「いやー、お風呂気持ちよかったー! さっすが最高級のタワマン、ジャグジーに簡易サウナまでついてるなんて……水回りの設備もばっちしいいのが揃ってるわねー! 備品として置いてあるシャンプーとかも私一押しの奴だし!」
ここは、緑谷と永久の暮らすマンション。その一室。
1フロア丸々1つを『デウス・ロ・ウルト』の実践区画として確保しているうちの1つであり……ターニャが住み込みで使っている部屋だ。
そこで、本日泊まりに来ている『ビューティービスケット』ことビスケは、風呂上り、ゆったりしたパジャマ姿でリビングでワインを片手にくつろいでいた。
その対面側のソファには、こちらもパジャマ姿のターニャが、こちらはホットミルクを飲みながら、何枚かの書類に目を通している。
リラックスはしている様だが、目はきちんと仕事に向き合う時の目だった。
「おまけにお酒もおつまみも経費で食べ放題の飲み放題。いやー、この仕事引き受けてよかったわぁ……ターニャちゃんも一杯どぉ? 美味しいわよ、コレ」
「未成年に酒を進めないでください。あなたと違って実年齢が見た目相応ですので」
「んまっ、可愛くないこと……いやでも実際、ほとんど何の手入れもなしにこのきめ細かいもち肌を維持してるってのはすごいわよね……うちの店の販促写真に使いたいくらいよ。ね、今度うちの店のポスターに出てみない?」
「私へのヒーロー関連の依頼は、タイアップも含めて全て、軍を通していただかないと受けられませんので。あと個人的にそういうのには興味ないです」
「もったいないわねえ……そんなに可愛くてきれいなのに。あーあ、私もそんなだったらなあ……何で私の体は鍛えれば鍛えるほど見た目にも反映されるんだか……はぁ」
ため息をかき消すように、くぴっ、とグラスの中のワインを飲み干すビスケは、直後にボトルを差し出して注いでくれるターニャから、ワインのお代わりをもらう。
何だかんだで気が利くターニャに『ありがと』と返し、
「しっかし、今頃永久ちゃん達は林間合宿も後半戦かあ……どのくらい強くなって帰ってくるかしらね?」
「『個性伸ばし』による成長は、多くの場合戦闘能力に……そしてヒーローとしての在り方そのものに直結してきます。基礎固めは夏休み開始までにある程度区切りがつきましたが、ここから先も、今後の彼女達の成長度合いを左右するという意味で重要です。我々指導陣も気合を入れねば。……もっとも、私が彼女達の指導に当たれる期間は、さほど長くはありませんがね」
「あーそっか、『軍務の一環として』派遣されてる立場なんだっけ? その期間が終われば帰っちゃうわけか……」
「ええ、あっちでもやることは多いですから。だからこそ、それまでに彼女達のために、やるべきことをやって、残せるものを残していきたいのです」
「こっちもやる気十分ってわけだ。教えてもらえる永久ちゃんと緑谷君は幸せ者ねえ……2年間の訓練を1ヶ月に圧縮して大成功させた敏腕教官の指導を、もう2ヶ月も受けてるんだもの。そりゃ強くもなるってものよねー」
「本国の203大隊の時の編成・教導時の話ですか……あの時は、24時間全てを最高効率で訓練に費やせましたからね……。まあ、その分負荷も大きくなって、脱落者も出ましたが……極限状況下で30日間もガッツリ鍛えられれば、そりゃある程度は成果を出せますよ」
「普通はそこまで行く前にぶっ壊れるわよ。その辺の加減を見極めて『成果』につなげられたのは、紛れもなくあなたの実力でしょう? そもそも、24時間を訓練に費やすってことは、自分もほぼ同条件下で30日間指導に当たってたってことでしょうが……立派な軍人よ、あなたは」
感心と呆れが混ざり合ったため息をつきながら、ビスケは、つまみに用意したチーズをかじり、続けてワインを口に含む。
飲み下して、はぁ、と息をついたタイミングで、ふと思いついたように、
