それは、第18戦隊の控え室でのことだった。
「ねえね、見て見て天龍ちゃん。この前のアレ、新聞にも載ってるわよ~?」
「ああ?」
何かを後ろ手に隠しながら眦を下げて微笑む妹艦に、天龍は怪訝そうに眉を顰めた。
彼女がこんな顔をするときは、いつも碌でもない事があるときだ。
「じゃ~ん」
そう言いながら天龍の前に、新聞の一面を広げてみせる。
保守系の論調で知られる國民新聞の記事だった。
そこには大きな見出しで『艦娘お手柄! 海に転落した少年を救う!』と書いてあった。
しかも、ご丁寧にその時の写真付きでの掲載だった。
なんでも、写真自体はたまたま現場に居た読者からの投稿らしい。
「な、なんだよ、この写真は!」
写真を一瞥し、天龍は憤慨した。
おそらく、撮影時のアングル的が問題だったのだろうが、掲載されている写真は誤解を招きかねないようなものだった。
腕に縋りつく少年を天龍が優しく地面に横たえ、少年の顔を上から覗き込んでいるのだが、その様が酷く扇情的で、まるで王子様がお姫様に目覚めの口付けをしようとしているかのようにも見えるのだ。
「わあ、見せて見せて!」
憤慨する天龍とは対照的に、駆逐艦娘達は大はしゃぎで新聞に群がった。
やいのやいのと騒ぎながら、ありもしない妄想を逞しく膨らませては、天龍をイラつかせた。
「なんか、運命を感じますね! この子が私達の司令官になるなんて!」
「何言ってんだ。まだ確定したわけじゃないだろうが」
天龍はにべもなく吐き捨てた。
「いいえ、天龍。適格者なんてそう簡単に見つからないもの。その子で確定よ」
騒ぎに加わらず、少し離れた所でなにやら資料のようなものを作成していた夕張が言った。
「……何してんだ、お前」
「その子の教育資料を作成していたのよ」
そう言って夕張は、天龍の鼻先に資料の束を突きつけた。
もう一つの束を、龍田のほうに手渡す。
「戦隊幹部である私達が、責任をもって、その子を一人前の水雷戦隊司令に育て上げるんだから。しっかり目を通して頂戴ね」
「あらあら。逆光源氏ごっこってわけね~。楽しみだわ~」
「マジかよ、面倒くせえなぁ」
別の意味でやる気になっている龍田とは対照的に、天龍はまったく乗り気ではなかった。
そもそも、偉そうに誰かに物を教えるなんて、自分の柄ではない。
「文句言わない! 輸送任務ばっかりやりたいの?」
「う……」
夕張の指摘に、天龍は言葉を詰まらせた。
たしかに、このままでは延々意に沿わない輸送任務をやらされるだけだ。
それだけは、絶対に願い下げだ。
(仕方ねえなぁ……)
内心でぼやきつつ、天龍は渡された資料の最初のページをめくった。
「あ、加賀さんが帰ってきたみたいですよ」
何気なく窓の外に目をやった駆逐艦娘が、車から降りる加賀の姿を見つけた。
「ご苦労様でした」
運転手の敬礼に見送られ、加賀は
今日の彼女は、普段の弓道衣姿ではなく、帝國海軍婦人士官制服を身に纏い、艤装も取り外した状態だった。
提督の執務室へ向かう途中で、数刻前の出来事を思い返し、彼女はひそかに嘆息した。
提督の命を受けた加賀は、第18戦隊の司令官候補として内定している少年の保護者に、説明に向かった。
平日日中帯であったため、件の少年が不在であることは承知の上だったが、まずは保護者に話を通しておくためだ。
唐突に訪問して本人に意思確認を行うより、あらかじめ保護者からそれとなく話をしてもらったほうが、心の準備が出来ると考えたからだ。
とつぜん訪れた軍服姿の若い女性に、始めは訝しげな態度を見せていた少年の保護者である叔父夫婦だったが、少年を海軍に迎えたいと彼女が口にしたとたん、打って変わったかのようなとびきりの笑顔で彼女を宅内に招き入れた。
そして、少年が如何に海軍に憧れているか、両親と同じように帝國のために命を捧げたいと常々思っているかを熱心に加賀に話して聞かせた。
