めまいはとある屋敷を訪れていた。
そしてその肩には産屋敷あまねにより任務と共に託された一羽の鴉が留まっていた。
「ごめんくださーい」
声を掛けるも中からは反応はない。
正確にいうならば反応事態はある。中から濃密な警戒の空気が漂ってきているのはめまいも感じ取っている。
その動きがないのだ。
しばしの沈黙の後、張り詰めた空気が扉が開かれたことで動き出す。
めまいの目前に現れた少年のような姿の鬼、そして少年が隠すようにしているがその後ろにいるのは女性の鬼。
後ろの女性からはとてつもなく濃い警戒が見えるが、少年から向けられているのは明確な敵意だった。
めまいもまた刀は抜かず見た目には出していなかったが、襲われた時に対処できる程度には身構える準備をしていた。
そこで敢えて目の前の少年から目を離す。
「あなたが、珠世さんですか?」
「……そうですが、あなたは?」
「初めましてになります。わたしの名前は天泣めまい、少し離れた町で道場を開き剣を教えています。そして今日は鬼殺隊の協力者としてここに来ました」
その言葉に極めて濃密だった警戒がさらに濃くなる。
めまいは肩に留まっていた鴉をその指の上に乗せると少しだけ前に差し出す。
「こんばんは珠世さん、今日は本当に月が美しい夜だ。……初めまして吾輩は産屋敷耀哉の使いの者です」
突き出された鴉が流暢な言葉遣いで自己紹介を始める。
少年はその産屋敷という言葉に鋭い視線をさらに強めて睨みつけるが、沈黙を破ったのは珠世であった。
「……どうしてここが、わかったのですか?」
その珠世の疑問は尤もだった。
少年の鬼―――愈史郎の血鬼術によってこの住処は徹底的に隠蔽されている。
鬼からも人からも隠れ生きてている珠世にとってはそれこそが生命線であるのだからその驚きは尋常ではない。
その方法は人間の人脈であった。
珠世が買った家の元の持ち主を特定し、昼間の内に愈史郎の視覚を把握。
そして愈史郎の血鬼術では建物の気や匂いなどのものを隠すことができるためそれを感じることはできないが、その存在自体を消せるわけではない。
だからそれがわかっていて根気よく探せば見つけることは不可能ではない。
「貴女方に危害を加えるつもりはないので安心してほしい」
「……では何の御用でしょうか」
「ふむ、不審に思われるのは尤もですが、単刀直入に言いましょう。あなたの力を借りたい。鬼殺隊にも鬼の体と薬学に精通している子がいるのですよ。禰豆子の変貌も含めて一緒に調べていただきたい」
愈史郎は依然としてその鴉を睨みつけていたが、珠世はそこで視線をめまいの方へとずらす。
それは当然の疑問だ。
鬼殺隊ではないと自身で語ったことを完全に信じているわけではないが、だとしたら部外者がなんのためにここにいるのか。
「わたしが来たのは、まぁ基本的には緩衝役ですね。鬼殺の隊士を向かわせれば警戒させてしまうと考えたのでしょう。わたしは鬼にそれほど憎しみを持っているわけでもありませんしね」
「ふん、ただの使い走りか。まぁお前のような―――」
「愈史郎!」
「申し訳ありません、珠世様!」
そのやり取りにめまいは笑みをこぼす。
おそらくは愈史郎はなんらかの失礼な言葉をぶつけようとしたのだろうということはめまいにも想像ができたが、微笑ましいものであるように思えた。
なんとなくではあるが、お互いの強い信頼が感じられたからだ。
「さて、いかがでしょう。鬼舞辻無惨を倒すために協力しませんか? 産屋敷邸にいらしてください」
その鴉の言葉に珠世は驚愕に目を見開く。
何百年と鬼の誰にも所在を掴まれる事のなかった鬼殺隊の本拠地、そして当主である産屋敷耀哉の居場所に鬼である珠世を迎え入れようというのだ。
そしてその驚愕とは珠世の警戒感そのままであった。
鬼と人間は相容れないもの、その認識はこうして隠れ住んでいる限り消えることはない。
思わず愈史郎に目を向けそうになってしまったところをすんででこらえる。
これは珠世自身で決めなければならないことだからだ。
「禰豆子ちゃんはいい子でしたよ」
その一言が表す意味は一つしかない。
鬼と人間、その二つが交わることはできるということだ。