「そういえば……日本に来ることになった『軍務』って何なの? 前に、この『デウス・ロ・ウルト』への協力だけじゃない、とか話してたわよね?」
「それについては、申し訳ありませんが、機み……」
機密事項、と言いかけたその時……ターニャのパジャマの胸ポケットに入っていた携帯電話が震え、着信を知らせた。
ターニャはその画面を確認すると、失礼、と一言断って……リビングを出る。
そしてそのまま廊下で……ではなく、自分の寝室に戻り、ドアに鍵をかけて入って来れないようにした上で……ようやく受話ボタンを押した。
その目は、表情は……永久達を鍛える時か、あるいはそれ以上に引き締まった、まさしく軍人のそれになっていた。万が一にも誰かに内容を聞かれないように、防音の室内にきちんと鍵をかけて閉じこもって話をする姿勢からもそれがうかがえる。
『はい、ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐です』
そして、スマホの画面には『国際通話』を示すアイコンが出ており……彼女の口から出たのは……日本語ではなく、ドイツ語だった。
さらに付け加えれば、彼女にかかってきた電話は、盗聴防止の特殊な回線を介してきており……ここまで来れば、どこからかかってきた電話なのかは説明するまでもないだろう。
『私だ少佐……ゼートゥーアだ』
『はっ、お疲れ様です、准将閣下。ご用向きをうかがえますでしょうか』
電話の向こう、渋いトーンの声(やはりドイツ語)で話すのは、ドイツ軍におけるターニャの上司であり、准将の階級に身を置く、ハンス・フォン・ゼートゥーア准将だった。
『日本での任務、まずはご苦労と言っておく。旧友と親交を深めているそうだな』
『は……任務の上でのことではありますが、リフレッシュもかねて満喫させていただいております』
『結構なことだ。……このまま、何事もなく終わらせることができれば、いっそよかったのだが』
含みを持たせたその言い方に、ターニャの目が細められる。
その雰囲気を察してかはわからないが、ゼートゥーアはそこから続けて、
『デグレチャフ少佐、私が君に課した任務を覚えているかね?』
『はい、閣下。諜報部が入手した危険情報の裏付け、及び警戒であります。『近々日本で、巨悪が動き出す可能性がある』……との……』
『そのことについて、こちらでも調査を進めていたのだが……動き出すかはともかく、その存在、ないし生存自体はほぼ確実となった。ここ最近、そちらで蠢動している『敵連合』との関連もな……ひいては、君が日本にいる任務期間中に何かが起こる可能性が高い』
『……承知しました。引き続き警戒に当たります』
『頼むぞ。この任務に当たるに際し、有事の際の独断専行権が君に与えられているのは知っての通りだ……戦闘や撃破以上に、情報を確実に持ち帰ることを最重要事項とする。奴は……『オール・フォー・ワン』はそれだけの相手だ。心せよ、少佐……武運を祈る』
『了解しました。では……失礼します』
そう言って、電話を切るターニャ。
電話をポケットにしまい、ビスケが待っているであろうリビングに戻る過程で、眉間に寄ったしわをほぐして表情を元に戻しつつ……思考だけは続けていた。
(『AFO』……軍大学の機密資料の中でしか私も見たことはない、『超人時代』における最悪の『敵』……超常黎明期から裏社会に君臨する化け物、か……数年前にオールマイトによって打倒されたというそんな怪物が、今なお生存しており、また動き出すとすれば、国際社会とて楽観などしていられまい。どれだけの国がこれに気づいて、そしてそのうちのどれだけが、私のように調査のためのエージェントを派遣しているかはわからんが……騒々しくなりそうだ)
☆☆☆
ところ変わってこちらは、某所……警察管理下の拘置所。
