めまいはただひた走る。
向かう先は産屋敷邸、そこに何かがある、何かが起こるはずだとめまいの勘が告げている。
だがそれは届かない。
突如、蹴っていた大地が消失する。
「―――っ!?」
落ちる。
今まであったはずだった地面が消え去り、めまいは驚愕に目を見開く。
体を捻りなんとか体勢を整えると、目の前にあった壁に手を引っ掛け、どこからか現れた部屋に転がり込む。
その先で再びめまいの思考が一瞬止まる。
そこに居たのは鬼、それもかなりの力を持っているであろう強力な鬼だ。
―――虹の呼吸参ノ黄改、迅雷電・閃。
そこから即座の判断で最速の技を用いて一気に鬼との距離を詰めると首を切り落とす。
違和感。
対面した瞬間に感じた強力な気配のわりには鬼の反応が鈍い。
この感じはつい最近にも感じたことがあった。
おそらくは以前対峙した鬼と同じ、鬼舞辻無惨によって無理矢理に血を与えられ強化された鬼なのだろう。
塵と消えていく鬼を背に部屋を出るとその先に広がっているのはどこまでも続くような廊下だった。
「……なに、これ……?」
呟くも答えはない。
そこかしこから感じる強力な鬼の気配、それとそれだけではなく人間の気配も多数ある。
そして、血の匂い。
何が起こっているのかはいまだ定かではないが、ここが修羅場だということはめまいにもわかる。
どこへ行くべきか何をするべきかわからないままに、勘をもとにまずは近くにある人の気配へと足を進める。
「え? 誰だ? ……人?」
「なんで一般の人がここに?」
「隊服じゃないけど鬼殺隊じゃない、のか?」
「でも刀持ってるぞ?」
その先にあったのは鬼殺隊の隊服を着た五人ほどの集団だった。
集団はめまいの姿を目に入れると動揺を顕にする。
なんらかの方法―――おそらくは血鬼術によって鬼殺隊の人間がこのよくわからない空間に引き込まれたのはわかっていたが、だからこそ逆に一般人がいることは想定していなかった。
「……もしかして、天泣さん……?」
その場に居た隊士の一人がぽつりと呟く。
周りの隊士たちはその言葉にざわめく。
めまいにもその隊士は見覚えがあった。
呟いた隊士は以前に一度だけ合同任務としてめまいと任務に赴き、共に鬼を狩ったことがあった。
その折に、めまいの身の上については簡単に説明を受けており、鬼殺隊ではないがその心強い協力者だと認識していた。
その旨を簡単に周りの隊士に説明する。
「ところで、ここはどこ……何なのですか?」
説明が一通り終わり、一息ついたところでめまいが尋ねる。
しかし、それについて明確な答えを持った者はこの場には一人もいなかった。
ざわめきとともに各自が推測を述べるが、あくまでもそれは各々が思う想像でしかなく、それが正しいかどうか確かめる術もない。
ただ一つ言えることは、戦って勝たなければ死ぬということだ。
「―――っ!」
そのとき、めまいの体がびくりと硬直する。
そしてゆっくりと頭を動かすと遠く壁の向こう側を見るように眼を見開く。
隊士たちはそれを不思議そうな目で見るが、徐々にその意味を悟る。
「……近くにいるんですか?」
「いますね。これは……たぶん上弦でしょう」
そのめまいの宣言に隊士たちの顔が歪む。
めまいが感じる禍々しい気配、それはめまいが戦った無理矢理に上弦並の力を持たされた鬼ではなく、その力を持つことができるだけの強力な鬼だ。
たぶん、とめまいは言ったが、自分の中でそれは間違いないとの確信があった。
どうしようかと少しだけ迷い、隊士たちに目をやる。
「―――俺たちだって自分の身を守るくらいはやってみせます」
「……え?」
「俺たちは俺たちで戦います。だから自由に動いてください」
「……わかりました」
それは聞きようによっては卑怯な言葉とも取れる。
自分たちは上弦の鬼などとは戦えないから貴女が行ってくれ、という。
もちろん、そんな意味でないことはめまいにはわかっていた。
隊士たちにあったのは、めまいが一瞬心配そうな視線を向けてきたことについて負担になりたくないという想いだった。
