鬼を狩る鬼がいる。鬼殺隊員の間で流れたそんな噂話は、いつしか広く浸透し、柱の耳にまで届いていた。曰く、それは白髪の鬼だった。曰く、それは日輪刀を持ち、呼吸を使って鬼を滅した。妄言に近い、下らない噂。不死川あたりが怒り狂いそうな流言だが、全く根拠が無いわけでもないと冨岡義勇は考えていた。
そう。確かに、近頃何かがおかしい。それは例えば、鎹烏から任務を受けて現場に向かうと、すでに鬼が滅んでいたりだとか。何者かに日輪刀を奪われたと主張する隊員が、複数名いたりだとか。一つだけなら気にならない小さな異常が、偶然にもいくつか重なって起きている。ならばそれは偶然ではなく、引き起こす何かがいる証拠ではないのか。
「カァァァ、カァァァァァッ!!伝令!!伝令ィ!!」
鎹烏が騒いでいる。空を見上げれば、ばっさばっさと羽ばたく黒い羽。
「箱根山中デ人ガ喰ワレテイル!鬼ニヨッテ喰ワレテイルゥ!鬼殺ノ剣士ヨォォ!!至急箱根ニムカエエッ!」
箱根。今よりも下の方だ。ならばここよりも少しは暖かいだろうかと、ぼんやり考える。
「悪鬼滅殺ウウッ!!アア悪鬼滅殺ゥッ!!」
―――悪鬼滅殺。そう、関係無いのだ。呼吸が使えようと、鬼を狩っていようと、鬼は悪。悪は皆首を斬る。皆滅ぼす。例外が無い以上、少しの違和感などは捨て置いてしまえ。
ほぅ、と息を吐く。吐息は白く曇り、解けるように溶けていった。同じようにして、地面に転がっていた首の無い鬼も消えていく。抜いた刀を納める頃には、痕跡すらも残っていなかった。
◆
箱根には2日ほどで着いた。空を見上げれば、今にも雪が降り出しそうな怪しい雲行き。積もれば戦いにくくなる。すぐに斬ってしまえば、降り始めるよりも早く山を下りられるだろう。住民らから聞いた情報を元に、鬼が住処としているだろう場所へ早足で向かう。現場周辺へ着く頃には日も落ち、山中は薄暗さに包まれていた。そして。
「遅かったね。鬼なら、とっくに斬ってしまったよ」
そこにいたのは、黒い着流しを着た白髪の男。左手には刀。刀身に薄っすらと蒼の混じるそれは、紛れもなく日輪刀。
「おやおや。もしかすると君は」
男がこちらを見る。赤い左目。ニヤついた表情。それと。
「水の柱かな?」
――下壱と刻まれた右目。空気を吸い込み、全身に血を巡らせ、思い切り地面を蹴る。一足一瞬で距離を潰すと、驚愕に歪んだ鬼の顔がすぐ近くにあった。
「肆ノ型 打ち潮」
「――参ノ型 流流舞い」
五体をバラバラにするはずだった技は、寸前で鬼の放った参ノ型に阻まれる。問題無い。さらに踏み込んで密着し、首へと刀を振り上げた。
「――流石柱。容赦が無いね、本当に」
即座に跳び退いた鬼は、ニヤついたままそんな軽口を溢す。首を狙った一閃は、割り込まれた右腕を落とすに留まった。その腕も瞬く間に修復し元に戻る。優れた再生力。普通の鬼を遥かに凌ぐその速度は、こいつが十二鬼月であることの証明に他ならない。
さらに、この鬼は噂通り呼吸を使う。人を凌ぐ身体能力を持った鬼が、呼吸によって強化される異常。下弦とはいえ、鬼舞辻の血を多く分け与えられた十二鬼月が呼吸を使えば、一般の隊員では対処の仕様も無いだろう。――しかし。
「弐ノ型 水車」
「陸ノ型 ねじれ渦」
今度は届いた。防ぎきれなかった斬撃が鬼の肩口を深く斬り裂く。
「参ノ型 流流舞い」
逃さない。回復の暇さえ与えない。畳み掛けるように技を繰り出す。鬼はたたらを踏んで技が出せない。まともに通った参ノ型は、鬼の四肢を分断した。
「壱ノ型 水面斬り」
――これで終わり。ニヤケ面を顔に貼り付けたままの首が、彼方へと飛んでいく。呼吸を使う鬼には驚いた。しかし、使い熟せぬなら意味も無い。常中も出来ず、技も半端なままなら、いっそ血鬼術を使う通常の鬼の方が手強かった。
そこらに散らばった手足と胴が消えていく。ボロボロと鬼だったものが崩れていく様は、燃え尽きた灰を連想させた。見慣れたはずの光景。しかし、微かな違和感が脳裏をかすめ、その正体に気づくよりも早くその場を跳び退いた。
「――漆ノ型 雫波紋突き」
水の呼吸最速の突きが、靡いた羽織を斬り裂く。跳び退かなければ頭があった位置。突きを繰り出したままの姿勢で残心する、滅ぼしたはずの鬼がいた。
「……血鬼術か」
