鬼狩りの鬼   作:syuhu

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「上弦の壱とは戦っちゃならない。遭遇したら、何をおいてもまず逃げること」

 

独孤くんはもしゃもしゃと、大量の猪肉に豪快にかぶりついて咀嚼しながら、そんなことを言った。

 

静かな夜のことだった。虫の鳴き声も疎らで、風のそよぐ音すら聞こえてくる。屋敷の中も今は無人。必要な道具を前の住処から取ってくるといって、珠世さんは炭治郎くんと愈史郎くんを連れてどこかへ出向いてしまった。しのぶも今日は蝶屋敷にいる。二人きりだった。

 

「それはどうして?」

 

「勝てないから」

 

「独孤くんでも難しい?」

 

「難しいんじゃなくて、無理。俺じゃどうしたって上弦の壱には勝てない」

 

―――だというのに。彼から投げかけられたのは、色気も惚気も微塵も無い会話。仕方が無い。だって彼は、私に絶対に手を出さない。抱きしめられたのだって、彼の目覚めた日が最後だ。わかっている。その気なら、私から襲うくらいの気概でいかなければならないことは。でも。

 

「やってみなくちゃわからないんじゃない?日の呼吸も、透き通る世界とかも、独孤くんには見えてるんでしょう?」

 

私はこの時間が好きだった。ゆっくりと流れるような、穏やかなこの時間が。だから、今はまだ、これでいい。私の言葉に、独孤くんは猪肉を皿に置いて、首を振る。

 

「俺のは、どこまでいってもただの真似事なんだ。どんなに近づけても9割が精々。残りの1割は、努力とかで埋められる領域じゃない。単純明快な、才能ってやつだ」

 

独孤くんは淡々と語る。口調もはっきりとしていて、そのことはもう割り切っているようだった。

 

「上弦の壱―――継国巌勝は、身内に最強の剣士を持ちながら、それでも追いつこうと足掻いていた男だ。人のままでも強い剣士が鬼になり、数百年の時を研鑽に費やしてきた。そんなのに真正面から戦って勝てるのは、俺の知る限り一人しかいない」

 

「始まりの呼吸の剣士ね」

 

「そう。縁壱さん」

 

目覚めてから彼は決まって、始まりの呼吸の剣士をそう呼んだ。彼の見た夢の話は聞いた。彼と鬼を繋ぐ因縁を聞いて、涙さえ出た。独孤くんにとって、始まりの呼吸の剣士はもう他人ではないのだろう。記録にもほとんど残っていない最強の剣士。だからせめて名前だけでも残るようにと、彼は必ず『縁壱さん』と名を呼ぶ。

 

「もし上弦の壱に勝つなら、俺と悲鳴嶼さん、あともう2、3人くらい柱が必要になる」

 

「そんなに…」

 

「それだけ状況を整えても、多分無傷とはいかない。全員が命を捨てる覚悟で挑んで、ようやく勝てる相手だよ、黒死牟は」

 

上弦の強さは知っているつもりでいた。上弦の弐と戦い、直に実力を感じ取った。それでも尚、柱が5人いてようやく勝機が見える程の強さというものが、私にはまるで想像出来なかった。

 

「でも。黒死牟が厄介な理由は、強いってだけじゃない。―――倒しちゃいけないから厄介なんだよ」

 

「倒しちゃいけない…?」

 

「そう。黒死牟を倒してしまえば、鬼舞辻は当面の間姿を隠して、出てこないだろうから」

 

「――――――」

 

そうか。鬼舞辻は臆病とも言えるほど慎重な男だ。上弦の弐を失っただけでなく、浮世離れした強さを持つ上弦の壱さえも倒されれば、保身のため間違いなく身を隠す。自身を守る、新しい鬼が生まれるその時まで。

 

「だから、柱たちには黒死牟と遭遇しても逃げるよう伝えてある。不死川ですら承知してくれた」

 

「じゃあ、独孤くんと煉獄くんで倒した上弦の弐は」

 

「無駄じゃない。童磨の能力は、鬼殺隊を壊滅させる可能性さえあった。ただ、状況が悪くなったといえば、そのとおりではあるかな」

 

多分、以前とは環境そのものが変わったのだ。鬼を倒せば、十二鬼月を倒せば鬼舞辻に近付ける、という段階はとうに通り過ぎた。今はいかにして鬼舞辻を倒すか、そのためにはどう動くべきかを考える場所まできている。鬼舞辻を引き出し打倒するための策を、連日珠世さんやしのぶ、時にはお館様さえも交えて練っていることを、私は知っている。