その意を察してめまいは走り出す。
その場所―――上弦の鬼と柱が戦っているその戦場へ。
第十四話 虹
めまいがその部屋に飛び込んでから行動に移すまではほんの一瞬だった。
頭が燃えそうになるほどの激情を抱かせるその光景を目に入れると、地を蹴り刀を抜く。
めまいが飛び上がるとそれとほぼ同時に遠くから叫び声が響く。
「―――師範!」
そして躊躇なくその鬼の首元へと振り下ろす。
手応えはない。
その一撃は簡単に避わされたが、めまいにとっては想定内、というよりもむしろ当然のことだった。
「とと、危ないなぁ……。君、今この子ごと斬るつもりだったよね? ひどいなぁ。そんなかわいそうなことしちゃだめだよ」
めまいはそのまま着地すると、再びその鬼に剣を振るうべく即座に切り返す。
左手一本で天井にぶら下がったその鬼は右手で一人の女の左腕を掴みぶら下げている。
意識がないのか、あるいはすでに命がないのか、その女は微動だにしていない。
めまいと鬼の視線が交差する。
その中に虹を湛えながら見下したような目をしているものの、めまいが次にどう動くのかを探ろうという意図が見えて油断は窺えない。
そこで鬼は冷静に予測する。
こちらに向かってくるめまいが次に打ってくる手は二つ。
一つはこの女―――胡蝶しのぶの命を諦めて鬼の首を狙いに来る。
もう一つは、しのぶを救けるために鬼の腕を切り落としに来るか、だ。
めまいの取る行動は一つしかない。
―――しのぶちゃんは絶対にここに生きて還すから。
そう、約束したのだから。
だけれどもめまいはその鬼の目から、自分の動きが冷静に見られていることに気が付き、そして、返り討ちに遭うだろうことを理解する。
覚悟を決めると大きく息を吸い込む。
―――虹の呼吸肆の緑改、東南風・襲纏。
撹乱するように高速で動き回ると、鬼の元に一気に飛び込む。
鬼の死角に入り込んだものの、その程度の動きでは鬼の目を振りきることは出来ず、鬼がにやにやと笑うのが目に入る。
その笑いを無視し、緑の刀を一閃する。
そのときになって初めて鬼の表情が驚愕で固まる。
「カナヲ!」
そう叫ぶとすぐにその意を理解したのか、落下位置に飛び込み落ちてきたしのぶを受け止める。
受け止めたカナヲは深刻そうな表情を浮かべるも、しのぶの生存を確認すると少しだけその強張った顔を緩ませる。
めまいもすぐにその二人の元へ駆け寄る。
「ははは、君、本当にひどいね。いくら俺を斬れないからって普通その子の腕を斬る? 頭だいじょうぶかい?」
右手の中でそれ―――しのぶの左腕を弄び、嘲笑いながら楽しそうにそう尋ねる。
その判断が異常だということはめまいにもわかっていた。
だとしても、今のめまいではそれ以外にしのぶの命を救うことができる方法が思いつかなかった。
しのぶには悪いことをしたとも思っているが、それは後で謝るしかない。
カナヲはしのぶの怪我に簡単な手当てをして止血をすると、しのぶをめまいに任せる。
ゆっくりと歩いてくる鬼に向かって二人を背にしカナヲは刀を構える。
「それで、どうするの? 言っておくけどこの状況って足手まといが増えただけだよね? それでどうやって戦うの?」
「足手まといなんかじゃない! 私だって戦える」
「ん? いやいやいや、違う違う。そうじゃないよ。俺が言ったのはね、戦えるのが君だけだってこと」
カナヲに笑いかけ、そう言うと鬼は二人を指差す。
「そっちの子は意識ないよね。まぁかなり重傷だし出血も多いから助からないね。それからそっちの子は……ああ、もう死んじゃうかな」
その言葉に慌ててカナヲが振り返ると、水っぽい音で咳き込むめまいの姿が目に入る。
ぐらりとその体を揺らすと胸と口を押さえて膝をつく。
「―――お前っ!」
怒りでカナヲが鬼を睨みつけるも、鬼は心外だと言わんばかりに首を傾ける。
「いやだなぁ、俺のせいにしないでよ。俺は何もしてないし、その子は最初っから死に掛けだったってだけだよ。うん、どうにもならないだろうからもうすぐ死ぬね」