大事な甥が危険な海軍士官になることは心苦しい限りだが、甥はきっと、軍艦乗りになりたいと即答するに違いない。
甥をよろしく頼みます、帰宅したら甥にはよく話して聞かせますので、何の心配もいりませんと、揉み手摺り手で加賀に力説した。
加賀が少年宅を後にするときなど、近所の訝しげな視線をものともせず、万歳三唱付きの見送りまでしてのけたほどの歓迎ぶりだった。
たしかに、一般の國民の中にも、自身の犠牲も省みないほどの、熱烈な愛國心を持っている者はいる。
しかし、そんな者はほんのごく一部であり、普段の生活で愛國心などというものを意識する人はあまりいない。
ましてや、中学に上がったばかりの少年が、明確に國家や軍隊というものを意識しているとは考えにくい。
せいぜい、提督や艦長といった肩書きに憧れを持つ程度だろう。
「……どうやら、青葉の情報は正しかったようですね」
少年が適格者だという情報が軍令部より届いた直後、提督は複数の情報手段を通じて少年の身辺を調査した。
この種の調査は適格者に対して常に行われており、特に本人や親戚縁者の政治思想について、より詳しく精査される。
共産主義者のような、暴力も躊躇わない反社会的な危険思想を掲げる輩を軍に入れるわけにはいかないからだ。
さらに近頃では、共産主義とは毛色が違うものの、深海棲艦との共存を訴える気の違ったとしか思えない主張を繰り広げる輩が出始めている。
深海棲艦が襲ってくるのは、我々が艦娘という武器所有しているからだ。武器を捨て非暴力を徹底すれば、彼らもわかってくれるはずだ。直ちに海軍を解体し、艦娘を放棄せよ! ……という噴飯もののふざけた思想だ。
それらの点については、本人も含め、周囲の人々にも特に問題は見当たらなかったのだが、少年の保護者である叔父夫婦に、別の問題があった。
その問題とは、少年の養育に充てられるはずの遺族年金の着服。少年に対して恒常的に行われている精神的・肉体的な虐待などだ。
しかも周到なことに、周囲の人間にはさぞ自分達が身寄りの無い少年を引き取って、愛情を注いで養育しているように見せかけていたりと、非常に悪質だった。
重巡洋艦娘でもあり、帝國海軍一の情報通を自認する青葉をはじめ、複数の情報機関による調査で、加賀もパートナーである提督も、少年の内情については理解していたが、実際に保護者である夫婦に会ってみて、それが確信に変わった。
今回の件についても、少年が海軍に入ったことで、本人や家族に支給される手当が目当てなのだろう。
そんな事を考えながら歩いているうちに、ほどなく加賀は、提督の執務室の前に到着した。
「……ただいま戻りました」
「おかえり、加賀さん!」
立ち上がって加賀を迎えた提督は、早速とばかりに加賀の胸に手を伸ばし、セクハラに及ぼうとした。
やはりいつものことなのか、加賀は顔色一つ変えず、その手をぴしゃりと叩いた。
「そういうことは、執務が終わってからにしてください」
「ちぇー」
子供のように唇を尖らせる提督を、加賀はひと睨みして黙らせた。
「少年の家庭環境ですが。事前にこちらで掴んでいた情報どおりでした」
「そっか。ご苦労様」
提督は軽い口調で加賀を労った。
「いいさ。証拠は十分に揃っている。親権を剥奪されるまでの短い間、せいぜい浮かれていればいい」
「はい」
「明日、本人を交えて事前説明をしたいってことは伝えた?」
「伝えました。急な要望にもかかわらず、二つ返事で了承しました。よほど、少年が邪魔なのでしょうね」
加賀の平坦な口調には、僅かながら嫌悪と侮蔑の色が混じっていた。
「結構。こちらとしても、余計な手間は極力省きたい。天龍に伝えてくれ。明日は、戦隊旗艦である彼女にも同行してもらう」
「かしこまりました」
加賀は頷くと、傍にあった電話の受話器をとった。
この日、少年を甲種適格者として、横須賀鎮守府を根拠地とする第1機動艦隊群第18戦隊の司令官候補に迎えることが決定された。