我は護らん海の國   作:ハンヴィー

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 少年の両親は海運局の職員だった。

 その中でも、海洋調査員だった彼の両親は、未開の海域を調査する最も危険な任についていた。

 白い巨人の共食いによる世界の崩壊以降、帝國以外に國家としての体裁を維持している地域は皆無で、帝國の周辺は未開の海域が広がっていた。

 西海を隔てた大陸は、かつてその一帯を支配していた土人による環境汚染と土壌汚染により、人の住めない地となっており、巨人がやってきた東海に至っては、強力な深海棲艦が多数生息することもあり、殆ど調査が進んでいなかった。

少年の両親は、強力な深海棲艦が跋扈する東海を調査する調査員の一員だった。そんな海域に赴くのだから、当然危険が多い仕事だ。海軍の艦隊が護衛につくとはいえ、完全な安全が保障できるわけではない。

 だが、少年の両親は自身の仕事に誇りをもっており、自分達の調査によって未知の領域が既知の領域となれば、航行の安全が保障されるだけでなく、それだけ帝國の版図が広がったことになる。

 祖國のため、そして本土で暮らす息子のため、少年の両親は、もっとも危険といわれる東海の調査に自ら志願し、調査活動に従事していた。そして、命を落とした。

 一通りの調査を終え、本土への帰還途中でのことだった。制海権が確保されていたはずの海域で、群から逸れた深海棲艦に襲われたのだ。のちの調査で、最弱の駆逐艦イ級であったことが判明したが、手負いの逸れ駆逐艦でも、非武装の調査船団を蹂躙するには十分だった。

 海軍の救援艦隊も間に合わず調査船団は全滅し、当時は海軍の怠慢ではないかと、聯合艦隊司令部は元より、海軍省や軍令部までもが、マスコミの盛大なバッシングを浴びていた。

 思いもよらなかった突然の不幸により、少年は幼くして天涯孤独の身となってしまったのだった。

 それは、少年が中学にあがる直前の出来事だった。

 

「お前さ、自分が何したか分かってる? ねえ、分かってるかって聞いてんのこの野郎」

 

 隣りを歩く2歳年長の従兄が、そう言って少年の足を蹴った。痛みに顔を顰めつつ少年は、小さくごめんなさいと謝罪の言葉を呟いた。

 

「お前が死ぬとさ、遺族年金が貰えなくなるの。そこんとこわかってのかよ、本当に」

「わ、分かってます」

「おかげでお袋から、お前を見張るように言われちまったじゃねえか。ふざけんなよ、本当に。面倒くせえ。糞が」

 

 何度も毒づきながら少年の従兄は、汚いものでも見るような目で、少年を足蹴にした。

 突然の不幸で両親を失った少年だったが、両親共に國家に奉職する身であったため、唯一の肉親である少年には多大な遺族年金が毎年支払われることになった。

 しかし、そこで問題が発生した。少年がまだ幼く、財産の管理などが難しいことだった。

 かくして、遺族年金目当ての親族達が、当事者である少年そっちのけで、フィクションにありがちな、端から見れば滑稽でしかない骨肉の争いを繰り広げ、それに勝利したのが、少年の叔父夫婦だった。

 かくして、少年の養育権を勝ち取った叔父夫婦だったが、少年に支払われる遺族年金が本来の用途で使われることは無く、そのほとんどが叔父夫婦とその息子である従兄の生活費や、叔父が事業で抱えた莫大な借金の返済に使われていた。

 両親の残してくれた土地も家も叔父夫婦に乗っ取られ、少年に自室として与えられたのは、母屋の脇にある物置小屋だった。

 自分の待遇が不当なものであることは理解していたが、それでも自分の面倒を見てくれているのだからと、少年は自分を無理矢理にでも納得させてこれまでの日々を送っていた。

 少年が休日になると日がな一日、軍艦を眺めて海に思いを馳せるのは、そんな自身の境遇からのささやかな逃避のひとつでもあったのだ。

 

「あら、あなた達。相変わらず仲が良いわね」

 

 従兄が、更に少年の足を蹴ろうとしたところで、近所に住んでいる中年の主婦と遭遇した。

 

「こんにちは、おばさん」

 

 急いで足を引っ込めた従兄は、いかにも好青年といった柔らかな笑みをうかべ、女性に向かって会釈をした。

 

「こ、こんにちは……」

 

 少年も従兄の顔色を伺いながら、それにならい頭を下げた。

 

「海に落ちたんだって? 大丈夫だった?」

 

 いかにも世話焼きそうな女性は、心配そうに少年の顔を覗き込んだ。

 

「は、はい。なんとか。艦娘さんに助けてもらったおかげで……」

「無茶なことをして、家族を悲しませては駄目よ?」

「……はい」

「大丈夫ですよ、おばさん」

 

 笑みを浮かべながら、従兄は言った。

 

「そのために、僕が一緒に登下校しているんです。大切な従弟を二度と危険な目に会わせるわけにはいきませんからね」

「あらあら、立派ねえ」

 

 女性は感心したように何度もうなずいた。

 挨拶程度の世間話を交わした後、女性は去っていった。

 

「脅かすなよ、糞ババァ。死ねよ。死ね」

 