めまいは鬼を憎んではいない。
かといって特別に憐れむようなこともない。
元は人間だったにせよ、鬼は人を喰う生き物であって殺すべきものでしかない。
鬼という生き物に対する冷静な感情、だからこそここに来ることを産屋敷から任せられたのだ。
もちろん、そんなめまいにも例外はある。
鬼という種に対してではなく、その個について。
そのうちの一人が禰豆子だ。
「……お会いになったのですか?」
「数えるほどですけどね。幸いにも禰豆子ちゃんは産屋敷様にも柱の方々にも認められています。だからこそ、今なんだと思います」
「今、ですか……?」
「珠世さんは感じませんか? 今、何かが動き出していて何かが変わるんじゃないかって」
その言葉への答えは沈黙という肯定だった。
珠世が愈史郎へと視線を送ると、愈史郎ははっきりと頷く。
炭治郎と禰豆子、この二人と出会って何かが始まったことを珠世は当然に感じ取っていたし、それは愈史郎もまた同じだった。
「……わかりました、そちらにお邪魔させていただくことにします。……愈史郎もそれで構いませんね」
「……珠世様がそうおっしゃるなら……」
愈史郎は多少不満そうな様相を見せる。
めまいの言っていることは十分にわかるが、愈史郎からすれば最も大切なことは珠世の安全であり、そう考えるならば戦いの渦中に身を寄せることは愚策とも言える判断である。
だが、時代が流れゆく中でいつまでもこうして隠れ住むことができるという確信が持てるというほど楽観的でもない。
鬼舞辻無惨を倒さなければならない。
賭けに出る機会としては悪くないということもわかっていた。
「けっこう。色よい返事が頂けたことに感謝します。それでは案内しますのでご準備のほどよろしくお願いします」
「……わかりました。愈史郎」
「はい、珠世様」
「あ、わたしも手伝います。……少し珠世さんには個人的に教えて頂きたいことがいくつかありまして」
「個人的に? 鬼殺隊とは関係なく、ですか?」
「はい。わたしの友人に―――」
第十二話 ひのかみかぐら
めまいがそれに気が付いたのは本当にたまたまだった。
初めはかすかな違和感でしかなかったが、一度気になるともうそれから気をそらすことはできなかった。
焦りにも似たその想いにつき動かされるようにめまいはそちらへ歩みを進める。
初めはそのまま歩いていたが、やがてそれではいけないと感じ走り出した。
道を走り、走り続けた先にやがて町が見えるほどの場所へ辿りついた。
それは大きな町だ。
もしも、もうほんの少しだけ遅かったならば、そこにいた大型の『鬼』が入り込んでいたならばそれは大惨事になっていたかもしれない。
それを食い止めていたのは一人の隊士。
経過はわからない。
ただ、それでも辺りに見える激戦の跡からたった一人でそれなりの時間を食い止めていたことだけはめまいにもわかる。
今、その膝をついた隊士が窮地に陥ろうとしていた。
肺に力を込めて体中の血を熱くさせ、心を燃やす。
抜いたその刀が黄色に染まる。
―――全集中、虹の呼吸参ノ黄、迅雷電。
めまいの最速の技、可能な限りに最短を駆け抜け今にもその地に膝を付いた隊士に襲い掛かろうとしている横に突撃する。
「―――っ! ……硬い」
全ての体重を込めてぶつかる突き技でその鬼を吹き飛ばす。
それで倒せるなどと楽観視していたつもりはめまいにもなかったが、その手応えから自身の想像していたよりも遥かに格上の鬼であることを察する。
「だいじょうぶですか!」
「くっ……。助かりました。ありがとうございます先生」
「先せ……? 炭治郎くんですか?」
隊士の前に立ち背中でかばいながら鬼を警戒するも、その思いもよらぬ呼び方に鬼から目を離し振り返る。
めまいからは必死でその隊士を伺う余裕はなかったが反対からははっきりとその動きが見えていたのだ。
めまいがちらりと視線を落とすと、満身創痍の体とは別に、炭治郎の怪我した足が目に入った。
この鬼との戦闘で負傷したものと勘違いしていたが、どうやらこれは以前の戦いでの傷が癒えていないものだったようだ。
それはつまり、片足がうまく使えず全力を出せない状態でこの鬼を相手取っていたということなのだ。
