顔を合わせる前から気に入らなかった。嫌ってすらいた。姉を誑かし、鬼殺隊を裏切らせた悪鬼。出会うことがあれば、例え命に代えても首を斬るつもりでいた。だけど。
「君がしのぶちゃん?独孤です、よろしく」
蝶屋敷で初めて顔を合わせた時、その鬼らしからぬあまりの気軽さに、毒気が抜かれた。しかし同時に、立ち居振る舞いから強さもよくわかった。相討ち覚悟でも傷一つつけられない。その気になれば、私が刀を抜くよりも早く、私を殺せるだろう。
だから私は、尚の事その鬼が嫌いになった。鬼の強さは食らった人の数だ。つまりこの鬼は、数え切れない程の人間を食い、今の力を手に入れた。鬼殺の隊員として、人として、そんな鬼を許せるはずがない。認められるはずがない。
「なら、見に行きましょう」
ある日の晩、私は姉に連れられて屋敷を出た。向かった先は聞かされていなかったが、特に不安も無かった。ただ、妙な胸騒ぎはあった。自分の価値観が狂わされるような予感。その原因に思い当たるよりも早く、それを見てしまった。
「炎の呼吸 伍ノ型 炎虎」
闘気が立ち昇り、巨大な炎の虎を形作る。攻撃に長けた炎の呼吸の中でも特に高威力の型。それも繰り出したのが炎柱ともなれば、正しく必殺の技になっている。それを。
「血鬼術 嵐の呼吸 太刀風・小夜嵐」
吹き荒れる嵐が掻き消す。炎の幻影が完全に消えると、その向こうでは既に次の動作に移り鍔迫り合う、独孤と煉獄杏寿郎がいた。
「うむ!呼吸も技量も柱と遜色無し!鍛錬をよく積んでいるな!」
「時間だけは、充分あったんでね!」
そこから先の攻防は、私の目には映りすらしなかった。ただ、炎と嵐がぶつかり合う衝撃と、至る場所から響く剣戟の音だけが、その戦いの凄まじさを物語っていた。
「鬼の体力には限界が無い。だからいつまででも鍛えられるって、独孤くんは言ってた。休みさえしなければ、一日は割と長いって」
確かに、理屈で言えばそうだろう。鬼ならば睡眠もいらず、時間のある限り永遠に自己鍛錬を続けられる。しかし、それは理想論だ。例え身体が無事でも、そんな日々を続けていれば先に、精神が崩壊する。
「3年、続けたそうよ」
「―――そんなの。もう、狂人じゃない」
「そうかもしれないわね。でも、休むと家族を手にかけた時のことを、思い出してしまうんだって。それよりはずっとマシだって言ってたわ」
「―――」
そう聞いた時、何故か身体の力が抜けてしまった。鬼に人らしい心があり、家族を殺したという罪悪感に駆られる。そんなこと、今まで考えたことすらなかった。鬼は鬼だ。人を殺すだけの存在だ。だからあの人も同じ、ただ殺す対象が人から鬼に変わっただけの存在と思っていた。
「独孤くんは鬼だけど、鬼であることを後悔してる。でも鬼である以上、鬼の特性を活かして出来る限りのことをしている。誰も彼の苦労をわかってあげることは出来ない。だからせめて身近な人だけでも、独孤くんを認めてあげて欲しいのよ」
「…姉さんは」
「何?」
「…ううん。なんでも無い」
頭に浮かんだ、あまりにも陳腐な言葉を飲み込む。言葉にするのは簡単だが、それこそ阿呆のすることだ。
「私は、しのぶと独孤くんに仲良くなって欲しいな」
「無理よ、そんなの」
「どうして?」
「だって、嫌いな理由がもう一つ、増えたもの」
次の日の夜。触発されたのか、屋敷の庭で刀を振るっているところをあの鬼に見られ。その日が私のこれからを大きく変える、転機となったのだ。
◆
「しのぶと仲良くなったのね、独孤くん」
カナエは実に嬉しそうな表情だった。対してこちらは、結構複雑な心情。とりあえず、腐りかけてグズグズになった右腕を斬り落とす。床に落ちた腕が崩れていくのを見届けてから、溜息を吐いた。
「どこがよ」
「しのぶと、二人きりで部屋にいたんでしょう?今までそんなこと無かったじゃない」