鬼は笑いながらその手に持つしのぶの腕を胸元にあてるとそこからそれを吸収する。
カナヲも予想外のその光景に目を見開き息を呑む。
「まぁどっちも俺が喰べてあげるからずっと一緒にいられるよ。……もちろん君もね」
「させない! 貴方にもう私の家族を殺させはしない!」
「家族? うーん、君とその子たちは血縁なさそうだけど?」
「―――カナ、ヲ」
なんとか立て直しためまいが後ろからカナヲの背に声をかける。
カナヲは鬼から目を逸らさずに意識だけをめまいに向ける。
めまいは呼吸を落ち着かせるとはっきりと告げる。
「わたしたちを囮にしてその鬼の首を斬りなさい」
「……え?」
そのめまいの発言には驚いてカナヲは思わず振り返る。
鬼もその言葉の意味が分からず怪訝そうな表情を浮かべる。
「いや、囮って言ってもさぁ……君どうせ死ぬでしょ? わざわざ俺が手を出す必要がないのに囮にならないでしょ」
「手を出す必要がない? ―――殺せないの間違いでは?」
「うーん、安い挑発だなぁ。じゃあ―――」
―――血鬼術、散り蓮華。
鬼がその両の手に持つ扇を振るうと花びらのような無数の氷が発生する。
めまいは立ち上がると刀を構え声を上げる。
「カナヲ! 離れて!」
―――虹の呼吸陸ノ青、天穹。
意識を失ったしのぶを背に青い刀を構えるとその雨のような氷の群れに刀を振るう。
カナヲは一瞬不安そうな表情を浮かべるも、めまいの指示に従い慌てて飛び退く。
防御面ではめまいの放てる最高の技ではあったが、それでもその全てを無傷で捌ききることはできない。
自身としのぶの被害が最小限になるように見極め、体に無数の傷を作りながらやり過ごす。
「めまいさん!」
カナヲが声を上げるとめまいはごぽりという音とともに口から血を吐き出す。
「あーあ、せっかくやり過ごしたのにどんどん体ぼろぼろになっているじゃない。それにしてもまだ立っていられるなんてすごいね」
「ほら、ね。げほっげほっ……。言ったとおり、殺せなかったでしょ? しかも怖くて近づいてこれない臆病者」
「なんでそんなにひどいこと言うのかなぁ。何を狙っているか知らないけどそんなこと言われて挑発されても逆上して突っ込んだりなんかしないよ?」
「……怖くてできない、の間違い、でしょ……?」
そのしつこさに鬼もさすがに辟易する。
どうしても自分を殺させようとする理由はわからないが、わざわざそれに乗る理由はない。
今の攻撃だけでさらに死に近づいたことは鬼の目から見ても明らかである。
どうせすぐに死ぬと見切りをつけて敢えて構う必要はないと判断する。
そして、それこそがめまいの狙いだった。
これでこの鬼は『めまいを直接攻撃してこない』という状況を作り上げることができた。
あるいはその逆でも良かった。
鬼が意地になってめまいに向かってくるならそれでも良かった。
最初に言ったとおり、自身を囮にしてカナヲが鬼の首を斬ってくれればいいのだから。
最悪なのはどっちつかずの状態になってしまってカナヲに迷いが生まれることだ。
その証拠に、めまいが大きく咳き込んで膝をついても鬼はそれを一瞥だけするとすぐにカナヲの方へと意識を向けた。
こういうやつらは気分屋ではあるものの自分の言ったことをそう簡単には撤回しないはずだから、とそこで安心して膝をつくとめまいは意識を落とした。
「―――きて、―――さん」
―――起きて、めまいちゃん。
「カ、ナエ……ちゃん……?」
「起きて、めまいさん」
「あ、ああ……。しのぶちゃん、か。無事で良かった……」
自分を呼ぶ声にめまいが目を開けると、そこには未だ横たわったままではあるものの、意識を取り戻したしのぶの姿あった。
少しだけ安心したものの、しのぶが相当の重傷だったことを思い出す。
そして、自身の体も思っているよりも軽いことに気がついた。
推測できることは、しのぶがなんらかの薬を使ったということだ。
「……痛みを多少麻痺させているだけです。傷が治ったわけではありません。動けば死にます」
