「キバナさーん」
小走りに近寄ってくる、ちいさな生き物。
足を踏み出すのに合わせて、ベレー帽のボンボンがぽてぽてと揺れている。
人型のポケモンにも、もっと大きいやつはいくらでもいるな。三段進化のポケモンの、2つ目と3つ目の間くらいのサイズ感か。
そんな風に考えつつ、いつも通りナックルスタジアムの関係者エリアに顔パスしてくる、オレの妹分を眺めていたのであったが。
ベレー帽のボンボンの動きが、いつもより大人しい。
なんだか元気がないようだ。
「どうした? 何かあったか」
聞くと、ユウリは唇を一度きゅっと結んでから、ちいさな声で答えた。
「負けたんです……」
「へえ」
勝ったときよりは丁寧に、焦げ茶の髪とベレー帽を撫でた。
「まあ、ここまでストレートなのがすごいんだよ。いや、充分すごいから落ち込むな」
下を向いたまま、ユウリは無言で頷いた。
カフェに場所を移してケーキセットを頼み、ゆっくり話を聞くと、6つ目のジム。キルクスタウンで初の黒星を喫したというわけらしい。
「オレと同じじゃん。オレもキルクスタウンで一回負けたんだわ」
「そうなんですか」
「ああ。今とはジムリーダーが違うがな」
メロンさんの氷タイプには苦戦したものだ。今は息子のマクワがジムを継いで、タイプが全く変わったが。
「対策不足か? 采配でミスった? それとも、そもそもポケモンの鍛え方が足りなかったか?」
「それが、よくわからなくて」
ユウリはちいさな両手でカップを持ち上げ、マホイップ珈琲に視線を落とした。
「今まで、他のトレーナーとのバトルに勝つための特訓って、全然したことがなくて」
「へ?」
全然対人訓練をしていない、と言ったのか?
「うそだろ……!? どうやって勝ってきたんだ」
思わず卓上に肘を付いて、前のめりになる。
「ええと……野生のポケモンと戦うことはあるので、新しいポケモン探してるうちに襲われたら戦って……そうやってるうちに段々みんな強くなるので……」
それでジムバッジ5つまで集まっただって?
天才じゃないか。
「だから今日は、どうやったら勝てるのか教えてもらえたらなって」
ユウリは一口飲んだカップをテーブルに戻して、少しかしこまった風に膝に手を置いて言った。
「あ、でも、私はナックルジムの訓練生とかでもないし、そういうのダメなんだってことなら全然、大丈夫です」
「いや、門外不出のルールなんかはないから大丈夫だ。なんなら自分の戦術ノウハウを本にして出してる奴もいっぱいいるしな」
「そうなんですか、よかった」
ユウリは安心したのか表情を和らげると、手つかずだったケーキを一口食べた。
しかし、なるほど。
テーブルにかけていた体重を椅子の背もたれに移して、深く腰掛けながら思案した。
「そっかあ……じゃあ、2、3個局地的な対策をアドバイスをするというより、基礎から全体的に確かめていって、穴があるかおさらいした方がいいかもな」
「すぐに効くような解決策はないってことですか……、まあそうですよね。地道にやるしか……」
地道にやるしかないのは事実だが。我流で行き詰まったと言うならば、そのままコツコツ我流を続けるより、誰かのアドバイスを受けた方が良いのは確実だろう。
「よし。じゃあ、オレのやり方でしかないけど、特訓してやるよ」
「え? キバナさんが私のポケモンを特訓してくれるんですか?」
「違うって。オレが特訓するのはお前だ」
「私?」
「ユウリのポケモンがオレの言うことの方を聞くようになっちまったらイヤだろ? ポケモントレーナーとしてお前を鍛えるから、その中で得たことを自分のポケモンに教えればいい」