個性犯罪者をも幽閉できる施設が揃っている、この『個性社会』の警察施設にあって……その中でも、幽閉している者達の面子を鑑み、特に厳重な警戒が敷かれている施設の一つ。
そこは現在……警察と救急、そして消防のサイレンが鳴り響き、悲鳴と助けを求める声が響き渡る……ある種の極限状況になっていた。
中と外を隔てる塀や壁は、何カ所も無残に壊され……既にそこは、『閉じ込める』という機能を半ば以上喪失している。
今は、駆けつけた警察やプロヒーロー達が門番のように立ちはだかり、応急処置のできる『個性』によって簡易的な壁や柵を取り付けることで対処としている形だ。
敷地への立ち入りは、『KEEP OUT』のテープで規制されているが、その外側からでも、中の異様な様子がよく見えた。
あちこちが破壊されているのに加え、戦闘痕と思しきものも数多く見受けられえる。血しぶきが壁や床にこびりついていたり、『個性』によるものと思しき、溶けたり燃えたりしたような痕跡も、そこかしこにあった。
その中にあってひときわ異質な1つが……まるで『塵』のようなものがあちこちに散らばっているというもの。
そしてその周辺では、堅牢なはずの壁や塀が、崩れ去ったようになくなっているというものだった。
「こちら、現場です。数十分前に『敵』による襲撃があったと目されているここ、○○拘置所ですが、依然として現場は緊張に包まれています。警察や救急隊、機動隊に加え、何人ものヒーローが周囲を警戒し続けており、救助活動は依然継続中です。被害の全容は未だわかっておらず、私達報道陣もここより先に入ることはできません」
規制線の外で、カメラに向かって、喧噪に負けない音量でリポートを続けるアナウンサー。その様子は、ネットテレビなどで生中継で全国配信されていた。
あらかじめ原稿を用意する時間もなかったのだろう。手元のメモなどに目を落としながらではあるが、正確な情報を伝えるためにはやむなしと、はきはきとした口調で伝え続ける。
「詳細な情報については公式発表を待つまではわかりませんが、周囲で話を聞いた情報によりますと、あの『敵連合』の構成員であると疑われる目撃情報が複数あげられています。また、情報によりますと、この拘置所には数々の凶悪犯が収容されており、そのうちの何名かがこの騒ぎに乗じて逃亡しているとのことです。その中にはあの……」
その様子を、ネットやテレビ越しではなく……現場近くのビルの屋上から、見下ろすようにして見ている者がいた。
10人いないくらいの人数ではあるが、そのほとんどが異様過ぎる風体をしており、下の道路などにいようものなら、一発で通報されること間違いなし、といった集団だ。
『異形型』という、普通の人間からかけ離れた姿の者達が普通に街を歩いている、この個性社会であっても。
何せ、メンバーの大半を占める『脳が露出した外見』という特徴が、そしてその1人である、手のようなアクセサリーを全身にまとっているというその容姿が、昨今、どころか今まさに世間を騒がせている『敵』組織の特徴と一致するのだから。
「死柄木弔……この位置でも『個性』次第では見つからないとも限りません。撤退はお早めに」
「わかってる、黒霧。お前は脳無達だけ先に返しといてくれ」
「承知しました」
答えると同時に黒霧は、自分の体を変形させたワープゲートを形作り、後ろの方に何も言わずに並んでたたずんでいる『脳無』達を飲み込んでいく。元いた場所へ戻し……必要そうであれば、再度調整を行って状態を万全にするために。
その場に残されたのは、黒霧と死柄木、そして……もう1人。
「しかしまあ、見事に騒ぎになってんなぁ……上からだとよく見える。なあ、どう思うよお前、この光景見てよ?」
「……なぜ俺を助けた?」
「会話する気はなしか? せっかく出してやったってのに……お堅いねえ」