このような状況でありながら、めまいは強くなったものだと感心していた。
なぜ炭治郎がこのような場所にいるのか、疑問はあるがおそらくのその答えは推測できる。
めまいの記憶が確かであれば、ここから比較的近い場所に炭治郎の兄弟子である冨岡義勇が居たはずだ。
そこに向かう途中かあるいは帰る途中か、どちらかにせよなんらかの理由でこの辺りを通りがかったのだろう。
「説明をお願いします」
だから聞くべきことはこの鬼のこと。
その単純な言葉に炭治郎は一瞬だけ言葉に迷うと、簡潔に述べる。
「強い鬼です。おそらくは……十二鬼月に匹敵します」
だろうな、とめまいは思った。
それなりの鬼を今まで倒してきていたが、先ほどの手応えはそのどれよりも硬いというだけでなく、想像を超えるものであった。
「血鬼術は使ってきていませんが、速さと硬さは上弦並かもしれません」
「くっくっく、上弦並だとぉ?」
めまいに吹き飛ばされた鬼が立ち上がり、何事もなかったかのように笑いながらゆっくりと歩いて近づいてくる。
「おれはあの方に特別に目をかけられた強い鬼、そしてこの任が終われば次の上弦の伍となることを約束された鬼、そしていずれ上弦の壱となる鬼」
「……上弦の、壱……?」
炭治郎の目が驚愕に見開かれる。
それは、その鬼の言葉が紛れもない本心だということがわかってしまったからだ。
そしてそれはある意味では真実だった。
この鬼はどこにでもいるとようなありふれた鬼の一体でしかなかった。
体が少し大きいだけの血鬼術も使えない異形の鬼。
たまたまこの辺りに目をつけた無惨の目に留まり、無惨から直接血を与えられた上で、この任を『果たしたならば』上弦となることを約束された。
「……真に受けてはいけませんよ」
「先生?」
「本気で言っていても本当とは限りません」
言われて炭治郎もはっと気が付く。
この鬼が嘘を言っていないということは確かに間違いないだろうが、それだけの実力があるかと考えてみればそこは疑問である。
かつて見た上弦の参を思い出す。
下手をすればこの鬼の力や速さはそれに匹敵するかもしれない。だが、あの鬼よりも強いとは炭治郎にも思えなかった。
「おれの言っていることがしんじられないだと?」
「いえ、どうでもいいだけです。どうせあなたはここで死ぬのですし」
その瞬間、鬼は突進する。
大きく振りかぶった右腕を真っ直ぐ振り下ろすだけのなんの工夫もない一撃。
それだけのものであったが、その単純な一撃はめまいが今までみたどんな鬼の一撃よりも強く速かった。
―――水の呼吸参ノ型、流流舞い。
とっさに出した技でそれをいなしながら鬼に攻撃を加えるも、鬼の体には僅かに赤い線が刻まれる程度であり、刃が入るという感覚はない。
めまいとしてはさきほどの一撃を考慮に入れると妥当なものだろうと特に慌てることはなかったが、即座に繰り出される鬼の左腕に跳び退がる。
「ふぅ……」
大きく息を吸うと力を込めて刀を構える。
出す技はめまいの持つ技の中で最大の威力を持つ攻撃。
―――虹の呼吸壱の赤、唸り紅炎。
鬼の懐に飛び込むと捻りを加えたその赫い刀による強烈な一撃を下から上へと振り上げる。
鬼はそれを受け止めようとするが、めまいの剣はその右腕を斬り落とす。
「気をつけて! 再生が早いです!」
炭治郎から掛けられた言葉に身構える。
その斬った右腕を見るとすでに再生が始まっているのが目に入る。
思わず歯を噛み締めると反撃を食らう前にさらに攻撃を加える。
―――虹の呼吸弐ノ橙、岐嶺颪。
赫から橙に変わった刀を大上段に構えてそこから首を獲るべく斜めに斬り下ろそうとするも、それは鬼の左腕に防がれる。
ぶつかりあった衝撃で、鬼だけでなく、めまいの体までも吹き飛ばされる。
視線を上げると、すでに鬼の右腕は元通りとなっていた。
「なるほど……」
一筋縄ではいかないな、とめまいは呟く。
それを呆気に取られたようにぽかんとして炭治郎は眺める。
そのめまいの一つ一つの動きや、その剣の威力がかつて見たものとはまるで別物であったからだ。
疑問は浮かぶがおそらくはその刀だろうと当たりをつける。