「なるほど……わかりました! ぜひ! お願いします! キバナ先生!」
「おう! 任せとけ!」
そうして、更に具体的な予定調整の結果。
オレが自主トレに使っている仕事後の時間を少し割いて、ユウリの特訓に当てることになったのだった。
とは言ったものの。
さて、どう教えよう。
ユウリはこれまで我流でやってきて、彼女にも自分のやり方があるはずだ。それで成果も出しているユウリに、何をどう教えるか。迷い所だ。
しかし、そう言えば自分も最初は我流だったな。
ナックルジムで教わったやり方もあるが、今もベースは自己流で変わっていないのではないかと思う。
格闘ジムへ行かなくなったと言っても、それで引きこもって日がな一日うじうじしていられるほど、オレは退屈に強くない。友達とゲーセンで遊んだり、図書館で借りた本を読んだりして日々を過ごしていた。
それは色々な地域の歴史の本を図書館で借りて、読みふけっていたときだ。
「ねえ、キバナ! 見てみて!」
庭で洗濯物を干している母が、二階の部屋にいるオレに声をかけた。
「なに?」
庭の方へ、窓から顔を出す。
「変なポケモンが巣を作ってるの! なんかおもしろいよ!」
指さす方を見てみれば、芝が敷いてあったはずの地面に茶色く掘り返された、結構な大きさのクレーターが出来ている。
ドでかい穴を掘って、中央に陣取っているものがあった。
オレンジ色の大きな頭とぎざぎざの口。
うちはナックルシティの郊外で、それなりに多くポケモンとは遭遇する。だが、こんなに堂々と、敷地内に巣を作られたのは初めてだ。
「図鑑に載ってたな、あれ……なんだっけ?」
ポケモン図鑑は何年か前の誕生日に買ってもらった。本棚からそれを引っ張り出して、その生き物を発見する。
「そうだそうだ。ナックラーって言うんだ」
庭に図鑑を持って降りて行って、写真と実物を見比べた。
頭でかいな、どんな感触なんだろう。
興味本位に指でつつこうとすると、盛大に砂をかけられた。
「キバナ、総合格闘技辞めたんだって?」
「まじで!? 強かったのにもったいねー!」
ファーストフード店でだべりながら、やっぱりその話題が出る。
一週間もすれば友人たちにもその話は広まっていて、会う奴みんなに驚かれた。
「じゃあ一緒に野球やろうぜ」
「いいやサッカーだね、オレのチーム入れよ。キバナ向いてると思うよ」
「オレはポケモン勝負やってるけど一緒にどう?」
みんな、自分のやっている習い事に誘ってきてくれる。
「そうだなあ。その中では、ポケモンバトルかな」
「へえ! 意外!」
「おっ! やろやろ!」
理由は、その中で大人にも勝てるのは、ポケモンバトルだけだから。
しかし、ポケモンバトルか……。
格闘技を辞めて、暇をしているのは事実だ。ちょっと今度、見学に行ってみようかな。
いや、今なら丁度うちにも一匹、ポケモンがいるけど。
帰って来てから庭に住み着いているナックラーをまじまじと観察した。
図鑑には70cmと書いてあったが、それよりは随分ちいさい。もしかすると、ナックラーの中でもまだまだ子供なのかもしれない。オレでも楽に抱きかかえられるだろう。
そして、気になるのは動きが鈍くなっているように感じられることだ。なんだかこの前勢いよく砂をかけてきたときよりも、元気がないように見える。
「お前、ちゃんとごはん食べてる?」
一体何を食べるんだろうか。巣を張って獲物が落ちてくるのを待つという説明があったはずだから、小さな虫ポケモンなんかを獲るのか?