「毒の実験体になってるだけだよ」
無くなった右腕はすぐに再生した。念の為、何度か握ったり開いたりを繰り返し、異常が無いかを確認する。問題無し。打ち込まれた毒の効果も綺麗さっぱり消え去った。
「いや、手伝うとは言ったけどさ?まさか一日に十数回も、毒を打たれるとは思わなかった」
『新しいのを試させてください』
しのぶちゃんがそう言って、準備の出来た注射器とともに襖を開ける光景も、ここ数日で見慣れてしまった。血が巡らないよう麻紐で関節部を縛り、身体の末端に毒を注入しては経過を観察し、用が終わると一度だけ会釈して、出ていく。それを日に何度も繰り返されると、なんというか、流石に気が滅入ってくる。
「身体は大丈夫なの?」
「大丈夫。今のところは。首に大量に打ち込まれでもしない限りは、すぐに治る」
とは言っても毒は毒だ。いつもより治りは遅いし、治った後も痺れを感じたりする。だから今では、患部を斬り落として再生させ、毒を完全に除去する方法を取っている。
しかし、じきにそうも言ってられなくなるだろう。彼女の作る、藤の花を材料とした即効性の毒は日に日に強さを増している。彼女の才能によるものか、参考として渡した薬が役立ったのか。ともかく、間もなくお役御免になりそうではある。
「本当に、凄いわ」
「そうだな。流石は花柱の妹だ」
「しのぶも凄いけど、私が言ってるのは独孤くんのこと」
「俺?」
「うん。独孤くんは、変えてしまったから」
なんのことだろう。思い当たる節は無い。
「私はしのぶに、隊員では無く隊員の支援に回って欲しかった。それが、しのぶのためにもなると思ったから」
「正論だと思うけど」
実際に、彼女のおかげで助かった命がある。刀を振るえない程の傷を負った隊員が、戦線に復帰している。蝶屋敷の存在は鬼殺隊にとって、かけがえのないものになっているはずだ。
「そうね、正論だわ。でも、姉としては間違っていた。あれはしのぶのためでなく、しのぶのことを考えている私のための言葉だった」
妹に傷ついて欲しくない。心も身体も、ずっと健やかでいてもらいたい。そんな身勝手な思いが、しのぶ自身の気持ちを汲み取るという、一番大切なことを蔑ろにさせた。
「しのぶが苦しんでることは、知っていたの。知っていて、諦めてもらうために見ないふりをした。でも、独孤くんと仲良くなれば、何かが変わるかもって思った」
「そりゃ無茶振りってやつだ。鬼に一番頼んじゃいけないことだろ」
「そんなことないわ。しのぶは今、新しい目標に向かって頑張ってる。それは姉の私にも出来なかった、特別なことよ」
結果だけ見ればそうかもしれない。だけど、すべて偶々だ。彼女の欠点に気付いたのも、薬を持っていたことから毒を発想出来たのも、偶然の産物でしか無い。きっと俺が助言をしなくても、彼女はいずれ同じ答えに辿り着いただろう。
「不満そうな顔してる」
「不満だよ。不当に買い被られてるし」
「わかってる?買い被られて不満に思うってことは、期待に応えようとしているからだってこと」
「……負けました。許してください」
ひらひらと両手を上げる。その反応に、カナエはクスリと笑ってから。
「許すも何もないわ。私は独孤くんに、ありがとうって伝えたかっただけだから。…でもね」
カナエがこちらに顔を近付ける。息がかかりそうな距離。カナエの綺麗な瞳を覗くと、自分の間抜け面が映り込んでいた。
「しのぶと、仲良くなりすぎないでね?」
「…はいはい、わかりました」
「うん。―――好きよ、独孤くん」
刹那、唇に微かに触れた暖かな感触。何をされたのかを考えるよりも速く、蝶のように揺らめいてカナエは部屋から出ていった。
「…だから。鬼に言うことじゃ、無いだろ」
その後。入れ替わるよう部屋に入ってきたしのぶから、いつもより多めに毒を打ち込まれた。