血が滾り、力が湧く。技のキレは冴え渡り、振るう刃は必殺の威力を誇る。だが、この状態で戦えるのは精々一時間がやっと。溜め込んだ力を湯水の如く使っているだけで、使い切ればまた、昏倒するように眠りにつく。それでいい。黒死牟に対抗するなら、ここまで引き上げなければ何も出来ぬまま殺され続ける。死力を尽くす。何があっても、この場は死守する。
「月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え」
「嵐の呼吸 嵐影湖光」
地を這う斬撃を相殺し間合いを詰める。踏み込んだ先、黒死牟はすでに次の技の準備を終えていた。
「月の呼吸 捌ノ型 月龍輪尾」
広範囲を薙ぎ払う横薙ぎの斬撃。知っている。血の巡り、筋肉の動きから技の完成形は予想できている。本来は脅威となる高威力の技だが、今だけは対応できる。
「嵐の呼吸 青嵐」
「嵐の呼吸 乱れ白波」
技を二つ重ねて強引に突破。この間合が活路だ。互いが刀を振れば届く距離。黒死牟と渡り合うなら、こちらの攻撃が致命になるこの距離で戦うしか道は無い。呼吸を使わせてはならない。技を使う猶予を与えてはならない。迎撃や守勢に意味はなく、ならば攻め続けて少しでも黒死牟を食い止めるべきだ。
ニ刀を振る。細かく正確に、少しでも黒死牟の動きを阻害するべく連撃を重ねる。一秒のうちに煌めく十閃。全てが急所目掛けて振るわれたそれは、抵抗の余地すら無く相手を斬り刻む必殺の剣。
「…ふむ、見事。だが足りぬ」
―――しかし、その必殺を覆してこそ上弦。刀が二度煌めく。たったそれだけの動作で、必殺と信じた剣は防ぎ切られる。最小限の動きで最大限の効果を発揮する。黒死牟と自分とを隔てる大きな壁がそれだ。反応と判断が並外れている。こちらがどれだけの力を尽くしても、必要最低限の動作で薙ぎ払われる。剣士としての力量と透き通る世界の習熟。黒死牟という一つの完成形が、積み重ねた努力を笑い飛ばすように蹴散らしていく。
「大したものだ…。才無き者が、ここまで届くとは…」
「血鬼術 影纏身」
ならばさらに早く、さらに細かく、圧倒的な手数で攻めるのみ。血鬼術で増やした分身は総勢5体。血は惜しまない。持てる全てを注ぎ込む。四方を囲む10振りの刀ならば、黒死牟とて反撃する暇はあるまい。
斬り、突き、払う。一瞬の間も無い連携で攻撃を続ける。がむしゃらではなく、黒死牟の動きを読み取り回避した先で当たるよう刀を振り続ける。着物を掠めた。髪を切り裂いた。皮膚を少し削ぎ取った。だが、決して肉に届かない。透き通る世界をもってしても尚、黒死牟の動作を読み切ることができない。
「やりおる…しかし…」
一閃。連撃の隙間を縫うようにして振った刀で分身が消える。
二閃。横薙ぎの攻撃を受け流し、返す刀で二体が真っ二つになる。
三閃。焦った最後の分身が、一瞬攻撃を躊躇した隙を狙われ斬り払われる。
「…数が増えた所で、所詮は一。癖も速度も同じなら、脅威とはなりえぬ…」
ふざけるな、と叫びそうになる心を押し止める。出鱈目だ。戦えば戦うほど読み取られ、不利になっていく。思考や動きを見切られれば、どんなに攻撃を重ねた所で全て無駄だ。だから。
「嵐の呼吸 太刀風―――」
「月の呼吸 参ノ型 厭忌月・銷り」
技のおこりを潰され、腹部を斬り裂かれた。危うく上半身と下半身が別れるほどの深さ。技を潰されたことの衝撃と、あっけなく斬られたことの衝撃で後ろに数歩よろめいて、膝をついてしまった。―――まずい。血が足りない。修復まであと数秒はかかる。数秒あれば、黒死牟なら四肢を分断した後で全ての部位を粉微塵にできる。立ち上がれ。隙を見せるな。後ろには、命を賭して守るべき多くの命があるんだぞ。