「質問に答えろ。なぜ俺を牢から出した……何が目的だ、『敵連合』死柄木」
「……目的はあんた自身さ……『オーバーホール』」
動きを封じる拘束服に身を包み――拘束自体は既に解除されているが――トレードマークのペストマスクこそないものの、鋭い目には未だ獣のような危険な光を宿し続けている、その男。
指定敵団体『死穢八斉会』若頭……ネームドヴィラン『オーバーホール』。
数週間前にあった一件で、不法行為を摘発されて逮捕され……その直後には、組も解体され、腹心であった部下たちも全員逮捕され……監禁していた義理の娘も保護された。
繋がっていたブラックマーケットのルートも芋づる式に摘発され、最早帰る場所など残っていない男ではあるが……そんな悲壮さなど、微塵も感じさせない。ぎらついた眼光で死柄木を睨む。
「……俺に、『敵連合』に入れとでも?」
「少し前までの俺ならそう言ったかもな。けど違う……自分から認めたわけでもない限り、あんたは誰かの下につくことに甘んじるような性格じゃないだろ」
「なら何が目的だ? まさか、気まぐれでここまでのことを起こしたわけじゃないだろ」
「それでもよかったんだがな……まあ、1つ提案はさせてもらおうと思ってるよ。だがその前に、俺の方からも聞かせてくれ。……こうしてまあ自由になったわけだが、あんたこれからどうする?」
「……俺のやることは変わらない。組を……『死穢八斉会』を復活させる。ヒーローや警察に怯えてこそこそやってるようなケチな規模じゃなく……本当に、あるべき姿に戻るまで」
それを聞いて、死柄木は何も反応しない。
手のアクセサリーに表情が隠れているせいもあるが、何も言わず、黙って治崎の話を聞いている。続きを促すように、沈黙をもって、視線だけを寄こして。
「俺と組長、そして壊理がいれば、組は死なない……何度でも復活する。させてみせる。既に道筋とノウハウは組み上がっていた……後は、また手下を集めて力を蓄えて……次は上手くやる。そうじゃなきゃ……組長に……オヤジに合わす顔がない」
「そうか……それに関して俺から言うことは何もない。頑張れ、くらいだな。ただまあ、あえて言わせてもらうなら……それだけじゃないよな、ヤクザ?」
「? 何がだ?」
「俺も詳しいわけじゃないんだが……ヤクザってのは面子の生き物だって前に読んだことがある。おたくの組長さんも、組の『看板』に傷がつくようなことや、バカにされたり舐められるような真似をされるのは許さない質だったんだろ?」
聞きようによっては、治崎へのある種の皮肉とでも取れる言葉だったが……治崎に反応はない。
自分は100%、心の底から、組と組長のために動いている、自分の行動こそが真に組のためになると確信している治崎には、わからない、あるいは、わかっても気にするようなことではなかったのかもしれない。
どちらにしろ、何も言わないのなら、と死柄木は続ける。
「だったらすべきことがあるよな……まあ、俺が言うまでもないかもしれないが……お前にここまでの苦汁をなめさせ、組を解体し、大切なものを奪い取った連中に……いずれは復讐するだろ?」
「……当たり前だ。来るべき時が来たら、落とし前は着けさせる」
「それでこそヤクザ者だ。……でだ、ここでさっきの提案なんだが……ちょっくらそれを、前倒しでやってみる気はないか?」
「……どういう意味だ?」
それには答えず、死柄木はコートのポケットから1枚の紙を取り出した。
折りたたまれて、何が書いてあるのかは開かないと読めなそうだが、それをそのまま治崎に渡し……治崎がそれを開いて見ると同時に、
「明日の夜……そうだな、今くらいの時間だ。ちょっと俺達『敵連合』は、皆で揃って遊びに行く計画を立てていてな……よかったら一緒に行かないか、ってお誘いだ」
