村に巣食う鬼だった。幻覚を見せる血鬼術で村人を惑わし、自分を神の代行者と信じ込ませ、捧げられた女子供を食らっていた。下弦だったころ、よく似た手口をどこかで耳にした覚えがある。確か上弦のうちの誰かだったか。新興宗教の教祖となり、疑われることなく人を喰っている、とかなんとかだった気がする。馬鹿らしい。成功している者のやり方をなぞっても、結局のところただの真似事でしかないというのに。だからこうして、ある日突然に破綻する。
「何故だ!どうして、同類なのに鬼を狩る?!」
村の規模に見合わない一際大きな屋敷の中で、追い詰められた鬼が惨めったらしく喚いている。初めはもう少し威勢が良かったが、血鬼術が一切効かないとわかると途端に逃げ出した。自分の血を霧状にし、村そのものを包み込んで幻を見せる血鬼術。事前に感知さえできれば、日輪刀で自分の腹を刺し貫き、常に痛みを感じ続けることで容易に防げる。
「何故って…まぁ、わからないか、そりゃ」
「当たり前だ!こんなことをして、あの方が許すはずが無い!」
「鬼舞辻無惨がか?」
常に血が巡り、血色が良いはずの鬼の顔が青褪めていく。その名前を口に出して、無事でいられることの意味に気づいたのだろう。かといって抗うような力も無い。幻覚という搦め手に特化した血鬼術は、つまり本体に戦闘能力が無いことを表している。
「そ、そうだ、手を組もう。この村なら子供をいくらでも食える。鬼殺の剣士が来ても、俺の血鬼術とお前の力があれば皆殺しにできる」
「なるほど。悪くない考えだな」
「だろう?だったら―――」
「痛いのは嫌か?」
「そんなの、聞かなくたって当たり前だろう」
「そうか、わかった」
腕を振るう。一切の力を入れず、流れゆく水のように。
「水の呼吸 伍ノ型 干天の慈雨」
「――え?」
ごろりと首が落ちる。一切の痛みがなかったのだろう。その鬼は唖然と、首の無い自分の身体を床から見上げて呆けたような声を漏らし、そのまま崩れるように消えていった。
鬼は死なねばならない。人を騙し、嘲り、食らうような生き物を許すわけにはいかない。ほう、と深く息を吐く。これで終わりなら楽だった。夜明けまで二時間程。あとは――たった今、風のように駆けてきた剣士を相手しなければならない。
「風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ」
背後から突然に巻き起こる暴風。荒れ狂い、逆巻き、触れるものを粉微塵に斬り裂く鎌鼬の風。身を捻り、刀で風を受け流す。使うのは水の呼吸の剣技。荒れ狂う風は水面を撫でるように通り過ぎていった。
「――てめぇが鬼を狩るだとかいう巫山戯た鬼だなァ?」
剣技と同じく、吹き荒ぶ暴風のような男だった。迂闊に近づこうとすれば、近づく間もなく逆巻く風に呑み込まれて殺される。その予感があった。腸がひっくり返るような緊迫感。それはつい先日も感じた、自分を殺せるものと出会った時の恐怖心に他ならない。待っていた。しかし、望んではいなかった。――この場面での、風柱との邂逅は。
「その通り。もう結構鬼も狩って、下弦の鬼も何人か狩ってるんだけど、その実績に免じて見逃して貰えない?」
「駄目だなァ。鬼は皆殺しにする」
だと思った。だってこの人、殺意がすごい。全身から絶対殺す感が溢れ出てる。特に目がやばい。瞳孔開きっぱなしだし、こっちの一挙手一投足を全て見てるし。
「てめぇ、風の呼吸も使えるなぁ?」
「………わかんの?」
「わかるなァ。重心と握りに癖が混じってる。俺と同じ呼吸を鬼が使うたぁ、吐き気がするぜェ」
