Side.緑谷出久
『雄英体育祭』まで残り2週間を切った週末。具体的に言うと、金曜日の放課後。
学校が終わって僕は、しかし家には帰らず……そこにやってきていた。
「……お、大っきい……」
雄英高校から電車で1本で行けて、駅に近く、最寄にコンビニはもちろん、様々な飲食店やサービス業の入った商業ビルなんかが揃っている、超のつく好立地。
そのど真ん中に立っている、30階建て、これまた超のつく高級タワーマンション。
教えられた住所に建っているここが……栄陽院さんの家だ。見上げている首が痛い。
特訓のため、そうあくまで特訓のため、『週末泊まりに来なよ』と誘われて……あんまり緊張しないで普段着で来ればいい、と言われてきたけど、無理だよ既に。
どこからどう見ても普通の一般市民でしかない恰好の僕に対して、このマンションから出入りしてる人、完全にもうなんか、裕福そうなオーラ全開の人たちばっかりだし……。
着替えその他の入ったボストンバッグを手に、Tシャツ姿で棒立ちしている僕の場違い感……。
け、けどここまできて引き返すわけにもいかない。
意を決して、玄関の所にある機械(名前知らない)を操作し、聞いていた部屋番を入力して……
「はいもしもしー、栄陽院ですけど?」
「あ、あの……え、栄陽院さん? み、緑谷だけど……」
「あー待ってたよ緑谷! よし、開けるから入ってー」
そう聞こえて、通話が切れると同時に……出入口の自動ドアが開いた。よ、よし……行こう。
長いエレベーターが目的の階に到着するのを待っている間、僕はとりあえず、ここに至った経緯を思いだしていた。
僕と栄陽院さんは、毎日ではないけど、互いに都合がついた+訓練室が空いていた日に、2人で『個性』を鍛えるための訓練をしている。というか、ほぼ一方的に僕が面倒を見てもらってるような状態なんだけどね……今のところは。
そんなある日の特訓の場で、さっき言った通り、僕は『お泊まり』の誘いを受けた。
もちろん何かいかがわしい意味があるわけもなく、あくまでこれは特訓のためだ。
どうやら栄陽院さんの家には、こういう時に役に立つトレーニング関係の器具が多くあり、また近くにいくつも、『個性』使用可のジムを始めとした訓練関係の施設があるらしい。
要するに、何もないところで人力だけを道具に訓練をするのにも限界が見え始めてるし、ましてや体育祭前の一番大事な時期だから、設備のいくらでも整ったところで効率のいい訓練を積むべきだ、という理屈らしい。その会場として白羽の矢が立ったのが、彼女の家だったと。
と、年頃の女の子が、同級生の男子を家に招くのはいくらなんでも……とは思ったんだけど、例によってあんまり深く考えてないんだろうなあ栄陽院さんの場合……! 僕だけが慌てたように言い返しても、それはそれで変な風に考えてるんじゃないかって悟られる可能性が……
それに、流石に彼女も外聞とかその辺については承知していたらしく……教室では話題に出さないように徹底していた上、カモフラージュや家のお母さんたちの説得に必要な小道具までくれた。
もらったのは、超高級な会員制トレーニングジムの優待チケット。それも、『めざせプロヒーロー! 個性訓練泊りがけコース』っていう、外泊を前提としたそれだ。
『余ってるからって友達からもらったんだ。折角だから行ってみようと思って』……以上が、僕が今日の『お泊まり』をお母さんに説明して外泊の許可を出してもらうに際しての、カモフラージュ的な理由付けである。さすがに高校生が理由もなく外泊ってのは怪しまれるよね。
そんなことを思いだしてる間に、部屋についた。
「ようこそ緑谷、借り物だけど……我が家へ。ささ、入って入って。荷物は適当なところに置いて」
「お、お邪魔します……」
すごいな……やっぱり部屋も広い。ってか、そもそも部屋がいっぱいある。
さすがセレブ御用達の超高級マンション……家具も何もかも、高級だって一目で見てわかるものばっかりだ……
けど……ざっと見渡してみた感じ、セレブっぽい優雅な生活を送るための器具はあちこちにあるけど、トレーニングに使えそうな器具はほとんどなかった気がする。
どこで、どうやってトレーニングするんだろう? と思ってたら、動きやすそうな服に着替えた栄陽院さんが、片手で持てるサイズの小さなバッグを持ってきて、そこにいた。
