やはり俺のモカしか飲まない青春は間違っている。   作:狐月狗沙狸(黒

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彼は“彼女”を知らない

 食卓に並んでいく品を見て母親のことを思い出した。父親と母親が別居し始めたのがいつからだったかは知らないが、物心ついた頃には母との二人暮らしだった。父親からの音沙汰こそないものの、両親が離婚していないことは知っていたし、母はいつも薬指に証を残していた。

 そんな母の得意料理は和食だった。筑前煮が得意だったかまでは知らないが、決まって和食の日は品物が多かった。主菜に副菜、漬け物に汁物、それとは別に煮物や山菜。今思えば、母子家庭といっても過言ではない状況で働き詰めの筈なのに、よくあれ程の質と量の食事を用意していたものだ。本当に頭が上がらない。きっと見知らぬ父も、母のこういうところを好きになったのだろう。

 そして同時に、どうしようもないような理由で両親は別居しているのだろうということも感じる。母に千葉から送り出されて、ここに住んでいるわけだが、年末年始以外にも母のもとへ帰省するべきなのかもしれない。金銭の心配をする必要のなくなった今なら、自由に帰ることができるのだから。

 

「八幡、どうかした?」

「いや、なんでもない。それよりもうすぐモカ帰ってくるってよ」

「りょーかい! そしたら──」

「ただいま〜。モカちゃんの帰還ですよー」

 

 噂をすればなんとやら。玄関から明るい声が響く。帰ってきたモカの手には羽沢珈琲と印刷された紙袋があった。

 

「はい、いつもの〜」

「おう、ありがとな」

「ん? 羽沢珈琲店にテイクアウトってあったっけ?」

「これはテイクアウトじゃないぞ、ほれ」

 

 袋からいくつかの缶を取り出して見せる。中身は香りの良いアラビカ種とパンチというよりはボディの効いたロブスカ種の豆だ。五日間の保存を目安にしているため、密封はされていない。今井に見せてやると興味深そうな顔をした。

 

「へえ、本格的だね。八幡はいつもこれで淹れてるの?」

「いや、今回頼んだやつは使ったことのない豆だ。羽沢さんに勧められたんでモカに貰ってきてもらった。カフェモカのエスプレッソは苦いのが中心だが、こいつらで作るのは少し酸味の強いやつでな、これに合うトッピングを考えてみろって言われたんだ」

「そっか、つぐみのパパさんのコーヒー美味しいからね。その試作品出来たら私にも飲ませてよ!」

「おう、モカに飲んでもらってOK出たら今井にも渡すわ。まずはモカの壁を越えねえとな」

「ふっふっふー、モカちゃんの舌は肥えているのです」

「知ってるよ。さて、飯にするか。モカ早く荷物置いてこい」

「はーい。リサさんのご馳走が楽しみだ〜」

 

 三人で食卓を囲み、料理に手をつけ始めた。汁物や魚もうまいが、筑前煮が特にうまい。具沢山だからか様々な食感が楽しめる。隣を見てみるとモカも幸せそうに食べいた。

 

「ふたりとも美味しい?」

「うん、おいしーです。リサさんは良いお嫁さんになりますなあ」

「ああ、流石だな。調理実習のときとかもそうだった気がするが、温かさを感じる。昔から誰かに作ってたのか?」

「ははっ、ありがとモカ。家族によく作ってたんだけど、八幡に温かさって言われると少し恥ずかしいね」

「なんでだ?」

「モカを見てると八幡の温かみをよく感じるからさ、アタシからしたら八幡は相当温かい人だよ」

「……俺も恥ずかしくなってきたわ。まあ、ありがとよ」

「むー、なんだかモカちゃん空気だ〜」

 

 そういった団欒をしつつの食事が終わったとき、ついに今井が口を切った。

 

「あのねモカ、八幡。大事な話があるの。二人にも関わる大切なこと」

「大事なことですかー?」

「うん。……アメリカにいる私の()()()()が帰ってくるの」

「幼馴染み、今井にも幼馴染みがいるのか」

「まあ、最後に会ったのは小学校に上がるよりも前なんだけどね」

「でも〜、それがどうしてあたし達にも関係するんですか?」

「大事なのはここからだよ。その子の名前はね『(みなと)友希那(ゆきな)』っていうんだけど、お父さんがアメリカでプロのバンドマンをやってるの。でね、そのお父さんのバンドメンバーの中に──」

 

 一拍おいて今井の口が動く。世界がゆっくりと動いているのを感じた。今井の顔は少し青ざめていて、モカは無機質な表情で今井を見つめている。不味いかもしれない。あの人に培われた勘がそう言っていた。

 

「──比企谷って人がいるの」

 