殺意が空気に伝播し、びりびりと肌を叩く。いっそ何も考えずに逃げてしまいたいが、闇雲に逃げて隙を晒せば、それこそ即殺されかねない。あと、少しだけ欲が出た。会いたかった風柱。どうせ最終的に逃げるなら、剣技を見てからでも構うまい。
刀を構え、深く呼吸する。さらに血鬼術を使い、自分を分けて2対1の状況を作った。それを見た風柱は、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「さぁ、殺し合いだァ!」
風が唸る。
◆
「水の呼吸 壱ノ型 水面斬り」
「水の呼吸 肆ノ型 打ち潮」
2体同時に技を繰り出す。回避は不可能。一方を防げば、もう一方に斬られる。その必殺を。
「風の呼吸 参ノ型 晴嵐風樹」
尽くが弾かれ、打ち落とされた。人の身を超えた技量。逆巻く風が技を弾き、刀を防ぐ。ならばと、次の型を繰り出すべく息を吸う。刀を振ろうとした瞬間、一方が首を断たれている事実に気付き、急停止してその場を跳び退いた。
「陸ノ型 黒風烟嵐」
眼前を刀が掠める。当たってはいない。にも関わらず暴風は顎の肉をこそぎ落とし、あと一歩踏み込まれていたら首を斬られていた。
「血鬼術 影纏身」
距離を空け、即座に分身を作り出す。2対1でようやく斬り結べる。1対1ならば十合で殺される。数の有利を一時も崩してはならない。柱を相手取るなら、これだけの有利があってようやく五分だ。
刀を振り下ろし、振り上げる。横に薙ぎ、下がったところを突く。息もつかせぬ連撃。元が一つであったからこそ出来る高速の連携は、しかし意にも介さずに避け、弾き、防ぎきられる。未来を見ているかのような直感。柱としての経験と、呼吸の型を知るからこその予知じみた防御は、驚嘆に値するものだ。しかし。
「参ノ型 流流舞」
「弐ノ型 水車」
矢継ぎ早に技を繰る。鬼は疲弊しない。防ぎ続けるなら、当たるまで刀を振り続けるだけ。一度でも当たれば隙が生まれる。余地が出来る。その余地を掴んだ時が、鬼が勝利する時だ。
「肆ノ型 打ち潮」
「漆ノ型 雫波紋突き」
とった。確信とともに繰り出した最速の突きは、風柱の眼前にまで迫る。これを避けるのなら最早人では無い。そして、人を超えた鬼を容易く屠る柱は、人では無い。
「――つまらねぇなァ」
聞こえた声は背後から。回避の瞬間すら捉えられないという異常。動揺を殺し、空を切った型を無理矢理転換して、振り返りながら刃を振るう。そこに男の姿は無い。離れた場所に立つ風柱の手には、血鬼術で生み出したもう一方の首があった。
総毛立つ。もう一人とは感覚を共有している。四つの目で追っていたのに、追いきれなかった。首を斬られたことにも、斬られるまで気づかなかった。何が五分だと心の中で笑う。この柱が最初から殺す気でいたなら、とっくに滅ぼされていた。
「どうやって呼吸を覚えたのか聞いてから殺そうと思ってたが、もういらねェ。そんな半端な腕なら、使えたところで味噌っかすだしなァ」
風柱の言うとおりだ。真似事は所詮真似事。本物には辿り着かないし、ましてや自分に向いていなければ尚更。これ以上の習熟が望めぬなら、水の呼吸を使う意味は無い。だから。
「――シィィィ」
呼吸を切り替える。風の逆巻くような音が、吹き荒ぶ暴風の音に変わる。その変化に反応したのは風柱。額に青筋を浮かべ、一層殺意が強まるのを感じる。
「水じゃなく風ならイケるってかァ?性根まで巫山戯倒してんなぁてめぇ」
「さっきまでは無理だった。でも、今ならなんとか互角までは持ってけるかなと」
「そうか。まぁ、もう死ねよ」
一際強い踏み込み。その技は知っている。一度見て、何度も反芻した。身体の動かし方も、無駄の無い呼吸の仕方も、足運びも、全て見た。