「木の実とかは……食べないかな」
台所から木の実をいくつか取ってきて、目の前で振ってみせる。
そうすると、丸い瞳をぱっと輝かせた。
どうやらこれも、食べられるようだ。
「ほら」
弧を描くようにゆっくり投げてやる。
ナックラーは両手を差し出すが、キャッチする目前、こわいのかぎゅっと目を閉じてしまった。自分で弾いてしまった実が脇の方に回ってしまって、巣の中心で方向転換しながらあわあわと両手で拾う。それを夢中で口元に運び、食べ終わるのを見ていた。
こっちに向き直るのを待って、今後エサをとる上でのアドバイスをひとつ。
「ナックラー、とるのに目をつぶっちゃだめだぞ」
上に投げた実をキャッチして見せる。
「よく見るんだ」
自分の目を指さして、見ろ、とわかるように何度かやってみせた。
ナックラーは理解したのか、両手を振って投げろとアピールする。
「いくぞ」
ぽーんと放ったそれを、一生懸命目で追う。
今度はギリギリ、変な角度にはなったが前足で挟むことができた。
「よし、キャッチできたな」
褒めてやると、嬉しそうに鳴いて、木の実を口に入れた。
かわいいけど、こんなに鈍くさかったら戦うのは無理かもな。
それからは、結局数日置きくらいにはナックラーにエサをやっていた。
春まではまだ少しあるかという時期だし、自然の虫やら何やらも、あまりいないのだろう。
あんなに下手だった木の実キャッチも繰り返す内に上手くなって、口で直接取ることさえ出来るようになっていた。
あいつもやれば出来るじゃん、なんて思っていた、そんなタイミングだった。
その日は少し帰りが遅くなった。
ナックラーにいつもと違う木の実でもあげてみようかと、ポケモンバトルをやっている友達と連れ立って、近くの道路で木の実を採って来たのだ。
そうして、これをあげてどんな反応をするか、楽しみでにやにやしながら家まで辿り着いたのだが。
家の門を開けたそのとき、不審な物音に気付いた。
周りは暗くなりかけているが、ナックラーが巣を作っている庭の方から、何やら物音がする。
ココガラが来て庭でがさごそやっていることは、以前にもあった。母が育てている花が掘られて倒れていたことも。
また荒らされてんのか……?
訝しみながら庭の方へ回った。
そこで目に飛び込んで来たのは、思った通りの鳥の影。
だが、大きい。
ばっさばっさと羽ばたく音が聞こえる。羽を広げてゆるやかに上下する姿からは、ココガラとは比べものにならない貫禄を放っている。
野生のアオガラスだ。
「うわ、でけえ」
思わず独り言を呟き、遅れてから、薄暗くて良く見えない状況に気付いた。
ナックラーが、襲われている。
「っ!?」
冬で獲物がなく、ナックラー自体を捕食しようとしているのか、巣に貯めている食糧を狙っているかはわからないが、ピンチであることは間違いない。
「ナックラー……!」
アオガラスを追い払うために駆け寄ろうとして、はたと思い留まった。
オレがいない、もっと日中にこんなことがあったら、あいつはどうするんだ……?
