男は娘に教えられる限りのことを教えた。
だがそれは困難な道程であった。
継国縁壱や、優秀だった従兄と比べれば劣ってはいたものの、男もまた一廉の剣士であり、それを女の身である娘に全て伝えるというのは容易いことではない。
また、男自身の体も相当に弱っており、満足に実演することができなかったこともその要因の一つだ。
そのため、男はかつての伝手を使い、当代の産屋敷や呼吸を使う剣士たちに申し出、研究をした知識や情報と引き換えに娘に剣の指導を頼むこととした。
産屋敷もまた、その男の持つそれらに有用性を見出し、その申し出を受け入れ、可能な限り剣士たちへ伝えてくれることを条件にそれを受け入れた。
元々は、産屋敷の方から娘に対して鬼狩りの剣士として働いてもらうことを期待してのものだったが、娘は自身の未熟さから自分の腕ではそこらの鬼に喰われて死ぬだけだと辞退し、男の意志を継ぐこととした。
そこから実戦で鍛え上げられた鬼殺の剣と、研究で積み重ねられた知識の剣を互いに高め合うという関係が始まった。
やがて娘が一人前と呼べる程度の腕前に到達した頃、とある剣士と婚姻を結ぶこととなった。
その剣士はその付き合いが始まった頃に訪れたその時分にはまだ幼いとも言える少年であったが、鬼との戦いで負傷し、剣を手放すこととなった。
そうしたときに男に声を掛けられ、その研究や男の目指したものに感銘を受け、その男の元で過ごすこととなった。
そうして年の近かった娘と次第に近づいていった。
娘とその剣士は婚姻を結び、子を成し、十分に幸せと呼べる家庭を築いていた。
その間も男と娘は剣の修練を重ね、研究を続け、少しずつ少しずつだけ進んでいった。
そうして少しずつ進み続け、娘はついに虹の呼吸の一部を形にすることができた。
何かが始まるような気がした、ここから全てがうまくいくと。
だが、女が二十五を迎える前にやはりそれは起こった。
男と同様に体がひどく衰弱し、剣を振るえなくなってしまったのだ。
夫である剣士はその事実にひどく動揺したが、男にはこうなるのではないかというある種の予感があったこともあり、冷静に言い聞かせると剣士もまた男の現状を見て即座に命の危機があるようなものではないと理解し、ひとまず納得した。
だが、娘はそうではなかった。
その可能性については認識しており、こうなるかもしれないことは覚悟していたはずではあるが、実際にこの状況になると男から受け継いだ剣を振るえなくなってしまったことにひどく狼狽した。
それは男にとっても夫にとっても想定外の状況であった。
男は娘について誤解していた。
確かに、自分の言うことをよく聞き、真面目に修練に励んでいたが、男から見るとそれは受け身であるように感じていた。
一生懸命ではあったが、それは娘の真面目な性分から来ているのであろうと。
そして娘は娘なりに自分のことを尊敬してくれているからこそ、言う通りにしていてくれるのだと。
それ自体は間違いではなかったが、娘が男の言うことをよく聞いた理由はそれこそが剣を極めるための近道だとの考えがあったからだ。
剣を極めることこそが娘にとっての大事であったのだ。
娘の胸にはそれについて燃えるような執着があったが、男にその気配は全くといっていいほどに伝わっていなかったのだ。
だからこそ、下手をするとその無念は男が抱いたものよりも大きいとさえ言えるものだった。
どうすべきかについて迷いはしたが、男はそれについて自分と同じように娘もまたその子に、その子はまた孫にと伝え続けていくことで使命を果たすのだと諭した。
そうして男の目指したものは使命として子々孫々と伝えられることとなった。
第八話 日の呼吸
それから少しの日が過ぎたが、めまいは変わらぬ日々を過ごしていた。
ただ、こうした暮らしをしているのも徐々にはるの視線に耐えられなくなってきていた。
そこから逃げるという意図もあり、めまいは家を出る。
そしてずっと先送りにしてきたことをそろそろやらなければならないと諦めにも似た思いで思い足を進めていた。
めまいが訪れたのは煉獄の家だった。
煉獄杏寿郎の死の報せを受けたとき、それを弔うためにも、その家族を労わるためにも早く行かなければならないことはわかっていた。
煉獄の屋敷についためまいはまず杏寿郎の弟である千寿郎に深く頭を下げ侘びの言葉を述べた。