死柄木の話を聞きつつ、紙に目を通した治崎は、読み終えたところで聞き返す。
「……なるほどな。ここでお前らの『遊び』に手を貸せ、と?」
「いや、行動は指定しない。行った先で何をしてくれてもいい……無差別に暴れるもよし、自分のターゲットを探し出して殺すもよし……だ。気が乗らないなら別に来なくてもいいが……もし一緒に行ってくれるなら、俺の仲間にだけは手を出してくれるな。それ以外は好きにしろ」
「…………」
「その気があるなら、それに書いてある場所に、時間までに来てくれ。繰り返すが、気分が乗らなけりゃ来なくてもいい……後のことは知らん、好きにやってくれ」
「……本当に来なかったとしたら、お前、今日丸々無駄な苦労だったことになるぞ?」
「それならそれで構わないさ。あんただけが目的だったわけじゃないしな……。ああ、それとその紙、読み終わったら……」
「……ふん」
最後まで聞かず、治崎は紙を『個性』で粉々にした。
「燃や……あー、どうも、汲んでくれて」
「……1つ教えておく」
「あ?」
「ヤクザは30分前行動が基本だ。……迎えに来るのはそこの黒い奴だろ……覚えとけ」
「……だとよ、黒霧」
「かしこまりました。明日、30分早く迎えに上がりましょう」
言いながら、黒霧は再びゲートを開くべく、霧状の体を展開させていく。
「人の目があります、歩いて移動するのは困難でしょうから送りましょう。ご希望はありますか?」
「……港湾地区の適当な裏路地に送れ。後は自分で何とかする」
「承知しました。では……どうぞ」
黒霧のゲートをくぐって消えた治崎を見送りながら……死柄木は、ふぅ、とため息をついた。
「自分が今、誰のために何をやれているか……それがわからないまま、妄信だけで突っ走ってる奴ってのは……傍から見ててあんな感じなのか。ヒーロー殺しといい……哀れなもんだな」
「よろしかったのですか、死柄木弔? ここで貸しを作っておけば、配下とは言わずとも、今後の協力関係を築くくらいはできたのでは……」
「さっき言った通りだ、ありゃ他人の下につくことよしとするような奴じゃない……というより、あんなの危なっかしくて下に置いとけるかよ」
もう見えなくなってしまった背中を、その迷いない目を思い出しながら、死柄木は言う。
ある意味で予想通りだった、治崎という男について、彼なりの理解を語る。
「ヒーロー殺し……オーバーホール……緑谷出久……そして、オールマイト。思想も立場も年齢も……何もかも違うこいつらに対して、俺が今まで無性にイラついていた理由が、こないだようやくわかった」
「? その4人に……何か共通点が?」
「ああ……こいつらは、結論が決まった道を歩いてる」
ヒーロー殺し……ネームドヴィラン『ステイン』。オールマイト以降最悪の敵の1人と言われる(公に知られている中では)その男は、『贋作』たる拝金主義のヒーロー達を殺し、痛めつけることで、世間に『本物のヒーローのあるべき姿』を取り戻させようとした。
そうすることで、いずれ『真の英雄』を取り戻すに至ると思って動いていた。
治崎……オーバーホールは、手段を択ばず金と黒い権力を手にすることで、それを元手に『ヤクザの復権』を成し、再び『死穢八斉会』を偉大な裏社会の覇者にできると思い込んで、その為だけに動いていた。それ自体を、他らなぬ組張本人に否定されているにも関わらず……ただ、そうすることが組の、恩人のためになると、信じて疑わず……守るべき組長や壊理すら傷つけて。
緑谷出久は、ヒーローの卵として、立場は前の2人とは真逆に近いが、その身に宿した『個性』を、そして戦闘技能そのものも順調に磨き上げ、ゆくゆくはプロヒーローとして社会に羽ばたき、平和を守る英雄になれるように日々精進している。尊敬するオールマイトの望みに答え、彼のように世界をその拳で平和にするまでになれる日を夢見て。
