我は護らん海の國   作:ハンヴィー

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 横須賀鎮守府の近くで生まれ育った少年にとって、海軍の軍艦や艦艇は身近なものだった。

 そして、帝國で生まれ育った男児の例に漏れず、少年もまた提督という称号に憧れを抱き、勇壮な艦隊を率いて深海棲艦の討伐に赴き、御國の盾たらんことを夢見ていた。出港する艦隊の威風堂々とした姿に胸を高鳴らせたことも一度や二度ではない。

 少年の通学路でもある岸壁に面した公園からは、軍港内の桟橋やドック、沖合いの泊地に停泊する軍艦や艦艇が良く見えた。

 どの艦も歴戦の軍船の風格を漂わせており、甲乙付けがたいほどに魅力的だったが、その中でも少年の特別のお気に入りは、3本の直立するマック(煙突)が特徴的な、2隻の巡洋艦だった。

戦艦や空母と比べれば小型で華奢なその姿に、同級生達の殆どが見向きもしなかったが、少年はその2隻が一番好きだった。

 同級生達が、沖合いの泊地に停泊している戦艦や空母といった、大型艦を好んでいたのとは対照的だった。

 学校が休みの日ともなれば、岸壁の手摺に寄りかかり、日がな一日飽きもせずに眺めているほどに、少年はその2隻の艦に心惹かれていた。

 その2隻は、同型艦ということもあってなのか、常に2隻一緒に行動しているようで、出港や入港のタイミングは、ほぼ同じだった。

 全く同じに見える2隻の艦だったが、毎日飽きることなく見つめていた少年は、艦首旗竿の支柱の向きや、後檣の継ぎ目の有無など、僅かな差異で、どちらの艦か見分けられるほどにまでなっていた。

 やがて、中学に進学した少年は、図書室の資料などから、その2隻が天龍型と呼ばれる軽巡洋艦の一種であることを知った。

 ふだん彼が目にしている2隻の名称が、それぞれ『天龍』と『龍田』であると知ったのもこの時だった。

 

「あ、来た来た!」

 

 少年は歓声を上げた。通行人の幾人かが何事かと振り返るが、少年はまるで気にしない。

 なにせ、長らく不在だった彼のお気に入り――『天龍』と『龍田』が、数週間ぶりにようやく母港である横須賀に帰ってきたからだ。

 いったい、どんな任務で横須賀を離れていたのだろう。軽巡洋艦といえば、艦隊戦から船団護衛まで幅広くこなす、帝國海軍の中核をなす艦だ。重要な任務だったことは、想像に難くない。

 少年は、少しでもその威容を視界に収めようと、手摺からめいいっぱい身を乗り出した。

 

「こら、危ないぞ!」

 

 見かねた通行人の一人が声を掛けるが、少年の耳には入っていないようだった。

 そして、更に身を乗り出そうとしたその時だった。

 突然の背後からの突風に煽られた少年は、バランスを崩し前のめりに岸壁から転落してしまったのだ。

 眼前に迫る黒い水面にあっと思う間もなく、少年の身体は水中に呑み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 第18戦隊の旗艦である軽巡洋艦『天龍』は、姉妹艦である『龍田』や同じく軽巡洋艦の『夕張』らと共に駆逐艦部隊を率いて、輸送船団の護衛任務を無事に完遂し、母港である横須賀に戻ってきたところだった。

 いま正に入港しようとしている『天龍』の航海艦橋に、一人の少女の姿があった。

 精悍な面差しと鷹のように鋭い目をしたその少女は、服装だけなら、身に着けているVネックカーディガンと制服も相俟って、やや気の強そうなどこかの女子高生にしか見えない。