「その通り。しかし、完全に隙をついたはずなのに、まさか手傷一つ負わせられないとは。君、本当に人間?」
「うるさい、話し掛けるな。俺は喋るのが嫌いなんだ」
「ああ、そんな見た目してるよね君。喋らないから何を思ってるのかが伝わらなくて、知らないうちに嫌われてそうな感じがす」
首を斬る。すぐさま入れ替わるように現れる同じ鬼。手応えからして、幻では無い。おそらくは実体を伴う分け身。自分を増やす類の血鬼術。こういう手合は大抵、本体を仕留めるのが一番手っ取り早い。
「玖ノ型 水流飛沫」
山中の悪路を駆ける。本体の居場所に予測はつく。遠くもなく近くも無い、いざとなれば逃げることも出来る場所にいるはず。臆病だから用心深く姿を見せない。臆病だから、その性質に適した血鬼術を持っている。しかし強欲だから、自分が殺した人間を見れる場所に留まる。地を蹴り、岩を蹴り、木を蹴って、ようやく本体を視認した。
「見つけた」
高い位置から鬼を見下ろす。仕留める。決意を力に変えるため、深く呼吸をする。逆巻く風のような音。細胞の一つ一つにまで染み付いた、水の呼吸の音。見下ろす鬼は、逃亡を諦めたのか動かない。しかし、吹き荒ぶ風のような音を聞いた。
「水の呼吸 捌ノ型 滝壷」
「風の呼吸 肆ノ型 昇上砂塵嵐」
せめぎ合ったのは一瞬。水は風を斬り裂いて、そのまま鬼を両断した。
「は、はは。いや、見事」
それが最後の言葉。着地し、刀を真一文字に振るうと、抵抗も無く鬼は崩れ去った。終わっただろうという確信はあったが、念の為周囲に注意を払う。しばらく待っても次が来ないことを確認して、ようやく肩の力を抜いた。
「……風の呼吸まで習得していたか」
それも、水の呼吸よりはよっぽど習熟していた。柱ほどでは無いにせよ、それに近い実力はあった。だから余計わからない。何故技を出し惜しんだのか。何故最後のみ使ったのか。そもそもどうやって呼吸を身に着けたのか。
「…まぁ、いい。もう関係無い」
疑問は尽きない。が、滅んだなら考えても無駄だ。噂は噂のまま。いずれ初めからなかったように消えていくだろう。しかし、これはどのように報告したらいいのだろう。少しだけ考えて。
「……いらないな」
だって滅んでるし。何も起こりようが無いのだから、報告も必要ないはず。そうに違いない。一人で頷きながら、冨岡義勇は雪が降り出す前に下山した。
◆
しんしんと雪の降る深夜。泣く子も眠る丑三つ時。月明かりさえ頼りない時刻にまでなって、ようやく鬼狩りの鬼――下弦の壱『
「……死ぬかと思った。本当に」
水柱が本体を狙っているとわかった瞬間、分身を残して岩の下から地面に潜った。少しでも判断が遅れていたら、今頃は分身ごと一刀両断だっただろう。やっぱり、いざという場面では判断の早さが重要である。うん。
「しかし、強すぎでしょう柱。刀もぽっきり折れてるし」
真ん中から折れてしまった日輪刀を拾い上げる。油断はなかった。特に最後は、一番自信のある呼吸で一番得意な型を出した。その結果がこれ。技は正面から破られ、刀も折られ、分身も真っ二つ。完敗である。鬼じゃ無かったら三回は死んでいた。まぁ、鬼じゃなかったらそもそも柱に狙われないんだけど。
「でも、見れた。柱の技をいくつも。身体の動かし方も、刀の振り方も、呼吸の仕方も、全部見た」
目的は初めからそれ。鍛錬を積み、経験を重ね、鬼を超える者となった人を見ること。今使っている呼吸と技も、使用者を観察して覚えたものだ。が、その使用者が大した腕ではなかったのか、見た瞬間に習得できた。
苦労せずに済んだのはよかったものの、どうすればこれ以上の腕になるのかが、わからなかった。だからこそ、鬼殺隊の頂点に立つ柱の技術を見ることが出来れば、到達点がわかるだろうと考えた。そして幸運にもその予想は当たっていたらしい。脳裏に刻み込んだ技は流麗。手の動きも、足捌きも、全てが流れる水のように淀みない。あれに近づけば強くなれる。その確信があった。
何気なく空を見上げる。月は雲に隠れて見えない。良かった。月を見ると気分が悪くなる。自分の正体を思い知らされるようで、吐き気さえもよおす。強くならなければならない。柱より、上弦の鬼たちよりも強く、強く。
――鬼舞辻無惨を、殺すために。