かつて少しだけ聞いた話から推測すると、その刀の色が変わってからがめまいの真の実力なのだろうと。
そして、その剣を使わなかった理由にも想像がつく。
それはきっと、炭治郎がヒノカミ神楽の威力に耐えられなかったのと同じなのだろう。
「このムシケラがぁぁぁああああ!」
腕を切り落とされたことが癇に障ったのか、鬼は激しい声を上げながらめまいに突っ込んでくる。
そして高速で目前まで接近するとその両の腕を振り下ろす。
めまいがとっさに跳び退がると、それに合わせて鬼は再び追いかけその右腕を振りかぶる。
それを予測していためまいは大きく息を吸う。
―――虹の呼吸伍ノ型、水波能舞い。
その繰り出された鬼の一撃を流れるような動きで避わしながら水色の刀で斬りつけ、その両腕を切り落とす。
そして、その勢いのままその刀を首へ向ける。
この鬼の再生力が凄まじいことはめまいにもわかっていたが、それでもこれだけの短い時間であれば間違いなくそれも間に合わないだろうという確信があった。
それを油断だとは思わなかった。
だが、その一撃は鬼の腕によって防がれていた。
それは、今切り落とされた腕が再生したのではなく、肩の部分から新たに生えてきた一対の腕だった。
「しまっ―――」
めまいは振り回されたもう片方の腕、それが腹部に直撃しそうになるのをかろうじて刀で受け止めるも、その強烈な威力に吹き飛ばされる。
まるで小石のように吹き飛んだめまいは木に背中を打ち付けてそこで止まる。
「がっ、は―――」
一瞬だけ意識が飛びかけるも、なんとかこらえて膝が折れそうになるのを耐える。
だが、無論鬼は待ってはくれない。
即座に止めを刺すべく突進をしかけてくると、肩から生えてきたその右腕を振り下ろす。
それを目では捉えるも、めまいは先ほどの一撃を受けた衝撃でいまだに体が痺れていて逃げることはできない。
頭に過ぎる死の気配。
それに焦りはなく、冷静に視界の外から飛び込んでくる気配に気付く。
―――ヒノカミ神楽、円舞。
鬼の一撃に合わせて横から炭治郎がその腕を斬り落とす。
めまいの視線は鬼よりもむしろその一撃に釘付けになっていた。
鬼もまためまいよりも炭治郎を警戒しているようで、一旦後ろに退がり腕を再生させる。
「はぁ、はぁ……」
「だいじょうぶですか、先生……?」
「え、ええ。すみま、せんね。助かりまし、た。ありがとう、ございます……」
息も絶え絶えに炭治郎に感謝を述べる。
めまいは深く大きく吸うと、受けた攻撃と使った技で乱れた呼吸を安定させる。
―――今のが、日の呼吸。
いや、と首を振る。話に聞いた限りでは正確には日の呼吸の技そのものではないのだろう。
だがめまいには一目見てこれがそれなのだとわかる。
一族の使命として追い求めていたその一端がここにある。
だからこそ、これを習得すればいいのではないとという疑問が脳裏をよぎるが、その答えについても即座に確信が浮かぶ。
めまいにこれは使えない。
失望と諦観、それは確かにあるが、そこまででもないことにむしろ驚く。
むしろ、これこそが答えなのだ、と。
―――ここが、その場所か。
「……炭治郎くん、下がって」
「先生……?」
「この鬼はわたしが戦います」
なぜ、という当然の疑問が炭治郎に浮かぶ。
確かに炭治郎が足を負傷していることにめまいが気付いていることには炭治郎も気付いていた。
だが、それを差し引いたとしても、ことここに至ってまで自分が足手まといとなってしまうとは思っていない。
あの頃とは―――。
「煉獄さんにただ守られていた頃とは違います。俺だって戦えます」
「……杏寿郎くん……? ああ―――ああそうだったね」
失言だったかと炭治郎は思わず顔を歪める。
蝶屋敷に居た折に、しのぶからめまいと杏寿郎の仲については説明を受けていたし、その件でめまいが塞ぎこんでしまったという話も聞いていた。
しかし、恐る恐る炭治郎がめまいの顔を覗きこむとむしろ晴れ晴れとした表情をしており、それに理解が及ばず僅かにぞっとする。
「杏寿郎くんは守ったんだよね」
―――共に使命を成し遂げられるよう努力しよう! そうだ! 俺と君ならきっと出来る!
