のことを危険だと感じたキュゥべえは、君たちから私を遠ざけようとしたのかもね」
さやかはあきれたように項垂れた。なんだそれは、誤解を与えるに決まっているじゃないか。実際誤解してしまって魔法少女になった人間が目の前にいるのだから、もうすこし彼には反省してほしいところだ。そのこと自体に今更後悔はないが、なんとなくさやかは釈然としない。
神也も十分それを理解しているようで、頭をがりがりと掻いている。
せっかくきれいな黒髪なのにもったいないな、とさやかは思ったがそれを口にすることはできなかった。恥ずかしいとかそういった感情ではなく、単に彼がマミと話し始めたからだ。
しょうがないから後方へと目を向けると、そこには相変わらずの鉄仮面がいた。
いや違う。ほむらは確かに無表情だが、なんとなく嬉そうだ。さやかにはようやくほむらのことが理解でき始めていた。それでもわかることは少ないが、どうやら彼女はなぜか人と距離を詰めることを躊躇しているようだ。
だから無理やり肩を組んでやった。ほむらはさやかが心配になるほど骨ばっており、力を入れすぎると折れそうなほど華奢だ。いったいどこからあんなに強い力が出せるのか、さやかは甚だ疑問だった。
不機嫌そうな紫色と目が合う。対照的に、さやかは笑いかけてやった。なぜそう思うのかさやかですら説明はできないが、どことなく不安定なその少女を、どうにかして支えてあげたかったのだ。
「はいはい注目!」
神也が突然声を張った。にこにこと笑う彼とは違い、マミは青い顔をしている。どうしたのだろうかとさやかが首をかしげていると、神也は大仰にお辞儀をし、マミへ手を向けた。
「佐倉杏子の説得は、巴に任せることにしたよ」
全員の視線が集まり、マミの両肩がびくりと跳ねる。
真っ赤な顔をしてうつむく彼女は、同じ女子であるさやかですら嗜虐心を擽られる魅力的なものだ。羨ましいくらいに。
そんなマミはスカートの端をぎゅっと握ると、
「が、頑張ります⋯⋯」
蚊の鳴くような声で、決意を口にした。