本来であればすぐにでも来るべきであった訪問がここまで遅くなってしまったことは偏にめまいの落ち度でしかないからだ。
もちろん、弟の千寿郎も父の槇寿郎も、めまいとは知己であり杏寿郎とも親しき仲であることも知っていたため、めまいがそのことで落ち込んでいるであろうことは容易に想像がついており、その訪問が遅れたことについても特段の想いはなかった。
だから千寿郎としてもそこまで畏まられるとむしろ申し訳なく思ってしまうほどだった。
「……兄の最期については、一緒に戦ったという隊士の方から伺いました……」
仏壇の前に座り、杏寿郎に手を合わせた後、少し話でもと千寿郎に客間に通される。
部屋に通された後、千寿郎はめまいにお茶を出すとその向かいに座り、ぽつりぽつりと話し始めた。
「下弦の壱と戦い、上弦の参とも戦い、そして二百人の乗客も共に戦った隊士も誰一人死なせることなく守りきったのだと兄を讃えてくれました」
「……そっか。杏寿郎くんはすごいね」
「はい、とても立派だったと聞いています」
―――弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。
めまいは以前に杏寿郎が亡くなった母にそう諭されたという話を聞いた。
弱い人を守り助ける、それこそが自分の使命なのだと杏寿郎が朗らかに語っていたのをはっきりと覚えている。
杏寿郎はその使命を果たしたのだ。
それに引き換え、自分は一体何をしてきたのだろうか、今何をしているのだろうかと卑屈な激しい感情がこみ上げてくる。
思わず伏せていた顔をそっと上げて正面に座る千寿郎の表情を盗み見る。
そこには想像していたよりも吹っ切れたような顔があり、めまいにはそれが少し疑問だった。
めまいの印象では千寿郎はもう少し頼りない部分があり、自分のようにもっと落ち込んでいるとばかり思っていたので、あるいはそれが普通であり自分が情けないだけなのだろうかと。
その様子に気が付いたのか、千寿郎はわずかばかりの苦笑を浮かべると剣士の道を諦めたことを告げた。
剣の道ではなくそれ以外のやり方で人の役に立てることをしようと決めたのだと。
その言葉を聞いてめまいは素直に強いな、と感じた。
何も決められずどこにも行けない自分と比べたならばこうして決断をし、一人で歩き出す千寿郎は目も眩むほどに眩しい。
思わず再び顔を伏せてしまっためまいに千寿郎は何か失言をしてしまったかと慌ててしまう。
きょろきょろと辺りに目を巡らせた後、空気を変えようとちょうど今思い出したこととしてある言葉を出した。
「そ、そうだ。そういえばめまいさんは日の呼吸ってご存知ですか?」
「―――日の呼吸!?」
その言葉に反応して即座に顔を上げ、腰を半ばまで上げると鋭い視線を向ける。
その予想外の圧力に千寿郎は一瞬たじろいでのけぞるが、すぐに居住まいを正す。
「……どこでその言葉を聞いたの?」
「えー、えっと、兄上のことを伝えに来た隊士の方を一目みたときに父上が突然に『お前は日の呼吸の使い手だな』と食って掛かりまして……」
「―――誰!? それは一体誰なの!!」
「は、はい。竈門炭治郎という方ですが……」
「え? 炭治郎くんが? ……どうして……」
「お知り合いなのですか?」
「うん、何度か……でもそんな話は聞いたことなかったけどな……」
「炭治郎さんが思い出したのも最近のことらしくて……。どうにもお父上から剣については何も教わらず舞や呼吸だけを伝えられていたらしく、日の呼吸という名前についても何も知らないそうです」
その千寿郎の返答に落胆し、めまいは浮かせていた腰を降ろす。
そこでふと疑問がよぎる。
一目でわかるということは煉獄の家は日の呼吸に詳しい、あるいは多くの情報を持っているということだろうか。
「そう、なんだ……。でも槇寿郎さんはどうして炭治郎くんが日の呼吸ってわかったの?」
「それは……わかりません。ただ炭治郎さんの付けている耳飾りを見た途端に豹変したように食って掛かりました。『知っている。そう書いてあった』と……」
「書いてあった?」
「おそらく歴代炎柱の書の内容だとは思うのですが、それはずたずたに破られていて中身については殆ど読めなくなっていましたので……」
