0.それは初めての
ーーもういいかい
「まーだだよ」
ーーもういいかい
「まーだだよ……」
△
それはよく晴れた日の事だった。
頭を強く打つ衝撃に意識が朦朧としていたせいか、視界に映る化け物がハッキリとは見えなかった。
きっとこれは夢なのだ。痛いのも、苦しいのも、目が覚めたら全部終わってるんだ。
痛みに耐えながら、助けようとした子供の方を向いた。無事に避難できたようで子供の姿はもうない。
ーー早く死なせてくれ
じわりと熱くなる目頭をきっかけに暗い感情がたちまち少年の身体を飲み込んだ。
「おーい聞こえる?」
薄ら目に女の影が見えた。目の前で手を振り少年の意識を確認している。しかし少年は声を出すことも動くことも出来ない。
「あー、こりゃダメだね。えーと、トリオン兵は……うん、悠一に任せた!」
女は薄ら開いた少年の目に手を当て閉じさせると、耳元で「ちょっとだけ待っててね」と呟いた。
抱えられる感覚となるべく揺れないようにがっしりとそして優しく掴む手。閉じられた瞳は真っ暗な空間と共に意識を一緒に持っていった。
ーー次に目を覚ます時は天国だと思っていた。
やっと死ねるのだと、開放されるのだと。
少年は目を開けるなり視界に映った光の眩さに驚いた。光に慣れてきた目は次第に白い天井を映し出す。
そんな、ここは一体。手にはシーツの感触がして、今自分はベッドに寝かされているのだと気づく。目だけを動かし辺りを見渡すと、そこは病院でも自宅でもないまるで知らない部屋。
そして___
「ん、起きた?」
焦げ茶にロングストレートの髪。青いパッチリとした瞳と長いまつ毛。綺麗だ、と思った。
少年を見下ろす女は濡れたタオルを手にし、ゆっくり起き上がろうとする少年に手を貸した。
「見た目の割に酷い怪我じゃなくて良かったよ。病院もすぐに退院出来たけどずっと意識ないんだもん」
心配したんだから、と笑う女に反射的に少年も苦笑いを浮かべる。そしてその裏でここはどこなのか、この人は誰なのかと考えた。
聞きたいことは山ほどあるのに、今はどれから聞いたらいいのか分からない。
「……僕が助けた子供は無事ですか?」
本当は他に聞きたいことがあった。けれど、真っ先に出たのはこれだった。
あの時怪我をしていた理由、それは単純に近くにいた子供を守っていたから、だ。
「他に聞きたいことあるだろうに、開口一番それ?んー、まぁそうね、かすり傷とかはあったけど無事だよ。」
「そうですか……」
「まぁまぁ、後でその話はするとして、とりあえず自己紹介するね!私は
ずっ、と差し出された手を恐る恐る握れば勢いよく何度も振られる。悪い人ではないのだろう、と思う。趣味はちょっと分からないが。
「じゃ、次は君ね」
固く握られた手は案外あっさりと離され、女は手を引っ込めた。
「……
「うんうん、趣味までありがとうね!まぁ君のことは全部調べてて知ってるんだけどね」
「は?」
ちょっと待て。"シオン"は"悠花"の言葉に眉を寄せた。さっきまで悪い人ではないのだろうと思っていた彼女に一気に怪しさを感じてきた。
そんなシオンに気付いたのか、
「あぁごめんね変な意味は無いの!ただ病院で診てもらう時に君の情報が必要だったし……」
と、悠花はモジモジしながら答えた。
「あの、ここは一体どこで貴方は何者ですか。治療して頂いたことは感謝しています。でも、僕は帰らなければいけません。なので……」
「君にこれから行く宛てなんてないでしょ?」
間一髪入れられた一言にゾクリと背筋が凍った。どこまで知っている?何を知っている?シオンの背中に壁の冷たさが伝う。
「さっきも言ったでしょ、君のことは全て調べた。悪い事に使うわけじゃないし、君も帰る場所がないからここにいる。それで終わり!」
「終わりって、何も解決してないんですけっ、いった……」
「ほらとりあえず寝た方がいいよ。傷口広がるから」
少し興奮したのが良くなかったのか、頭に巻かれた包帯越しに傷口を抑えた。突然の痛みに顔が歪む。
「ーーやっぱり、こうなると思った。だから悠花はやめなって言ったんだ」
ガチャリ、ドアが開いて現れたのは同じ歳程の少年だった。悠花は彼を見るなり「悠一!」と声を上げた。新たな登場人物にシオンは身構える。
「そんなに身構えなくていいよ。俺は迅悠一、君と同じだから」
「……僕と、同じ」
迅悠一、と名乗った少年は悠花に「どいて」と端へ追いやるとシオンの目の前に立った。
「俺も帰る場所がない。……というか、なかった。そして普通の人と違う。あー、まぁそれはこの人も同じだけど」
悠一は悠花を親指で差し、話を続ける。
「ここは機密組織ボーダーの本拠地。そして、君はここに来る前に見たよね、大きな機械みたいなの。それを殲滅しているんだ」
「ボーダー……」
「俺達はこの先起こる大きな戦いに備えて準備してる。それで、君の力が必要だと思ったから連れてきた。……まぁ瀕死の状態を発見した時は流石にビビったけど」
言っていることは全くと言っていいほど理解できなかった。否、理解するのに時間がかかった。
「僕は普通の人と違うけど」
「それでもいいよ、ってかそうじゃないといけない。俺達も普通じゃないし」
「……戦う力もないよ。知っての通りこんな怪我をするくらいには弱い」
「子供を助けるために身を挺する勇気と行動力は最強だよ」
「本当に、本当に僕が必要?」
縋るような気持ちもあったと思う。親に捨てられ、施設で育ったシオンは自尊心も自己肯定感も無いに等しい。必要だとされることも今まで無かった。
「ーー必要だよ。今の私達にはシオン君が」
質問に答えたのは悠花だった。真剣な眼差しと瞳に、シオンは涙が出そうになる。本気でこの人は、この人たちは自分を必要としてくれているのだと。
「僕に出来ることなら、助けになりたい、です」
「よく言った!それじゃあ今日から君はボーダーの一員よ。ここが貴方の帰る場所、いいね」
はい。絞り出した声はちゃんと届いただろうか。
ぽつりと雫が布団に零れ落ちた。