束の間のドラゴネット   作:あさ子

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1.妹

 

「キバナさん!」

 オレの姿が視界に入るや否や走り出し、駆け寄ってくるちいさな女の子。

 ベレー帽についた大きな白いボンボンが、走るのにあわせて軽やかに揺れる。

 小柄で華奢なユウリが背負うのには大きい、丈夫そうな革のリュックも一緒に、こちらは重量を感じさせるずっしりとした揺れ方をしていた。

「走るなって。転ぶぞー」

 言われて少し、スピードを緩める。

 ユウリは数日置きにはナックルシティに引き返して、オレに冒険の報告をしてくれる。

 つまり彼女がこうしてジムに訪ねてくるのは、別段変わった出来事ではない日常茶飯事なのだが。

 オレの元へ辿り着くと、ちいさいながらも精一杯に見上げて胸を張り、得意げな顔をした。

「聞いて下さい! 5つ目のバッジ取ったんです!」

「おお! ポプラさんを攻略したか! すげーじゃん!」

 今日の報告はかなりのお祝い事だ。

「おめでとう! やったな!」

 オレもうれしくなって、焦げ茶の髪とボンボンのついたベレー帽を一緒にわしゃわしゃと撫でた。

 

 

 

 ユウリと出会ったのは数ヶ月前だが、今ではすっかり兄妹だ。

 きっかけは、6人での食事。有名人が多いために、場所は個室があるレストランだった。

 日頃からダンデ、ネズと3人で食事に行くことは少なくなかったが、お祝いということで、その日はそこにジムチャレンジャー同期の3人が加わった。

 何のお祝いかといえば、彼らが全員3つ目のバッジを手にしたことである。本当はジムチャレンジが決まったときから決起集会をやろうという話は出ていたのだが、都合が合わずこのタイミングとなった。

 ダンデの弟、ホップ。ネズの妹、マリィ。彼らとは何度か顔を合わせている。

 それに加えて、もう一人。

「紹介するよ。オレのライバルで、お隣さんのユウリ!」

 二人が弟妹を連れてくるという話だったが、折角だから誘いたいと、ホップが言い出したらしい。

 彼女とは、つい先日ナックルシティで会っている。

「ユウリじゃん」

「あ、キバナさん。お久しぶりです」

 そんなに久しぶりではないが、まあ、多少面識のある相手への無難な挨拶か。

「え? 知ってるんだっけ」

「この前、宝物庫を見に来たからな」

「ああ、そっか」

「宝物庫? ユウリは勉強熱心なんですね」

 感心しているネズは、ユウリとは初対面だろう。この中で唯一初めましての組み合わせというわけだ。

 そうこう話しているうちに、最初のドリンクがテーブルへ運ばれてきた。オレたちはまあ、思い思いのアルコール。ユウリたちは3人とも同じ、縁に生花があしらわれたおしゃれドリンクを選んでいた。

「よし、未来あるジムチャレンジャーたちに乾杯!」

 ダンデの音頭に合わせて、それぞれがグラスを軽く合わせた後、口に運んだ。

 そして。

 年少組は3人とも顔をしかめた。

「うお……結構にがいんだぞ」

「うちも……これ、苦うて飲めん……アニキ、あげるね」

 マリィがグラスをネズに押しつけた。

「3人とも頼んだのか? なんだこれは」

「自家製ミックスジュース」

 ダンデにホップが答えて、グラスを押しつける。

 自家製ミックスジュースとやらは、黄緑色っぽい、なんだか身体によさそうな色をしている。

「んっ、バンジの実かな」

 ダンデは受け取ったジュースを一口飲んでちょっと顔をしかめたが、そこは弟の手前、プライドがあるのか。そのままくーっと飲み干した。

「もうちょっと黄色いし、ホズじゃないですかね。うん。苦いですけど、それも含めて中々美味しいですよ」

 ネズは強がりではなくそう言っているのだろう。隣で大きく頷いているダンデは完全に虚勢だと思うが。

「じゃあオレ、ユウリのやつもらう」

 オレはユウリのグラスを取って、自分の前へ置いた。

「え、いいんですか」

「もちろん。オレも苦いの苦手じゃないし。あ、でもオレ酒頼んじゃったから交換できねえや。ユウリは新しく好きなの頼みな」

「あ、ありがとうございます」

 飲んでみたバンジだかホズだかジュースのお味の方は、うーん。可もなく不可もなく。

 