 ああ、やっぱりだ。モカの顔が悲壮に染まった。

 

「悪い、話の腰を折るが、この話をモカも聞く意味はあるか?」

「……あるよ。だって大切な人の、大切な話を後から聞くっていうのは大切な人にとって自分が大切じゃないって言われているのと同じだから」

「そんなこと「あるの!」」

「だって、だってさ、アタシがそうだった! 友希那は言ってくれなかった! アタシに何も言ってくれなかったんだよ!? 友希那がアメリカに行ったことをアタシはどうやって知ったと思う? 親からほんの一言『友希那ちゃん引っ越したんだってね』って、それだけだよ? それだけだったんだ! アタシは、アタシは友希那が大切だったのに。友希那は、何も言ってくれなかった」

 

 今井の号哭が空間を支配する。今井が怒っているのも泣いているのも初めて見た。中等部の時のことは知らないが、少なくとも高等部に入ってから今井が泣いているのを見たことがない。こいつはきっと幼馴染みに対する怒りと悲しみで負の感情が満ちていたのだろう。だからその思いが今爆発した。

 

「ごめん、ちょっと熱くなり過ぎたね。顔洗ってくる」

「ああ、廊下の突き当たり、右側の部屋が洗面所だ」

「ありがとう、少し待ってて」

 

 少し重くなった足取りでリビングを今井が出て行くと、モカがもたれかかって来た。

 

「今日さ、リサさんから電話がかかってきた時に嫌な予感がしたんだ。その時はリサさんとあたしのいないところで仲良くするのかって思って、それが嫌な予感だと思ってた。でも、三人でご飯食べるってリサさんに言われてさ、たまにはあたしの予感も外れるのかって安心してたのに、そうじゃなかった。ねえ、あたしって大切な人?」

「当たり前だろ。じゃなきゃ、一緒に住んでなんかいねえよ」

「じゃあ一緒に聞いててもいーい?」

「ああ、モカが聞きたいなら構わない。でも、いいのか? モカは知ってたんだろ俺の父親のこと。何か理由があって黙ってたんじゃないのか」

「そっか、気付いてたのか〜。うん、知ってたよ。知ってて黙ってた。仮にもギタリストだからね。有名な人達は割と知ってるよ。リサさんと幼馴染みだったのは知らなかったけど、友希那さんだって有名なシンガーだから知ってたし、もちろん比企谷さんのことも。知ってほしくないことはあるけどね、でもあのリサさんを見てたら止められなくなっちゃった」

 

 儚げな笑みを浮かべるモカは諦めたような顔を向けてくる。嘘はついていない。ただ、まだ何か隠している、そんな気がした。

 

***

 

「おまたせー! 落ち着いたし話戻すね。その比企谷って人なんだけど、たぶん八幡のお父さんだと思うんだ」

「……比企谷って苗字は血縁以外で聞いたことがない。おそらく父親だろう」

「そっか、比企谷さんは友希那達と一緒に日本に帰ってくるって聞いたよ」

「いつだ?」

「来週の土曜日だって。八幡達もアタシと一緒に空港に来る? 友希那達が日本に帰ってくる理由は知らないけど、空港で合流する予定なんだけど」

「いや、土曜は無理だ。外せない用事がある」

「わかった。モカは?」

「う〜ん、あたしだけ行っても意味がないと思うのでパスしまーす」

「りょーかい。それならアタシだけでも会ってくるよ」

「ところでリサさんは〜なんでそのことを知ってるんですかー?」

「……友希那達がアメリカに渡ってすぐにね、友希那のお父さんが連絡をくれてさ、アタシと友希那を仲直りさせようとしてくれたんだ。アタシ今でも友希那のことになると、ああなっちゃうから結局断っちゃったんだけどね。それでも度々連絡してくれて、日本に来るって聞いた時に他の人達のことについても少し調べたんだ。それで、その中に比企谷さんがいたの」

 

 父親のことは確かに気になるが、それでも自分から知ろうとは思わなかった。母の口から出ないのならば、まだ知る時ではないだろう。

 

「一応聞くね。八幡がなんでモカと二人でここに住んでいるのかアタシは知らないけど、比企谷さんと、八幡のお父さんと会ってみる気はある?」

「態々教えてくれた今井には申し訳ないが、そのつもりはない。母さんから父さんの話を聞くまではなるべく会いたくないんだ」

「……そっか。じゃあアタシの話はもう終わりだよ。ごめんね、空気悪くしちゃってさ」

「気にすんな。今井もまだ幼馴染みと仲直りできてないんだろ。頑張れよ、そのために空港に行くんだろ?」

「……うん、ありがとう。モカもごめんね」

「リサさんは〜謝ってばっかりですよー。こういう時は暗くしちゃってごめんじゃなくてー、聞いてくれてありがと〜です」

「ははっ、そうだね。ありがと、モカ!」

「今井、もう遅いから送ってく。モカ悪いけど風呂の準備頼むわ」

「は〜い、気をつけてねー」

「ありがと、八幡。それじゃあ家までよろしく☆」

「あいよ」

 

