長い長い夢だった。始まりと終わりの夢。戦国の時代に、鬼舞辻を既の所まで追い詰めた最強の剣士と、孤独だったはずの彼を支え続けたある医者の夢。
始まりは自分からだと思っていた。鬼に襲われ、偶然に鬼舞辻の支配から逃れたために、鬼狩りの鬼としての今があると思っていた。しかし、それは違ったのだ。もっと昔から、何百年も前から、この因縁は始まっていた。
『受け継がなくちゃならない』
思いも、技術も、全てを。繋ぐことが出来るのは自分だけだ。彼らがそうしたように、俺も自分がやらねばならないことをする。そうして初めて、この罪に塗れた生を終わらせることができる。その権利を得られる。
目覚めよう。持てるもの全てを、人の心に抱えて。
◆
「おはよう、しのぶちゃん。今は昼?それとも夜?」
すぐ近くで、何やら薬らしきものを薬研でごりごりしていたしのぶちゃんに話しかけると、こちらを凝視したまま固まってしまった。なにやら都合が悪かっただろうか。もしかすると、薬の調合中に声をかけたのがまずかったのかもしれない。
しのぶちゃんは瞬きもせず、数秒ほどそのままの姿勢で硬直。すると急に、器具から何やらをまとめて抱え込み、立ち上がった。
「…しのぶちゃん?」
「―――私は、ここに来ていません。独孤さんが目覚めたのも知りません。何も話していません。いいですね?」
そう言ってにっこりと笑う。背筋に何やら冷たいものが走り、こくこくと数度頷くと、笑顔を貼り付けたまま彼女は部屋を出ていった。
「何だったんだ、一体」
つぶやきつつ、深くは考えないようにする。こういうのは大抵、突っ込んでも良いことにならないし。ならばそもそも放棄した方が自分のため、皆の為だろう。
「身体の調子は、悪くない」
腕を上げたり、首を回したりと色々試すが、問題は無い。童磨との戦いの後で感じた強烈な睡魔も無くなった。むしろ眠る前よりも好調とすら感じる。しかし、一番の違いは。
「…見えた」
意識を集中させて自分の腕を見る。骨、血管、筋肉。か細い神経に至るまで、自分の身体の全てが透けて見えた。
「なんというか、不気味だな、これ」
一度目を瞑り、元の世界に戻る。透き通る世界は長く見ていられない。認識できる情報量があまりにも増えすぎて、脳が処理しきれなくなりそうだ。こんな世界を、幼少の頃から見続けていたのだとしたら、やはり縁壱さんは最初から特別だったのだろう。
ゆっくりと部屋の扉を開け、外の様子を窺う。いくつかの行灯が廊下を照らしている。ということは、すでに日は落ちている。安心して活動できそうだ。
「とりあえず、カナエを探そうか」
起きたことを知らせねばならない。しかし、屋敷から感じる気配が以前よりも増えている気がする。負傷中の隊員か、それとも手伝いの者が増えたのか。できるだけ人と会わないよう、注意しながら移動しなければ。――と、思っていたのだが。
「お前が噂の鬼だな?」
急に何か来た。それは頭に猪の頭部を被り、上半身が真っ裸の、鬼よりも鬼っぽい何かだった。
「あー、どちら様?」
「俺か?俺は嘴平伊之助様だ!」
「そうか。それで、俺に何か用?人を探してるから、出来れば後にしてーーー」
「俺と戦え!上弦に勝った奴に俺が勝てば、俺はあのギョロギョロ目ん玉よりも強いってことだ!」
「―――なるほど、君、話を聞かない系の人だな?」
びしっ、と両親指で自身を指す彼に、諦めの溜息を吐く。彼は恐らく人間だ。しかし、下手すると鬼よりも変わった人間だ。
「行くぜ!猪突猛進!!」
言うが早いか、廊下をものすごい勢いで走ってくる。回避も迎撃も可能。相手する必要も無いが、この屋敷の中で無作法を働く輩は懲らしめねばなるまい。少しだけ考えて――試してみることにした。
「ごめんよ」
透き通る世界に入り、一歩踏み込む。手を伸ばせば届く所にまで近付き、彼の顎先端を掠めるように拳を振るった。
「―――あ?」
本来ならば被り物のせいで捉えにくいはずの急所だが、この世界では関係ない。裏拳は正確無比に顎を掠め、彼の脳を何度も揺さぶり。平衡感覚を失った彼は、何かにつんのめるようにして床に倒れ、そのまま失神した。
「おーい伊之助、どこに――って。ど、独孤さん?!」
さて、このまま放置はまずいよな、と思っていた所、ちょうど良く善逸君が通りがかる。彼もここに来ていたのか。ということは、無事に最終選別もくぐり抜けたのだろう。良かった良かった。
「やぁ、善逸くん。この子、君の知り合い?」
「え、まぁ、はい。一応は」
「なら、病室まで運んでやってくれない?多分、あと一、二時間は起きないと思うから」
「…あー、はい。わかりました」
言うまでも無く何が起こったのか理解したらしい善逸君は、嫌そうな顔ながらも了承してくれた。