「塵旋風・削ぎ」
「塵旋風・削ぎ」
同じ型が正面からぶつかり合い、甲高い金属音を響かせる。乱れ狂う風が床板を斬り裂き、天井を引き剥がし、大気を震わせた。後に残ったのは鍔迫り合う二人の男。僅かな刀傷のみで技を凌ぎきった鬼と、怒りに狂う鬼のような形相の人間。
「――盗みやがったなァ?」
「おかげでしっくりくるよ」
元々適性のあった風の呼吸。その頂点たる柱の技は、やはり手本としてこれ以上無く最適だった。まだ届かない。油断し、気の抜けた風柱の技にさえ押し負ける程度。しかし、研鑽を積めば恐らく超えることも出来るだろう。
ならば水柱と会い、命懸けで呼吸を学んだのも間違っていなかった。水の呼吸を鍛えていなければ、その場にさえ立てずに殺されていた。
「血鬼術 乱纏身」
生み出す分身は2体。増えるほど1体当たりの戦力は落ちるが、手数は増える。他の柱相手には使えないが、動きがある程度読めるようになった風柱なら問題無い。
「もっと型を見せてくれ。俺は強くなりたい、強くならなくちゃならない」
上弦を狩るために。鬼舞辻を狩るために。風柱はハァ、とあからさまな溜息を一つ吐いた。そして、刀を持っていない左腕を掲げる。何を、と思ったのも束の間。掲げた腕を、なんの躊躇も無く自分の刀で斬りつけた。
「クソしょうもねぇ。最初から、こうしておくべきだったぜェ」
ボタボタと血液が地面に流れ落ちる。浅くない傷。これ以上の深手を負えば、二度と腕が動かなくなるかもしれない程の。何をしている。何の意味がある。疑問に思ったのも一瞬のこと。強い目眩を突然に感じて、思わずたたらを踏んだ。
「――あ、え?」
平衡感覚が保てない。ぐらぐらと、地面が揺れているかのように頼りなく、力を抜けば今にも倒れてしまいそう。この感覚には覚えがある。鬼となってからは感じたことの無い、感じるはずの無い強烈な酩酊感。
「おいおい、随分と酔っ払ってるじゃねェかァ。そんなに稀血が気に入ったのか?」
――稀血。鬼にとってはこれ以上無い御馳走となる、珍しい血を持つ人間のこと。しかし、稀血で鬼が酔うなんて聞いたことが無い。それも口に入れたわけでなく、ただ香っただけで酩酊させるなど、まるで血鬼術のよう。
気づけば、生み出したはずの分身はいつの間にか消えていた。自分で消したのか、風柱に斬られて消えたのかもわからない。目が回る。世界が回る。こうしている今、自分の首が繋がっているのかすら判然としない。死ぬわけにはいかない。こんなところで、まだ、柱程度に殺されるわけにはいかない。
「…回避してくれ」
「あァ?」
うまく言葉にできただろうか。もういい。この男ならきっと大丈夫だろう。呼吸を再度切り替える。低く、重く、腹の底に響くような音。何も見えない。何も聞こえない。だけど問題ない。この技は、周辺全てが間合いになる。
「血鬼術 月の呼吸 陸の型」
身体の内側がざわつく。限界を超えた力の行使に、全身の肉が軋んでいる。鬼の身体と血鬼術を使ってようやく再現できる技。たった一度だけ目にした、上弦の剣技。
「常世孤月・無間」
◆
鬼狩りの鬼は去った。視認範囲にあるもの全てを得体の知れぬ呼吸で破壊し、逃げ去った。後に残ったのは風柱―――不死川実弥ただ一人。
「あのクソ鬼がァ…」
技は防いだ。しかし、全ては防ぎきれなかった。視界全てを覆う斬撃の雨。致命傷となるものは弾いたが、避けきれなかったものが右脚を裂いていた。深手ではないものの、逃げる鬼を追える程浅くも無い。追い詰めたはずの鬼を見逃す他なかった。
「絶対に殺してやる」
握りしめた拳から血が滴る。あの鬼は必ず狩る。何に代えても、絶対に。