一人、自分の使命を果たして死んでいった杏寿郎。
そのことにめまいはひどい喪失感を抱いた。
それは単に、大切な人を失ってしまったという意味だけではなく、その杏寿郎の成したことがめまいには手が届かないものだと感じていたからだ。
でも―――。
杏寿郎は炭治郎を守った。
だからここに炭治郎が居て、そしてめまいがいる。
だからこそ使命が果たせる。
「そっか、ああ、そういうことだったんだね。……ありがとう、杏寿郎くん」
「先生?」
「炭治郎くん、やっとわかりました。―――わたしは今日、ここで死にます。きっとそのためにわたしは生まれてきました」
「え? な、何を言っているんですか! 確かに相手は手強いですが、二人で力を合わせれば」
「違うよ炭治郎くん。こんな雑魚のことはどうでもいいの」
めまいは首を振る。
炭治郎からすれば、その言葉の意味は全くわからなかったが、ただめまいがやけになっているわけではないことはわかった。
むしろその分、炭治郎の混乱は大きかった。
「わたしはね、ずっと―――」
「しねぇぇぇぇ!」
平然とした様子で会話を続けるめまいたちに業を煮やした鬼は、二人のいるところまで突進するとその四本の腕で激しい連打を繰り出した。
「……うるさい」
―――虹の呼吸陸ノ青、天穹。
数瞬の後、その青い刀で全ての攻撃を捌かれた鬼は愕然としてそこに立ち尽くしていた。
めまいが返す刀でその鬼の首に狙いをつけると、鬼は慌ててそこから飛び退く。
しかしめまいが振るったそれはただの威嚇であり、この鬼の首を落とせるほどの力は込められてはいなかった。
うすうす思っていたことではあるが、それを見てめまいは確信する。
この鬼は臆病だ、と。
強者である鬼特有の傲慢さと、その鬼の中で圧倒的弱者であるという臆病さ。
鬼舞辻無惨によって無理矢理に力を与えられただけの弱い鬼、だから強者と戦った経験もなく、こちらの力量がどの程度なのかもわからないのだ。
つまり、戦闘が下手だ。
その面においてはたとえどれだけ体が強かろうが十二鬼月、中でも上弦などにはとてもではないが足元にも及ばない。
「話が終わるまでそこで待っていなさい」
そう言い放って、めまいが鬼に視線を送ると、鬼は怯んだかのように一瞬身構える。
そこでさて、とめまいは炭治郎に向き直る。
炭治郎はその光景に驚愕するが、めまいはそれを気にしない。
「わたしは死ぬ場所を探していました。それは使命を果たすためです」
「使命、ですか……? でもそんな、死ぬなんて……」
それについては詳細は知らないまでも少しは聞いていたので、炭治郎もめまいが使命のために戦っていることはわかっていた。
だが、そのために死ぬとなると話は変わってくる。
「長いこと考えてきましたが、それしか方法はありません。ですが、ただ無駄死にするというのは我慢がなりません。そして、その機会が今訪れました」
「それが、あの鬼なんですか?」
「違います。炭治郎くんがここにいることです」
めまいの目的は日の呼吸に辿り着くことであった。
それは一族の悲願であり、つまり、悲願でありながら今まで誰にも辿り着けなかったということなのだ。
それは剣の天才と謳われためまいの父にも。
どうすればいいのか、めまいにもずっとそれはわからなかった。
だがここにきてその答え―――『一族の誰にも辿り着けない』ということに気付く。
そう考えれば答えは簡単、誰かに、誰かを使って辿り着かせればいいのだ。
教えればいい。
そもそもめまいは戦う者ではなく剣を教える者なのだから。
炭治郎という剣を鍛え上げ、日の呼吸を使い鬼舞辻無惨の首を獲ればいい。