そう考えているめまいにしのぶが現状を説明する。
そう言うしのぶの顔は苦渋に満ち満ちている。
当然だ。
だとしたらめまいを起こす必要などないのだから。
つまり、起き上がることすらできないしのぶの代わりに、めまいに死んでこいと言っているのだ。
めまいとしてもそれは構わない。
ただ問題があるとするならば、痛みが多少誤魔化せたとして、体がなんとか動かせるだけであり上弦の鬼と戦えるほどの戦闘力が戻っているわけではないということだ。
そもそもとして、万全の状態であったとしてもまともに戦えるような相手ではないのだから。
「わたしはそれでもいいけど、しのぶちゃんだけは生きて還すから」
それは宣言。
しのぶは驚くこともなく怪訝そうな表情を浮かべる。
「……それは違うでしょう。ここは私の命も使うべきです。……まぁ、こうなってしまっては使い物になるかどうかは難しいところでしょうが」
「ううん、しのぶちゃんは死なせない。アオイちゃんに約束したから」
「……それで貴女が死んではあの子は喜ばないでしょうに……」
それでもだ。
こいつにだけは何があろうともしのぶを殺させてなどやりはしない。
めまいが鬼に目を向けると、そこにはたった二人で上弦の鬼と戦う姿があった。
一人は当然だがカナヲだ。
こうして見ると本当に強くなったことがわかる。
体は傷だらけになっているが、致命傷となりうるような攻撃は受けていないことが遠目にもわかる。
下手をすると、単純な強さという意味においてはしのぶにも匹敵するのではないかと思えるほどだ。
もう一人は伊之助だ。
いつここに辿り着いたのかは知らないが、この鬼に対して敵意を剥き出しにしている。
その前のめりになってしまっている伊之助をカナヲは補助しながら、それでいて自身でもうまく戦っている。
―――だが。
「……押されてる」
正確には少し違う。
傍目に見れば押されながらもなんとか均衡を保てているように見える。
しかし、本当にうまく戦えているものの、鬼のにやけた表情を見る限り、無理をする必要がないというだけであり、すぐに人と鬼の差が出てくるはずだ。
どちらかというならば観察しているようにも見える。
無限の体力を持つ鬼の前にやがて均衡は崩れる。
「―――伊之助! 堪えて!」
「うるっせぇ! こいつはこの伊之助様が噛み殺す!」
その言葉にめまいは違和感を覚える。
堪えて何か意味があるのだろうか。
このままでは消耗し続けて不利になるのは明らかだ。
例えば、別で動いている柱にでも援軍が期待できるならばそれもありだろうが、この状況で都合よくそれが起こるとは思えない。
―――それでも。
「……なにか手が、切り札があるんだね……」
呟いたそれがめまいの結論。
消耗を考えるならば、それが出来ないとわかっていても猛攻で決めるしかない。
それをしないのは偏にそれよりも可能性が高い方法があるからだ。
そこで一つの可能性に思い至る。
振り返りしのぶの様子を伺うと、しのぶは再び目を閉じていた。
それに一瞬ぎょっとするも、呼吸をしていることに気づき安堵の息を吐く。
めまいはその自分のせいでなくなったしのぶの左腕に目をやる。
しのぶが何をやろうとしていたのか、確信はなかったがなんとなくの推測はできていた。
その推測が当たっているのであるならば、めまいの取るべき選択肢は二つ。
一つはカナヲがやっている時間稼ぎの手助けをすること。
そしてもう一つは、その時が来るまで二人を信じてこのまま待つこと。
ほんの一瞬、刀に込めかけた力を緩める。
その判断をした理由は、鬼がこちらにまるで注意を向けていないことにある。
こちらにいる二人が瀕死であることはわかっているため、その必要がないと思っているのか。
あるいは、そうすることに決めてしまっているのか。
だからこそ、その時が来るまで戦力と見做されていない現状を維持することこそが正解だと信じた。
カナヲと伊之助、二人ならばきっとやり遂げると。
一瞬だけカナヲと目が合うと、お互いにほんの僅かにだけ頷き合う。