いつも追い払ってやれるわけじゃない。
オレンジ色の丸い頭はすでに傷だらけになっている。だが、懸命に威嚇して、時折ジャンプして噛み付こうと歯を鳴らすナックラーは、戦意喪失しているようには見えない。
オレがレフェリーなら、まだ試合を止めないだろう。
「おい、ナックラー! 負けるな!」
そう叫ぶと、やっとオレに気付いたのか、ナックラーは短く吠えた。
がむしゃらにアタックを繰り返しているが、やはりアオガラスのくちばしが怖いのか、ぎゅっと目を瞑っている。
「ひるむな! 目を開けてちゃんと攻撃を見るんだ!」
ナックラーは応えて小さく鳴くと、前足を踏ん張って目を開けた。
鋭いくちばしが向かってくるのに、目を開けているのはこわいだろう。格闘技をやっていたんだから、それは身を以てわかっている。だが、見えなければ対応できないんだ。
ぶんぶん腕を振り回して、オレがいるぞ! ここに味方がいるぞ! とアピールした。あいつのためにもオレが手を出すわけにはいかないが、一緒に戦っている奴がいるんだと、勇気付けたかった。
「避けられるようになったな! いいぞ! 次は反撃だ!」
くちばしを避けながら、果敢に噛み付こうと、何度も跳び上がる。
必死で頑張っているが、あんな単調な攻撃では読まれてしまう。アオガラスは噛み付きの射程範囲を覚えて、難なくそれをかわしている。
「砂をかけろ! いつかオレにやっただろ! 泥や砂をかけて、相手が隙を見せたらかみつくんだよ!」
くわっと大きな鳴き声を上げて、ナックラーはオレの指示に従った。
顔面を狙っての砂かけに、アオガラスが嫌がって身を捩る。続いて、翼に泥をべったりお見舞いしてやった。
「いまだ!」
よろけて高度が下がったアオガラス。
その腹に、ナックラーが思い切り噛み付いた。
それで決まりだった。
ガアアッ、と、大きな悲鳴だけを残し、アオガラスは必死に逃げていった。
「やったー! やったな! ナックラー!」
オレは思わず駆け寄ると、巣穴に手を突っ込んでナックラーを抱き上げた。
嫌がられるかと思いきや、大きなオレンジ色の頭をすりすりと頬に擦り付けてくる。
「うれしいな。オレもお前が勝ってうれしい!」
服が泥だらけだが、構うもんか。負けじと抱き締めた。
「お前、オレのポケモンにならないか。えっと、知ってるか? ポケモンバトルって。一番強いポケモンを決める戦いがあるんだ」
偉そうに言っておいて、実は細かいルールなどはオレもよく知らない。
だが、それを聞いてナックラーはキリッと凛々しい目つきになり、咆哮を上げた。
ほわわ! みたいな気の抜けた声だが、たぶんこれは“オーケー、やってやろうじゃねえか”という意味だ。
「よーし! ナックラー! 一緒にてっぺん取ろうぜえ!」
斯くして、オレはポケモントレーナーとなったのだ。
そんなかんじで始まったポケモントレーナーの道であるために、オレのポケモン指導は基本的に、実戦経験に基づくアドバイスだ。
そのスタイルは今も変わっていない。
「まずは心構えだ」
動きやすい服装を持参。ジム内のシャワーや更衣室の設備は自由に使って良い、と伝え、トレーニングルームのひとつにユウリと集合の後。
ジムに入門して最初の授業のように、オレは切り出した。
「オレたちポケモントレーナーは、町中にポケモンを持ち込んでいる」
「はい」
「それで人に怪我をさせたら大問題だ。トレーナーの言うことは聞いても、攻撃性の高いポケモンもいる。何かでパニックになってしまえば、大人しい気性のポケモンでも、いきなり暴れることもある。不測の事態にはすぐに戻せるよう、必ずボールは携帯すること」
「はい!」
家でポケモンを出して一緒に散歩に行き、外でトラブルを起こしたがそのポケモンのボールを持ってきていない、なんていう事故は割と起きている。
「次に、ポケモンの生態は、人間とは違うことがたくさんある」
「はい」
