「用が済んだらさっさと帰れ!」
珠世さんとの話を一通り終えると、正気に返った愈史郎くんに、蹴り出されるようにして屋敷を追い出された。愈史郎くんが扉を閉めた瞬間、今までそこにあった屋敷が嘘のように掻き消えた。なるほど、確かに巧妙に隠されている。これならば余程感知に長けた鬼に察知されない限り、見つかることも無いだろう。
暗い夜道を駆ける。念の為、額には愈史郎くんから貰った札を貼ってある。これがあれば、万が一上弦が近くにいたとしても、視界を欺いて見つからないらしい。渡しなさいと珠世さんに言われた時の、愈史郎くんの心底嫌そうな顔が印象的だった。
『それと、これを渡します。きっと、独孤さんが一番うまく活用してくれるでしょうから』
別れ際、珠世さんに渡されたのは革と木で組み上げられた小さな鞄のようなものだった。中には硝子製の細長い容器が数本、割れないように仕切られて入っている。
『血鬼止めの薬と、鬼用の回復薬です。切り札とは言えませんが、うまく使えば役に立ってくれると思います』
その代わりに俺の血をいくらか抜いて渡した。鬼という生き物を調べるためにも、鬼舞辻に近い鬼の血は必要らしい。特に十二鬼月の血はとても助かると、珠世さんは言っていた。
「さて」
立ち止まり、三回手を叩く。すると、にゃあと鳴き声が聞こえて、何もいなかったはずの場所からのそりと猫が現れた。ビー玉みたいにまん丸で無機質な目は、どことなく愈史郎くんを連想させた。
「ごめん、用は無いんだ。追いつけるかが心配だった」
「ニャー」
もう一度鳴くと、今度はすっかり視えなくなった。珠世さんと連絡を取りたい場合は、この子に文を預ければ届けてくれるらしい。とても賢く優秀な猫だ。これなら全力で走っても問題無いだろう。再び駆けようとして、一つやらなければならないことを思い出した。
『独孤さんの血鬼術は"再現"ではありません。どちらかといえば、"創造"が近いでしょう』
鬼は群れ合わない。そう鬼舞辻が設計した。ならば、群れることでしか意味の無い"再現"の血鬼術は生まれないだろうと、珠世さんは言った。
『その縛りは、あなた自身が定めた限界でしょう。誰かに出来るなら自分にも出来るはずだ、と。だから、上弦の血鬼術は再現が半端なままだった』
上弦には決して届かない、ならば再現など出来るはずが無いと決めつけていたから、出来なかった。にも関わらず、黒死牟の血鬼術がある程度真似出来たのは、諦めよりも強い憧憬があったからだ。
『あなたはこれ以上、鬼舞辻の血を濃くすることはできません。でも、強くあろうと思えば思うほど、血鬼術は自由に、強力になる。それはとても人間らしいことだと、私は思います』
「ははっ」
つい笑ってしまう。人間でいることなどとうに諦めた。なのに、今更そんなことを言われて、まだ嬉しいと思う自分がいた。鬼にも人間にもなれず、気持ちを割り切れないままの半端者。でもそれが強さに変わるのなら、いくらでも半端でいてやろう。
僅かに右足を浮かせて、強く地面を踏みしめる。現れるのは猗窩座とは異なる、花弁のような紋様。瞬間、世界が切り替わった。見える。周囲のありとあらゆる生き物に纏わりつく、蒸気のような不定形のもの。それはきっと力であり、命であり、生き物を生物たらしめる意識の源。ああ、なるほど。こんな世界が視えているのなら、的確に隙をつく攻撃の正確さも頷ける。
「早く、刀が振りたい」
嵐の呼吸に組み込んだ血鬼術は、上弦の壱が使うものを劣化させ、流用したものだ。だが、自分の血鬼術が持つ可能性に気付いた今なら、もっと最適な術に変えることが出来る。
早く日輪刀を持ちたい。今手元に無いのが残念でならない。やりたいこと、試したいことが山ほどある。胡蝶に会えばきっと予備の刀を貰えるだろう。そして今度こそ、猗窩座を斬ってみせる。
◆
「無いわよ?」
「え?」
「だから、無いの。一振りも」