「破られていた? それはどうして?」
「それは、内容について読んでいないので推測になりますが、父上のひどい憤り様を見るに恐らく父上が破いたのだと思います」
「そっか、槇寿郎さんが……」
「……父上に、直接お尋ねになってはいかがでしょう?」
「うーん……」
元々あいさつの必要があるとは思ってはいたが、それに加えて千寿郎の言葉もあり、めまいは槇寿郎の元へ顔を出すことにした。
それでもなかなか踏ん切りがつかず、障子の前で立ち尽くしていた。
杏寿郎と千寿郎の父である槇寿郎ともめまいは昔から親交があった。
この家に遊びに来た折には、槇寿郎に剣について面倒を見てもらっていたこともあった。
めまいの目から見ても槇寿郎は明るくて優しく、いずれ杏寿郎が大きくなったらこうなるのだろうな、と思えるような気のいいおじさんであった。
だが、いつからか槇寿郎は変わってしまった。
それは恐らく槇寿郎の妻である瑠火が亡くなってしまったことが決定的な原因であろうことは今のめまいにはわかる。
しかし当時は、めまいとしても可愛がってくれていた瑠火が死んでしまったことが悲しくてそれでどころではなくよくわからなかった。
それゆえに、何かよくわからないまま、煉獄の家が壊れていくような気がして恐怖すら覚えた。
その辺りの苦手意識もあって、それ以降も何度か顔を合わせることがあっても碌に話すことはできなかった。
さらには会うたびに冷たい言葉を掛けられることもあり、今でも槇寿郎と話すのは少しばかり覚悟のいることであった。
「―――入れ」
突然に中から掛けられた声にめまいはびくりと体を震わせる。
気配は消していたつもりではあったが、さすがに元柱である実力者をごまかせるはずもないかと一つ息を吐く。
その状態で自分が誰なのかも把握しているあたりさすがだなと感心させられる。
「失礼します」
静かに戸を開けると、こちらに背を向け縁側の方を向いて座っている槇寿郎の姿が目に入った。
正直に言うと向き合って話すよりもこちらの方が気分は楽であるため、めまいとしては助かった気分であった。
「何の用だ?」
「今日は杏寿郎さんの件で伺いました。この度は―――」
「そんなことはいい」
そう吐き捨てられた言葉にめまいの顔が歪む。
槇寿郎が家族―――杏寿郎ともうまくいっていなかったことはわかっていたが、ここに至ってもそんな態度ではあまりのも悲しすぎる。
「……そんなこと?」
「今さらだろう。そんな形だけの言葉などいらん。どうせお前とて俺にそんな言葉を掛けても仕方がないとわかっているだろう」
「そんなことない!」
「お前……」
その叫びに初めて槇寿郎はめまいの方を振り返る。
「確かに……あなたは変わってしまったかもしれない。でもわたしは覚えてる! 杏寿郎くんがいて千寿郎くんがいて瑠火さんもいた、そのときの優しい家族を!」
「……そうか」
その素直な反応に拍子抜けする。
めまいの知る槇寿郎はもっと捨て鉢であり、こんなことを言っても皮肉や罵倒で返されるものと思っていた。
そう返されてしまうと、怒鳴るかのように訴えたことがなんだか恥ずかしく思えてきた。
「……お前が杏寿郎のことで悲しんでいるのはわかっているつもりだ」
あげくにそのように逆に気を遣われてしまう始末だ。
どのように会話をしようか気を張っていたことが馬鹿らしくなってしまう。
ふと視線を落とすと、槇寿郎の座っている周囲に何もないことに気付く。
以前見たときは酒浸りのような状態であり、常に酒を手元に置いていた記憶があった。
やはり杏寿郎の死をきっかけに何か思うことがあったのだろうか。
「……用が済んだなら帰るといい」
言うべきことは言ったと言わんばかりにそれだけを呟くとまためまいに背をむける。
「……今日来た用向きはそうだったんですが、千寿郎くんと話をしていて少し気になることがありまして」
「……なんだ?」
「日の呼吸について知っていることを教えてもらえませんか?」
その言葉に槇寿郎は驚いたように再びこちらに振り返る。
だが、一瞬だけ考え込むような仕草を作ると、なるほどと納得したように頷く。
「そう。そうか……。お前らの一族はそうだったな」
「え? 知っているんですか?」
「知らん。歴代炎柱の書にほんの僅かにだけ記されていたことと、お前らの様子から推測しただけだ」