「よし、じゃあ緑谷、移動しようか、特訓する場所に」
「え!? その……ここっていうか、栄陽院さんの家でやるんじゃ?」
「寝泊りするのとかはここだけど、設備は別の場所にあるんだよ。着替え……っていうか、訓練用のユニフォームも用意したから、ほら行こ!」
「う、うん……」
着いたと思ったらまた慌ただしく移動して、僕は最終的に、併設されているトレーニングジムに来ていた。このマンションの地下から連絡通路がつながってて、外に出ずに行けるんだって。
通るにはマンションの住人しか持ってない通行証が必要だから、栄陽院さんと一緒に行った。
やはりというかすごく広い上、さっきの部屋とは打って変わって、最新式のハイテクトレーニング器具があちこちにある。大半が……見たことも無いから使い方もわからないものばかりだ。
そしてそこを訪れた僕と栄陽院さんは、彼女が用意してくれていた、特製のトレーニングウェアに着替えていた。
見た目は単なるジャージ――単なる、といってもかなりスタイリッシュな見た目の、高級なブランド品である――だけど、着るだけでトレーニングになるようになっていて、服自体も重い上に体の各部にウェイトが仕込まれている。さらに、体を鍛えつつも、関節とかに過度な負担がかからないように、各部を保護するサポーターとしても働くように作られているときた。
明らかに、ヒーローのコスチュームを作るようなサポート会社が手掛けるレベルの品だ。
僕と栄陽院さんで、サイズ以外はおそろいのそのウェアを身に着けてやってきたのは、このジムの中でも、特に選ばれた会員か、その紹介でしか使えないようなエリアだそうで……さ、さっきから世界が違いすぎる場所に案内され続けてる……。
こんな機会がなかったら、僕には一生縁も何もなかったはずの場所だよ、ここ……。
まあそれはこの際、もう考えないようにして、特訓に集中することにする。うん、それがいい。
それはそうと、ここはどういう訓練施設なんだろう?
一言で言うと、屋内に設置された陸上競技用のトラックのようだ。しかし、ただ走るだけの平坦な作りにはなっておらず……コース上に様々な機械、というかギミックが用意されている。
障害物競走? いや、どっちかっていうとコレは……アスレチック?
「お、鋭いじゃん緑谷。それじゃ……ぼちぼち始めようか?」
そしていよいよ始まった、『フルカウル』をより使いこなせるようになるための特訓。
僕は今、この屋内ハイテクアスレチックコースを、『フルカウル』状態でひたすら周回している。
やることは簡単。コース上に設置されたギミックを、その場その場のやり方で突破していきながらひたすら走るだけのシンプルなもの。
例えば今ちょうど差し掛かった、コースを塞いで配置されている『雲梯』。
公園とかにもよくある、梯子にぶら下がって腕の力だけで前に進んでいく遊具だ。
僕はそれに飛びついて、腕の力だけで鉄棒をつかみ、ひたすら腕を動かして前に進んで、一番端まで行ったら飛び降りてコースに復帰し、また走っていく。
そうすると次は平均台が用意されているので、これも端から乗ってバランスを取って進む。クリアしたらまたコースを走るのに戻る。
今度はボルダリングっぽい壁が用意されているので、両手両足を使って素早く登る。登り切ったところに今度は下に降りるための滑り棒(消防署とかにある、掴まって一気に下に降りるアレ)があるので、それに掴まって下に降りて、コースに復帰したらまた走り出す。
こんな感じで、エンドレスな障害物競走みたいな感じで、ひたすらこれを周回する。
ただの体力づくり、あるいは遊んでるだけに見えるかもしれないが、全然違う。
特製ウェイトスーツのおかげで、身体能力が上がる『フルカウル』の状態でも、運動がいい感じの負荷になって鍛えられるし……それ以上にこの訓練の本質は、持久力とか基礎体力以上に、『体の動かし方』の訓練だ。
わかりやすく言うと、僕がまだ『ワン・フォー・オール』を受け継ぐ前、あの海浜公園でやっていた、清掃活動を兼ねたトレーニングに近い。
どんな形、どんな大きさの、どのゴミをどう運ぶかで、使う筋肉が全然違うから、色々な部分の筋肉がまんべんなく鍛えられる……というものだった。また、その過程で効率のいい体の動かし方なんかも学ぶことができ、それにより効率も徐々に上がっていった。
