蝶屋敷で世話になることになった。鬼殺隊としても、常時監視出来る場所にいた方が都合が良いらしい。協力者と言えども鬼は鬼だ。どこかで勝手をされるよりかは、逐一行動を把握していた方が安心出来るに決まっている。頷く他なかった。
とはいえ、俺の存在は秘匿されている。知っているのは柱とお館様の身内に、蝶屋敷と隠の数人だけ。無用な混乱を招く為、折を見て一般の隊員たちには説明をしたいとお館様は言っていた。それはいい。自分が火種になることはよくわかっている。しかし、事情を知らない隊員と会った時にまた斬りかかられたらどうしましょう?と問いかけたところ。
「そんときゃ、大人しく斬られろォ」
とは風柱の言葉。まぁ、そこいらの剣士には斬られる気もしないし、逃げればいいだけなんだけど。味方にも気を使う日々はまだ続きそうである。
そして、蝶屋敷ですることといえば、これがまぁ驚く程何も無い。日中は外に出れぬ身である。うっかり身体を焼かれないよう、陽光の届かぬ部屋で大人しく過ごすしか無い。とは言っても、住まわせてもらってる身で何もしないというのも気が引ける。だからこそ、蝶屋敷で行っている負傷した剣士の治療をこっそり手伝えたらなー、とか思っていたのだが、カナエの妹さんに雑に断られてしまった。仕方なく、部屋の隅で呼吸の鍛錬をしたり、借りた本を読んだりして、静かに時間を潰している。
そして夜になれば、鬼を狩る。カナエから鬼の情報を聞いて狩りに行くこともあれば、自分で匂いを頼りに探すこともある。屋敷を空けて良いのは2日間のみ、という条件のおかげで遠出は出来ないが、付近の鬼は随分と少なくなったと思う。柱の担当地区にも少し余裕が出来たと、カナエは言っていた。
あとは時々、柱との手合わせも行っている。なんせ上弦の血鬼術を使える鬼と戦闘出来るのだ。対上弦との仮想訓練としては、これ以上の相手はいないだろう。そして俺は柱の呼吸を直に体験でき、自身に応用できる。お互いに利益しか無い効率的な訓練。だが、訓練なのに風柱だけは殺す気満々で毎回挑んでくる。しかも訓練の頻度も他の柱の倍。暇では無いはずなのに、突然蝶屋敷に来て手合わせを要求しに来るのは、最早ちょっとした恐怖である。
「―――どう?屋敷にはもう慣れたかしら?」
そんな暮らしを続けて一月が経った頃だった。本を読んでいる最中そう問いかけてきたカナエに、少しだけ考えてから返答した。
「どうだろう。今までと随分違うから、まだしっくりきてないかも」
「環境?」
「そう。安全な場所なんて、今まで無かったから」
どこにいても、何をしていても、周囲を警戒し続けなければならなかった。気を張る日常に慣れてきてはいたものの、楽だと思うことはついぞなかった。
「それに、ほら。俺、嫌われてるだろ」
「誰に?」
「妹さんに。出来るだけ、顔を合わせないようにはしてるけど」
「だめよ独孤くん。しのぶとは、仲良くなってもらわないと」
「いやぁ、流石に無理じゃないかなぁ」
風柱と仲良くなれ、と言われるのと同じくらいの無理難題だ。初対面の時から、何故か蛇蝎のごとく嫌われているし、挨拶も8割くらい無視される。残る2割はその場にカナエがいる時。毎日必ず挨拶はしているものの、正直心が折れそうだ。
「やっぱりさ、俺は」
「駄目」
「…まだ何も」
「うん。でも駄目」
蝶屋敷から出ていった方が、と続くはずだった言葉は、口に出す前に否定された。…心を読む血鬼術でも使ってるんだろうか。そうならば、ぜひとも教えてほしいものである。
「多分ね、まだお互いのことをよく知らないと思うの」
「でもカナエは、俺の事を妹さんに話してるんだろ?」
「人伝の話なんて、知るきっかけでしかないわ。直接話して、聞いて、見て、ようやく相手のことが少しだけわかるのよ」
「少しか」
「うん、少し。でも、少しでもわかってもらえれば、きっとしのぶも独孤くんを好きになってくれるわ」
そうだろうか。胡蝶姉妹は、鬼に両親を殺されたと聞いた。鬼を1匹でも多く滅ぼし、同じ境遇になってしまう人を救うため鬼殺の剣士になったとも。だから、特異なのはカナエの方だ。そんな過去がありながら、俺とこうして平然と話し、手を取ろうとしたのだから。
「わかったよ。努力する」
「お願いね。あと、しのぶのこともちゃんと名前で呼ぶように」
「…努力する」
「よろしい」
そう言って、カナエはにっこりと笑った。カナエは顔に似合わず時々妙に押しが強いところがある。蝶屋敷に来てから、カナエのことも名前で呼ぶようお願いされ、押し切られてしまった。彼女のお願いはきっとこの先、断ることが出来ないだろうと思う。
◆
夜になった。治療を受けている隊員に気付かれないよう、部屋をこっそりと抜け出す。今日は柱と手合わせする約束も無い。鬼の出没情報も無い。どこかで呼吸と血鬼術の鍛錬でもしようかと考えながら、縁側に出る。