「捕まえたポケモンの生態は必ず辞典などで確認し、人間には害にならないがそのポケモンにとっては厳禁となる食べ物、環境を調べること。素手で触って平気なのか、毒針や毒粘液などの特性がないかもチェックすること」
「はい!」
バッジ所有者に今更言うことでもないかもしれないが、そんなポケモンの扱い方を、一通り纏めて確認。
こういった注意喚起は定期的にパンフレットなどでも配られているが、まあ、基本事項の確認は大事だ。
「よし……では特訓に移るが」
一拍おいて、勿体付けて最初の課題を発表する。
ユウリがキッと引き締まった顔をした。
「本日の課題は、筋トレと走り込みだ」
「えっ?」
「トレーナーに必要なのは! 体力! 筋肉! 知力! いくぞ!」
「は、はい!」
集合したナックルジムを早速出て、6番道路を駆け抜ける。
トレーナーには身体能力が必要だ。練習に付き合えば、こちらは自転車だったとしても、一緒に相当な距離を走ることもある。戦闘訓練に付き合ってミットを持つこともあるし、動体視力の訓練のためにピンポン球を投げ続けることもある。
そのための下地が出来ていないと、技術練習を始めても、ポケモンの前にトレーナーがどこか痛めてしまう。
少なくとも一週間程度は、基本的な体力作りかなあ、と思っていたのだが。
「ユウリ、お前すげえわ」
走り込みは予定の距離では余裕の様子。
筋力を把握するためにいくつかのトレーニング種目をやらせたが、予想を遙かに上回っている。
「いやあ。オレはお前が10kgダンベルあげるとは思わなかった」
「エレズンちゃんは11kgですよ?」
「片手に一匹ずつ持たねえだろエレズンは」
トレーニングしたことがないと言っても、自然の中で大分仕上がっている様子だ。
「これなら、次の実技からはサクッと技術トレーニングに移っていいな」
ユウリはそれを聞いて、誇らしげに笑った。
その後は実技と座学を交互に続けて、トレーニングの組み立て方を座学で勉強し、では実際のトレーニング実技、というように繰り返した。
ユウリは流石、覚えも早いし頭も良い。
これなら基本的なことはすぐにマスターしてしまうだろう。出来の良い弟子でオレもうれしくなる。基礎知識が終わったら、ユウリの手持ちに合わせた局所的な実戦を想定して訓練しようか。
そのように考えながら二週間ほど経って、そろそろ座学で基本戦闘を教え終わった頃。実技の方も段階を進めることにした。
「今日は実戦っぽいやつやるぞ。ミット打ちだ!」
両手にミットを付けながら、今日の課題を宣言する。
パンチングミットは、相手のパンチを受けるための、手にはめるクッションのようなものだ。グローブを付けてサンドバッグを殴るやり方、試合の進め方をどう考えるかは教えてあるが、対人での実技は初めてだ。
「ミット打ち。キバナさんを殴るんですか?」
「まあ、そういうことだ」
「わあ。えへへ……、がんばりますね!」
実戦的な内容まで特訓が進んだという手応えからか、嬉しそうな顔をする。
そう喜んでもらえると、教える側のやる気も上がるというものだ。
「このトレーニングの意義だが。もちろんユウリが手持ちとやる場合には、ミットを持つ側になるだろう。だが、選手側として効果を実感することがまずは必要だ」
ユウリはうんうんと頷いて、早速グローブをにぎにぎしている。
「わざを外しやすいポケモンは、距離感が正確に掴めていない可能性がある。特に進化して間もない場合には自分の腕の長さや尻尾の長さに慣れていなかったりな。そういう場合、狙いの精度を高めてやるのに最適だ」
「なるほど」
「もちろん試合勘を付けるのにも良い。ポケモンの力やサイズによってはトレーナー自身が相手をするのは危険だから、同じくらいの体格同士で組ませて打ち合えるように指導するのが有効だ」
とか言って、オレは結局全員の相手をやっちゃってるけどな。
「よし、ここに向かって打ってみろ」
まずは上げた手に、パンチを当てさせる。
ユウリは教えた通りの綺麗なフォームで、右ストレートを打った。