「あ、それと、カナエがどこにいるか知らない?探してるんだけど」
「カナエさんなら、さっき訓練場にいましたよ」
「そっか。ありがとう」
感謝を一つ告げて、訓練場の方へ向かう。軽く見た所、善逸君もあれからちゃんと鍛練を続けているようだし。あのまま積み重ねていけば遠く無い未来、柱にも届く実力を身につけるだろう。
「あと、伊之助くん、だっけ?彼も中々見どころがありそうだったな」
見えていないはずの顎への打撃に反応していた。天性の勘の良さか。防ぐには間に合わなかったが、手心を加えていたら多分避けられていた。
「育ってるじゃないか、後継」
◆
カナエは訓練場で瞑想をしていた。よほど集中しているのか、訓練場に入ったこちらの様子にも気付く様子は無い。
さて、なんと声をかけたものだろう。おはよう?久しぶり?どれも違う気がする。妙な緊張感がある。カナエに話しかけるだけなのに、何をこんなにも躊躇っているのだろう。
頭を振って考えを切り替える。悩んでも仕方がない。ひとまず目覚めたことを伝えねば、始まる話も始まらない。驚かせないよう、出来るだけ気を使いながら声をかける。
「あー、カナエ。つい今さっき起きたんだけど―――」
言い切るより早く、さっきまで正座していたはずのカナエがいないことに気付いた。どこに行った、と考える間もなく、身体が回避行動を取る。大きく横っ飛びしてから振り返ると、背後から木剣を振り切るカナエの姿があった。
「カナエ、急になん」
「―――花の呼吸 肆ノ型 紅花衣」
「ちょ」
続けて繰り出された技を、上体を反らして避ける。剣先が頬を掠め、浅い切り傷を残す。真剣では無いといえ、柱ほどの実力者が全力で振るえば、常人ならば怪我は免れない。
仕切り直すべく全力で床を蹴り、カナエから距離をとる。しかしその狙いは読まれていた。跳躍している最中、一瞬でこちらの懐まで飛び込むカナエを見る。
「花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬」
―――避けられない。閃光のような九連撃。頸を守るべく腕で防御を固める。だが、いつまで経っても衝撃はやってこない。その代わりに、カナエはこちらの胸に顔を埋め、抱き竦めていた。
「……待ってたのよ。ずっと」
「俺、どれくらい眠ってた?」
「1年。上弦の弐を倒してから」
「そっか。待たせたよな。ごめん」
「うん」
カナエの顔は見えない。笑っているのか、泣いているのか。いずれにせよ、カナエを長い間悲しませていた事実に変わりはない。
「心配かけた。これからはもう、大丈夫だから」
「信じない」
「本当だって。眠ってた原因も見当がついてる」
「やだ」
顔を埋めたまま動かない。困った反面、仕方がないとも思う。杏寿郎に頼んでカナエに渡した手紙には、長い間目覚めなくても心配するな、と書き記しておいた。狡い手段だ。真正面から話さず、後出しで言いたいことだけを言って逃げた。心配しないはずがないのに。カナエの優しさにまた甘えて、苦しめ続けた。
「どうしたら、信じてくれる?」
「……」
返事は無い。自分が都合の良いことばかりを言っている自覚はある。今更信じて貰おうとしていること自体が我儘だ。それでも、信じて欲しい。全ての人に疑われていても良い。ただ彼女にだけは、信頼して欲しかった。
「お願いだ。出来ることなら、なんでもするから」
「…本当に?」
「本当」
「じゃあ、私と婚約して」
「……」
「なんでも、するんでしょ?」
至近距離でカナエと目が合う。それだけで、彼女の真剣さが伝わってきた。
「…俺は鬼だ」
「知ってるわ」
「幸せには、出来ないぞ」
「いいわ。勝手に幸せになるもの」
「―――無惨を倒したら、俺は死ぬつもりだ」
「そう。でもだめよ。絶対に、死なせないから」
強情だ。わかっている。どれだけ言葉を重ねたところで、カナエの意思は曲げられない。そもそも今の言葉はカナエに向けたものでなく、自身への言い訳だった。ならば決めるべきは、今しかない。
「わかった。じゃあ」
「あ…」
カナエを強く抱きしめる。今まで、自分から触れることはできる限り避けていた。そうしたら最後、後戻りは出来ないと知っていたから。
覚悟を決める。失わない覚悟。失わせない覚悟。今まで以上に厳しい道だが、不思議と無理だとは思わなかった。
「結婚しようか、カナエ」
「―――うん!」
花が咲き誇る。それはいつの日か、彼女の手を取った時と同じ。孤独な鬼を救ってくれた、花の咲くような笑顔だった。
活動報告にて、もししのぶルートに進んでいたらどうなっていたかの雑なプロットを公開してます。あまりにも雑な文章ですが興味ある方はどうぞ。