そして、オールマイトは……名実ともに『平和の象徴』として、存在そのものが悪への抑止力となり、この国の犯罪発生率を抑えるまでに至っている。それで満足せず、今でも現役のヒーローとして、行く先々で精力的に事件解決に貢献し、その拳を振るい続けている。彼の存在こそが、『個性犯罪』が蔓延するこの社会に、ここまでの平和と安寧を保たせていると言っても過言ではない。
それらを全て認識した上で……死柄木は、その先を見た。
つい先日思い至った、その先にある『闇』を。
死柄木は再び、眼下に広がる光景を見た。
襲撃現場となった拘置所。その規制線の周りには、多くの報道陣や野次馬が押しかけて、『入らないでくださーい』と呼びかける警官たちの肩越しに、どうにかして現場を見ようとしている。
その数は明らかに、先程よりも増えていた。
「……あいつらはどうしてあんな風に、犯罪の現場をアトラクション感覚で見に来れるんだと思う? 犯人が戻ってきて再び破壊活動をおっぱじめるとか、残りの囚人が脱走して暴れ出さないかとか、考えないのかね?」
「ヒーローや警察がいるから、いざという時でも大丈夫、とでも思っているのかもしれませんね」
「お気楽なもんだよなあ……そんな風に考えられる時点で。オールマイトがいれば安心、ヒーローがいるから問題なし……何から何まで対岸の火事、テレビ画面の向こうで起こってる悲劇は、自分の身には降りかからないと根拠もなしに確信して安心してる。そしていざ問題が起これば、自分達が信じて任せていた……全部投げていたヒーローを嬉々として糾弾するんだ。そういう連中自身も大概だが……それを可能にしちまってるこの国の、たるみ切った空気って奴が俺は嫌いだよ」
「ゆえに、オールマイト……ですか」
「あいつからすれば、この、一般人が安心して平和に暮らせる社会ってのは、望んで作り上げたものなんだろうさ。これでよかったと思ってるんだろうし、これからも維持していきたいと思ってる。先生の言う通りなら、弱っちまってる今の体に鞭打って活動続けてるのもそのため……皆同じだ、自分が信じるもののために全力を尽くし、その理想をかなえることが、最高の未来につながると……あるいは、繋がって、形作れたと信じて疑わない。……その裏に、目を向けることもなく」
「…………」
「ヒーロー殺しがほんの一部のヒーローや敵を引き締めたところで、奴が捕まれば逆戻りだ。むしろ、模倣犯や思想犯を余計に生み出し……そして、インゲニウムのように、その過程で『生贄』にした連中は、そしてその家族は、改心も理解もしない、ただ悲しみと憎しみだけが残された」
「オーバーホールは組のためとか何とか言っといて、徹頭徹尾その組長自身が説いていた『任侠』のあり方を無視し続け、組長をその手で傷つけ、組そのものもダメにした。そこまでしといて、失敗したのは自分のせいじゃないとか、大局を見ないバカ共が悪いとか抜かしてやがる」
「オールマイトは確かに平和な世の中を作ったが、その結果がご覧の堕落だ。考えることや、本来持っていなければならない危機意識や緊張感すら捨て去ったバカ共が、それでも生きていける世界を作っちまった。それを守るヒーローが、何かあれば責められるような理不尽な平和をな」
「そして緑谷出久は……その世界を守るために、これからの人生を費やそうとしている。青春する暇もない修行の日々に身を置いて、妄信、あるいは崇拝するオールマイトの後を追いかけるべくひた走っている……どいつもこいつも見えてないし、見ようともしていない」