 スタートからそんな調子で、オレはユウリ担当だったのだ。その後も、ユウリの世話はオレが焼くのが普通になっていった。

 そんな風に成り行きでペアになった“お兄ちゃん”だが、彼女も随分と好いてくれて。

 今では数日置きに会いに来てくれるというわけだった。

 

 

 

 ナックルスタジアムはそれなりに大きな施設で、ビル内にはオフィスやトレーニングルームもあるが、カフェも併設されている。完全に社員専用というわけでもないのだが、場所柄そこはほぼ関係者しか使用していない。これの使い勝手が良くて、ジム内のカフェで話す機会は多かった。町中のカフェでは目立ってしまうと言う程度には、オレは有名人だから。

「またここの併設カフェでいい? 飽きた?」

「いえ、ジムのカフェで大丈夫です」

 ユウリは何かを主張することは少ないが、表情には出やすい。

 カフェのあるフロアに降りた際、壁に大きく貼ってあった限定メニューに目を引かれていたのもちゃんと見ている。

「ユウリ、期間限定のシュカの実カフェオレ気になってるだろ」

 それなりに広い客席に案内されると、メニューを開く前にそう言った。

ここをオレが支払うであろうこともユウリにはわかっている。先に言わなければ、好きなものを頼めと言っても一番安いかそのちょっと上くらいから選ぶのもよく知っている。割高な限定メニューを選ぶことはないだろう。