奇しくも今回のこの『ハイテクアスレチックwithウェイトスーツ』は、その強化版だ。負荷もでかけりゃ動きも激しい。闇雲に走り回ってるだけじゃあっという間にばててしまう。
雲梯1つ進むにしても、ただ腕を動かせばいいだけじゃない。
腕を動かす方向、角度、込める力、指のどの部分でどう握るか、ぶら下がっている体の動き、足の動き、呼吸のタイミングから重心の取り方に至るまで、一旦意識さえしてしまえば、改善すべき点はいくらでも出てくる。
細かい点かもしれないが、疎かにすればそれだけ体力をロスする。逆に、これらを1つでも多く改善することで、最小限の力で最大限のパフォーマンスができるようになる。
体中、あらゆる動きの中でコレを実践し、徹底的に『正しい動き方』を体で覚える。
それが、このトレーニングの目的だ。
それからしばらくして。
「――およそ30分か。まあまあ、ってところかな」
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ、っ、はぁ……はぁ……!!」
今、栄陽院さんが言った通り……走り始めてから、およそ30分後。
ものの見事に体力を使い果たした僕は、走っている途中で動けなくなり、その場にうずくまって激しく息を切らしていた。
こうなることを見越していたのか、栄陽院さんがあらかじめ用意していた酸素ボンベを吸引させてくれて、同時に直接『エネルギー』も少し流し込んでくれたので、すぐに楽にはなったけど。
「初回だし、まあこんなもんか。思ったよりいい線行った方かもね。まあ、ランナーズハイになってたのに気づかなくて、加減できずに体力ほとんど吐き出しつくしちゃったようだけど。その分、疲れとか各部の痛みとかが今一気に来てるんだ」
「そ、そっか、それでこんなに、きつ……うぇっ……ぷ」
「ちょちょちょ、吐くなよ緑谷? ほら、飲める? 水分と体力補給しときな」
そう言って差し出してくれたスポーツドリンクをありがたく貰う。
いつの間にか汗びっしょりになって、着ているウェアもそれを吸って余計に重くなっていた。
これだけ汗かいたからだろうな……スポーツドリンクがすごく美味しい。500mlを一気飲みしたけど、まだ足りない感じがする。
けど、ドリンクの中には、栄陽院さんが『エネルギー』を溶かしておいてくれたんだろう。急速に疲労が楽になっていくのが分かった。呼吸も元のペースに戻っていき、気持ちに余裕が出る。
僕がある程度落ち着いたのを確認して、栄陽院さんは言った。
「今日のである程度、このトレーニングのやり方とかコツみたいなものはつかめたと思う。明日と明後日はひたすらコレを、『条件』を様々変えて調整しながら繰り返す。そして適宜、応用になる別な訓練を入れていく形にするからね。多分、それが一番効率がいい」
「なるほど……でも、応用の、別な訓練って?」
「それは明日のお楽しみ。さ、今日はここまで! 動けるようになったら、家、帰るよ」
栄陽院さんはそう言って、使っていた器具の後始末を含めた帰り支度を始める。
僕の分の荷物とかまとめるのもやってくれてるみたいだ。申し訳ない……
けど、今は僕、ちょっと真面目にゆっくり休みたいから……ご厚意に甘えさせてもらおう……。予想以上にキクなあ、この訓練……!
やってるうちに、少しずつ自分で動きを調整していき、それが徐々に負担の軽減につながってるのを確かめるのは楽しかった。それはそのまま、動きと力の『最適化』の重要さを物語ってる。
無駄な動きをせず、無駄な力を込めず……常に最適な動きを心がける。
いや、いちいち戦闘中なんかにそんなことを考える余裕はない。ゆくゆくは、考えるまでもなくそういうことができるようにならなくちゃいけないはずだ。
(考えてやってもそれができない……こうしてバテて動けなくなる……こんなんじゃまだまだだ。先は長い、けど時間はない……あらためて気合入れないと)
「でも……今日はもう、無理だなあ……」
ははは、と乾いた笑いが口から洩れる。
今日はもう終わり。もうできない。明日また頑張れるように、しっかり休むことにしよう……
この時の僕は、まだ知らなかった。
何も、わかっていなかった。
まだ、試練の時は終わっていなかったのだということを。
いや、ある意味……むしろこれからの時間こそが、僕にとっては『試練』と呼べるものであり、想像を絶する出来事が待ち受けていたのだということを…………!