「…惜しい」
だが、黒死牟は追撃しないまま、ぽつりとそんな言葉を漏らした。
「…貴様があの方の元にいたなら、いずれ私にも並んだだろう。剣の才は無いが、血鬼術の扱いには目を見張るものがある…。まったくもって、惜しいものだ…」
―――ああ、わかる。これは褒められているのではない、舐められているのだ。大人が子供をあやすのと同じ。よく出来たと言って頭を撫でるようなもので、相手を格下に見ているからこそ出る言葉だ。
「…随分と、余裕だな」
「…貴様は見切った。何をしてこようとも、もはや脅威たり得ぬ。人を喰い、血を得ていれば、もう少しは手強かっただろうに…」
「血鬼術ならまだ使える」
「血鬼術では、私は殺せぬ…。しかし、お前には最初から、決め手が無いのだろう?」
「―――」
心底まで見切られた。日輪刀で黒死牟を斬る術が無いと悟られれば、時間稼ぎすら出来はしない。ああ、だから黒死牟は余裕だったのか。日が出るまで俺は殺せない。だが心を折ってしまえば、今すぐに戦う意志を刈り取れる。そうすれば、離れた場所で上弦の陸と戦う彼らを殺すのは、なんとも容易い。
「…半端な呼吸、半端な型。十全に力を使えぬ状況にしては、よく保ったものだ…」
傷は治った。しかし、立ち上がることが出来ない。立てばすぐにまた斬られる。膝をついていれば、会話の時間くらいは稼げる。―――なんて無様だ。負けることを前提にして物事を考えている。折れてはいない。折れてはならない。そう思うことそのものが、折れかかっている証明だというのに。
「…縁壱の意志もここまで。貴様とあの小僧。日の呼吸の継承は、ここで絶つ…」
「――――――」
どくんと、心臓が一際強く高鳴った。縁壱さんの意志が途切れる。それは決して許されることではないが、気にかかったのはそれではなかった。
―――半端な呼吸、半端な型。使いこなせないと知っていたのに、何故そこで留まっていたのか。理由はわかっている。日の呼吸は完成形であり、使えるならそれで万全だと思っていた。たとえ完全に使いこなせない型でも、それ以上の呼吸など無いだろうと、無意識下で思い込んでしまっていた。だから、今の今まで停滞していたのだ。
思い出す。猗窩座との戦闘で、血鬼術と呼吸を組み合わせる戦い方に気付き、嵐の呼吸を生み出した。窮地に陥った時頭に浮かんだのは、得意な風と水の呼吸を混ぜ合わせることだった。ならば―――ならば、日の呼吸と血鬼術を混ぜ合わせればどうなる。自分に使いこなせるよう最適化したらどうなる。日の呼吸が人間に出来る極みならば、鬼の自分にはまた別の、鬼にしか到れぬ極みが別にあるのではないか。
「―――は、ははは」
「…何を」
「いや、いやいや。何か、もう、笑うしかないなってさ」
まだ強くなれる可能性がある。そのことに気付くのが、またしても上弦に追い詰められた土壇場だとは。
「黒死牟」
両手で日輪刀を握り、立ち上がる。異様な雰囲気を察したのか、黒死牟は動かぬまま、しかし強く警戒を示した。
「感謝する。―――俺はお前を、超えられるかもしれない」
「―――月の呼吸 拾肆ノ型 兇変・天満繊月」
黒死牟の行動は速かった。今までの中で最も広範囲かつ避ける隙間も無い技を一呼吸のうちに繰り出す。機会は一度。この好機を逃せば、今度こそ黒死牟は修復の暇も与えず俺を切り刻むだろう。
迫る月型の斬撃を見ながら、緩く刀を握り込む。機会が一度しか無く、しかも試したことも無い技なのに、不思議なほど緊張が無い。失敗すれば終わりという諦め故か。それとも、本能が成功を知っているからか。どちらでも良い。肺に少しだけ空気を取り込む。力み、思考、何もかもを削ぎ落として、ただ一刀に賭ける。生み出す新たな呼吸の名は―――。