 オレさま一応トップジムリーダーやってるんだが、そんなに貧乏人に見えるかね。

「なんでわかったんですか」

「いや、オレも気になったからなんとなくさ。じゃああれ2つと……」

 何でも何も、あんなに目をキラキラさせていたら誰だって気付く。

「ケーキもつけようかな。オレはロゼルショコラかな」

 更に、遠慮深いユウリをケーキセットに誘導して完成だ。

「キバナさんケーキ頼むんですか。えー……。じゃあ、私はモモンムースにします!」

 目論見通りだ。

 注文を済ませると、早速ユウリがバッジを取ったという、本日の主題に話題を移した。

「それにしても、初のジムチャレンジでバッジ5つか。すごいな」

「キバナさんだって、最初で取ったんじゃないですか?」

「まあな。全部取った」

「ほら」

「でも年齢が違うしな。オレは15? 16のときかな、そんくらい」

「え? てっきりダンデさんと一緒の10歳でジムチャレンジしたのかと……」

「いや、ジムチャレンジどころか、オレはユウリの年の頃にはまだポケモンバトルやってない」

 ユウリは心底驚いたという風に目を見開いた。

「そうなんですか! 意外です」

「意外か?」

「ええと、ポケモン始めたの遅いのが意外というか……キバナさんに子供の頃があることが意外かな?」

「そりゃああるよ! 更に驚かせちまうが、子供だったどころか、なんと産まれたときは赤ちゃんだったらしいぜ!」

 ユウリは声を出して笑った。

「わかってますって! でもやっぱり、想像がつかないなあ」

「まあ、ユウリの年の頃にはもうユウリよりだいぶデカかったけどな。160近くあったんじゃないか?」

「ええ……私は何歳になったらそれくらいになるかな」

 今のユウリは140cm台だろうか。どこまで伸びるかはまだ未知数だ。

「もしかしたら、ずっとならないかもな」

「む。カレーいっぱい食べてますから、大きくなるはずです」

 大きくなりたいのだろうか。ユウリは不満げに口をへの字にした。

「何か大きくなるコツがあるんですか? モーモーミルクいっぱい飲んでました?」

「いや、特に何も? オレさまずっと同級生よりデカいから、秘訣は特にないな」

 ユウリはずるーい、と頬を膨らませた。

「キバナさんは昔っから大きかったんですね。何かスポーツとかやってたんですか?」

 今も身体がデカいし鍛えてもいるため、これは割とよく聞かれる質問だ。

「総合格闘技やってたよ」

「総合……?」

 まあ、興味ないと知らないよな。

「パンチだけがボクシング。それに加えてキックしてもいいのがキックボクシング。更に、はっ倒して間接キメてもいい、全部ありルールが総合」

「へえ! それはすごくキバナさんらしいですね!」

「そうか? ……なんで?」

「あらゆる状況に対応できないとだめだって、言ってたじゃないですか」

「ああ、言われてみれば確かにそうだな。色んな技を繰り出してくる相手を攻略できないと、最強じゃない気がするんだよなあ」

 ユウリの言うことは的を射ていて、深く頷いた。

「なんでやめちゃったんですか?」

「ん-、そうだなあ」

 色々と思い出しながら、オレは結論だけを口にした。

「大人に勝てないのが……イヤだったからかな」

 それを聞いて、彼女は不思議そうな顔をした。補足説明が必要なようだ。

「ユウリはまだ若いけど、ポケモンバトルで何歳の奴にでも勝てるだろ?」

「勝てますよ!」

「だよな。もうジムバッジも持ってるんだもんな。でも、どんなに強くても、格闘技とか陸上とか球技とか、そういう分野で自分より大人な奴に勝つのは無理だろ?」

「ううん……それはそうですね」

「オレさま、やるなら全員に勝ちたかったからさ」

 ユウリは深く納得した様子で、なるほど、と頷いた。

 彼女もポケモンバトルでは誰にも負けたくないだろうから、気持ちはわかるはずだ。

 

 嘘は言っていない。

 だが、本当はもう少し、具体的な出来事があった。

 

 

 

 

 

 

 そうではない時代や地域もあったらしいが、この地域では、10歳になって小学校を卒業すれば成人となる。

 とはいえ、10歳で親元を離れる者は多くはないし、決まった職にフルタイムで従事するというのもあまり聞かない話だ。この“成人”というのは、“大人”という意味ではなく、大人になるための研修期間に入った、という意味なのだろう。

 もっと学問がやりたければ更に上の学校へ進むこともできるし、他に興味のある分野があれば、それについてより深めることもできる。初めて自分の意思で選べる、選択肢が生まれる頃合いというわけだ。

 もちろん、ポケモン関係の職に関しても、この時点で研鑽を積み始める者は多い。

 だが、オレはこのとき、まだポケモンバトルをやってはいなかった。

 小学校を出る前からそれなり以上の成績を収めていた、総合格闘技を軸に生活していたのだ。

 それは、もう10年以上も昔の話になる。

 

 

 

 

 タイトルマッチ。

 つまり、これに勝てば階級王者。

 

「っ!」

 ボディにがっつり入ったのを物ともせず、どんどん前に出てくるオレに、相手は少し面食らったようだ。

 どれだけ食らっても怯まない。

 それはここでは長所だった。

 効いているそぶりを見せれば、そこを狙って攻撃を重ねられる。だから、効いていても表に出さないのは格闘技においては大切なことだ。

 だが、オレの場合は本当に、それを意識する機会がほとんどなかった。

 強い攻撃衝動が全身を支配している。

 身体が痛くても、それより相手をぶちのめしたい衝動が強い。

 勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい。

 冷静になれ! と怒られることはあっても、怯むな、行け! と言われたことはない。

 懐にガンガン飛び込む。

 相手が格上だから緊張する、ということもない。

 目の前の相手を、ぶっ倒してやる。

 それだけだ。

 ボディに2発、3発と叩き込まれ、気を取られた相手のガードが下がった瞬間。

 今だ。

 顎にガツンと、デカイのを1発。

 確かな重い手応え。

 頭まで強い衝撃が走って、食らった相手は吹っ飛んだ。

 マススピースが飛ぶ。リング上に倒れる。

 決まった。

 高らかにゴングが鳴った。

「キバナ選手! KO勝利だーー!」

 オレに向かって焚かれるフラッシュの光が眩しい。

「ジュニア選手としては異例の3連続KOでタイトル獲得! キバナ選手の快進撃はどこまで続く!?」

「キバナ選手! 少しお時間よろしいですか!」

 ここら辺のメジャーなスポーツと言えば、ポケモンバトルを筆頭にまあ、野球やサッカー。格闘技なんて注目度はあまり高くない。ましてやジュニア大会ともなれば尚更。それでも、階級制覇してベルトを取ったとなれば、格闘雑誌の取材がいくつかは来る。