そのために、炭治郎の進むべきを道を示すためにここで命を使う。
日の呼吸に近いものを使う炭治郎とその炭治郎を守りぬいた杏寿郎。
その二人のおかげで今ここで使命を果たすことができるのだ。
「わたしがこれから使う技、それを見ていつか日の呼吸、その深奥に辿り着いてください」
「でも、俺が使っているのは日の呼吸そのものじゃないんです」
「ええ、知っています。ですが問題ありませんよ。道を極めた者が辿り着く場所はいつも同じですから。……あなたならきっと『同じ場所』に行きつきます」
そこまで言うと、鬼の方に向き直り大きく息を吸う。
「視ているか、鬼舞辻無惨! 聞いているか、鬼舞辻無惨! お前を倒すものがここにいる。産屋敷耀哉でもない。九つの柱でもない。わたしでもない。そして―――継国縁壱でもない! 炭治郎、竈門炭治郎がお前を討つ!」
「……っ!」
炭治郎は以前の自分の言葉を思い出す。
確かに炭治郎は言った。
―――俺と禰豆子は鬼舞辻無惨を倒します! 俺と禰豆子が必ず! 悲しみの連鎖を断ち切る刃を振るう!
鬼舞辻無惨を討つと。
その想いは今でも変わってはいない。
だが、あのときはあの場に居た誰一人としてそれを信じている人は居なかった。
それでも、ここに一人居たのだ。
「―――炭治郎くん。よく見ていなさい」
そう告げるとめまいは刀を構えて大きく息を吸い込む。
それと同時にその刀が黒曜石のように黒く染まっていく。
炭治郎はその光景に蝶屋敷で聞いた話を思い出す。
以前、蝶屋敷で療養していた際に、アオイに尋ねられたことがある。
その使っている黒い刀はだいじょうぶなのか、と。
黒い刀が珍しいものだという話は聞いていたが、自身の体にも異常を感じたことはまるでなかったため、その質問の意味はわからなかった。
アオイが言うには知人がしのぶに、その黒い刀を使うと死ぬと言われたらしいのだ。
そのときには黒い刀を使う人を知らなかったためわからなかったが、今となってみればそれがどういう意味かわかる。
つまり、これを使うとめまいは死ぬのだ。
止めなければいけないはずだと頭が言っている。
だが、本当に止めていいのかと何かが警鐘を鳴らす。
ここでそれをすることはこれまでのめまいの生き方を踏みにじることになるのではないか、と。
「でも、俺は! 俺は先生に死んでほしくなんかありません!」
―――私だって貴女には死んで欲しくありませんけど。
「そう、だね。みんなそう言う。ごめんね、こんな生き方しかできなくて……。でもこんなことでもしなければわたしは何も為せない人間だから……」
最後に、振り返って少しだけ寂しそうにめまいは微笑む。
その光景は炭治郎にとってもどこかで見たもののように思えた。
その身に纏う雰囲気も、そのどこかで聞いた言葉も、その黒い刀も、そして―――その額の左に奔る痣も。
めまいが刀を鬼へと向けると、鬼もその雰囲気を悟っていたのかさらに体を大きくし、腕をもう一対増やして六本となっていた。
「……やっぱりそうか」
この鬼は何もしなくても死ぬ。
予想はしていたがそれはほぼ確信に変わった。
すでに最初に生えていた腕にわずかではあるが皹のようなものが奔っている。
鬼舞辻無惨に与えられた力に適合しきれていないのだろう。
おそらくはこの鬼は使い捨て、暴れさせるだけ暴れさせてあとは勝手に死んでいくことを見越してのもの。
ただ鬼舞辻無惨に利用され捨てられるだけの悲しい鬼。
同情は少しだけあるが、それが何かに影響することはない。
めまいはそこで一瞬だけ目を瞑る。
長い一族の歴史をその瞬間に振り返る。