「正確に、思った位置に丁度当たったか? 上下左右だけじゃなく、遠近感はどうだ。思ったより早く当たったり逆に遅かったりすれば、全力のポイントで食らわせられないぜ?」
「はい!」
元気よく返事をして、打ちながら調整する。
それが出来たら、左右交互に同じようやらせる。
運動神経が元から良いのだろう。センスがあって修正が早い。
「さあて、次からは反撃が来るぜ」
「は、反撃!?」
反撃と聞いて、それだけで少し怯み、パンチが逃げ腰になる。
「脇が開いてるぞ-」
言われてしっかり構え直し、フォームを直した。
「えい」
攻撃のすぐ後。パンチしたのとは逆サイドの顔を狙って、少しつつくようにミットを出す。
「わ!」
慌てながら教えたように拳を上げるが、動作が雑すぎる。ガードの位置が見当違いで、ミットが顔に当たった。
なんでそうなるかって、目をつぶったからだ。
「顔を狙われると咄嗟に目をつぶっちまうだろ。それじゃ攻撃が見えないからだめだ」
「はい!」
同じような反撃を繰り返し受けると、段々と反応が追いついてきた。それに合わせてこちらも反撃のスピードを上げ、バリエーションを増やす。
そうすると、どうしても反射的に目をつぶったり、慌てて隙ができてしまうことはある。
やわらかいミットだから、そんなにダメージはない。だが、痛みはゼロではない。そして何より攻撃が来るというのは、単純に怖いものだ。
その怖さになれるのも、実戦訓練になる。
「わぶ」
腹のすぐ後に、顔。
二段になった反撃に慌てて、後ろに避けようとした足がもつれた。
「ユウリ!」
そのまま大きくバランスを崩して、マットの上に思い切り尻餅をついた。
「うう、いたい」
俯いたまま、ちょっと涙声になっている。
「痛いな。でも痛いのも練習だ」
その頭を撫でたくなるのを堪え、手を貸して起き上がらせた。
「戦うのは痛い。それでもポケモンに戦えって言えるのは、その痛みがわかってる奴だけなんだ」
ユウリは顔を上げて、ぐっと唇を噛んで、頷いた。
こんなにちいさいのに、強いなあお前は。
将来、良いポケモントレーナーになるよ。
雨が降っているのは練習中にも窓からは見えていたが、着替え終わる頃には雨脚が相当強まっていた。ユウリの分を含め、2本傘を持ってスタッフ通用口から出る。
「雨、すごいですね」
「結構やばいな」
少し声を張って話さないと聞こえづらい位の豪雨だ。
そう言えば、ユウリはどこへ帰るのだろうか。列車に乗るとしても、駅まで心配だ。ここまで空飛ぶタクシーを呼んだ方がいいだろうか。すでに暗くなっているしこの雨では掴まりにくいかもしれないが……。
「ユウリ、どっかホテル泊まってんの? ハロンタウンからナックルシティってタクシーでもそれなりの時間かかるんじゃねえの?」
「あ、テントです。なので、街の正面からワイルドエリアに出れば大丈夫です」
「テント……?」
「はい。テント」
「テントっていうのは、キャンプに使う……テントか?」
そういう名前のホテルとかではなく。
何かの比喩表現でもなく。
「テントですよ。キバナさんワイルドエリアでテント張らないんですか」
「張るよ。張るけどこんな豪雨の中テントで一夜を明かしたことはねえよ」
「まあ……天候によってはちょっと大変ですけど」
ユウリは何故か照れ笑いのような顔をした。
照れている場合ではない。
いや、オレだってポケモントレーナーなんだからわかる。武者修行をしていた頃は何泊もテントで過ごしたし、今もワイルドエリアで夜を明かすことはある。そういったトレーナーが多いために設備は整っており、エンジンシティやナックルシティ付近を拠点としていれば、入り用のものを購入できるしトイレ風呂も済ませられる。
だが、流石に豪雨の日にテント泊はない。
悪天候の日にはバトル賞金でスボミ―インなんかのお手頃ホテルに泊まったり、実家がナックルシティ付近だから駆け込んだりしていた。
「ううん……そうか、オレは実家近いし金銭的にも……恵まれていたのか?」
ハロンタウンまで帰れとも毎回ホテルに行けとも言い難い。