 ポーズを決めて写真を撮られるのには、試合よりもずっと緊張した。

「階級王者となりましたが、今のお気持ちは?」

「とてもうれしいです! 今後も鍛錬を積んで、次の試合に全力で臨みたいと思います!」

 高揚感に包まれながら、少し上擦った声でそう答えた。

 

「キバナ! 試合、すごく良かったぞ!」

「コーチ!」

「お前は本当に強いな! 将来プロに行っても、有力選手になれるだろう!」

 普段は勝った試合でも辛口コメントばかりするコーチも、ベルトを取った今回はベタ褒めだ。

 ジムに帰っても門下生のみんなに祝福を受けて、“キバナ チャンピオンおめでとう”と書かれたケーキも食べて、オレはご満悦だった。

 それから数日は、家の近所でもジムに行っても、会う人会う人におめでとうを言われた。誕生日がずっと続いているみたいで、不思議な気分だった。

 雲行きが変わったのはある出来事から。

 10歳近く年上の先輩方に、呼び出されたのだ。

 最近は一緒に練習するような機会もなくなったが、入門当初は色々と教えてくれた人たちだった。

 相手は大人の選手。もちろん出場する大会も階級も全く違う。

 160cmそこそこのオレより一回り……いや、二回りは大きい。

 それが3人。

「お前、調子に乗ってない?」

「先輩として言ってやるけど、そういう奴はすぐベルト落とすから。恥ずかしいからデカいこと言わないほうがいいぜ?」

 デカいこと、なんて言っただろうか。

 わからない。

 記憶をたぐるが、心当たりはなかった。

 でもうれしくて浮かれているのは事実だし、それが増長しているように見えたかもしれない。

「ありがとうございます。気をつけます」

 そう言うと彼らは頷いて去って行ったが、その日から、ことある毎にオレに絡むようになっていった。

 いつもはきつい言葉をかけてくる程度だったが、その日は虫の居所が悪かったのだろう。遠征してくる相手選手用のロッカールームに、3人はオレを呼びつけた。

「失礼します」

「何やってたんだよキバナ。おせえじゃん」

 オレの前で、3人は顔を合わせてにやにやと意味ありげに笑っていたが。

 そのうち、1人が前に出た。

「なあ。稽古、付けてやるよ」

「え」

 どういうことか聞こうとした瞬間、顔面を目がけて拳が飛んできた。

「……っ!」

 無意識に掌で相手のパンチをいなす。

 それが想定外だったのか、彼は大きくバランスを崩した。

 後ろでもう2人が、だっせえ、と手を叩いて笑っている。

「てめえ」

 顔を上げた先輩は、逆上して目が血走っていた。

 大きく踏み込まれて、顔面にもう一度、コンビネーションで腹に一発。

 読めていたため肘でガードしたが、ジュニアクラスとは力が違う。流しきれずに、よろけて後退った。

 そこに、サイドからもう一撃。

 重い衝撃が走る。

 脇腹に、完全に決められた。

「……っぐ」

 前屈みに蹲る。

「へへ……打たれ強い選手ってもてはやされてるけど、大したことな……」

 覗き込んだところを、顎に一発。

 先輩はもんどり打って、盛大に後ろへ倒れた。

 体格差があるとはいえ、前屈みになった体勢から渾身の力で打ち込んだ一発だ。起き上がって来ないところを見ると、脳震盪を起こしたのだろう。

「っ、てめえ」

 二人が前に出る。

 そのうち一人に、すばやく腕を取られた。

 その顔面に裏拳を打つ。

「っぶ!」

 怯んだ隙に、腕の拘束をすり抜ける。そのまま後ろに回って足を蹴ると、つんのめってロッカーに倒れ込み、大きな金属音が響いた。

 そこに、後ろから二人目が来ていた。

 後ろから覆い被さるように両脇から胴を掴まれる。だが、縦にも横にもオレよりデカイ分、的は大きい。肘で思い切り相手の脇腹を打った。

 肘は多くの格闘技で使用を禁止されるほど、相手を負傷させやすい固く鋭利な部位だ。

「ぐえ」

 受けた相手が嗚咽を漏らす。掴む手の力が緩んだ。その手首を取ってねじ上げると、簡単に形成は逆転され、オレの前の床に膝を付く。

 これで3人。

 だが、そこでは終わらなかった。