鬼はそのカナヲの動きを見て嘲笑うかのように喉を鳴らす。
―――血鬼術、結晶ノ御子。
鬼が血鬼術を使い自身とそっくりな小さい人形を生み出す。
「君たちの相手はこの子にして貰うよ。じゃあ俺は行くところがあるから」
人形を残して鬼はその場を去ろうとする。
そうはさせるわけにはいかないとカナヲは鬼を追おうとするも、行く手を人形に遮られる。
最初は小さい人形を見くびっていた二人だったが、すぐにそれが間違いだったと気づく。
遠目から見ているめまいにもその人形の異常なほどの強さを感じ取ることができた。
しかもそれが鬼と同じような血鬼術を使うのだ。
ゆっくりと余裕を見せながら歩き去る鬼に追いつくこともできない。
刀を握るめまいの手に汗が滲む。
―――それでも信じると決めた。
だからこそ、カナヲはそれに応えるべく自身の切り札を切る。
しのぶには言われた、これを使えば悪くすれば失明するかもしれないと。
―――それがどうした。
そんなことでしのぶが、めまいが助かるのであれば躊躇う理由などありはしない。
―――花の呼吸終ノ型、彼岸朱眼。
眼球が圧縮され、強膜は赤く染まる。
その極限まで研ぎ澄まされた視覚に、カナヲの眼にはその人形は止まったようにゆっくりに映る。
その人形の懐に潜り込むと一閃してそれを叩き切る。
「……へぇ」
鬼は足を止めると感心したように息を漏らす。
そして、振り返ると先程生み出していた人形を二体追加する。
「すごいね、でもこんなもの幾らで―――」
ごぷり、と鬼が血を吐く。
それについて苦痛を感じるでもなく、何が起こったかわからないかのように、ぽかんと目を見開く。
一拍遅れてそれに体が気づいたように膝をつく。
それと同時に、鬼が生み出していた人形の動きもまた止まる。
「あれ? あれれ? これ、は―――毒?」
いつ、どこでその毒を喰らってしまったのか咄嗟には鬼に思い当たることはなかった。
確かに、しのぶと戦っていたときにいくつもの毒を体に受けたが、それは即効性のものであったし、すぐに分解することができた。
だから、それはしのぶの剣で負った毒ではない。
―――つまり。
「―――あの、腕……」
それは、しのぶがこの鬼を倒すためだけに仕込んだものだった。
この鬼が女を喰べることに執着していることを知っていたしのぶが、自身の体そのものを毒とした罠である。
皮肉なことに、めまいによってしのぶの命は救われてしまったために、その策は失敗に終わってしまったが、めまいがしのぶの命を取り、その腕を犠牲にしたため不完全ではあるが功を奏することとなった。
そして、その瞬間にめまいが動く。
刀を強く握りしめ、肺が壊れる覚悟で大きく息を吸い込む。
額に炎のような痣が浮かび上がり、その刀は黒曜石のように黒く輝く。
―――虹の呼吸始ノ白、日神神楽。
鬼の鋭敏な感覚が警鐘を鳴らす。
もはや虫の息、戦う力は残っていないであろうと放置していためまいが、突如として絶大な驚異として背後に感じられた。
そして、その対処を何よりも優先すべきと振り返った次の瞬間には驚愕の光景を目の当たりにして動きが止まる。
今にも斬りかかってくる凄絶な気配だけを残しながら、めまいはすでに倒れ伏していた。
めまいにもわかっていた、今の自分にはそれを振るうだけの力は残っていないことは。
だからこそ、この瞬間まで過剰なまでに息を潜めていたのだ。
このために力を温存していたのだと思わせるように。
それはただのはったりであったが、感覚の鋭い鬼には十分な効果があった。
常に笑みを絶やさなかった鬼の表情が固まる。
もはや何をする力もないとわかっていたはずであったのに、そのあまりの気迫に自分の判断が揺らがされたことに。
その隙を二人は見逃さない。
―――花の呼吸陸ノ型、渦桃。
咄嗟に鬼が繰り出した扇を避わしながら、体を捻り鬼の首を狙う。
だがそれは届かない。
鬼の血鬼術によって巻き散らかされる氷によって懐に入り切ることが出来ない。
―――獣の呼吸伍ノ牙、狂い裂き。
「やれ、カナヲ!」
