拳撃は雨。脚技は刃。連撃は嵐のようで、呑み込まれれば塵一つ残らない暴力の暴風だった。打突を避け、防ぎ、受け流す。一つ対処すれば、すぐに次の攻撃が飛んでくる。後手に回らされている。わかっていても、攻勢に出る余裕など無い。雨のように降る拳打を凌ぎ、隙を待つ。
首を刈り取ろうとする左足刀を上体を逸して回避する。間髪入れず飛んできた右からの突きは、日輪刀の柄で受け流した。攻撃を真正面から防いではならない。流れる水のように、そよぐ風のように、衝撃を逸して半減させる。
「水の呼吸 参ノ型 流流舞い」
拳技を、脚技を、尽く撃ち落とす。柔軟さに長ける水の呼吸だからこそ出来る芸当。威力を殺しながら斬る技術は、以前の自分には無かったもの。胡蝶との模擬戦闘で掴んだ新たな一歩。
「ちっ」
格下と侮った男の予想外の抵抗に、猗窩座の苛立ちが見える。次に繰り出された左回し蹴りは、それまでの攻撃とは違う隙のある動作だった。
「肆ノ型 打ち潮」
一刀目で蹴りを斬り払い、続け様に放つ二刀目で首を狙う。瞬間、悪寒が走った。それは本能が、経験が知らせた危険信号。技を中断し、無理矢理後ろに跳ぶ。低い姿勢で見上げた猗窩座は、右腕を薙ぎ払ったような動作でこちらを見下ろしていた。
「勘が良い。振るっていれば、折れていた」
その言葉で、猗窩座が何をしようとしていたのかを理解した。あれは作られた隙だった。わざと斬りこませ、刀を折ることが猗窩座の狙いだったのだ。
この戦闘において、何よりも守るべきものは日輪刀だ。鬼同士の戦いは基本的に意味が無い。お互いに不死である以上、血鬼術でも決定打とならないからだ。日の光を除いて、唯一決定打となり得るものが日輪刀。刀で首を断てば上弦とて死ぬ。だからこそ、猗窩座は間違い無く武器破壊を狙ってくる。自分を殺す可能性を、潰してくる。
日輪刀が折れれば勝機は完全に無くなる。しかし、折れなければ猗窩座を殺す機会がある。日輪刀を守り、有効打を避け、首を斬る。眩暈がする程細く、遠い道。それでもやるしかない。やらねば、やられる。集中しろ。目を開け。瞬きの間さえ油断せず、常に首を狙い続けろ。
「―――たかが下弦と侮ったが、なるほど。よく練り上げられている」
猗窩座は嗤う。想定外の実力だったことが喜ばしいように、くつくつと。
「認めよう。お前は闘争に値する相手だ。身体能力だけでなく、その剣技も今まで会ってきた柱に近い。だから―――」
ドン、と猗窩座は強く地面を踏みしめる。同時に現れる不可思議な紋様。雪の結晶を思わせるそれは、紛れもない猗窩座の血鬼術。
「―――戦いを始めよう」
「とっくに始めてる」
斬りかかる。血鬼術の正体は不明。しかし、元より遥か格上との戦いなのだ。臆せば死ぬ。技を出せ。どんな血鬼術だろうと、水と風の呼吸を使い分ければ対応できるはず。
「風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ」
猗窩座は動かない。笑みを浮かべたまま腰を落とし、悠然とこちらを見ている。巻き起こした風が地面を刳り、大気を裂いて、猗窩座に迫る。振り下ろした刃が、無防備な首に届きかける。その刹那。
「破壊殺・脚式 流閃群光」
炸裂。衝撃。何が、と思った時には、すでに宙に浮かされていた。脇腹から鳩尾にかけて臓器ごと肉が消し飛んでいる。攻撃された。それも、反応すら出来ない速度で。
「破壊殺―――」
吹き飛ぶ最中、追撃を仕掛けようと構える猗窩座を見る。呼吸が出来ない。無くなった肺が、まだ再生出来ていない。それでも搾り出せ。残った肉から、血からかき集めろ。技を出さねば今度こそ終わる。
「―――空式」
「漆ノ型 勁風・天狗風」
死力を尽くし、防ぎ切ることだけに技を使う。連撃を打ち消し、流し、殺す。それでも対処しきれなかった数発に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
「が、ふっ」
何度か地面を跳ね、滑ってから制止する。頭が半分と左腕が無くなった。問題無い。日輪刀を握る片腕さえ残っていればどうとでもなる。再生しつつある肺に空気を取り込む。少しでも長く、少しでも多く。上空から降りてくる脅威を、斬り払うために。
「破壊殺・砕式―――」
「風の呼吸 肆ノ型―――」
猗窩座は笑っている。今この瞬間が楽しくて仕方が無いというように。わかった。この男は、強さに取り憑かれている。強さだけを信じている。自分の武技を鍛えている瞬間だけが、この男にとっての至福の時なのだ。
「―――万葉閃柳」
「―――昇上砂塵嵐」
◆
技を出せば潰される。技を返せば撃ち負ける。ありとあらゆる攻防で上をいかれるのは、恐らく猗窩座の血鬼術によるものだ。相手の攻撃を感知する能力。先を読み、隙を読み、的確な攻撃を差し込む。あまりにも単純な戦闘方法。しかし単純だからこそ、対処法が存在しない。