 全く警戒していなかった床から、オレの足首が掴まれた。

「っ!」

 一番最初に顎を思い切りぶん殴ってやった奴が意識を取り戻して、這いつくばったままオレの足をがっちり掴んでいた。

「おい! やれ!」

 オレは一人に足首を掴まれたまま、一人をねじ上げて押さえ込んでいた。

 つまり、フリーの奴が一人いる。

 回し蹴り。見える。だが、手も足も塞がっていては避けられない。

「っがは」

 渾身の力で脇腹にねじ込まれた。

 最初の一発が効いている箇所だ。

 押さえ込んでいた相手をその衝撃で放してしまい、そいつが攻勢へと転じた。

 マウスピースをしていない顔面を何度も殴られて、声が漏れた拍子に折れた歯が飛んでいった。

 床に崩れ落ちて、あとはもう、やられる一方だ。

 

 

 

「お前ら、なにやってるんだ!」

 やがて派手な物音にスタッフが駆けつけ、オレから奴らを引きはがした。

 

 状況を説明できるのは当事者の4人だけ。どこにも証人などいない。

 だが、20代の男3人が、10代の少年1人を囲んで暴力を振るったとなれば、もうどこにも弁明の余地はない。

 3人は破門になった。

 オレにお咎めは、もちろんなし。正当防衛だ。

 肉体的な損害で言えば、骨折が数カ所。歯も折れていた。

 だが、そんなものは現代医療で簡単に治すことができるし、大した被害ではない。

 

 こうして、お咎めもなく、ダメージも身体には残らなかったが。

 オレはそれをきっかけに、格闘技を辞めた。

 

 受け入れられなかったのだ。

 大人に理不尽な悪意を向けられたことも、それを叩きのめしてやることができなかったことも。

 チャンピオンになったと言っても、それはジュニアクラスでの話なのだ。

 あと10年くらい経って身体が出来てくれば彼らにも勝てるだろうが、それまでの時間は絶望的な長さに感じられた。

 このフィールドでは、永遠と思えるような期間、あいつらに勝てないでいるしかない。

 それは受け入れ難い事実だった。

 

 

 

 

 今思えば、だが。

 暴力事件に発展するより前に、誰か信頼できる大人にでも相談できていれば、話は違ったかもしれない。親とか部外者ではなく、現場にいる大人が望ましいだろう。

 だが、オレにはそんなとき頼ろうと思えるような、そこまでの存在はいなかった。

 

 

 

 

 

 

「お待たせいたしました」

 ドリンクとケーキを運んできた店員の声に、我に帰った。

「キバナさん?」

「ああ、わりい。ちょっとぼーっとしてたわ」

 目の前に置かれたケーキとカフェオレを見て、ユウリが嬉しそうにフォークを握った。

「バッジ5個目のお祝いケーキなら、プレートとローソクも付けてもらえばよかったかな」

「このケーキにプレートとローソクは合わないと思いますけど」

 確かに、ピンク色の半球型をしたムースケーキには、なんだかおかしい。

「ガトーショコラにも合わないですね」

「そうだな。確かにオレの方にもなんか合わないな。やっぱ生クリームじゃなきゃダメかな」

 生地肌に直接がっつり刺さっているプレートを想像して、そう答えた。

「そうですよ。そっちもあわない……ロゼルショコラでしたっけ」

 オレのケーキを凝視する視線が、熱心すぎる。

「半分こするか?」

「え、いいんですか。ほんとに?」

「もちろん。実はオレさま、そっちも気になってたんだよなあ」

「私もです!」

 

 交換したロゼルショコラを頬張る動作が、本当に幸せそうで可愛らしい。

 それを眺めながら、目を細めた。

 

 きっとユウリは名のあるトレーナーになるだろう。今すでに、注目を集め始めている。彼女がオレのような目に遭ったら。悪意や理不尽な障害に耐えかねて、大好きなポケモンの世界を出て行かなくてはならない、そんなときが来たら。

 

 

 良き兄として、そういうものから彼女を護ってあげたいと、オレは思っていた。

 

 

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