そう考えれば、答えは自ずと出てくる。
「よし、今日はオレん家泊まれ」
「ええ!?」
「こんな悪天候に外で過ごすのは危ないからダメだ」
「大丈夫ですもん。ちゃんと水はけの良いところを選んだりできますし」
「そのときは切り抜けられても、悪天候だとテント痛むんだからな。買い直す資金と照らし合わせて、結局やめておけばよかったってなるぞ」
「うぐ」
言い返せないユウリに追い打ちをかける。
「それに、ずっとテント泊じゃ身体も休まらないだろ? しっかり休憩を取らないと筋肉痛も治らないんだぞ? 若いうちに雑な生活をしていると身長も止まるんじゃないか?」
「うう、う」
「ほら、行くぞ。傘させ」
うーうー言いつつ、ユウリは結局オレの住んでいるマンションへ連行された。
「ここだ」
ジムへの通勤を目的に借りたため、ナックルスタジアムから5分もかからない好立地。
夜で雨も降っているため視界が良いとは言えないが、建物を見上げてユウリがぽかんと口を開けていた。
「お城……」
「それは大げさだろ! まあ、ちょっとそれっぽいけど」
ナックルシティは中世の城壁や建造物を利用した古風な町並みが売りだ。景観を損ねないよう、新しい建築物にも一定の配慮が求められる。
そんな事情と高級マンションとしての体裁をミックスしたところ、城とは行かないまでも、こんなような貴族の屋敷もどきが出来上がることになったのだろう。
「中は古くないから安心してくれ」
警備員が駐在しているエントランスを通り、ユウリを案内する。
プロのトレーナーには、こういったマンション暮らしをしている者が多い。
理由は、順位戦の結果やシーズン成績によっては、勤務する街が変わる可能性があること。他の地域への遠征となれば数ヶ月間も帰って来ないことなど。加えて、メディアに戸建ての住所が知れればいつ電気が消えただの誰が来訪しただの、逐一うるさく騒ぎ立てられるが、警備の強固なマンションではそこまで粘着できないし、訪問者もどこの部屋の客なのかわからない。
異動も多い有名人が暮らすのには、一戸建てに比べてメリットが多いのだ。
「このカードキーは、後でユウリにも渡す。天気悪かったり具合悪かったりしたら遠慮なく使え」
「えっ、あの、宿泊費とか」
「とるわけないだろ。無料個人レッスンまで受けといて、今更遠慮すんなよ」
ユウリは少し考えて、笑顔で頷いた。
「そうですね、今更キバナさんに遠慮しても変ですし、甘えることにしようかな。私カレー作りには自信があるので、泊まりに来た日はカレーをごちそうします」
「おう。楽しみだ」
お世辞じゃなくて、本当に。夕飯まだだし、今日早速作ってもらおうかな。
「どうぞ」
「おじゃまします」
部屋散らかってなかったかな、リビングは大丈夫だったような気がする。などと思い巡らせつつ、キーを開けて部屋に招いた。
「わあ、天井高い」
「トレーナー向けの設計だからな。大型のポケモンでも室内でボールから出してやれるんだぜ」
「あ、背が高い人向けなのかと……」
「はは。そっちじゃねえよ」
人間のためなら、いくらなんでも高くしすぎだ。
「まあ、オレも頭ぶつけなくて済むから助かってるけど」
使っていない部屋などないが、ほぼ使っていない部屋ならばある。
なんとなく物置になっているが、あれをきちんと片付けて、ユウリが気兼ねなく泊まれるようにしよう。
「泊まり込みの弟子ってことは、あれだな。内弟子ってやつだな」
「内弟子!」
「キバナ様初の内弟子だ。自慢していいぜ! ……いや、やっぱ言うなよ! SNSは燃えやすいからな」
「あはは、ナックルジムの先輩弟子さんたちに嫉妬されちゃいますもんね!」
そういう意味じゃないけど、まあいいや。
この天才トレーナーは、数年のうちにチャンピオンダンデに勝つかもしれない。
ひな鳥としてオレが面倒を見られるのも、あと数年といったところだろう。
その後は、きっと巣立って行ってしまう。
それまでの時間を大切に過ごそう。