『鬼狩りが来るかもしれない。なんとしてでも貯蔵庫は守り抜け。場合によっては、保存中の何人かを食ってもいい』
突然の本体からの連絡。何名かの鬼狩りが街に忍び込んでいるらしい。そのうち一人には、けしかけた帯が返り討ちにされたそうだ。
もしかするとこの貯蔵庫の存在にすら気付く可能性がある。ここには捕らえた美しい人間を大量に保管している。奪われることは絶対に、なにがあっても許されないだろう。美しい者を食いたがる本体から、保存中の人間を食う許可が出たのが、何よりの証明だ。
しかし実際、ここに鬼狩りが来るとは到底思えなかった。移動に使っている穴は子供すら通れない程の大きさ。地上から掘るにしても、遊郭街の中心を10メートル以上掘り進めなければならない。そんなことは、普通の人間には実現不可能だ。
きっといつも通りだ。何事もなかったかのように、鬼狩りは本体に食われるだろう。本体の手に負えない者が現れても、もう一人が対処する。何も変わらない。何人の鬼狩りが来たところでそう大した差は無い。上弦の鬼に勝てる人間など、どこにも―――。
「見つけた。ここだな?」
音も気配もなく、それは突然に現れた。日輪刀を持った剣士。当たり前のように貯蔵庫の中央に立ち、中を見回していた。
「なるほど、こうやって捕らえた人を保存しているのか。面白い血鬼術だな。帯の中にいる間は、時間の経過も緩やかになるのか?」
「お前、なんで人間がここに―――」
―――違う。こいつは鬼だ。何故鬼がここにいる。それも下弦の壱、十二鬼月の一人が、何故。
「時間。なるほど、時間か。盲点だった。感謝する、お前のおかげで新しい可能性に気付けた」
こいつは何を言っている。何一つわからない。言動も、存在そのものも。ただ、一つだけ確実なのは。
「―――じゃあ、返してもらおうか。ここにいる者は、お前の餌じゃない」
眼前の鬼が日輪刀を抜く。敵意と殺意で地下が埋め尽くされた。圧倒的な鬼気は本体すらも凌駕している。向けられた意は研ぎ澄まされた刀のような鋭さ。わかった。わかってしまった。この鬼は散歩するような気軽さで、自分を滅ぼせる者だ。
食う。一人だけでも、腕一本でも良い。せめてもの抵抗を。でなければ、自分がここにいた意味が無い。存在の価値すらもない。手近な人間へと帯を伸ばした、その瞬間に。
「―――血鬼術 嵐の呼吸 嵐剴無間」
吹き荒ぶ嵐が、全てを薙ぎ払った。
◆
貯蔵庫がやられた。捕らえた美しい人間たちを、全て無駄にしてしまった。許せない。私のものを奪う存在を、到底容認できない。無論下手人は滅ぼす。情け容赦無く、虫を踏み潰すようにあっさりと殺してやる。
しかし、これは良い機会でもある。貯蔵庫に現れた鬼の姿を思い出し、屋敷の屋根の瓦を踏み砕きながら、堕姫は嗤った。
「ああ、あの鬼を殺せばきっと、あの方は喜んでくださる―――!」
鬼を狩る鬼。上弦の弐を滅ぼした鬼。あの方が今最も憎み、最も滅ぼしたいと思っている存在。そいつが今ここにいる。人間はまた捕まえればいい。だが、あの鬼を殺せる絶好の機会は今しかない。
「鯉夏を食えないのは残念だけど」
明日にも鯉夏は身請けでいなくなる。食うなら今夜しかなかったのに。きっと美味かったろう。美しく純粋で、心の綺麗な人間ほど良い味がする。不純物の無い透き通った味がする。心底勿体無い。でも仕方が無い。あの方に喜んでもらう以上に優先すべきことなど、私には無いのだから。
「さて、まずは―――あの毒を使う鬼狩りから殺そうか」
荻元屋にいる毒使い。強敵では無いが、面倒な相手ではある。上弦である自分に毒程度が通用するとは思えないが、もし上弦にも通じる毒の類を持っているなら、他の鬼狩りや裏切り者の鬼と協力して支援に回られたら厄介だ。真っ先に殺す。美しい女だったから、帯に取り込んでいずれ食ってやろう。荻元屋へと向かうべく両脚に力を入れる。その時。
「させるわけ無いでしょう?」
背中越しに誰かが囁いた。それが何者か考えるよりも前に、帯で背後を攻撃する。しかし、そこには何もいない。ふわりと香る、不快な花の匂いが残るだけ。
「貴女が上弦ね?数字は陸?見間違えていなかったらいいのだけど」
「アンタ、何を―――」
声のした方を見ようとして、視界が逆転していることに気付く。視線もいつもに比べてずっと低い。何故、と考えるまでもない。頸を斬られたのだ。たった今、刹那の間に。
「ごめんなさいね。大事な妹なの。殺させるわけにはいかないわ」
落下する頸を受け止めて、下手人を見る。日輪刀を持つ美しい女だった。容姿だけでなく、肉体も、剣士としての技量も研ぎ澄まされている。ーーー柱だ。でなければこんなにも簡単に、私の頸を落とせるものか。
抱えた頸をすぐにくっつける。数秒もせずに元通りにはなったが、その間女の鬼狩りは動かないままだった。余裕の表れか。お前の頸などいつでも落とせるのだと。それが心底、腹立たしかった。
「頸を斬っても、死なないのね」
「アンタ、アタシの頸を落として、ただじゃ」
「もう一度、試してみようかしら」
「ふざけるな―――!」
『血鬼術 八重帯斬り』
帯を広げ、一切の逃げ場を封じた交叉の攻撃。さっきのは不意を突かれたせいだ。そうに決まっている。例え柱が相手だろうと、あの方から追加の血を頂いてさらに強くなった私が、あんなにもあっさりと負けるはずがない。どう防ぐ。どうかわす。かわさねば死ぬぞ。お前程度の命など、鬼の私には容易く踏みにじれるのだから。
「ふざけてないわ。貴女には悪いけど」
―――だから、こんなのは間違いだ。女は防ぐことも、かわすこともしなかった。当たり前のように踏み込んで、当たり前のように刀を振るう。たったそれだけでこちらの攻撃は当たらず、振るった刀は私の頸を斬り落とす。
「―――なんで」
私は強くなったはずだ。血を増やし、柱にだって引けを取らないほどになったはずなのだ。なのに、何故うまくいかない。何故頸を斬られる。何故こんなにも。
「―――わぁああああああ!!」
「え、もしかして、泣いてるの?」
「泣いてない!アタシは凄いんだから!上弦なんだから!アンタなんかに負けないんだから!!」
死ね。死ね。みんな死ね。鬼狩りは全て死んでしまえば良い。奪われてしまえばいい。許さない。許せない。
「助けてよぉ!お兄ちゃああああん!!」