「ただひたすら、そうなるべき結果や目標だけを、達成して築き上げた成果だけを見て、その過程で置き去りにしたもの、そうならなかった日陰者たちの領域……そういう『臭い物』に蓋をして、見栄えのいい部分だけ見て満足している……だから後になって色々ガタが来るし、そいつらはどうしてそうなったのか理解できない。俺達みたいな連中が湧いて出るのを、結局、俺達が『悪』で『敵』だからっていう、そういう結論に結び付けて思考停止させることしかできない……実際は、コーラを飲んだらゲップが出るくらい、当たり前のことが起こってるだけなのにな」
自分の手のひらと、眼下でたむろしている群衆を同時に、交互に見る死柄木。
その胸中には、幼い頃から『先生』に教えられた、『気に入らないものは壊せ』という教えの元……その力を、今見ている者に向けてしまいたいという欲求がこみ上げる。
しかし、ひとまず今は蓋をすることにしたようだ。その光景に背を向け、黒霧に向き直る。
「型にはまった世界が生きづらくて、へらへら笑ってる奴らが気に入らなくて、今に満足できなくなって……全部ぶっ壊そうと考える。瓦礫の山に全てを還し、そこからまた作り直そうと。今より不便で苦労も多くても、それが自分の選択の結果なら納得できるし、今よりは多分ましだ」
「……なるほど。今回集まった彼らの大部分に当てはまりそうな理屈ですね。確か今回は、生徒の中からそれに近い思想を持っていそうな者を選んで勧誘する計画もあったかと思いますが。確か……爆豪勝己、でしたか?」
「そうだな、体育祭の表彰台で暴れてたあのガキ……見た目もまあ、笑えるくらいこっち向きだったが……いかにも抑圧されてそうな感じの、窮屈そうな奴だった。それに、もう1人……こっちは正直迷ってたんだが、無理そうだからやめた奴がいた」
「? もう1人……? 誰でしょう……轟焦凍ですか? それとも、栄陽院永久ですか?」
現在すでに『標的』にしている爆豪以外に、体育祭で活躍していた2人を思い出して、黒霧は問いかける。
片や、No,2の息子という立場ゆえに、過酷な幼少期を過ごし、人生の選択しを半ば奪われた状態で無理やり英才教育を施されてきた少年。片や、思想はともかく、思い切りの良さと『個性』の優秀さゆえに元々目をつけており、何らかの形で利用できないかと思っていた少女。
しかし、死柄木の答えは……
「いや、どっちも違う。俺が目をつけてたのは……緑谷出久だ」
「……緑谷出久、ですか? 彼を、勧誘しようと?」
その答えを聞いて、黒霧は、意外だ、と思うことしかできなかった。
一番ありそうにないと思っていた人物の名だ。
USJで殴り飛ばされた因縁ももちろんだが、先程までも散々『気に食わない』と言っていた相手。現在、恐らくは死柄木が最も『殺したい』相手の1人であろう男である。
それを、一時でも『仲間にしようか』と考えていたなど、思いもしなかった。
「ま、さっき言った通り、気に食わないし、仲良くできなさそうだし……見込みがあってもそんなんじゃダメだなと思ってやめたけどな、誘うの」
「見込みはある、と評価していたこと自体が驚きでしたよ……一体、彼の何があなたの琴線に触れたので?」
「……こないだ話した時に気づいた。あいつは恐らく……『闇』を知ってる」
思い出すような調子で、死柄木は、先程までとはどこか違うトーンで語りだした。
その目には、黒霧が映っているようで……何か、違うものが……あるいは、過去の過ぎ去った光景が見えているようでもある。
「オールマイトを目指してるくせに、オールマイトと全然違うんだ。まっすぐな目で自分の信念を語りながらも、その目は、ヒーロー殺しとは違った。迷いが、弱さが、不安が……残ってた。ただ意思の力で押し殺してるだけでな。あいつはオールマイトを崇拝してるけど、自分がやること自体には、それが全部正しいとか思っちゃいないし、狙った成果を出せるなんて確信してもいない。臆病に、慎重に、手探りで、自分が『できない奴』だってことを前提にして歩んでる。以前より自信をつけた、っていう評価を差し引いてもだ」