伊之助はその氷の中に突っ込むと刀を振り回し氷を吹き飛ばす。
体中を血に塗れさせながらもカナヲが進む道を切り拓く。
その伊之助の背中から潜り込むようにカナヲは鬼に接近するとそこから飛び出す。
―――花の呼吸肆ノ型、紅花衣。
その刀が遂に鬼の首に食い込む。
カナヲの表情に僅かに絶望が浮かぶ。
もはや止まることはできず、その刀を振り切ると、鬼の首から血が吹き出す。
「うーん、残念。ほんのちょっとだけ届かなかったね」
首のほとんどを切り裂かれながらも文字通り、首の皮一枚だけを残して繋がった首を押さえながら鬼は嘲笑う。
あとほんの少しだけ、あと足一つ分踏み込むことができれば斬り落とすことが出来たはずだとカナヲは痛感する。
飛び退がった鬼にもう油断はない。
―――血鬼術、霧氷・睡蓮菩薩。
首を押さえた方とは逆の手で扇をふわりと振るうと、そこから巨大な氷で出来た菩薩地蔵が顕れる。
その威圧感にカナヲも伊之助も足が止まる。
冷気をばら撒く地蔵には近づくことすら容易ではなく、さらにその向こう側にいる鬼にまで辿り着くとなるともはや絶望しか浮かばない。
―――届かない。
カナヲはその事実を悟る。
自分に出来ることは一か八かの玉砕覚悟での一撃を繰り出すことだけだ。
カナヲはその刀に命を込めて大きく息を吸うと、もう一度その眼に全てを集中する。
―――それに気付いていた者はいなかった。
ただ、唯一カナヲの極まった眼のみがそれを捉える事ができた―――捉えてしまった。
ほんのわずか、瞬きにも満たない程の時間だけその視線が動く。
カナヲはその自らの行為に思わず奥歯を噛み締める。
眼前にいる鬼はすでに勝利を確信したかのようにふざけた態度をとっているが、それは上辺のみで、常に狡猾で慎重にこちらの様子を観察し続けている。
だから、そのほんのわずかな動きが致命傷となる。
鬼はそのカナヲのほんのわずかの動きだけで状況を把握する。
気配は感じなかった。
音もなかった。
それでもカナヲの眼が常軌を逸していることには気付いていたため迷うことはなかった。
即座に後ろを振り返りそれに備える。
鬼の眼が捉えたのは刀を構えてすぐ背後まで迫っているめまいの姿だった。
そこで安堵する。
自分の方が早いこと、それが間違いなく当たることを確信してにやりと嘲笑うと、めまいを切り裂くべくその扇を横に振るう。
「―――え?」
その呟きは誰のものだったかわからない。
あるいは、その場にいる全員だったかもしれない。
誰の『眼』からもそれは直撃であり、死という結果が見えた。
それにも関わらず、めまいは平然として刀を構えていた。
それは白い刀。
―――虹の呼吸終ノ白、白虹・暈。
めまいはそこに居た。
誰の目にもそう見えていた。
それは虹だった。
太陽と大地の間、この空のどこかに確かに存在するもの。
誰の目にもそれは明らかであるはずなのに、気配はなく、それを掴んだものは誰一人としていない。
だから今、それと同じく鬼のその手も空を切る。
そして、何が起こっているのかわからないまま、振るわれた円を描くような白い一閃に鬼の首は宙を舞う。
「あの世でカナエちゃんに……、いや、もういい」
そう言うと宙を舞っている頭に容赦なく刀を振り落とす。
大正コソコソ補足話
めまいはこの鬼がカナエを殺した鬼だと気づいているので、内心ではかなり怒り狂っていますが、最初に斬りかかったときにはまだ気づいてはいません。が、そのときはしのぶが危ないということでわりと頭に血が昇っています。
その後、鬼を挑発しているのも半分は単に怒っているだけです。
めまいはこの時点では自分がほぼ戦えない、少なくとも長い戦闘に耐えられるとは思っていないので、仮に鬼が挑発に乗ってきた場合、相討ち覚悟の捨て身で斬りかかるつもりでした。その後に出している技も当然ですがそれで死ぬつもりで出しています。
いちおうアオイとは自分の命を諦めないとは約束しましたが、自分の使命は託し終えているので、自分の命も札の一枚としてわりと軽く見ています。