にっこりと感情のわからない笑みを浮かべながら、胡蝶はそう口にした。珠世さんと会ってから三日後の夜のことである。
「日輪刀の原料になる砂鉄と鉱石は貴重なの。だから、隊員は皆予備の刀を持たない。柱もね」
「前に一振りくれたじゃん」
「あれは私が、柱になる前に使っていた日輪刀。だから、もう本当に手元には無いのよ」
ごめんなさいね、と続ける胡蝶。正直、少しだけもやもやする。鬼を殺すには日輪刀を使うしか無い。にも関わらず、戦闘中に破損してしまったら予備も無いというのは、あまりにも危険だ。考えあってのことなのかもしれないが、せめて柱には、懐刀程度でも持たせて良いのではなかろうか。
「ねぇ、独孤くん。上弦の参と戦って、珠世さんって鬼に、助けられたのよね?」
「そうだけど」
「珠世さんって、綺麗な人だった?」
「―――は?」
予想だにしなかった問いを投げられて、思わず気の抜けた声が漏れた。これは胡蝶なりの冗談なのか。いや、しかし、それにしては随分と真面目な顔をしている。
「ねぇ。綺麗だった?どう?」
「まぁ、綺麗なんじゃないか?多分」
「ふーん。そうなんだ。良かったわね」
先程のように、にっこりと感情の読めない笑顔を胡蝶は浮かべる。何が良かったのだろう。正直、胡蝶の言っていることがよく理解出来ないが、何故か聞き返すと良くないことになる気がした。
「まぁ、日輪刀が無いならしょうがない。どこかで隊員から貰うしかないか」
「貰うって?」
「血鬼術で眩ませて、盗む」
「盗んでるじゃない」
「くださいって言っても、斬りかかられるだけだろ」
だから、俺は自分の日輪刀の色を知らない。今まで使ってきた刀はどれも、誰かが握って色を変えた後だった。
「私は、やめたほうが良いと思う。柱だから止めるっていうのもあるけど、多分、今の独孤くんに普通の日輪刀は扱えない」
「ああ、うん。やっぱり、そうかな」
「―――呼吸を掛け合わせて、血鬼術で強化した技でしょう?そんなものに、人間が振るう日輪刀が耐えられるとは思えない」
猗窩座との最終局面。刀が完全に破壊されたのは猗窩座の攻撃によるものだけでなく、威力のありすぎる技に、刀自体が耐えられなかったせいだ。あの時はそこまで深く考えられなかったが、後日に柄だけが残った異様な破壊のされ方を見て、そのことに気付いた。
「呼吸を調整出来れば、多分普通の日輪刀でも大丈夫。でも、そんなことをすれば呼吸を編み出した意味が無いと思うの」
胡蝶の言う通りだ。せっかく上弦にも並ぶ技術を手に入れたのに、それを自ら弱体化させては意味が無い。しかし、それ以外に有効な手が無いのも事実だ。まさか、自分用の刀を打ってもらうわけにもいくまい。そう考えた時だった。
「独孤くん。私は、今が頃合いだと思う」
―――その言葉に。どくんと、一際強く心臓が跳ねた。
「上弦の情報。鬼舞辻の情報。珠世さんという鬼の情報。そして、上弦と戦える剣士の存在。これはもう、私一人が知るべきことじゃない」
心臓がうるさい。胡蝶が何を言おうとしているのかはわかっている。踏み出そうとしているのだ。鬼と友達になろうとした時と同じように。希望のある、しかし一つ誤れば何もかもが崩れる、先の見えない一歩を。
「独孤くん。―――お館様と、会ってみない?」
お館様。鬼殺隊の中心。長い歴史の中、鬼と戦い続けてきた一族。もし、そんな人物と協力関係を結ぶことが出来たなら。それは今までに無い、大きな一歩になる。
「失敗したらどうする?」
「私も鬼殺隊を抜けて、独孤くんと一緒に戦う」
強い目だった。確認の必要もない、真っ直ぐな瞳。
「わかった。胡蝶、一緒に地獄に行こう」
「もちろん、鬼舞辻も連れてね?」
そう言って笑い合う。覚悟は決まった。取り返しのつかない一歩を踏み出す覚悟が。
「―――会わせて欲しい。お館様に」
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