この男を倒そうとするなら、純粋な強さで勝る他ない。だが、長い年月をかけて磨き上げられた猗窩座の武技は、正しく極致に至っている。強き者が勝つという単純明快な理屈を貫き通す技量。鬼としてあるまじきその正道さが、猗窩座という鬼を上弦の参にまで押し上げている。
「風の呼吸。水の呼吸。どちらも技は知っている」
向こうで猗窩座は悠然と立っている。対してこちらは、無事な部位が一つとしてない。重傷も即座に治す鬼の再生力が、猗窩座の攻撃に対応しきれていない。
「お前は半端だ。技は柱に及ばず、能力は上弦に劣る。だから」
「捌ノ型 初烈風斬り」
「何一つ、俺に届かない」
出した技は容易く打ち払われた。相殺さえ出来ず、一方的に攻撃を当てられる。血反吐を吐きながら体勢を整え、前を見る。猗窩座は動かない。その表情には、失望が浮かんでいた。
「見苦しい。生き汚い。そうまでして生き残りたいのか」
「生き残る。そのために、刀を握っている」
「無理だ。その折れた刀で、何を斬るつもりだ」
「お前の首を」
日輪刀は中程で折れていた。攻防の最中、とうとう守りきれずに折られてしまった。それでも、まだ斬れる。斬るべきものがある。この程度では、心までは折れない。
わかっている。半端だということは、誰よりも一番良く。剣技も血鬼術も誰かの模倣。自分で作り出したことは無く、原典を超えたことも無い。見苦しく生き汚いのは、今に始まったことじゃない。ずっとそうやって足掻いてきた。強くなろうと、泥沼の中を藻掻き続けてきた。
「そうか」
地が割れ、またあの紋様が浮かぶ。今までよりも更に強い鬼気。終わらせるつもりなのだと悟った。
「充分だ。お前は、もういい」
一際強い踏み込みとともに、反応すら困難な速度で猗窩座が迫る。死が近い。終わりが見える。刀を完全に破壊され、肉体を壊され続ければ、日の出を待たずして精神が死ぬ。勝てないのか。また、殺されるのか。掴みかけたはずのものを、取り零すのか。
時間の流れが緩慢になったような感覚。死の淵に立っているせいか、猗窩座の動きが見えている。感覚だけが加速しているのか。見えていても、感覚についていけない肉体では反応も出来ない。だから、ぼんやりと。緩やかに流れる時の流れで、今まで考える余裕も無かった、別のことを思考した。
猗窩座。この鬼は、血鬼術と武術を組み合わせることで、それぞれが高め合い脅威的な強さとなっている。それは、猗窩座だけの特権なのだろうか。例えば――血鬼術と呼吸を組み合わせる。相反する二つを混ぜることが出来れば、より高め合うことも、可能なのではないか。
上弦の壱。黒死牟。月の呼吸。そう、前例はある。使ったこともある。なら、その方法を模倣しろ。再現し尽くせ。だが、ただ真似するだけでは駄目だ。水と風の呼吸を混ぜ、さらに血鬼術を組み合わせる。そうして初めて、この強さに取り憑かれた鬼と対等になれる。超えることが出来る。
―――ゴォォォォ。どこからか音が聞こえる。低く重い、吹けば何もかもを巻き込み薙ぎ倒す嵐の音。それが自分の身体から聞こえていると気づいた時、最後の歯車が噛み合った。
「血鬼術 嵐の呼吸 嵐影湖光」
嵐が通る。それは風と水を組み合わせた剣技に、血鬼術による無数の斬撃を纏わせた破壊の暴風。刃を下ろして振り返る。そこには、刳り取られた半身を唖然と見る猗窩座の姿。
「―――貴様」
「次は、首を斬る」
誓いを言葉にして、刀を構える。猗窩座の肉体は既に完治している。だが、こちらも傷は癒えた。立場は同等。いや、折れた日輪刀の分、若干こちらが不利か。問題無い。呼吸をする度、力が漲る。今なら、上弦の壱とも斬り結べる気さえする。
「術式展開」
「血鬼術 嵐の呼吸」
両者が同時に地面を蹴る。斬る為に。破壊する為に。全霊を込め、最後の技にのみ集中する。
「終式 青銀乱残光」
「太刀風・小夜嵐」
どこかから、不思議な匂いが漂った、気がした。
◆
揺れている。地震では無い。もっと粗暴な、まるで運搬されているかのような揺れ。誰かに担がれていると気づいたのは、そのすぐ後だった。
「起きたか。なら自分で走れ。お前は重い」
ぺいと投げ捨てられ、地面を転がる。受け身を取って見上げると、見覚えの無い少年がこちらを睨むように見下ろしていた。
「誰、君」
「うるさい走れ。上弦に追いつかれたら今度こそ死ぬぞ」
「―――猗窩座は?」
「向こうで眩んでいる。だがもう解ける。それまでに距離を稼ぐ」
「倒せば問題無い」
「柄だけでか」
握っていたはずの刀を見る。それは刃どころか、鍔も残っていない刀の残骸だった。そうか。俺は―――負けたのか。
「おい、ぐずぐずするな。走らないなら一人で死ね」
「わかってる。わかってるから」
「早くしろ。―――珠世様の下へ案内する」
見知らぬ彼の名は、『愈史郎』といった。
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