 しかし、左目は眼帯のような円形の金属板のようなもので覆われており、頭部の両側には狼の耳を思わせる鋭角的な形状のアンテナのような物体が突き出している。

 極めつけは、背後に背負い込んでいるような箱型の構造物だ。その左右からは、菊花紋が刻印された鈍色の輝きを放つ砲身が、一つずつ懸下されている。

 明らかに異様な出で立ちだが、見る者が見れば、それは『天龍』の艤装そのものであることに気付くはずだ。

背中の箱型も、よくよく観察してみれば艦橋構造物を模したものであり、そこから左右にぶら下がっている砲塔は、『天龍』の主兵装である三年式14cm速射砲だ。

 彼女の存在以上に奇異なのは、彼女意外、艦橋には他に乗組員と思しき者の姿が見当たらない事だった。

 操舵輪を握る操舵手や電探を観測する計測員は勿論の事、ウイングから周囲を警戒する見張りも存在しないのだ。

 にもかかわらず、操舵輪は独りでに最適な航路を選択し、誰も見る者が無い数々の計器類は、常に最適な値を示し続けている。

 航海艦橋のみならず、羅針艦橋や機関室などにも、彼女以外の乗組員は存在しなかった。

 もちろん、本来なら甲板上で入港作業に備えているはずの乗組員の姿も無い。

 それもそのはずで、何故なら彼女は、この『天龍』の艦娘だからだ。 艦娘である彼女が宿るこの艦に乗員は必要ない。

 彼女こそが、全長150メートル、常備排水量3500トンにも及ぶこの軽巡洋艦『天龍』そのものなのだ。

 かつて『天龍』を発見し、調査した先人達の記録では、このクラスの艦を操艦するためには、300人程度の人員が必要という調査結果が残されている。

 艦内にはそのための設備や居住区が残されており、以前はそれだけの人数で操艦していたことが明らかになっている。

 

「……ったく。つまらねえ任務だったぜ」

 

 入港支援のために『天龍』に接近する曳船を見やりつつ、ひとり艦橋に立つ天龍は忌々しそうに呟いた。

 

「船団護衛ばっかやらせやがって、あのクソ提督。この天龍様を何だと思ってやがるんだ」

 

 苦々しい表情で悪態をつき、鬱憤を晴らすかのようにリノリウムの床を蹴り飛ばした。

 

「天龍ちゃん~? そういうコトを言ってはダメよ~? 護衛任務だって重要でしょう~?」

 

 その声に天龍が振り返ると、その先には、彼女と同じような年頃の少女が立っていた。

 短髪で精悍な顔つきの天龍とは対照的に、肩口で切り揃えた髪型や垂れ目気味の表情は、育ちのよい良家の子女のようでもあった。

 教会のシスターのような服装や、頭上に浮かぶまるで天使の輪のようなパーツも、彼女から受けるどこか浮世離れした印象に貢献していた。

 そして、背後に背負う艦橋構造物こそ天龍と同じだが、その両脇に懸下されているのは、天龍と異なり、三連装の魚雷発射管だった。

 

「……龍田。入港作業時に、自分の艦を離れるな」

 

 天龍の口から出たのは、『天龍』の姉妹艦でもある『龍田』の名前。

 彼女は、『天龍』の姉妹艦、『龍田』の艦娘、龍田なのだ。

 龍田は、柔和な笑みを崩すことなく、ゆったりとした足取りで、天龍の傍まで歩み寄ってきた。

 

「心配いらないわ~。ここは庭みたいなものだもの~」

 

 非難めいた天龍の視線を無視し、龍田はある一点に目を向け、笑みの形に口の端を釣り上げた。

 

「天龍ちゃん、見て見て~。左弦9時方向~」

「あ?」

 

 気だるそうに応じながら、天龍は龍田の視線を追った。

 その先は、鎮守府の目と鼻の先でもある公園だった。公園に面した岸壁の手摺から身を乗り出して、大きくこちらに手を振っている、学生服姿の小柄な少年が目に留まった。

 距離のせいで顔の造詣までは分からない。艦の双眼鏡を使えば確認できるが、そこまでやるほどのことでもない。

 随分と前から、天龍はこの少年の存在を知っていた。

 いつのころからか、『天龍』や『龍田』を飽きることなく眺め、入港や出港時には、まるで見送りと出迎えでもするかのように、ああやって手を振って来る。

 いったい、何が楽しいのか、天龍には理解できなかった。

 

「うふふふ……あの子、今日も居るわね~。たまには、ウイングから手を振り返して上げたら~?」

「だったら、お前が手を振ってやりゃ良いだろうが」

 

 からかうような龍田の口調に、天龍は吐き捨てると、さっさと視線を艦首方面に戻した。

 

「それはダメよ~。だってぇ、あの子がいま手を振っているのは天龍ちゃんに対してだし~……あらぁ?」

 