「なるほど……。さすが柱になられるような方は優秀です。でしたら話が早い、日の呼吸について教えて頂けませんか?」
「お前たちが知りたいようなことは載っていない。誰にも使えないと書いてあっただけだ」
そう言い切られてしまうと二の句が告げなくなる。
確かに少し考えてみればわかることではあるが、煉獄の家とは先祖からして付き合いがあったのだから、そこに答えがあるならばとっくに得ているだろう。
「……そういえば、炭治郎くんのことを日の呼吸の使い手だと言ったそうですが、それはどういう根拠なんですか? 耳飾りがどうのと聞きましたが」
「耳飾り、そう、あの耳飾りこそが炎柱の書に記されていた始まりの呼吸である日の呼吸の剣士が付けていたというものなのだ」
「継国縁壱……」
「やはり知っていたか」
「それで、炭治郎くんは実際どうなのですか? ……日の呼吸を使えるのでしょうか?」
「それは、わからん。少なくとも完全に習得しているということはないようだ」
「……となると呼吸はある程度使えるけど型は修めていないということか……。なるほど、参考になりました」
そう言いながらもめまいの表情は渋い。
自身がここから先へ進むための何かが得られる可能性があるかと思っていただけにその失望は大きい。
それでも今までに比べれば前進と考えて間違いないだろう。
後は炭治郎と直接話して情報が得られればさらに進めるはずだ。
そこまで考えてめまいは首を振る。
だからなんなのだろう、と。
たかがこれっぽっち、ほんのわずかの情報が得られた程度で進んでいるというのは気のせいにすぎない。
結局、自分の出来ることなど何もありはしないのだから。
「……お前はよくわかっているようだな」
皮肉気な表情を浮かべながら少しだけ唇の端を上げ、槇寿郎は薄く苦笑いを浮かべる。
その表情が、以前の酒浸りだった頃そのままに見え、めまいの頭に血が昇る。
「……何がですか?」
「それもわかっているのだろう。いちいちわからない振りをするな」
「……」
その言葉に何も返せなかったのは槇寿郎の言っていることが正しいとめまいが認めてしまっているからであろう。
「人間の能力など生まれた時から決まっている。分不相応を求めればそこには死しかない。そうだ、お前のような弱い奴はすぐに死ぬ」
「……それ、は……」
またそれか。
そんなことはわかっている。
こんなことを続けても進んだ先に死しかないのは自分がよくわかっている。
どいつもこいつも口を開けば『お前は死ぬ』そればっかりだ。
―――お前が心配だったからだろう。
父の言葉が脳裏をよぎる。
俯きかけた表情からちらりと槇寿郎の方を伺うとどことなく寂しげな表情をしているような気がした。
ああ、この人もか、とめまいは納得する。
今にしてみれば以前から散々に冷たい言葉を掛けられたし、息子である杏寿郎にも同様にすげない対応だったことを覚えている。
そういうことだったのだ。
それはある意味では全てを諦めたものであり、ただひたすらに息子の命を心配していたのだろう。
ただ、どうしてこういう人たちはもっとまともに物を言えないものなのか。
「ありがとうございます」
仕返しの意味を込めてそう笑顔を浮かべると槇寿郎は一瞬ぎょっとするとふんと鼻をならし、もう話すことはないとばかりにこちらに背を向ける。
その背に一礼すると、めまいはその煉獄の家を後にする。
大正コソコソ補足話
日の呼吸について残されているものはめまいの家と煉獄の家ではかなり異なります。
煉獄の家では、縁壱の耳飾りなどその人となりまで残されていたのに対し、めまいの家には縁壱の強さなどの情報は残されていますが、どういう人間だったかといったところは残されていません。
それは元々の開祖である男が重要視していたのが縁壱の強さだというところが大きいからです。それだけでなく、男からしてみれば縁壱の人間性というものをいまいち把握できていなかったということもあります。それでも男から見て従兄とはそれなりにうまくやっているように見えたので特段悪い印象を持っているということはありません。
なお、めまいの家では縁壱が使っていた技については断片的に残されていて形だけの再現はできていますが、そもそも日の呼吸は使えないので見た目がそれらしいだけで実用性は全くありません。