***

 

 帰り道の途中、今井が何でもないように言った。

 

「ねえ八幡。あのマンション結構大きいよね」

「ああ、建てられてまだ新しいし、割と広いからな」

「……モカも八幡もバイトしてるけどさ、それだけであんな所に住めるの?」

 

 住める訳がない。俺とモカの収入は合わせても十万ちょっと。あのくらいのマンションの家賃は八万を超える。到底払えるレベルじゃない。それでも俺達があそこに住めるのは──。

 

「バイト代だけじゃ無理だな。あそこに住めるのは──こころのおかげだよ」

「こころの?」

「ああ、そうだ。今井やモカに幼馴染みがいるように、俺にも二人幼馴染みがいる。そのうちの一人がこころだ」

「そうなの!? 全然知らなかったよ」

「モカくらいにしか言ってないからな」

「じゃあ、あのマンションってもしかして……」

「弦巻家の所有物だな。そもそも俺が羽丘に通えてるのもアイツのおかげだ。元々女子校だった羽丘が急に共学になっただろ? あれはこころの親父さんが無理を通してくれたんだ。本当は花女に来て欲しかったらしいけどな」

「相変わらず、やることのスケールが大きいね。八幡のためにそこまでやってくれたんだ」

「アイツは自分のためだって笑ってたけどな」

 

 寂しげな顔で笑っていた幼い頃のこころが、初めて俺達に見せた満面の笑みがそれだった。今でこそ奥沢や松原がいるが、あの時は俺とあの人しかアイツに寄り添える子供はいなかった。傷だらけの俺達には眩し過ぎたが、それ以上に笑うようになったアイツが嬉しかったことをよく覚えている。

 

「八幡って色々な経験をして生きてるね。アタシ知らなかったよ」

「俺だって今井のことあんま知らなかったよ」

「三年間も同じクラスなのにね」

「しかも今は隣の席なのにな」

 

 談笑もそこそこに今井の家に着いた。今井が隣の家を眺めて白い息を吐く。

 

「この家ね、友希那の家なんだ。来週比企谷さん達も来ると思う。もし、八幡のお母さんが帰ってくることを知ってて、会いたいって連絡があったら教えてよ。アタシから比企谷さんに話しておけるからさ」

「ああ、そのときは頼む」

「うん、送ってくれてありがとね。明日は土曜日だから、また来週だね。バイバイ」

「おう、また来週。それと身体冷えてるだろうから暖かくして寝ろよ。もう四月だけど風邪引くぞ」

「はーい!」

 

 空に浮かぶ月が白く輝いている。きっと明日飲むカフェモカはいつもより甘いだろう。家に帰って、玄関で寝てしまっているモカの顔を見て笑った。寝室にモカを運んで風呂に入る。父親のこと、こころのこと、モカのこと。考えることはいっぱいあったが、何にしてもモカさえいればどうにかなる、そんな気がする。

 

 キッチンに立って明日の珈琲の準備を始めた。毎週水曜と土曜はこころとあの人の三人で会う日。俺もあの人もこの日は必ず予定を開けてこころに会いに行く。五年以上続くこの習慣はあの日の教訓から生まれた。モカもこころも孤独にさせてはいけない。Afterglowがてきたって、ハロハピができたって、俺達の孤独が埋り切ることはなかったように、二人の孤独だってなくなりはしないのだから。

 

 モカの眠るベッドに入り、そっと抱きしめる。今井に感化されたのかもしれない。モカを離したくなかった。

 

「モカ、愛してる」

「……えへへ、モカちゃんも愛してるよ」

 

 その返事が単なる寝言だったのか、それとも起きていたモカからの返事だったのかはわからない。それでも微睡みに沈んでいく意識の中で確かにモカの微笑む顔が見えた。

 




1話目の時に教室で友希那さんが登場せず
不思議に思ったそこの貴方! 流石です!
実は伏線でした!

思いつきで構成されているこの小説ですが
意外と伏線が多いので皆さんよく探してみてください

それとリサさんを泣かせてすみませんでした
1つ弁明しておくとリサさんが引越しのお話を知らなかったのは
友希那さんのせいだけではないのです
主に作者のせいだということをお知らせしておきます

それではまた次回、続いたらお会いしましょー!

ps
誤字脱字報告をしていただいた方ありがとうございます
完全にやらかしていましたorz
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