 僅かに驚愕の混じった妹分の声に、天龍は横目で龍田の様子を伺い見た。

 ほんの少しいつもより大きく目を見開いた彼女は、掌を口に当て、あらあらと繰り返している。

 

「あらあら大変~。あの子、海に落ちちゃったみたい~」

「な、なにっ!?」

 

 慌てて視線を少年に戻した天龍の目に映ったのは、バランスを崩してしまったのか、落水してもがいている少年の姿だった。

 周囲の通行人が救助しようと、少年の落ちた場所に駆け寄るが、潮目が変わっているのか、暴れる少年の身体は沖へ沖へと流されつつあった。

 

「どうしましょう~? このままじゃ、溺死してしまうわ~」

「何暢気なコト言ってんだよっ!」

 

 叫ぶなり天龍は、龍田を押し退けるようにして、左ウイングに飛び出した。

 潮の流れは思った以上に速く、僅かな時間の間に、少年はかなり沖まで流されていた。

 天龍は舌打ちすると、ウイングの転落防止柵に足を掛け、躊躇うことなく、10メートルほど下の海面に向かって身を躍らせた。

 水面とはいえ、高所からの落下の衝撃は、地面のそれと変わらない。常人であれば唯では済まないだろう。

 しかし、彼女は水飛沫を上げるどころか、両足で軽やかに水面に「着地」したのだった。

 僅かに沈み込んだ両足の踵から生じた、2つの小さな波紋が漣のように広がるのみで、まるで地面と同じように直立していた。

 

「間に合えっ」

 

 天龍は小さく呟くと、まるでスピードフィギュアの選手のように、水面を滑走していった。二つの航跡を水面に残しつつ、風を切って進む彼女は、瞬く間に少年の元へと到達した。

 少年の身体が、今まさに海中に没しようとする寸でのところで、天龍は少年の手を掴み、引っ張り上げた。

 子供とはいえ、溺れた人間を軽々と引き上げる膂力は尋常ではなく、少女の姿を取ってはいるが、彼女達艦娘が人間とは異なる存在であることを如実に物語っていた。

 

「おい、坊主! 大丈夫か!?」

 

 呼びかけ、何度か頬を叩くと、少年は薄っすらと目を開き、咳き込みながら水を吐き出した。

 多少水を飲んでしまったようだが、意識ははっきりしているようだし、自発呼吸もある。

 天龍はほっと胸を撫で下ろした。

 

「あ、あのっ……」

「よっと。少し辛抱してろよ」

 

 天龍はお姫様抱っこのように少年を抱えると、ひと一人分の重量をまったく感じさせない軽やかな動きで、岸壁に滑走していった。

 岸壁まで数メートル程に近づいたあたりで一気に跳躍し、手摺のあたりで救出劇を見守っていた人々を飛び越え着地した。

 そのとたん、おお、という歓声と拍手喝采が天龍に浴びせられた。

 

「ほ、ほら。もう大丈夫だぞ」

 

 気恥ずかしい思いに囚われながら、天龍は少年に呼びかける。

 しかし、溺れかけたショックで身体が硬直しているのか、彼女の服にしがみ付くようにして離れようとしなかった。

 

「こ、こら。服が伸びちまうだろう。放せってば」

 

 服にしがみ付くようにしている少年に呼びかけ、ゆっくりと地面に下ろした。

 

「艦娘だ」

「すげー、初めて見た……」

 

 そんな声があたりからちらほらと聞こえ、携帯カメラのシャッター音が響いた。

 天龍はようやくのことで、しがみ付く少年の手を放すと、立ち上がった。

 どこからか、サイレン音が近づいてくるのが聞こえる。

 おそらく、誰かが救急車を呼んだのだろう。

 後は任せてもよさそうだ。

 

「じゃあな、坊主。中坊になってまで、はしゃいでんじゃねえぞ」

 

 未だに呆然としている少年の濡れた髪をくしゃくしゃと撫で回すと、天龍は現れたときと同じように颯爽と海に向かって跳躍した。

 野次馬達の頭上を飛び越えて海面に着地すると、瞬く間のうちに自分の艦のほうに滑走して行った。

 徐々に近づくサイレンの音を聞きながら、少年は去っていく天龍の背中を食い入るように見つめ続けていた。

 

 

 

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