先祖が追い求めた日の呼吸への道。
継国縁壱、という遥か高みへと続く道。
その道は本当にあるのかどうかすらわからないものだった。
目に見えてはいるのに、本当にあるのかどうかわからない虹のように。
そしてめまいは目を開きその黒い刀に力を込める。
虹を彩る七つの色、それを全て重ねれば黒となる。
虹を彩る七つの光、それを全て重ねれば白となる。
「長かった……」
そうめまいが呟いた後、ごぽりというくぐもった水音に気付き炭治郎は思わず息を飲む。
その音に続いて大量の血がめまいの口から零れ落ちる。
そして、わずかにぐらりとその体が揺れる。
「おおぉぉぉおおおおおおおおお!!」
それを振り切るかのようにその刀をきつく握り締めるとめまいは咆哮を上げる。
それは一瞬だった。
先に動いたのは鬼。
理由は簡単。
そのめまいの様子を隙だと思ったからだ。
単に攻撃の数を増やしただけという単純でいて強力なもの。
それに合わせてめまいも突進する。
そして、両者がすれ違う。
その一瞬に炭治郎も息を飲む。
「……っ」
一族がずっと追い求めていたもの。
継国縁壱という神。
それは神への祈りでもなければ神への願いでもない。
それは神を再現する神楽舞。
―――虹の呼吸始ノ白、日神神楽。
「やっと……やっと追いついたよ。―――『にいさん』」
炭治郎がそれを目で追えたのは偶然にも近かった。
すれ違ったほんの一瞬で六本の腕と首をほぼ同時に切り落とした。
そして、その刀が斬る瞬間にだけ黒から赫く染まっていた。
どさり、と鬼の腕と首が地に落ちる音がした次の瞬間にはめまいもまたそこに倒れ伏す。
炭治郎は崩れ落ちゆく鬼を横目に慌ててめまいに駆け寄ると倒れためまいを抱え起こす。
「先生! だいじょうぶですか?」
「炭、治郎くん、見た?」
「はい……はい! 見ました! しっかりと!」
炭治郎が見たそれは、自分の全く知らない何かのようにも思えたし、自分のよく見知ったもののようにも思えた。
不思議な感覚。
ただ、それを見たことで朧気ながら炭治郎にも『ヒノカミ神楽』というものが何なのか、ということがなんとなくではあるが見えてきたと感じていた。
これはきっと鬼と戦うためのものではない。
鬼の祖である鬼舞辻無惨を殺すためのもの。
それはつまり、それによって鬼という存在そのものを滅ぼすためのもの。
すなわち―――鬼滅の刃。
「そう、なら……よかった。あと……ごめんね。きっと、これで、炭治郎くん、は……鬼舞辻無惨に、目をつけられちゃった、ね……」
「だいじょうぶです。俺は、きっともう目を付けられていると思いますので」
「そう、なんだ……。倒してね。炭治郎くん」
「―――はい!」
その言葉をすべきことの最後としてめまいは目を閉じた。
大正コソコソ補足話
この鬼は元々ここから少し離れた山に隠れ住むように暮らしていて、時折山を降りては人を喰べていまいした。鬼舞辻無惨がこの鬼に目をつけた理由は特になく、たまたま目に留まった鬼に適当に血を与えて行ったところ生き残ったのがこの鬼だったというだけです。
わざわざ血を与えた理由は、鬼の動きが少なくなったことで隊士たちの動きも少なくなってきたため鳴女の調査の進捗が遅くなってきてしまったので、とりあえず何かしら刺激を与えてみようと考えたからです。
めまいが感じたとおり、なんとか受け入れることは出来ていますがこの鬼に鬼舞辻無惨の血は完全に適合しているわけではないため、体はすぐに壊れます。めまいはそれを見ておそらく日の出までもたないかもしれないと推測していますが、実際にはあと数時間程度でこの鬼は崩れてしまいます。