「ゆえに、素質がある。そして、『闇』を知っている……ですか」
「知ってるんだ。この世界には、スポットライトを当てられてないだけで、不幸な奴、報われない奴、置き去りにされた奴、踏みにじられた奴……そんなのはいくらでもいるってことを。ヒーローのせいで不幸になった奴でも知ってるのか、それとも自分自身が何かそういう過去を持ってるのか……。ヒーローへの憧れと、ヒーローは絶対でも完璧でもないという認識が同時にあって……それを抱えて、それでも歩いてる。だからこそ、見込みがあって……しかしだからこそ、向いてない」
「なるほど……そういう矛盾を認識していてもなお、彼は自分の意思で、それでもヒーローになる……そう決めた。ゆえに、あなたとは決定的に相いれない」
「……ひょっとしたら、あいつと俺は似てるのかもな。闇を知って、その上で……何かのきっかけで、窮屈な中でも光に生きることを決めたか……それとも、何もかも全てぶっ壊そうと思ったか……それだけの違いだったのかもしれない。条件が違えば、俺とアイツの立ち位置は逆転してたのかもしれない。……まあ、それでも……」
ふっ、と自嘲するように、短く笑う死柄木。
「もう、遅い。俺は俺で……きちんと思い出して、きちんと考えた上で……もう決めてる」
おもむろに、その手で、五指でもって……今いる屋上の排水設備の1つであろうパイプに触れる。
すぐさまそのパイプが崩れ始め……しかしそこで止まらない。パイプが固定されている壁面にも、『崩壊』が伝染し、塵になって崩れていく。
壁が、扉が、床が、天井が、どんどん崩れていき……つかむものもなくなってしまった頃には、屋上への出入口が丸ごと消え去り、向こう側が見えるまでになった。
崩れてできた塵が、風に吹かれて飛んでいく。
同時に死柄木は、ずきん、と手に鈍痛が走るのを覚えた。
『崩壊』を行使し終えた手を見ると、やや震えているのに加え……所々、内出血が起こったようになっている。『個性』の反動であることは明らかだった。
(……まだ、馴染んでないか……)
「……緑谷出久には、正直、むかついてるが……同時に感謝もしてるよ。あの日、ショッピングモールであいつに会って話をしたおかげで、俺もわかった。気に入らないものはぶっ壊せばいい……でも、その前に一回そいつとよく向き合ってみると、割と色々わかることもある。その後で改めてぶっ壊すのと、何もせずにぶっ壊すのでは……同じようで色々と違う。それもわかった」
「だから、自分の過去を知りたい、などと話していたのですか。そして……聞かされた」
「聞かされて、思い出した。生まれる前から俺が、普通の人生を奪われていたことも……よく言われる、地獄への道は善意で舗装されてる、って言葉の意味も。そしてその上で……決めた」
死柄木は、風に吹かれて散っていく塵を見ながら、顔に着けていた手のアクセサリーを取った。
その際に吹いた風が、彼の前髪をふき上げ……その顔が、夜の闇の照明の光……ビルの屋上に届くわずかな光量に照らされる。
「……俺は、『死柄木弔』だ。『志村転狐』じゃあ、ない」
「…………」
「かつて、過去をぶっ壊したこの手で……俺は今度は、全てをぶっ壊す。平和も、未来も、優しくて残酷な幻想に包まれた、この世界も……そして……」
――俺が選ばなかった道……その先にいるんであろう、お前も。
最後の一言は、言葉にはされなかった。
それきり沈黙した死柄木は、手のアクセサリーを顔につけ直し……黒霧に指示してゲートを開けさせ、その場を後にした。
ほどなくして、黒い渦は忽然と消え去り……屋上に静寂が戻った。
奇しくも、同じ日、ほぼ同じ時間。
全く違う、しかし、少しだけ似ている2人は……それぞれ、胸に秘めた思いを再確認し……この先へ進んでいく決意を固めていた。
その二つがみたび交わる日は……そう、遠くはないのかもしれない。