 女性が見えなくなったとたん、従兄は憎々しげに顔を歪め、道端に唾を吐き捨てた。

 従兄の一家が巧みだったのは、外面だけは非常に良かったことだ。

 人目があるところでは、常に少年を気遣い優しく振る舞い、周囲の人々に「良い人」であることを常に見せ付けていた。

 折檻をするにしても、外から傷が見えてしまう部分に怪我を負わせることは無かった。

 そうやって、瞬く間に外堀を埋められてしまい、少年は誰にも相談することが出来ず、内に篭って鬱屈した日々を送るのみになってしまったのだ。

 やがて、二人は自宅へと到着した。

 自宅といっても、叔父夫婦が保護者となってからは、少年が母屋へ立ち入る事は許されていない。

 両親の遺産と家を乗っ取られて以降、少年の居場所は母屋の脇の倉庫だけだった。

 従兄と別れ、自室である倉庫に向かおうとしたとき、母屋の中から待ちかねていたかのように、二人の人物が飛び出してきた。

 従兄の両親でもある、少年の叔父夫婦だった。

 

「おお、おかえり! 遅かったじゃないか!」

「待っていたのよ! さあ、早くお入りなさい!」

 

 今までに、少年を出迎えるどころか、母屋へ入ることすら禁じていた叔父夫婦が、いったいどういう風の吹き回しなのだろうか。少年は、恐る恐る二人の顔を見上げる。

 その顔には、彼らが周囲の人間に見せる時の作り笑いが浮かんでいた。

 

「さあさあ、早く入りなさい!」

 

 背後に回った叔母は、呆気に取られる自分の息子には構わず、少年の背を玄関のほうに押しやった。

 少年は、戸惑い気味に背後の叔母と、上がり框に立つ叔父を見上げる。

 

「早くしろ! 靴を脱いで、さっさと上がれ!」

 

 若干いらついたような口ぶりで、叔父が急かした。叔母ほど演技派ではない叔父は、早くも笑みが引きつっていた。

 僅かばかりの考える暇も与えられず、少年は急いで三和土で靴を脱いだ。もたもたしていると、機嫌を損ねた叔父夫婦から折檻されるかもしれないからだ。

 框に足を掛けながら、久しぶりに足を踏み入れる自分の家に、ほんの少し感慨を覚えた。

 叔父夫婦が「保護者」としてやってきて以来のことだから、2,3年ぶりくらいだろうか。もう随分と昔の事のような気がする。

そんな感傷に浸る間もなく、追い立てられるかのように、少年は居間に連れて行かれた。

 居間に入った少年を待ち構えていたのは、今までに彼がお目に掛かったことが無いような、豪華な食卓だった。

 

「さあ、遠慮なく召し上がりなさい」

 

 叔母の猫撫で声に、少年は戸惑った。

叔父夫婦が「保護者」として乗り込んで来て以来、母屋に上げてもらったことはもちろん、まともな食事を与えられたことすら無かったからだ。

 

「おい、母さん。なんで、こいつにこんな豪華な餌を食わせるんだよ!」

 

 玄関に取り残されていた従兄が、居間に入るなり、少年の背後から怒鳴るように両親に抗議した。

 

「だって、この子は来週から海軍に入るのよ。そのお祝い」

「……えっ」

「マジで!?」

 

 少年の上げた当惑した声は、従兄の歓声に掻き消された。

 驚く従兄に、彼女の母親は笑顔で頷いた。

 

「明日、あなたに事前説明をしたいと言っていたから、OKしておいたわよ。だから、明日は学校を休みなさいね」

「やったじゃねーか、おい!」

 

 従兄は満面の笑みを浮かべ、少年の頭を景気づけとばかりに叩いた。

 叩かれた痛みよりも少年は、何故自分が海軍にという疑問で一杯だった。

 

「おいおい、叩くんじゃない。怪我でもさせて、入隊できなくなったらどうするんだ」

「ああ、やべえやべえ。確かにそうだわ」

 

 万が一、傷病が原因で入隊が取り消しにでもなれば、元も子もない。

 

「今日ね。海軍の軍服を着た綺麗な娘さんがやってきて、あなたの事を適格者だとかなんとか言ってたの。意味が良く分らないけど良かったわね」

 

 適格? いったい、何について適格だというのだろうか。

 懐疑の表情を浮かべる少年だったが、叔父家族は気付かない。たとえ気付いたところで、気にも留めないだろう。

 彼らは脳内で必死に算盤を弾き、海軍から出るはずの多額の手当てに思いを馳せているのだから。

 

「入隊さえすれば、死んでも遺族年金が出るわね~」

 

 叔母が、今まで少年に見せたことなど無い優しい笑みを少年に向けた。

 

「お前も嬉しいだろう? 両親と同じように帝國の為に死ねるんだからな!」

 

 まるで、死ぬことが前提のような口ぶりだ。

 

「あ、あの……」

 

 口々に勝手なことを言う叔父一家に、少年はおずおずと口を開いた。

 

「か、海軍に入って、僕は何をするの?」

「ああ!? そんなの、知るわけが無い。入れば分るだろう!」

「そうそう! せいぜい、國の為に死んで来いよ! ははははは!!」

 

 従兄が今度は、少年の背を思いっきりはたいた。

 

「こらこら、止めろと言っているだろう?」

「ああ、やべえやべえ。いつものクセでさ!」

 

 海軍に入隊したからといって、自分のような子供に、いったい何が出来るのだろうか。叔母の言っている適格者というのが、どういったものなのかもまったく分らない。

 しかし、海軍に入れば、大好きなあの2隻の巡洋艦を、今まで以上に間近で見ることができるかもしれない。

 溺れた時に助けてくれた、あの艦娘にも遭えるかも知れない。

 厳しく精悍な眼差しの中にも、少年を気遣うように笑みを浮かべた笑みが忘れられなかった。

 入隊したからといって、地元である横須賀鎮守府に配属されるとは限らない。

 叔母夫婦と従兄は、少年が海軍に入隊することで得ることが出来る支度金や手当についての皮算用を始めている。

 そんな親戚の様子をぼんやりと眺めながら少年は、このままこんな生活が続くよりも、海軍に入ったほうが良いのかもしれないと思い始めていた。

 

 

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