「―――っし!」
誰かが一心不乱に刀を振っている。技術も優美さも無い。ただ我武者羅に、纏わり付く何かを振り払うように刀を振り続けている。月明かりに照らされて顔が見える。鬼気迫る表情で、しかし今にも泣き出してしまいそうな顔色で、胡蝶しのぶが鍛錬をしていた。
しばしその様子を眺める。上段、袈裟斬り、斬り返し、横胴斬り、斬り上げ。動作は実に滑らかだ。鋭く、剣速もある。今は力任せに振るっているせいでぎこちなさが目立つが、平時ならきっと剣舞のように美しいのだろう。だが、わかってしまった。彼女の焦燥の原因が。覆しようの無い、大きな弱点が。
「こんばんは。良い月夜だね」
動きが止まったのを確認してから声をかけた。カナエに初めて会った時の言葉を参考にしたのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。しのぶはびくりと肩を震わせてから、強くこちらを睨んだ。
「…見ていたんですか」
「見てた。よく鍛錬してるね。さすがカナエの妹だ」
「見え透いた世辞言わないでください。わかってるんでしょう?」
「君が、鬼の首が斬れないことが?」
告げると、しのぶは親の仇でも見るかのような目をこちらに向けた。どうやら当たっていたようだ。しかし、少し剣筋を見ただけでその弱点は容易く看破出来た。それ程にわかりやすく、剣士としては致命的な欠点だった。
彼女の刀では鬼は殺せない。鍛錬を重ねれば雑魚鬼はなんとかなるだろうが、多くの人を食らった鬼の硬い首を斬るには、どうしても筋力が足りていない。だから、彼女の剣閃は鋭さこそあるもの、根本まで断つ力強さに欠けていた。
絶対的に身体が小さいのだ。筋力をつけようとしても、きっと彼女は人並み以上にはならないだろう。そういう身体なのだ、仕方がないと言えば仕方がない。鬼狩りの剣士などにならなければ、きっと一生困ることも無かっただろう。
鬼に両親を殺された不運。鬼狩りになると誓ったのに、身体が向いていなかった不運。特殊な境遇の積み重ねが、彼女を今も苦しめている。
「カナエには相談した?」
「私の勝手でしょう。口を出さないでください」
「そうもいかない。カナエに、仲良くしてってお願いされててね。君もそうだろ?」
しのぶは苦虫を噛み潰したような顔をする。予想は的中していたらしかった。
「…姉さんには、剣士ではなく隊員の治療で貢献する道もある、と」
「正論だね。適材適所って言葉もある。自分の力は、活かせる場所で使うべきだ」
「でも!」
大声を上げ、感情のままにしのぶは強く地面を蹴る。刀の柄を強く握っているのか、ぎしぎしと柄木の軋む音がした。
「鬼は存在してはいけない。鬼は殺さなくちゃいけない。だから、私がこの手で、斬らなくちゃいけない」
それは強迫観念じみた思想だった。鬼の呪いとも言える。身体の奥底に染み付いた鬼への恨みと、鬼狩りとなり柱となった姉に追いつこうとする焦りが結びつき、鬼は自分が殺さなければならないという思考に至っている。そして、その思想さえ満足に遂行出来ないことをさらに焦り、負の連鎖に繋がる。もしかすると、彼女がカナエと違って性格にゆとりが無いのは、その焦りが原因なのかもしれない。
「なら、殺す術を見つければ良い」
「…私を、馬鹿にしてますか?」
「真剣に言ってる。俺は呼吸と血鬼術を組み合わせて、鬼に対抗する手段を作った。君も、呼吸と得意な何かを組み合わせれば良い。ほら、これあげる」
腰に結びつけていた鞄を投げ渡す。彼女は訝しみながらも、それを受け取った。
「中には、血鬼術の侵食を止める薬と、鬼用の回復薬が入ってる。俺が持ってるより、君の方がずっとうまく使えそうだ」
「なっ!そんなもの、どこで」
「秘密。でも、優秀なお医者さんが作ったものだ。効能も間違いない、俺の身体で試したからね」
珠世さんには悪いことをしてしまったかもしれない。しかし、後悔は無い。これも適材適所というやつだ。
「薬学が得意なんだって?なら、薬を毒に変えれば、鬼を殺せるかもね」
「―――鬼を殺す、毒」
「そうそう。どうすれば出来るのか、俺にはよくわからないけど。でも、必要なら協力する。作ったものの実験体くらいなら、俺にもできそうだし」
「…どうして、そこまでしてくれるんですか?」
「俺は鬼殺隊に協力してる。それと、カナエには頭が上がらないくらいお世話になった。あとはまぁ、しのぶちゃんと仲良くなりたいからってことで」
「―――」
それっきり、しのぶは泣き出しそうな顔のまま押し黙り、何も言わずに屋敷に戻ってしまった。失敗しただろうか。でも努力はしたので、許してほしい。元々友達なんてカナエ以外にいないし、うまく仲良くなる方法なんて知らないんだから。
誤字脱字報告ありがとうございます。いつも助かってます。