 

「でも、黒死牟と会った場合必ず逃げられるわけじゃない。もし周囲に守るべき人がいるなら、俺は戦う」

 

「勝てなくても?」

 

「血鬼術も使えば、時間稼ぎなら出来る」

 

目覚めてから、独孤くんは以前にも増して食べるようになった。禰豆子ちゃんは寝ることで、独孤くんは食べることで回復し、血鬼術を使っている。最近は、珠世さんから人間の血もごく少量だけ譲り受けて摂取している。それでも血に余裕は無いらしい。特に消費量の多い嵐の呼吸は、よほどのことが無い限り使えないそうだ。

 

だが、彼は使うべきと判断したなら躊躇い無く嵐の呼吸を使う。上弦の壱が相手でも、勝ち目がなくても、持てる限りを尽くす。だから、私が。

 

「ねぇ、独孤くん。教えて欲しいことがあるの」

 

私が、彼を守らなければならない。

 

 

闇の中にいるようだった。勝機が見えない。天元さんと二人がかりでさえ、上弦の陸の片一方を抑えるのがやっと。手数が足りない。速さが足りない。力が足りない。なにより―――時間が足りない。

 

「―――ごほっ」

 

肺が痛み、呼吸を続けるのが難しくなってくる。上弦の弐と戦った時の後遺症。珠世さんにも診てもらい幾分か延びたものの、それでも私が呼吸を継続できるのは、長い夜のうちほんの僅かな時間だけ。呼吸を使えなくなればこの状況は容易く瓦解する。天元さんが敵の攻撃を読み取ろうとしているが、完成まで間に合いそうもない。その前に私は役立たずになる。

 

向こうではカナヲと炭治郎くんが頑張っている。まだ若い剣士なのに、上弦相手にほぼ互角に渡り合っている。炭治郎くんの額に痣が浮かんでからはむしろ押してさえいる。あと少しお互いの動きが噛み合えば鬼の頸を落とすだろう。

 

だが、それでは意味がない。あちらの鬼の頸だけを斬ってもこの鬼たちを殺せないことはわかっている。多分、同時。この二人の頸を繋がらない状態にして、初めて殺すことができる。なんて面倒な。仕組みがわからなければ絶対に勝てない、仕組みがわかっても実現の困難な倒し方。そもそも勝てる状況を作り出すことさえ難しい。あまりにも理不尽な相手だ。

 

「―――でも、独孤くんが、戦ってる」

 

遠くから聞こえてくる災害じみた音。上弦の壱との激戦。こちらに攻撃の余波が一切こないのは、相手の技を全て独孤くんが食い止めているからだ。きっと長くは持たない。単に戦うだけでなく、こちらへ向かう攻撃全てを防ぎ続ければ、彼だってすぐに限界を迎える。血を使い切る。

 

円斬旋回・飛び血鎌

 

音の呼吸 肆ノ型 響斬無間

 

花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬

 

技を使うたび終わりが近づく。自分の首を締めるような戦い。少しでも早く上弦の陸を倒し、独孤くんを助けなければならないのに。そうしなければ、彼はまた深い眠りにつくか、最悪―――。

 

「―――絶対に、ダメ」

 

私が守ると誓った。そのためならば―――限界など、関係あるか。

 

「天元さん」

 

「なんだ胡蝶、今は―――」

 

「私が一人で食い止めれば、"譜面"が出来るのは早まる?」

 

「―――ああ。3分もあれば充分だ」

 

「わかったわ」

 

『出来るのか』。その一言を口にしなかったのは、天元さんからの信頼の証だ。ならば全力で応えなければならない。今の私に出来る、全霊で。

 

「――――――フゥゥゥ」

 

深く、深く、頭のてっぺんから指先に至るまで、全てに空気を行き渡らせる。筋肉を意識し、神経を認識し、血の巡りを把握する。血液の循環が早まったのを感じた時、私の身体は力を生む。力は熱となり、身体は少しでも熱を体外へ放出しようと、皮膚に焼き付くよう浮かび上がり。

 

―――私の首には、花の痣が浮かんでいた。

 

 




カナエは痣の出し方を主人公に聞いていました。主人公は痣によるデメリットを知っていたため渋りましたが、最後は根負けして教えています。数話前で主人公が5分だけ、と言ったのは痣を使った場合の制限時間です。

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